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第65話:満月の見えない夜 -その5-

 アンドリューの頭の中には、アドルフォ城の見取り図が細部に渡るまで記憶されている。旧ジェード第三総督府であるから、情報には不自由しない。奪取した後も、プラテアードには改造する資金や資材があったとは思えないから、今も図面通りと考えて大丈夫だろう。

(城内から外への抜け道があったはず。)

 その記憶通り、人気の無い木陰に、入り組んで掘られた地下への入り口を見つけた。

 アンドリューは一旦そこへ身を潜め、崩れる様に腰を降ろした。

 骨の髄から震えが襲う。頭も、割れる様に痛い。

 懐中時計は朝の5時を回っている。

 明け方の時間だというのに東の空は暗いままだ。厚い灰色の雲が立ち込めているせいだろう。雨は小康状態なりつつあるが、太陽のない寒い一日が始まる。

 休んでいる暇がないのはわかっているが、身体に力が入らない。

 凍える指先を自分の息で温めていると、不意に目の前が暗くなった。


 「・・・!!」


 アンドリューは、息が止まるほど驚いた。

 物音も、気配さえ感じさせず突如現れたのはキールだった。

 キールは自分のマントを肩から外すと、アンドリューを包むように掛けてやった。

「逃げることはなかったのですよ。私があなたに手を出せないことは、おわかりでしょう。」

「こんなに早く見つかるとは・・・情けない。」

「アンドリュー殿が健康だったら、我々の目をいくらでも欺けたはず。でも今回は体調不良と聞いてましたからね。古い見取り図通り、地下通路を狙ってくると思ったのです。」

「・・・フィゲラスの容体は?」

「アンドリュー殿の血を分けて頂いたのです、助からないはずがない。」

「妹君の腕は・・・。」

「捻挫ですから、冷やしておけば放っておいても治りますよ。」

「彼女は、俺を本気で殺す気だった。」

「妹は、今の我々が最も知られたくない秘密を、アンドリュー殿の口から洩れることを怖れているんです。」

「・・・あなたは?」

「私には覚悟があります。それが明日でも一週間後でも、受けて立たねばならない。妹はあなた一人を怖れた様だが、エンバハダハウスにいたあなたの側近は皆リディ様を知っている。それに、満月からは逃れられない・・・でしょうし。無論、そのことだけは、私以外の者は知りませんが。」

 キールは、額の紋章の事をバッツから話で聞いただけである。満月の夜に浮かび上がったという話だけのため、王族なら誰の額にでも紋章が浮かぶと思っている。だから、それが王女か否か判別する決定的な証拠になると覚悟しているのだ。

 キールは、アンドリューを軽々と背負った。

「私が城の外へお連れします。」

「俺を逃がしていいのか。」

「逃がすのではありません。『追い出す』のです。」

 アンドリューはキールの背で揺られながら、口端を引き締めた。

 キールは、甘さや情で動いているわけではなかった。きちんと、敵であることを弁えて行動しているのだ。それを、誤解してはならない。

 細かい雨は、音を立てずに身体と地面に吸い込まれていく。

 人の気配の無い石畳をゆっくりと進みながら、キールは静かに尋ねた。

「ジロルド先生から聞きました。あなたの首に、薔薇翡翠のペンダントがあったことを。正確には『あなたの首に戻っていた』と言った方がいいでしょうか。」

「・・・。」

「アンテケルエラで何があったのか、私にはわかりません。あの後、妹だけがリディ様に接触を許されていた様ですが、まさかあなたに会う手助けをしていたとは思いませんでした。」

 さっき、自分を殺そうと躍起になっていたあの女性が、そんな役割を果たしていたとは信じられない。それをアンドリューが口にすると、キールは視線を少し前へ上げた。

「それは私も同じです。普段、妹はリディ様に反発することが多い。特にアンドリュー殿とのことは、エンバハダハウスの頃から懸念していた。それが何故・・・と考えると、大方の予測はできるものです。アンテケルエラで、何があったのか。」

