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第64話:満月の見えない夜 ―その4―

 遠くで、男女の言い争う声がする。

 夢と現を彷徨いながら眠りから呼び戻されたアンドリューは、強烈な喉の渇きを覚え、咳込みながら瞼を持ち上げた。

 が、そこで目にしたのは衝撃の光景だった。


 ベッドに横たわる自分の上に覆いかぶさる男。

 その後ろで剣を突き立てる女。


 夢の続きかと思った。

 一体何が起こっているのか、見当もつかない。

 

 ソフィアは、フィゲラスを貫いた剣を引き抜いた。その衝撃で、フィゲラスの背から血が噴き出す。

 それでもフィゲラスは歯を食いしばりながら、アンドリューに覆いかぶさることで、尚も庇おうとした。

 刹那。フィゲラスの肩越しに、ソフィアとアンドリューの視線がぶつかった。

 ソフィアの瞳に明確な殺意が宿った。

 フィゲラスごとアンドリューを刺してしまえばいいとばかりに、両手で剣を握りなおす。

「二人そろって、地獄に堕ちるがいい!!」

 頭で考えるより先に、アンドリューの本能が目覚めた。

「フィゲラス、どけ!」

「!?」

 驚く間もなく、フィゲラスはベッドから突き落とされた。

 アンドリューは目前に迫る剣先を素早く交わし、勢い余ったソフィアはベッドに剣を突き刺してしまった。

「くっ!」

 ほんの一瞬だけ怯んだ隙を、アンドリューは逃さなかった。

 剣から離れたソフィアの細い腕を掴むと、そのまま床の上に押し倒した。

 両手を床に押し付け、足を自分の体重で押さえつける・・・それが今のアンドリューにできる精一杯だった。熱のせいか、これしきの動きで息が上がっている。しかし、何とか身体は動く。それは、少し眠ったこととフィゲラスの投薬のお蔭なのだが、今のアンドリューには知る由もない。

 背中から冷たい汗が噴き出しているのを感じながら、アンドリューはソフィアを見下ろして言った。

「さすがキールの妹・・・と言いたいところだが、所詮は女だな。」

 掴まれた手が焼けるように熱い。ソフィアは、薄笑いを浮かべた。

「その熱で、いつまで私を押さえつけていられるつもり?」

「限界があるだろうな。だからその前に、決着をつける。」


「駄目ですよ・・・!」


 アンドリューに突き落とされ、床に倒れた身体を起こしながら、フィゲラスが呻いた。

「話すな、フィゲラス!それ以上出血すれば死ぬぞ!」

 そのセリフを聞いたソフィアは、奥歯を軋ませた。

「やはり、フィゲラスはジェードと繋がったままだったのね!」

「それは違う。俺を庇って死なれるなんて縁起でもないからだ。」

「くだらない言い訳!聞く価値もないわ。」

 そこへ、息も絶え絶えのフィゲラスが口を挿む。

「やめてください・・・!どちらが死んでも、・・・悲しむ人が出る。」

「口をきくなと言ったろう!」

「好きなだけ話させればいいじゃないの。この男が死のうと、プラテアードは全然困らないわ。」

「・・・本気でそう思っているのか。」

 間近で見るアンドリューの蒼い瞳の色が変わった。

 ソフィアは思わず息を呑む。

「何が言いたいの?」

「プラテアードは、医者を必要としていないのか。」

「そりゃあ、必要よ。でも、ジェードのスパイは御免だわ。」

「それでもリディの側近か?例えスパイだとしても、プラテアードにいる間は国の財産だ。今のプラテアードに、医者を養成する教育ができるのか?ジロルド先生一人に、国の医療すべてを背負わせられないだろう?知識と技術の後継を考えてもいないのか?そんなことで、よく独立なんて大層な思想を掲げたものだな。」

「敵であるあんたに、そんな事を言う資格があるの?もとはと言えば、誰のせいだと思ってるのよ!?」

 ソフィアが声を上げることに気を取られた。

 その隙を逃さず、アンドリューはソフィアの右腕を一瞬宙に浮かせると、素早く捻り上げた。

「う・・っ!!」

 骨折する寸前で止め、アンドリューは熱い息を吐きながら言った。

「これで利き腕はやられたはずだ。観念するんだな。」

「誰が、あんたなんかに・・・っ!!」


 バンッ


 突如、扉が激しい音をたてて開いた。

 向かい側の部屋で仮眠をとろうと床についた矢先、大声やら物音を聞きつけたジロルドが駈け込んできたのである。


「これは一体・・・!」

 

 思いがけない惨状に、ジロルドは絶句した。

 部屋の中央で血を流すフィゲラス。

 少し離れたところで男に腕を捻りあげられて呻いているソフィア。

 次の瞬間、ジロルドはソフィアを押さえつけている男と視線がぶつかった。

 その青白い顔を正面で捉えたジロルドは、驚きを隠せなかった。


「アンドリュー・・?」


 アンドリューは、思わずジロルドから視線を外した。

 こんな状況で、恩あるジロルドに会わせる顔はない。

 だが、ジロルドの関心はすぐにフィゲラスに向けられた。

 蹲るようにして傷口を押さえているフィゲラスの手は、血だらけだ。止まることを知らないかのような出血。危険な血管まで傷つけられているかもしれない。

 ジロルドは手早くフィゲラスの傷口付近を縛り上げながら、フィゲラスと2、3会話を交わした。

 アンドリューは、もはやソフィアの利き腕が使い物にならないことを確信し、手を放した。ソフィアは腫れる直前の腕を抱え、低く呻く。その様子を一瞥し、アンドリューは診療室から出て行こうと、出口へと足を向けた。

