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第55話:王女の使命 ― その3 ―

 満月まで、あと2日。

 部屋から一歩も出ていなかったリディは、その夜遅くにこっそりと城を抜けだした。

 足音を忍ばせて馬小屋に着くなり、リディは驚きのあまり、思わず声を上げそうになった。

「・・・近々、いらっしゃると思っておりました。」

 ソフィアは、馬具を装着したリディの馬を引きつれて来た。

「どうして・・・。」

 ソフィアは、躊躇うリディの手に無理やり手綱を握らせた。

「16年前の、お返しです。」

「お返し?」

「あの時のリディ様は幼くて、私の身に何があったかわからなかったかもしれません。でも大人になって、察しはついたでしょう。あの時、私はアドルフォ様とリディ様に救われました。地獄の底から引き揚げてもらったと言っても過言ではないんです。特にアドルフォ様は、私の支えでした。」

「父が・・・。」

「ですから、私にはわかります。今のリディ様に、誰が一番必要かということが。」

「・・・!」

「裏門を開け、人払いをしてあります。早く行ってください。」

 リディは、ソフィアの思いがけない行動に戸惑いを隠せなかった。

 アンドリューとのことを一番反対し、嫌っていたのはソフィアだったはずだ。

 そんなリディの思いを吹き飛ばすように、ソフィアは言った。

「よろしいですか。私が庇えるのは夜明けまでです。朝の月が見えなくなる前までにお戻りください。それを過ぎたら、皆と捜索に参ります。」

「・・・すまない、心配をかけて・・・。」

「今回だけです。明日からは、また派首として相応しい行動を求めます。」

 だが、あと数日で自分は派首ではいられなくなる。そう言いたいのを、今は堪えた。

「ありがとう、ソフィア。」

 リディは馬に鞭を当て、走り出した。

 

 待ち合わせは、キールとアンドリューが落ち合ったというヒースの荒野。

 そこで、0時に。

 

 伝書鳩は、戻ってきていない。

 手紙が届いた確証もない。

 手紙を受け取ったアンドリューが来る保証もない。

 来てくれたら、逆にそれは奇跡かもしれない。

 だが、ほんの髪の毛一本分の可能性でも信じて動かずにはいられない。

 例えアンドリューが来なかったとしても、待った時間を後悔はしない。

 月明かりを頼りに、枯草ばかりの道を駆け抜ける。

 許されない想いであっても、どうにもならない。

 一度走り出した気持ちは、止まらない。


 愛している。

 アンドリューのすべてを、こんなにも愛している。

 例え神に背くことになっても、地獄に堕ちても構わない。

 運命に逆らうことさえ、厭わない。

 この恋が許されないことは、誰よりも知っている。

 それでも尚、どうしようもないほどに愛してる。

 この気持ちはもう、誰にも止めることはできない。

 


 ヒースの荒野の中央で、リディは馬を降りた。

 真鍮の懐中時計は、ちょうど0時を指し示している。

 手綱を握ったまま、枯草の上に腰を降ろした。

 朝の月が消えるまでの時間を逆算して、ぎりぎりまで待とうと思う。

 期待と、諦めの気持ちが半々で心を占めている。

 本当は、こうして暗い場所で一人でいるのは怖い。いつ、どこから誰に襲われるのかと考えるだけで身震いがする。

 あの時、エストレイを嫌いだったわけではない。むしろ好意を持っていた。なのに、あれほどの嫌悪感。見知らぬ男や、嫌いな男が相手だったら気が違ってしまっていたのではないだろうか。

 思い返すたびに、髪を掻き毟りたくなる。

 本当は、もう少し部屋に引きこもっていたかった。

 だが、満月までは日がなさすぎた。迷っている間も、落ち込んでいる暇も、鬱勃している余裕もない。

 どんな結果になろうとも、歴史は今、大きく動こうとしている。

 その時を、迎えようとしている。

 そう実感していた。

 

 時計が深夜1時をまわった。

 乾いた風に吹かれながら、リディは徐々に「諦め」の気持ちに支配されていった。

 この季節の月と太陽の巡りを考えると、あと2時間足らずでここを離れねばならない。

 膝を抱えて、額を埋めた。

 もしかすると、とても馬鹿げたことをしているのかもしれない。

 いや、事実そうなのだろう。

 自分を本気で殺そうとしていた相手に、自分から会いに行くなんて。

(ほんと、どうかしている・・・。)

 このまま待ちぼうけを食らっての帰り道は、さぞ惨めで虚しいものだろう。だが、何かしらの区切りはつくと思っている。その「区切り」こそ、今のリディに最も必要なものだった。

 

 2時になった。

 寒さが、身体の芯にまで染みてくる。

 マントで、身体をくるみ直した。

 このマントは、エストレイの所から帰る時に纏っていたものではない。

 あれは丸めて、箪笥の奥にしまいこんだ。

 二度と見たくはないが、捨てるには忍びない。そんな思いだった。

 

 視線の先の月は、大きい。

 太陽の大きさは毎日変わりないと思うが、月は、どうして遠い時とこうまで近い時があるのか。

 もう、満月と寸分変わりないほどに膨らんでいる。

 ミルクを溶かし込んだような金色が、ヒースの荒野を明るく照らしている。

 過酷な自然状況にも強いと言われるヒースの花も、水を無くして流石に見る影もない。かさかさになった低木を指でなぞりながら、リディは覚悟を決めねばならないと思い始めていた。

 国民の飢えの苦しみに比べれば、エストレイに抱かれることなど些細過ぎる難関だろう。結婚とは、エストレイの言うとおり契約だ。結婚の第一にその男との交わりを望むかどうかを掲げる自分が、間違っているのかもしれない。

 そう思う内に、リディは自分という存在の意味がない気がしてきた。

 自分とは、一体なんだろう?

