第51話:アドルフォ城の人々
リディの無事の帰還に、アドルフォ城は歓喜に沸いた。
再会を喜び合いながらも、リディは始終フィゲラスの事を気にかけ、落ち着いた頃を見計らって自分の部屋へ連れて行った。
そこには、キールとソフィア、そしてジロルドが待っていた。
真っ先に駆け寄ったのはキールだった。
リディの足元に跪き、手を胸に置いて頭を垂れた。
「御無事で何よりです。リディ様。」
「すまなかった。色々心労をかけたな。」
次にリディは、ジロルドを手招いた。
「ジロルドには、プレゼントがある。」
「わしにでございますか?」
「そうだ。医者の仲間を欲しがっていただろう?」
リディは、フィゲラスの背を押した。
「彼は、私の傷を治してくれた命の恩人だ。若いが腕は確かだ。一緒にプラテアード国民のために働いてくれ。」
すると、ソフィアの厳しい激が飛んだ。
「余所者を連れてくるとは、一体どういうことです!?」
フィゲラスは、柔らかな金髪の女性の、思いがけない勢いに驚いた。
「プラテアードの者ではありませんわね?」
鼻っ先まで近づいてきたソフィアの白い肌の色に気後れしそうだ。美しい顔の女は性格がきついというのは本当らしい。
リディは、背の高い二人の間に割って入った。
「ソフィア。彼はフィゲラス。ジェード総督府の医者だった。」
「やっぱり・・!」
「重症だった私の命を救ってくれたのは彼だ。しかしフィゲラスは敵である私を助けたため、国へ帰れない身となってしまったのだ。これからはプラテアードのために一生を捧げると言ってくれてる。」
「それを餌に近づいてきたスパイかもしれません!」
「そうだな。だからソフィア。当分はフィゲラスの監視をしてくれないか。」
「は?」
思いがけない発言に、ソフィアは面食らったようだったが、それはフィゲラスも同じだった。
「フィゲラスの部屋はジロルドの隣にする。ジロルド、フィゲラスを自由に使って構わない。ソフィアは24時間、フィゲラスを見張ってくれ。たまにはキールに代わってもいい。万が一フィゲラスが怪しい行動をとったらすぐ私に知らせてくれ。脱走しようものなら、射殺してもよい。それなら文句はなかろう?」
ソフィアは口の中に次の言葉を残しながらも、結局従うしかなかった。
フィゲラスは、城に着く前にリディが言った言葉の意味がわかった気がした。
ジェード総督府で病に伏せていたリディは、か弱い女性という印象だった。自分を庇ってアンドリューと問答していた時は見違えたが、やはりそれ以外は、守られる立場の女性という感じしかしなかった。しかし、今は別人かと見紛うほどの迫力に圧倒される。
ソフィアとジロルドに連れられてフィゲラスが出ていくと、リディと二人きりになったキールは、改めて息を吐いた。
「本当に、御無事で何よりでした。」
「すまなかった。だが、アランを放っておけなかったんだ。」
「アンドリュー様から粗方の話は伺っております。リディ様の御命が危ないと聞いた時にはどうなることかと思いました。」
「矢毒とは、私も迂闊だった。そういえばアランから聞いたが、カタラン派が全滅したというのは本当か?」
「派首ノキアを筆頭に、幹部は全員さらし首に。その後カタラン派の集落に火が放たれ、残っていた女子供もすべて焼き討ちにされました。逃げだした者も、追いかけられ殺害されたと聞いています。」
「それを命じたのがアンドリューだというのも、本当なのか・・?」
リディの言葉尻が震えているのを察したキールは、諭すように言葉を選んだ。
「総督として、毅然とした態度を取らねばならなかったのでしょう。」
「そんなこと、わかってる。」
投げつけるような言い方になっていたことに気付き、リディは後悔した。
アンドリューと二人になった時、本当は聞いてみたかった。
あの口で直に、カタラン派の派首の首を切り、焼き討ちにせよと命じたのか、と。
だが、そんなことを聞いてどうする?