 と、その時、ジロルドの大声が飛んだ。

 

 「輸血が大至急必要じゃ!」


 アンドリューは、思わず立ち止まった。

 自分を庇って刺されたフィゲラス。見捨てるのは忍びないが、ここは敵陣。レオンのことも気になるし、一刻も早く城から出たい。

 そこへ、ジロルドの声が続く。

「ソフィア。お前さん、A型じゃったな?」

 ソフィアは痛んだ腕を押さえながら、叫んだ。

「冗談じゃない。なんで自分が刺した男を助けなきゃならないんです?」

「じゃあ、誰でもいい。すぐにA型の人間を集めるんじゃ!」

「嫌です!プラテアードの血を、ジェードになんてやれません。」

「フィゲラスはリディ様がお連れなさった医者じゃ。リディ様のものじゃ。死んだら、どう弁解するんじゃ?」

「ご心配なく。敵を庇って私に刺されて死んだとお伝えしますから。私がしたことは間違っていますか?間違っていませんよね!?」

 二の句が継げず唇を震わせていると、ジロルドは、不意に後ろから肩をたたかれた。

 そこに立っていたのは、アンドリューだった。

「俺も、A型ですから。」

 ジロルドはアンドリューから発せられる高い熱に気付き、年老いた皺だらけの手で額に触れた。

「相当な熱じゃな。」

 アンドリューは、首を振った。

「一刻を争うのでしょう。・・・早く。」

「いや、わしはキールに話をしてくる。キールなら人集めも容易いじゃろうて。」

「やめてください!」

 ソフィアは二人を睨みつけた。

「・・・無駄ですよ、先生。この城に、ジェードのために血を分け与える人間などいません。プラテアードの血は、ジェードと混ざり合ってはならない。フィゲラスが失血死したとしても、それは私のせいじゃない。ジェードの人間だったのが悪いんです。何もかも、ジェードのせいなんです!」

 アンドリューはジロルドの肩を促した。

「輸血の準備をしてください。時間が惜しい。」

「・・・うむ。」

 ソフィアは、アンドリューを睨んだ。

 ――― キールなら人集めも容易いじゃろうて ―――

 ジロルドは、キールが協力して当然というのか。キールが協力すると踏むのは、リディのことがあるからか。バッツのことがあるからか。

「ソフィア、そこで待っておれ。こちらの処置が終わったら腕を診てやる。」

 輸血の準備を手早くこなしながら、ジロルドがそう言ったが、ソフィアは返事をしなかった。遠くに見えるフィゲラスの顔色が死人のように見える。その隣に、アンドリューが仰向けに横たわった。

 ソフィアは痛む腕を押さえながら、嫌味を吐いた。

「ありえない。この城で、プラテアードの人間より先にジェードの人間が手当されるなんて。」

「やめないか、ソフィア。」

 そう、たしなめるジロルドの横顔を見上げながら、アンドリューは自分の行動も『ありえない』と思っていた。フィゲラスは、秘密を知り過ぎたため始末したかった男だ。それなのに今、こうして助けようとしている。

 ジロルドは、アンドリューの額に濡らした布をのせた。その時、シャツから覗く首や胸元に目が留まった。

「身体の傷跡は、何年経っても消えぬのじゃな」

 アンドリューは、首を振った。

「あの時は、死を覚悟していました。傷跡くらい、安いものです。」

「そうよ。バッツを犠牲にした報いは、そんな傷跡ぐらいで拭えないわ!」

 アンドリューの言葉に思わず反応して、ソフィアは大声をあげた。その時、声と共に身体も動き、その振動が痛んだ腕に響いてソフィアを苦しめた。アンドリューに捻られた腕は、腫れて熱を持っている。骨折寸前とはいえ、石一つ握れない有様だ。

(私としたことが、病人にやられるなんて・・!)