 こんなに非凡な自分にでもできることを常に考えていた。エストレイとの夜に耐えることなら、せっかく才能がなくてもできることなのに、心がそれを受け付けてくれない。

 しかし、それとは別にしても、どうせ適わぬ恋なのだから、今日を限りに忘れてしまわなければならないことに変わりはない。

 第一、アンドリューが自分の事を何とも思っていないのは、わかりきったことではないか。

 今こそ、諦める時が来たのだ。

 リディは立ち上がった。

 顎をぐっと上げ、星空を見つめる。

 銀の光がまぶしくて、目尻に涙が滲んだ。

 

 ――― ・・・

 (?)

 空耳だろうか。

 風の音だろうか。

 ・・・

 いや、違う。

 遠くから小さな地響きが足を伝い、宙を伝い――― やがて、確かな音になってリディの下へ届いた。

 音の正体を確かめようと思わず目を凝らし、息を呑んだ。

 黒いシルエットが見える。

 シルエットは、段々と大きくなってくる。

 夜空よりも黒い影の正体は中々明らかにはならない。

 

 しかし。

 

 期待が、破裂しそうなほどに一気に膨らむ。

 突如激しい風が吹き、マントが肌蹴てくうにはためいた。

 乱れる髪を押さえ、思わず目を閉じる。


 馬の嘶きに応える様に、リディは再び目を開けた。


 10mほど先に降り立ったアンドリューを見て、リディは夢かと思った。

 願いが強すぎて、幻覚を見ているのではないかと疑った。

 アンドリューの蒼い瞳は、冷ややかだった。


 「なぜ、俺を呼び出した?」


 風に靡いたプラチナブロンドに月明かりが落ち、金色に輝く。

 

 アンドリューは腰から銃を取り出すと、リディに向かって真っすぐに構えた。

「ペンダントと引き換えに何が欲しい?水か、食料か、それとも自治権か!?命を狙われていると知りながら来たんだ。それなりの覚悟はあるのだろうな!?」


 リディは唇を震わせ、首を振った。

 今のリディにとって大事なのは、アンドリューがここへ現れたという事実だけ。

 再び向けられた銃口さえも、その事実に打ち勝ちはしない。

 アンドリューが何を言おうと、リディの耳には届かない。

 リディが求めるものは、ただ一つ。

 そしてその想いは、歪めようもないほど真っ直ぐに伸びていた。

 そんな思惑などまったくわからないアンドリューは、銃を構えたままリディの方へ一歩進んだ。

「何を企んでいるのかは知らんが、俺はいつでもお前を殺す覚悟が・・・!!」



 アンドリューは、思わず言葉を呑みこんだ。

 自分の胸元に、リディが躊躇いもなく飛び込んできたからだ。

 リディはアンドリューの胸元を掴み、声を押し殺して大粒の涙を零している。

 アンドリューは驚きながら、リディの表情を窺おうとした。

「おい、どういうつもり・・・。」

 銃を持った手のままリディの肩に手を置くと、小さな声が聞こえた。

「・・・いい。」

「え?」

 リディは嗚咽を堪えながら、声を振り絞った。

「このまま、もう・・・、殺されてもいい・・・!」

「リディ・・・。」

 掴んだ服の向こうから、リディはアンドリューの鼓動を感じていた。

 素早い動きは、馬を飛ばしてきたからだろう。本当にアンドリューがここに居る・・・そう実感して、リディの目からは更に涙が溢れた。

 エストレイとのことがあった帰り道、本当はとても泣きたかった。泣いてすべてを忘れてしまいたいと思っていた。だが、キールやパリスに勘付かれない様に耐えた。

 その後アドルフォ城に戻っても、一度泣いたら立ち直れそうもなくて、涙を堪えていた。

 その分が今、一気に外へ流れ出てしまう。

 アンドリューに会えた嬉しさも相まって、感情を止められない。甘えだと思う。それは、よくわかっている。でも・・・。

 ただ只管ひたすら泣き続けるリディに、アンドリューはかける言葉が見つからなかった。

 アンドリューは予め、リディに何か余程の事があったのだろうと察してはいた。伝書鳩が空から届けた手紙を受け取った当初は、プラテアードの危機を救うために交渉か交換条件か脅迫の何れかの行動を企んでいるのだろうと思っていた。が、手紙の文字を何度も読み返した結果、強すぎる筆圧とインクの滲み、震えから、リディ自身に何かあったのではないかと考える様になった。そして散々悩んだ挙句、疑いを払拭しきれないままではあったが、銃一丁とサーベルを武器に、一人でやってきたのである。


