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第58話 マリティムの策略

 「アンドリュー!」

 夕刻のオレンジに染まる執務室へ飛び込んできたのは、レオンだった。

「どうした。そんなに慌てて。」

 羽根ペンを持ったまま尋ねたアンドリューに、レオンは握りしめていた封書を差し出した。

「総督府の門番の所に、今しがたプラテアードの早馬が到着したそうだ。」

 アンドリューは、すぐに封を千切った。中には1枚の茶けた紙が入っている。

 内容を素早く確認したアンドリューは、その眼を細めた。

 何も反応しないアンドリューをじれったく感じたレオンは、口早に訊いた。

「何と言ってる?また懲りずに宣戦布告か?」

「ある意味、そうかもしれない。」

「どういうことだ。」

「読んでみるといい。」

 文書を眼で追ううち、レオンの顔色が変わった。

「リディがプラテアード王家の末裔・・・!?こんなこと公表してどうする気だ?」

 リディが諸外国とジェード総督府へ出した文書には、フレキシ派派首のリディが本当はアドルフォの娘ではなく、プラテアードの王女であるということ。そして、王女としてではなく今後も一人の独立運動家として活動し、必ずプラテアードを独立へと導く旨の決意が認められていた。

「これは諸外国の王家が黙っていないぞ。リディ自身は今まで通り活動したいと思っても、周囲の目は変わる。それに――― 」

「レオン。」

 アンドリューは立ち上がると、窓辺に立ち、外を眺めた。

 空は渇いた青い色をしている。

 明日も晴れるだろう。そして、満月の夜がやってくる。

「今からすぐ、俺と一緒にヴェルデの王宮へ行ってくれないか。」

「・・・ジェードへも早馬が行っていると思うが。」

「マリティムと直接話をしたい。王宮の門番に顔が通じるのはレオンの方だからな。」

「今からでは夜中になってしまう。山道は危険だ。明日の早朝の方がいいのではないか。」

「明日では間に合わない。・・・無理をしてでも、行く。」

 レオンにはアンドリューが何を考えているのか測りかねたが、承諾するしかなかった。

 レオンが出ていくと、アンドリューはウエルパ将軍を呼び寄せた。

「今、プラテアード内に何らかの通達が出ているはずだ。部下と共に、それが何か探ってきて欲しい。」

「先ほど、プラテアードの早馬が来たと伺いましたが。」

「そうだ。その内容は後で伝える。その前に、プラテアード内では何が出回っているのか知りたい。おそらく今宵か明日、何らかの動きがあるはずなのだ。」

「かしこまりました。」

 数時間後。ウエルパは、明日午後3時にアドルフォ城でリディが声明を発表するという通達が出ていることを、掴んできた。

 アンドリューは次に、アランの所へ出向いた。

「明日の午後、リディがアドルフォ城で声明を発表するそうだ。俺はこれからヴェルデの王宮へ出かけてくる。間に合うように帰ってくるつもりだが、間に合わないかもしれない。その時は俺の代わりに、ネイチェルと共に声明を聞いてきてくれないか。」

「リディが声明・・・?なぜ急に?」

「先ほど早馬が来た。アランにも教えておく。リディは、プラテアード王家の末裔・・つまり、プラテアード王女だ。」

「あの、滅亡したはずの!?」

「そうだ。それについて、何らかの意思表明をするのだと思う。」

 アランは少し考え、思い切ったように言った。

「アンドリュー様は、もしかしてそのこと、前から御存知だったのではありませんか。」

「・・・知っていた。実は8年前からな。だが、このことは秘密にしてくれ。」

「もちろんです。僕はお二人に関することの秘密は一生絶対守ります。」

「ああ、信じている。・・・明日、頼んだぞ。最初から最後まで漏らさず聞いて、すべて余すことなく俺に教えてくれ。」

 ほどなくしてアンドリューは、旅支度が出来たレオンと共に総督府を出た。

「レオン、明日の正午までに戻ってくるつもりで行くからな。」

「正午?無茶だ!馬が持たないぞ。」

「マリティムに頼んで代わりの馬を借りてでも戻る。・・・レオン、明日は良くも悪くも大陸の歴史が動く日だ。俺はどうあっても、それを見届けなければならない。戦が始まることも覚悟している。」

