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第66話:鋼の塔

 プラテアードが仕立てた偽王女、フィリシアを連れてきたガラン総督一行とすれ違う様な形で、レオンはヴェルデの王宮に着いた。それは、アンドリューが第四総督府に戻った日の、次の早朝のことだった。

 いくら何でも、こんな早朝ではマリティムも起きてはいまい。

 レオンは、王宮の隅にある、小さな自室に入った。想像以上の足場の悪さ、川の増水、そんな中、馬をひいて夜通し歩いた疲れで、レオンはそのまま泥の様に寝入っていた。

 目覚めた時、窓の外は真っ暗だった。

 夜になったばかりかと思ったら、夜中の3時だった。

 これでは、何のために急いでやってきたのかわからない。

 頭を抱えて苦しい息を吐き、ふと顔を上げて驚いた。


「陛下・・・!」


 少し離れた所に、マリティムが足を組んで座っていたのである。

 レオンは慌ててベッドから飛び起き、床に頭をつけた。

「申し訳ありません。陛下に、このようなところまで―――」

「弁解など聞きたくはない。せっかく夜通しで国境越えしたのは何のためだ?」

「本当に、申し開き様もございません。」

「・・・まあ、いい。余程疲れていたのだろうからな。それより、私の要件だが。」

 マリティムは、組んだ長い脚を解き、立ち上がった。

「プラテアードから連れてきた王女の見張りを頼みたい。」

「・・・!」

 レオンは、思わず大きく顔を上げた。

 アンドリューの言った通りならば、その王女はリディではない。偽物のはず。

「王女ははがねの塔の最上部にいる。塔の入り口に見張りがいるのだが、中の様子を直接見張る役目を、お前に頼みたい。」

 鋼の塔は北の塔より更に奥にある、高さ30mほどの建物である。石を塗り固めた細長い円柱に鋼製の円錐屋根が載っているため、「鋼の塔」と呼ばれている。鈍色の朽ちた塔は、ここ暫く使われていなかったはずだ。

「王女の部屋の隣に小部屋がある。そこで24時間監視をして欲しい。」

 レオンは、少し躊躇った。偽物だろうと相手は女だ。部屋の中で着替えたり湯あみをしたりするだろう。

「その役目は、女性の方がよろしいのではありませんか。」

「私は女など信じていない。女は喋ることで精神の安定をはかる生き物だからな。それに、表の顔と腹の中を使い分ける。使い物には到底ならぬ。・・無論、できることなら私も女に監視を頼みたいとは思う。男を傍に置くことがどれ程危険かわかっているからな。王女に万一のことがあれば、私の計画は終いだ。」

「陛下。私も・・男でございます。」

「そうだな。だが、お前は死んでも王女と密通などせぬはずだ。」

「それは・・・。」

「レオン、私がこの世で信じられるのはお前だけなのだ。アンドリューを案ずるお前を無理にでも呼び寄せたことからも、わかるだろう。」

 マリティムからの思いもよらぬ言葉に、レオンは自ずと床に額をつけていた。

「身に余る光栄でございます。」

「アンドリューのことなら、もう心配はない。無事総督府に戻ったと電報が届いたからな。」

 レオンは、安堵とも喜びともつかない息を吐いた。

 胸元に手を添え、瞼を閉じてアンドリューの無事を喜ぶレオンの表情や息遣いに、マリティムは悲しい微笑を浮かべた。

「レオンは、国王である私より、影の身である王子を選ぶのか。」

「・・・陛下のご命令は、絶対でございます。」

「私が国王だから、命令を聞くと言うのか。」

「・・・。」

「アンドリューとは長い年月を共にしているのだから、信頼関係も一入だろう。だがレオンが、私の帰国命令を一度とはいえ―――断った時、心に決めた。もう、お前をアンドリューの下へは帰さぬ。」