 無駄な力を使わず、最小限の力で必要な技を繰り出す訓練を積んでいる証拠だ。

 只者でないことはわかっている。他の誰にアンドリューを殺すよう命じても、おそらく敵わない。キールやパリスなら、体調不良のアンドリューを倒すことができるだろうが、ジロルドが言う通り、キールはアンドリューを助ける立場に回るだろう。パリスに直接頼んでも、どの道キールの耳に入る。

 やがて、アンドリューからの献血が終わった。

 アンドリューは横になったまま、ジロルドを見上げた。

「血は、足りたのですか。」

「いいや。まだじゃが。」

「では、もっと採って下さい。そこの彼女の言う通り、ジェードとプラテアードの血は混じることはできない。」

「そんなことをすれば、お前さんがどうにかなってしまう。」

「先生は、プラテアードの利益をお考えになればいい。それは正しいことです。」

「駄目じゃ、わしは絶対にお前さんを死なせられん。今からキールに協力を頼んでくる。」

「やめてください!」

 ソフィアが、再び声をあげた。

「兄は大事な身体です。余計な手間をかけさせないでください。」

 問答している時間も惜しい。部屋を出たジロルドの背がそんなことを言っていた。

 悔しい息を漏らす間もなく、ソフィアは、窓から外を覗いているアンドリューに気付いた。

 下を見ている。ここから、出て行けるか測っているのだ。

 結論が出た合図のように、アンドリューは、衝立にかけられていたマントを手にした。ソフィアは思わず、動く左手でその裾を掴んだ。

「どこへ行く気?」

 肩越しに振り向いたアンドリューの額が、ぎょっとするほど蒼い。

「・・・フィゲラスを絶対に助けろ。フィゲラスは今後一生、リディを救う役目を果たすんだ。ジロルド先生の代わりにな。」

「ジェードのスパイのくせに。」

「それは誤解だ。」

「信じられない。現に、エンバハダハウスにいたアランっていう子まで潜入させてるじゃない?フィゲラスと接触してるのを見たわ。」

 アンドリューは、「仕方がない」というように息を吐いた。

「アランには、リディの声明を聞いてくるよう俺が頼んだ。だが、フィゲラスと会ったのは偶然だ。」

「アランはフィゲラスに、一緒に戻ろうとか言っていたわ。」

「それを、受けなかったろう?」

「・・・それは、スパイだから帰らないのは当然でしょ。」

「あなたは、リディを信じていないんだな。リディがスパイを連れ帰るような間抜けだと思ってるのか。」

「それが、誰のせいかわからないの?」

 ソフィアの責めるような視線に、アンドリューは目を細めた。

「俺のせいか。」

「そうよ。リディ様の気持ちは何年経っても少しも変わらない。国を捨ててあんたの所へ行けばいいと言えば、そんなことは出来ないと悲しく笑う。もう、いっそあんたに国を捨てて欲しいくらいよ・・・!」

 アンドリューは、悔しさに泪を滲ませるソフィアを振り切るように、再び窓の外を見た。

 まだ、雨は止まない。

 不意に、部屋の外から何人かの走る足音が響いてきた。

 ジロルドが、キールや仲間を連れて戻ってきたのだろう。

 アンドリューが窓を開けると、雨飛沫が頬を殴った。

 ちらりとだけ振り返った視線の先のフィゲラスは、アンドリューの血を少しずつ受けながら眠っている。

「逃がさないわ。あんたを今、逃がすわけにはいかない!」

 しかし、利き腕の使えないソフィアの動きは鈍かった。体当たりしてでも引き留めたいのに、思うように体が動かない。

 ここは、2階。

 これくらい飛び降りるのは、例え熱があってもアンドリューには容易い。

 窓枠に手をかけながら、アンドリュー肩越しにソフィアを見下ろした。

 実際に見たキールの妹は、写真で見た時より歳をとっていても、写真で見るよりずっと美しかった。

 リディと共に年月を重ねてきたであろう彼女は、リディと同じ匂いがした。

 ソフィアに何か言ってやれたらと思ったが、結局、何も言えなかった。

 ソフィアの手から、マントの裾がスルリと抜けた。

 それは、キール達が部屋に入ってくるのと、ほぼ同時だった。

「お兄さん、アンドリューが!」

 キールはジロルドから事情を聞いており、すぐに開いた窓から身体を乗り出して、走っていく影を目にした。

「つかまえてちょうだい!あの男は、捕えられた王女が偽物だと見破れるのよ!」

 キールは、ソフィアを見つめて頷いた。

「大丈夫。手配はしてある。」

「本当に?」

「ああ。だから、フィゲラスを助けることに専念する。ソフィアも手当をしてもらえ。」

「フィゲラスに血をやるの?敵なのに?」

「フィゲラスを助けるのではない。すべては、リディ様をお救いするためだ。」

「いつか、ジェードに戻ってしまうかもしれないわ。リディ様を治療するふりをして、リディ様を殺すかもしれないわ。」

 すると、キールは軽く瞼を伏せた。

「そんな男でないことを、近くで見てきたお前が一番良くわかっているくせに。」

「・・・そんな・・!」

「俺は献血をするから、その間に腕を診てもらうんだ。いいな。」

 キールは、A型の男を3人引き連れてきていた。それだけいればキールは献血しなくていいだろうとソフィアは思ったが、思った通り、率先して腕を出したのはキールだった。

 ソフィアは、アンドリューのマントを掴んでいた左手を見つめて思った。

 あの時、アンドリューは何か言いたそうだった。

 あの、最後に見つめ合った時だけ、敵というより昔から知っていた者同士というような感覚がした。

 だから本当は、思わず訊きそうになっていたのだ。

 一体、おとといの晩、リディと何を話したのか。

 リディの事を、本当はどう思っているのか。


 どうせ、答えてはくれなかったろうが。


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