第4話:エルバ川
アンドリューは馬を走らせながら、船が出そうな場所を懸命に考えていた。
大きな港は人目につきすぎる。
小さな港で、そう遠くない所は・・・?
街に戻ったアンドリューは、一度エンバハダハウスに立ち寄った。外にはレオンが待ち構えていて、アンドリューの名を呼んだ。
アンドリューは馬に乗ったまま、レオンに近づく。
「リディ達の行方は!?」
「警察がいくつかの港に散って探している。」
「・・・レオン、王宮に一番近い港はどこだ?」
「王宮?あそこは海から離れている。裏手に川はあるが・・。」
「川?」
「エルバ川という、そう大きくない川だ。」
「海につながっていないか?」
レオンは頭の中の地図の記憶を、素早くたどった。
「つながって・・・る!60kmほどで、アルジェ湾に出る。だが、船が通ったなんて聞いたことないぞ。」
「水嵩があって、それなりの幅があれば可能だろう?俺はアルジェ湾からエルバ川を遡ってみる!レオン、警官をアルジェ湾に向かわせられるか?」
「ああ、やってみる!あそこは港がないから盲点かもしれん!」
「頼む!」
アンドリューは街を抜け、林を抜け、北方のアルジェ湾に馬を走らせた。
あの警戒が厳重な王宮から、犯人達はどうやって少年を連れて抜け出したのか?
深夜なら、流石の番兵も眠気におそわれるだろうが、それだけで脱出できるなら、番兵失格だ。やはり、王宮の中に犯罪の手引きをする者がいるのではないだろうか・・・?
アルジェ湾の海岸線は断崖絶壁に囲まれ、波も荒い。
砂浜と呼べる場所は見当たらず、エルバ川の両岸も30mはある高い崖だ。
アンドリューは手綱を引きなおし、川を上流へ辿っていくことにした。
もう、東の空がだいぶ明るい。
連中がまだ川を下っている途中だと信じるしかない。それがアンドリューのできる唯一のことだ。
海岸近くはヒースの生い茂る荒原だったが、だんだんと高木が目立ち始め、やがて森になった。
川は広くなったり狭くなったりで、小さな手漕ぎボート一隻通るのがやっとという感じだ。 足元も岩だらけだったり、緩んだ地盤の下り坂だったりで、馬を下りて歩かざるを得なくなった。王族所有の馬だけあって、毛並みのいい力もある良い馬だったが、限界だ。借り物だし、怪我させるわけにはいかない。
一晩中動き回ったため、アンドリューにも疲れが出始めていた。
額からあふれ出す汗で、目をあけられないほどだ。
と、その時。
どこかから、パシャッという水音が聞こえた。
アンドリューの神経が研ぎ澄まされる。
馬から降り、鼻先を撫でて静かにするようなだめ、少し離れて一人川辺に近づいた。
うつぶせに身を隠しながら、遥か下の川面を見つめる。
そこへ。
(来た!)
一隻のボートを中年の男二人が懸命に漕いでいる。
前後の二人に挟まれるように、灰色の帆布に何かがくるまれている。
(あれか?)
だが、確証が持てない。
しかし確認していたら、ボートはあっという間に川を下ってしまう。
アンドリューは再び馬に乗った。
300mほど下ったところで、川との高低差が5mほどになってたはずだ。
川の流れは急だが、少しだけ砂利の川岸もある。
海に出たところで警官が船で待ち構えてくれていればいいが、あてには出来ない。アンドリューの勘をレオンが告げただけでは、警官2人が動けば良い方だろう。
(舟に飛び乗るしかない。男二人・・か。銃を持っていたら間違いなく殺される。だが・・一か撥だ!)
アンドリューは馬を急がせ、乗り込むのに絶好の場所を狙い定めた。
舟よりも、馬のほうが若干速い。
折りよく舟の上に飛び乗れるか?
5mもの高さから飛び降りて、大丈夫か?
だが、アンドリューは躊躇わなかった。
やるしかない。
やらねばならない!
(よし、今だ!)
アンドリューは木々の間から飛び出し、川沿いに走り出した。
馬の蹄の音が川の濁流音より大きく響き、男二人はアンドリューに気付いた。
「何だ!?」
男達の叫び声と同時に、アンドリューは蔵の上に足を乗せて立ち上がり、思い切り弾みをつけて舟に飛び乗った。
「うわっ!!」
舟のバランスが崩れ、大きく揺れる。
その弾みで、帆布がわずかにめくれた。
その下に見えたのは、細い足と茶色のブーツ!