「予測できても、それをリディに問いただすのはやめた方がいい。」

「ええ。・・・リディ様の性格を考えれば、そうでしょうね。」

「プラテアードは、リディをどうするつもりなんですか。」

「どうする、とは?」

「生涯、一人でいさせるつもりではあるまい。」

「それは、我々が画策することではありませんよ。」

「アドルフォの様に、赤の他人を引き取って跡継ぎにするのですか。」

「そうかもしれません。」

「プラテアード王家の血を、絶つのですか。」

「ジェードの方がその質問をするのは、おかしなことですよ。それに、今回のことでアンドリュー殿にもわかったでしょう。リディ様が、政略結婚など受け入れないということを。」

 城壁の外へ続く道が、細く、ゆるやかな下り坂になった。

 かけた煉瓦や凹凸の激しい石が埋め込まれ、足場は良くない。アンドリューは、キールの背で跳ねる様に揺られながら、ここが使用人専用の通路であることを感じていた。

「キール殿なら、リディも受け入れるのでは。」

 アンドリューの思いがけない言葉に、キールは少しだけ歩みを緩めた。

「まさか。身分も歳も違いすぎます。第一、私はリディ様を女性とは思っていませんし、リディ様も私を男だとは思っていない。・・・わかっていて、なぜそんなことをおっしゃるのです?リディ様が受け入れるのは、生涯かけてあなただけだということを。」

「そんなことは、・・・ない。」

「そうでしょうか?私は腹を決めていますよ。もう、8年も前から。こうして再び二人が出会ったのも、運命としか思えません。」

 アンドリューの脳裏を、リディの涙に濡れた睫毛がかすめた。

 リディは、ちゃんとわかっている。

 ジェードとプラテアードの間には、もはや、首長一人の思惑で動かしようのない深い溝が、年月と共に深く刻まれていることを。まるで人間の皺の様に、時間を経るごとに深くなり、決して修復はできない。

 その後二人は何も話さぬまま、背を屈めなければ通ることができない小さな扉の抜け、城壁の外へ出た。

 枯れた草むらに、アランとネイチェルが待っていた。

 アランが潜んでいることをソフィアから聞いたキールは、一人でアランを探しに動いた。日の出前で大半が眠っていたが、何人かは起きていた。敵陣に乗り込んで易々と眠っているはずがないと目論んだ通り、その中にアランの姿があった。ソフィアはアランだけを目にしていたが、足の悪いアランが一人で潜入するはずがない。キールはアランを少しの間見張り、傍にいたネイチェルの存在を認めた。

 キールは、ネイチェルにアンドリューを引き渡した。

「おそらく、近くに馬を隠しておられるのでしょうから、早々にここから立ち去る様お願いします。ここは、プラテアードの最も聖なる領域です。ジェードの介入を受けない唯一の地なのです。アンドリュー殿を招き入れてしまったのは私の部下の落ち度ですし、アランさんが、スパイなどではなく純粋にリディ様の声明をお聞きになりたかったとおっしゃるので、それを信じ、このことは私と一部の者の胸に治めておきます。」

 アランは、湖色の澄んだ瞳でキールを見つめた。

「リディの事・・!本当に、心配しています。リディは僕の命の恩人です。救えるものなら、僕は独断ででも救いたい。でも、」

「そんなことは、あなたが考えてはいけない。それが実現したら、あなたは反逆罪で銃殺ですよ。我々の国のことです。我々の国の首長のことです。ジェードのあなたが心配してはならない。関わっては、ならない。」

 そのセリフの途中から、キールはアランではなくアンドリューの方を見ていた。

 アンドリューは、キールのマントの隙間から蒼い瞳を覗かせていた。

 それ視線を確かめ、そしてそれを振り切るように、キールは強く踵を返した。

 

 扉が鈍い音をたて、固く閉ざされた。

 


 3人が第四総督府に戻ったのは、それから6時間後のこと。

 しかし、そこにレオンの姿はなかった。

 レオンは一度総督府に戻り、アンドリューの捜索を仲間に頼んだ直後、マリティムから呼び出しの伝令を受けていた。

 アンドリューのことを告げても、マリティムの答えは変わらなかった。

 レオンは後ろ髪ひかれる思いで、プラテアードを後にせねばならなかった。


 アンドリューは無事に決まっている。

 あのアンドリューが、こんな所で死ぬわけがない。

 そんな運命であるわけがない。


 それを、信じて。


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