アンドリューだって、好きでやったわけではないだろう。リディだって、アドルフォ城を責められ仲間が殺されたら、敵を野放しにはできない。多分、同じことをしたはずだ。
疲れを感じたリディがベッドに腰掛けると、キールは胸元から薔薇翡翠のペンダントを取り出した。
「これは、アンドリュー様からお預かりしていたものです。初め、血清とリディ様を引き換えにするという約束だと思ってたのですが、そうではないと聞いた時、私は取り引きに応じていいものか迷いました。その時アンドリュー様が私にこれを渡されたのです。彼が王家の人間である、唯一の証だと。」
リディは、キールとペンダントを交互に見つめた。
「そんな、大事なものを・・・!?」
「ですから、私はてっきりリディ様と引き換えにペンダントを返すよう要求に来ると思っていたのです。リディ様はその御様子ですと、何も聞いていらっしゃらなかったのですね。」
「そんなこと、アンドリュー、何も言ってなかった・・・。」
「とりあえず、これはリディ様がお持ちください。」
「うん・・・。」
ペンダントを握りしめ、リディは言った。
「アンドリューが、キールとジロルドに礼を言っていた。お蔭で、9人のジェード国民が救われたそうだ。」
「それは、ジロルド様に。敵に血清を送ることを躊躇わず決意されたのはジロルド様ですから。」
「・・・そうか。」
「バッツが命がけで助けたアンドリュー様を、他人とは思えないと。」
リディは切ない微笑みを口の端に浮かべた。
「私は、未だにバッツに守られているのだな。」
「・・・そうですね。」
リディは優しい気持ちになり、それは他人への思いやりという形で表れた。
「フィゲラスのこと、気にかけてやって欲しい。」
「もちろんです。夜はソフィアと交代しますし、しばらくは目を離さないようにします。」
「別に疑っているわけではないんだ。アンドリューは私の事で口封じにフィゲラスを始末する予定だった。それを私が貰い受けたんだが・・・色々考えることもあるだろう。結局、私がプラテアードの首長で、昔アンドリューやアラン達と関わったことがあるということと、アンドリュー達が敵である私を助けた事を知ってるにすぎない。それ以上は知らないということを弁えて、余計な話は謹んでくれ。でも、見知らぬ国で寂しくないわけがない。適度な話し相手にはなってやって欲しい。」
キールは頷き、そして、一刻も早く身体を休めるよう勧めた。
リディの部屋から出たキールは、すぐにソフィア達のところへ向かった。
誰も使っていなかったジロルドの隣の部屋は、蜘蛛の巣だらけだった気がする。まずは掃除をしないと、フィゲラスは腰を降ろすこともできない。
両脇が部屋になっている廊下には、10m置きに小さな天窓が設けられ、そこから日の光を取り入れている。そこでフィゲラスが見たのは、差し込んだ日差し一杯を埋め尽くす塵の舞だった。
扉が開け放たれた部屋を覗くと、布で口元を覆ったフィゲラスが一人掃き掃除をしており、窓枠に腰かけたソフィアがそれを見ている。
袖で口を押えても咳が出る。キールは埃を手で払いながら目を細めた。
「ソフィア、お前も手伝ってやればいいだろう。」
「冗談でしょ。私は監視よ?掃除してる間にこの男が何かしでかしたら、お兄さんが責任とってくれるの?」
「この方は、リディ様の命の恩人だぞ。いくら何でもぞんざいすぎないか?」
「ジェードの人間なんて、私は信じない。」
そう言うと、ソフィアは窓の外の蒼空へと視線を移した。
キールは腕まくりをすると、フィゲラスに言った。
「手伝いますよ。一人では、いつになるかわからない。」
「ありがとうございます。でも疑いが晴れるまでは“ぞんざいな”扱いでも仕方ありませんから。」
その言葉に、ソフィアが牙をむいた。
「まあ、それって私に対する嫌味?」
「とんでもない。我が身を弁えているんです。」
「どこが?全然そうは見えないわ。」
キールは、雑巾を絞ってソフィアに投げ渡した。反射的にソフィアがそれを手に取ると、キールは言った。
「甲高い声でわめくぐらいなら、手伝えよ。プラテアードに医者が足りないのは事実なんだ。願ってもない話じゃないか。」
「医者ならいいって問題じゃないわ。」
ソフィアは、不機嫌に雑巾をキールに投げ返した。
「リディ様の気が知れない。この城に・・・このアドルフォ城に、ジェードの人間を入れるなんて。」
「ソフィア・・。」
「そうでしょう?バッツも、バッツの家族も、・・・お父さんもお母さんも仲間もアドルフォ様も、誰に殺されたと思っているのよ!?」
そう叫ぶと、ソフィアは部屋から走り去った。
その様子に、フィゲラスはここが「敵」の国なのだということをようやく実感した。リディもジロルドも優しかったから、つい気を許していたが、本当は違う。フィゲラスがジェード人だということはアドルフォ城の中にすぐ知れ渡るだろう。アンドリューは、リディが守ってくれるはずだと言っていたが、それは命の保証だけであって、陰口や中傷からも守るという意味ではない。
キールは、落ち込んだフィゲラスの肩をたたいた。
「妹は、いつもああですから。気にしないで。」
「・・・いいえ。当然のことです。皆さんが優しいので、つい甘えていた様です。」
「別に、あなた自身が我々に危害を加えたわけではない。偶然、生まれた土地の間に国境があったというだけですよ。」
「でも、妹さんはそうは思っていません。」
「ソフィアは、リディ様に対しても『ジェードに甘い』とか言って突っかかってる程ですから。」
フィゲラスは、キールがアンドリューや血清の件も承知しているとリディが話していたことを思い出した。
「では、今回の事がばれたら、更にリディ様は責められますね。」
「血清のこともです。リディ様の命と引き換えとはいえ、我が国の分をすべて敵に送ってしまったのですからね。」
「そうでしたか。」
「このことは、城内でも内密に。今回の真相は私とジロルド先生しか知りませんから。」
「わかりました。」
おそらく、アドルフォ城の人々の多くはソフィアと同じ思いを抱いているはずだ。キールとジロルドは例外と考えた方がいいだろう。
アドルフォ城でリディの側近という立場なら、キールは相当の地位にあるに違いない。そんな男が、膝をついて、汚れた床を懸命に雑巾で磨く姿に、フィゲラスは心打たれた。
信じられるものが、ここにはある。
重い秘密を背負おうと、敵国に身を置こうと生きると決めた以上、何があっても耐えていくしかない。
本来、生きるとは楽なものではない。
平穏な生活に溺れて、それを忘れていた。
フィゲラスは緑の瞳で部屋を身渡し、そして再び箒を手に取り動かした。
――― 誰に殺されたと思っているのよ!? ―――
ソフィアの叫びを、忘れてはならない。
この城にいる限り、あの言葉を深く心に刻んでおかねばならない。