 嗚咽を堪え、肩だけを震わせて泣き続ける姿は、見ている方まで辛くさせる。

 アンドリューは銃をしまい、暫くそのままの状態を許していたが、リディが落ち着くのを見計らって声をかけた。

「そろそろ、俺を呼んだ本当の理由を話してくれないか。」

 リディは少し口を開いたが、途端、また涙が零れて止まらなくなった。

 アンドリューは、大きくため息を吐いた。

「何があったか知らないが、俺も必死に城を抜け出てきてるんだ。それはお前も同じだろう?このままでは、話が終わる前に帰らなければならなくなる。」

 リディは一度深呼吸をし、必死に落ち着こうとした。

「ブルーアンバーの取引で・・・」

 そこまで口にしただけで、エストレイのことを思い出し、また泣きそうになる。

「アンテケルエラと取引していることか?」

 リディは軽く驚いたため、涙が少し引いた。

「知ってたのですか?」

「カタラン派の奴らが命乞いの際に喋った。だが、鉱山一つでアンテケルエラと戦争したのでは割に合わないからな。放っておいたんだ。」

「・・・そうだったんですか。この日照り続きでプラテアードは限界にきています。それで、ブルーアンバーと引き換えに金銭ではなく水と食料を要求しました。するとアンテケルエラの王子が、首長である私と直接交渉することを条件にあげてきたのです。私はエシャンプラ城へ赴いて・・・。」

 リディは再び溢れそうになる涙を、奥歯を噛んで耐えた。ちゃんと、伝えるべきことを口にしなければならない。

「そこでエストレマドゥラ王子に、私がプラテアードの王女であることがばれてしまって・・・。」

「ばれた?」 

 リディがコクンと頷くと、アンドリューはため息交じりに言った。

「あの王子なら、少し前に俺も会っている。アンテケルエラ王室主催の舞踏会に総督として招待された。エストレイは一見物腰が柔らかいし、口も上手いし誠実そうに見える。だが、賢いと同時に腹に何を抱えてるかわからない男だ。王子は俺に、プラテアード王家の末裔の話を聞いたことがないかと持ちかけてきた。さりげない会話の中で突然の切り出し。上手いものだった。お前も大方、そんな感じで口車に乗せられたんだろう?」

 リディは小さく頷いた。

「紋章・・・私、王家の人間なら誰の額にでも浮かぶと思ってたのに・・・違うって言われて、それで私にも紋章が浮かぶってばれてしまって・・。」

「それで、あいつは何を要求してきたんだ?取引ではお前の方が下の立場なんだ。無理難題押し付けられたんだろう。」

 アンドリューは何もかも見通しているかのような口調だったが、エストレイとの間にあったことを口にできるわけもなく、リディは言葉を選んだ。

「アンテケルエラに、嫁ぐようにと・・・。」

 俯いたリディには、アンドリューがどんな表情をしたかはわからない。それに、アンドリューの息遣いさえ聞こえなくなった。

 リディは不安になりながらも、言葉を繋いだ。

「私がエストレイと結婚すれば、プラテアードはアンテケルエラのものになります。そんなことになれば、ジェードとアンテケルエラは戦争になる。私はちゃんと、そう言いました。でも、エストレイはそれでも構わないと・・!」

 そこまで言った時、ようやくアンドリューの深い吐息が聞こえた。

「・・・それで?」

「え?」

 リディが顔を上げて見たアンドリューの蒼い瞳は、無表情だった。

「それでお前は、俺に何と答えて欲しいんだ。」

「・・・・!」

「俺の立場で何を答えられると言うんだ。他人の国のことだ。俺が口出しする問題じゃないだろう。」

 リディは、首を振った。

「そんなことない!だって、ジェードがアンテケルエラと戦争になるなんて、他人事じゃないでしょう!?」

「そうだ。その時俺は、国のために戦うだけだ。俺の立場を勘違いするな。俺は今国王でもないし、王子でもない。政治に口出しする権利は一切ないし、戦いを止められる立場でも、何かを判断したり決定したりできる立場にもないんだ。そうだろう?」

「・・・!」

 唇をギュッと噛みしめたリディに、アンドリューは言った。

「俺がジェードの人間でなく、ただリディの知り合いという立場として言うなら、答えは一つしかない。エストレイと結婚しろ。」

「・・っ!」

 リディは思わず、目を見開いた。

「プラテアードのためにも、お前のためにも、それが一番利益が大きい。戦争には巻き込まれるかもしれないが、アンテケルエラの庇護下にあれば、このまま国民を餓死させるより犠牲は少なくて済むはずだ。」

 俯いた途端、再び涙が零れた。

 そうだ。

 アンドリューが何を言ってくれるのを期待していたのだろう。

 一体、何を期待したのだろう。

 結婚するな、とでも言って欲しかったのだろうか。

 そんなこと、言うはずがないのに。

 熱く高揚した気持ちに冷水を浴びせられたような気分になった次の瞬間、リディは、自分のしたことが急に恥ずかしくなった。


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