「!」

 レオンのすがる様な瞳が、さらにマリティムの感情を逆なでした。

「そんなにアンドリューを想うか。奴にはアランもネイチェルもいる。だが私には、誰もいない。」

「それは違います。陛下に忠誠を誓う者が数えきれないほどおられるではありませんか。」

「忠誠?そんなもの、口先ばかりの戯言だ。年寄連中は私に邪な忠告ばかり囁き、軍人は手柄を立てる事ばかりを考え、貴族は金と宝石の事しか眼中にない。」

「それは、多かれ少なかれ誰しも持っている一面です。私だって陛下のお怒りは怖い。手柄や金も、ないよりはあった方がいいと考えます。それを―――」

「レオン。お前が奴らと同じなら、そんな風に私に言い返したりしない。」

 自分に向けられた国王の眼差しは、レオンが今までに見たことが無いほど慈愛に満ち、しかし寂しげだった。

「私が間違っている時は間違っていると、正面から指摘してくれる存在が必要だ。例え私に銃口を向けられたとしても、私のために、忠告をしてくれる人間が必要なのだ。」

「陛下は、私を買い被っていらっしゃいます。」

「それでも、私にはレオンしか思いつかないのだよ。」

「フィリグラーナ妃も・・・駄目なのですか。」

「確かに、あれも私にものを言う。だが、論理的でない。ただ感情に任せてわめくだけ。私は、そんなものを欲しているわけではない。」

「・・・。」

「そんなに、アンドリューの下を離れるのが嫌か。私だけに仕えるのを拒絶したいのか。」

 アンドリューのために、命を捧げる覚悟だった。不遇な王子のためにだけ、命を投げ出す覚悟だった。例え傍にいなくとも、それは可能なのだろうか。

 ―――いや、可能でなくとも、孤独を吐露した国王にこれだけ乞われて断ることなど、もはやできまい。

 レオンは、マリティムの前で頭を垂れた。

「いいえ。・・・陛下の、仰せのままに。」

 マリティムは、その返事を聞いて少しだけ眉の力を緩めた。

 レオンは頭を下げたまま、動くことができなかった。

 そんなレオンに構いもせず、マリティムは素早く踵を返した。

「では、鋼の塔へ行く。」


 まだ、城内は深い眠りに落ちている。

 要所要所に立つ見張りの兵士を除けば、あとは誰に会う事もない。

 塔の入り口の見張りが、鈍い軋んだ音をたてながら重い扉を開けた。

 気が遠くなりそうなほど長く続く螺旋階段を、二人は最上階まで一息に上り詰めた。

「ここだ。」

 マリティムの視線の先をランプで照らすと、顔一つ覗けるほどの小さな穴に鉄格子がついている扉があった。

「この扉の鍵は、私しか開けることはできない。」

「私は、鉄格子越しに王女を見張っていれば良いのですね。」

「そうだ。不穏な動きがないか、外と交信するような真似をしないか、何か口ずさむことがないか、注意深く見張るのだ。食事は一日に二度、10時と17時。塔の入り口で受け渡す。レオンと私以外、塔の中へ立ち入ることは許さぬゆえ、交替要員がいないが我慢してくれ。王女が本物か見定めるまでの間だ。私も時折様子を見に来る。」