「・・・リディが声明で何を言うつもりなのか、知っているのか?」

「まさか。だが、今頃、諸外国が動揺しているのは確かだ。」

「あのリディが王女だったとは、未だに信じられんが。」

「どうせあいつは、王女として生きるつもりなど毛頭ないさ。」

 そう言って、アンドリューは馬に鞭をくれた。

 自分から王宮へ赴く日が来るとは、そして再びマリティムに会う日が来るとは思いもしなかった。

 だが、今は行かねばならない。

 プラテアードの末裔が生きていることも、額に紋章のある正統な王位継承資格を持っていることも知っていながら、マリティムの命令通り、リディを殺すことはできなかった。

 その経緯を悟られる前に、そしてマリティムが早馬の知らせを受けて動き出す前に、事の進む方向を見極めておきたい。

 次にマリティムは自分に何を命ずるのか。何を求めてくるのか。

 


 二人がジェード王国の首都ヴェルデに着いたのは、夜中の12時を回った頃だった。

 レオンはマリティムの隠密でもあるため、度々ジェードへ帰国している。その度利用するのが、王宮の北西の門だった。

 馬一頭が通れるほどの小さな門は背の高い植物と木の枝に覆われているため、傍からはここに入り口があるということさえわからない。門の南京錠の鍵はレオンのような隠密の立場の者だけが持っている。

 レオンは手慣れた手つきで草木を避け、鍵を開けてアンドリューを中へ入れた。

「アンドリューはここで待っていてくれ。俺が国王陛下と会える算段を整えてくる。」

 レオンは、マリティムの部屋へ誰にも知られずに辿り着く裏道をいつも利用している。その裏道はマリティムが王宮から秘密裏に抜け出すために使われることもあるらしい。

 アンドリューは馬から降りると、木陰に身を潜めた。

 蒼空を仰げば、もう満月と見紛うばかりのまばゆい月が見える。

 だが、どんなに膨らみきっても本物の満月でなければ、額の紋章は反応しない。

 視線を落とし、アンドリューは枝葉の間に身体を委ねた。

 どこからか、水の落ちる音が聞こえる。

 日照り続きだというのに、この王宮には噴水に使う水がまだあるというのか。

 そんなアンドリューの様子を、遠くから捕えている影があった。

 暗い影は物音ひとつ立てずに、すばやく建物の中へと消えて行った。


 北の塔は、多くの部屋が物置や倉庫になっており、華やかさはおろか人影も殆ど無い。

 螺旋階段を上り詰めた最上階の部屋の少し前で、レオンは立ち止まった。

「俺はここで。陛下はお一人で部屋におられる。側近や侍従たちにも知られてはいない。」

 アンドリューは頷き、一人、さらに階段を上り進めて行った。

 窓ひとつない小さな部屋は、大きな燭台の明かり一つで十分だった。

 椅子に腰かけたマリティムは、心なしか頬のラインが鋭くなった気がした。夜中でも寝間着姿ではない。いつ何時でも公の場に出る覚悟をし、常に国王としての威厳を保てる身なりでいること――― それが、ジェードを継ぐ者の信条だと聞いている。

 手のひらで促され、アンドリューは向かい側の木の椅子に座った。

「早馬が、少し前に来た。」

 マリティムの低い声に、アンドリューは口端を引き締めた。

「アドルフォの娘がプラテアード王家の末裔だったということは、掴んでいたのか。」

 その質問に、アンドリューは用意しておいた答えを口にした。

「ああ。あとは、紋章の有無を確認するだけだった。だが、接触するのに手こずっていた。」

「なぜ、今この時期に公表する気になったのわかるか。」

「アンテケルエラに知られたから、らしい。」

 マリティムの眉が動いた。

「アンテケルエラ・・・?なぜだ?」

「プラテアードの飢饉は限界にきている。それでアンテケルエラのエストレマドゥラ王子にアドルフォの娘が直接交渉して・・・経緯は知らないが、ばれたようだ。」

「あのエストレイか・・・。で、奴はどう出た?」

「アドルフォの娘に王女として嫁いでくるよう要求したらしい。」

「なるほど。王女に紋章があるかどうか、エストレイは掴んでいるのか?」

「明日の満月、再びエシャンプラ城へ王女を招き確認する予定らしいが・・・。」

「・・・あるな。」

「え?」

 マリティムは顎に指をあて、考えながら言った。

「ジェードの配下にあるプラテアードの王女など、紋章でもない限り無価値だ。プラテアードの王女を獲得するということは、ジェードに対する宣戦布告。そんな国の存亡を賭けてまで欲しがる王女など、紋章付である以外、考えられない。」

 アンドリューは固唾を呑んで、マリティムの次の言葉を待つ。この不測の事態に、兄は一体どう対処しようというのか。

「抹殺前に王女の存在が大陸中に明るみになってしまった以上やむを得まい。今更殺したところで、王女を狙う他国を敵に回すだけだ。ならば生かして、我が国のために利用するだけ利用する。」

 マリティムの目が、アンドリューを捕えた。

「アンテケルエラの話、いつ知った?」

「俺が知ったのは昨夜だ。」

「それで早馬が今日・・・か。」

 アンドリューは、太腿の上で拳を握りしめた。

「・・・明日の正午には、アドルフォ城に国民を集めて王女自ら声明を発表するらしい。」 

「年齢も容貌も一切不明だったアドルフォの娘が、とうとう表舞台に姿を現すということか。・・・思い切ったものだ。この独立宣言はジェードへの宣戦布告を意味するだけでなく、アンテケルエラへの輿入れの拒否も意味している。同時に二つの大国を相手にする覚悟があってのことなのだろうな。」

 食料も水も不足している今、プラテアードにアンテケルエラと戦えるだけの兵力があるとは思えない。しかし、それでも尚決断しなければならなかったのだろう。リディの気持ちを別にしても、王女として他国に渡さず、あくまで国を率いていく存在としてプラテアードに留めるために。

「・・・それが、プラテアードの選択ということだ。」

「小癪な。その選択がどれほど棘の道になるかということを、この際思い知らせてやる。」

 マリティムは、立ち上がった。

「すぐに全総督府に電報を打つ。アンドリューも直ちに戻ってくれ。」

「一体、どうする気だ?」

「早馬がアンテケルエラにも行っているのか知らんが、どうせすぐに知れること。結婚を断られたこと自体、エストレイには我慢ならないことだろう。黙って見過ごすわけがない。力づくで奪っていく可能性は高い。・・・無論、そんなことはさせん。」

 マリティムは腰から短剣を抜き出し、それを勢いよく机に突き刺した。

 銀の刃に、蝋燭の火が万華鏡のように映り込む。

「王女を、この王宮に幽閉する。」

「・・・!」

 アンドリューは、マリティムの背に向かって言った。

「アンテケルエラに攫われる前に、捕えてしまおうというわけか。だが声明の前では、どれが本物の王女か判別する術がない。」

「向こうから名乗りださせればよい。都合の良いことに明日は満月。本物かどうか見極める術があることは、王女自身が一番良くわかっているはずだ。偽物など渡せば、どうなることかも・・・な。」

 マリティムは肩越しに振り返り、自信ありげにほくそ笑んだ。

「因果なものよ。単にアドルフォの娘というなら区別の仕様もなかったものを、王女だったばかりに区別できてしまうのだから。」

「プラテアードの幹部が、命懸けで王女を守るはずだ。それこそ血を見る。」

「勝つのは我々だ。それに死人を出したくなければ、王女が大人しく犠牲になればいい。」

「アンテケルエラには、どう説明する?」

「アンテケルエラには交渉を持ちかけ、王女と引き換えに金銭でも土地でも要求すればいい。王女は人質だ。この王宮に閉じ込めておけば、他国も容易く王女に手を出せなくなる。プラテアードも首長を失い、独立の士気も失せるだろう。それに・・・。」

 マリティムは何か言いかけた。

 が、そのまま言葉を呑みこみ、部屋の出口へと進んだ。

「すぐに総督府から軍隊をアドルフォ城へ向かわせる。アンドリューの第四総督府が一番近いな。ウエルパ将軍もいるし、信頼できる。アンテケルエラが動き出す前でなければ、やっかいなことになる。夜明け前には突入だ。」

 ふりむきもせず、マリティムは足早に去って行った。

(マリティムは一体、何を言いたかったのだろう・・?) 

 そう思いながら、アンドリューは、マリティムが残した短剣を机から引き抜いた。

 柄に埋め込まれた薔薇翡翠には、アンドリューのペンダントと同じ模様が彫られている。

 胸に掛けたペンダントを服の上から握りしめると、リディの顔が思い浮かんだ。

 リディはアンテケルエラだけでなく、ジェードまでもが動き出すと予測しているだろうか。午後3時の声明が幻に終わるということを、少しでも考えているだろうか。

(プラテアードの血が、他国に隷属することも嫁ぐことも許さないと言っても、周囲が放っておかない。革命家として生きることをプラテアード全てが望んでも、王家の血がそれを阻む。リディ、お前はこれをどう受け止める?俺は国王の命令に従い、お前を捕える側になる。お前が国のために命を捧げるように、俺は俺の務めを果たすまでだ・・・。)

 昔、エンバハダハウスで会った日から、すべては決まっていた。

 リディは始めから知っていた。

 自分が、敵であることを。

 

 こんなに縁深くかかわるとは、思っていなかったろうが。


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