 レオンの奥歯が疼いた。ここにいるのが本物でないことを、自分は知っている。だが、アンドリューがマリティムに報告しなかったその真実を、自分が告げることはできない。

「本物でなかったら、どうなるのですか。」

「私にとって利用価値がない以上、始末するまでだ。」

 レオンは、息詰まる思いで鉄格子の中を一瞥した。

 部屋の隅に蹲るようにして眠る女の顔は、ここから窺い知ることはできない。

 だが、偽物である以上、それなりの覚悟をもって異国の地を踏んだはず。その決意の表情を、レオンは早く見てみたいと思った。



 リディの身代わりの偽王女、フィリシアは日の出より少し前に目覚めた。つい数日前まで農家の娘だったフィリシアの習慣は、そう簡単には変わらない。

 やわらかな掛布団をめくり上半身を起こしたところで、フィリシアは思わず身体を硬直させた。

 まだ薄暗い中ではあったが、鉄格子の向こうの視線に気付いたからだ。今まで接してきたマリティムとは違う顔の男に、フィリシアは息を凝らした。

 微動だにしないフィリシアの顔を、レオンはじっと見つめた。

 リディとは違う、緑色の瞳。腰の中央まで伸びた髪を首の横で結わえている。地味で特徴の無い顔立ちだが、引き締まって知性が見える。無論、「王女」で「首長」の替え玉なのだから、その辺の小娘を送り込んできたとは思わないが・・・。

 レオンがいつまでも視線を逸らさないため、フィリシアはベッドから出ると無造作に絹の寝間着を脱ぎ棄て、深緑色のドレスを纏った。胸下の切り替え部をキュッと黒いリボンで結ぶと、足元まで続く長いドレープが優雅に揺れた。

「王女とは、見知らぬ男の前で堂々と着替えるものではないと存じますが?」

 レオンがそう言うと、フィリシアは笑みを浮かべた。

「あなたは私の監視でしょう?監視役の前で着替えたのは、私にやましいものがないことを証明するためです。それに、着替えるから覗かないでくれと頼まれて本当に視線を外す監視役など失格。ジェードとあろうものが、そんな間の抜けた事をするでしょうか?」

「王族として、下々の者に肌は見せないというプライドはないのですか。」

「私は王女ではなく、プラテアードの首長です。それをお間違えなく。」

 フィリシアは口端を無理に持ち上げて見せたが、ドレスの下の足は小刻みに震えて止まらなかった。偽物とばれないよう、一言一言が綱渡りだ。細心の注意を払いながらも、不自然でない会話を作り上げねばならない。頭の回転が速いフィリシアにとっても、それは至難の技だった。不要な一言が命取りになる。

 フィリシアが偽王女とわかっているレオンは、尚も意地悪な問いかけをした。

「プラテアードの首長だって、一般市民とは違う扱いを受けて育ってきたはず。恥じらいもなく服を脱ぎ棄てるなんて、育ちが悪い村娘の様に見えましたが。」

 肩の大きな震えを、レオンは見逃さなかった。

 フィリシアは動悸を押さえるように胸元に手を置き、それでもレオンから目を反らさなかった。「やましい所は、何もない。」そう、訴えているようだったが、動揺は隠しきれていない。

(所詮、急ぎで仕立てた偽物にすぎない、か・・・。)

 レオンがそう思ってため息をついたところへ、フィリシアの声が響いた。

「私を育てた父は、質素な家で、家事も料理も自分でこなし、市民と同じ生活を心掛けていました。それは私も同じです。多少お見苦しい部分はあるかもしれませんが、どうかご容赦を。」

 フィリシアはそう言い放つと、白い光を放ち始めた窓辺へ向かい、膝を付いて祈りを捧げ始めた。

 長い睫毛を伏せ一心に祈る姿を、レオンは腕組みをしながら眺めた。

(遅かれ早かれ、この女性は処刑されてしまうのだ。)

 おそらく監視をしている間中、同じことばかり考えてしまうだろう。そして、そこから巡らすのはリディのこと、そして、アンドリューのことだ。

 アンドリューは、自分が総督府へ戻らないと聞いて、どう思うだろう。口煩い監視がいなくなって良かった、などと思うだろうか。それとも、自分と同じように鈍い痛みを感じてくれるだろうか。

 幼い頃からずっと繋いできた手を、こんな形で手放すことになるとは。

(いや。今、自分に与えられた任務に全力を尽くすことだけ考えねば。きっとそれが、一番アンドリューのために繋がっていくはずなのだから。)

 鋼の塔に漂う鉄の匂いが、レオンの喉を突いた。

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