アンドリューは、ここにリディがいると確信した。
「こいつ!」
男が腰からピストルを取り出す。
もう一人は舟の舵を取るため必死にオールを握っている。
敵は一人だ。
アンドリューは、ピストルを持つ男の腕に全体重をかけるようにしがみついた。
弾みで、引き金が引かれる。
ダー・・・ン・・!
空を割くような銃声。
幸いどこにも当たらなかったが、男の片手はアンドリューの首下を掴み、振り落とそうとしている。
しかし、アンドリューも負けてはいない。
必死で男に食らいつく。
男がこれ以上発砲して、リディに当たったら大変だ。
アンドリューは腰からナイフを取り出すと、男の腕に思い切り突き刺した。
「ぎゃあぁぁっ!」
耳を劈く男の悲鳴。
アンドリューはすかさず男に体当たりし、川へ突き落とした。
「うわぁぁっ!!」
川の勢いは益々増し、舟はどんどん下流へと流されていく。
「くそっ!」
もう一人の男がオールを持って、アンドリューの頭に振り下ろした。
「うっ!」
よけなかったのは、自分がよけたら下のリディに当たってしまうと思ったからだ。
少し頭が割れただろうか。
額から血の臭いがする。
敵の男は舟の行方よりアンドリューを倒すことの方を選んだ。
アンドリューはナイフをかまえながら、帆布をはがして川に捨てた。
そこには3人の少年が倒れており、そのうちの一人が紛れもないリディであった。
少年達は薬か何かで眠らされているらしく、この騒ぎにも起きる気配がない。
アンドリューは叫んだ。
「人身売買など、恥を知れ!こんな年端のいかない少年を売り飛ばすなんてどうかしている!」
「少年だから高く売れるのさ。タブーの割合が高いほど、金は釣りあがるんでね!」
「てめぇらみたいのがいるから!いつまでも世の中は良くならない!」
「笑わせるな!良い世の中って何だ?プラテアードに戦争を仕掛けてすべて奪ったのは、ジェードだろうが!そんな国が良くなるものか!!」
「・・・お前、プラテアードの人間か?」
「うるさい!」
男は銃を持っていないらしく、オールで攻撃してくるだけだ。
アンドリューはそれを交わしながら、男がただ一度だけ力を入れ損ねた振り下ろしを見逃さなかった。
オールの先を掴むと、それを奪い、逆に男を追い詰めた。
そのままオールで突き、男は川に落ちた。
舟は川の濁流に呑まれる様に、海へと下っていく。
アンドリューはオールをとり、懸命に舵をとった。
何だか、流れが異常に早くなってきた気がする。
この先に滝でもあるのか?
いや、そんなルートを常習的に男等が選んだとは思えない。
だが、「だからこそ」選んだということもありうる。
奴等は小さな段差くらいなら、飛び越えられる技量を持った漕ぎ手だったのかもしれない。
4人を乗せた舟は重く、なかなか思い通りにならない。
川の両岸は更に険しく高くそびえ、このまま川を下るしかない。
(海に出るのは確かなんだ。もう、進むしかない!)
アンドリューは覚悟を決めた。
やがて、まっすぐ先に空が見えてきた。
次に、川が途中でなくなっているように見えてきた。
(来たか!)
アンドリューはしっかりと舟の縁につかまった。
横になっている少年達のほうが安全かもしれない。
次の瞬間
ふわり、と宙を飛んでいるのがわかった。
が、すぐに舟は激しく斜めに傾き、滝に沿って落ちだした。
前など見れない。ただ、舟が無事水面に着水するのを祈るだけだ。
間もなく激しい水音と共に、水飛沫で目の前が見えなくなった。
舟は無事着水は、した。
だが。
(駄目だ!)
アンドリューがそれを確信したのは、着水と共に舟の中に水が入り込んだだけでなく、舟底が裂けているのを見たときだった。ひっくり返らなかったものの、もはや沈むのは秒読みだ。
アンドリューは懸命に辺りを見回した。
川の流れは緩やかになり、幅は相当広くなってきた。
(川原が欲しい。土手でもいい。切り立った崖では登れない。海に出て助けを待つまで、泳ぐ体力など持つわけがない。)
アンドリューはまず、少年達の縄をナイフで切ると、起こしにかかった。
「おい、起きろ!死にたいのか!?」
頬を思い切り叩く。3人が目を覚ますまでに、とても長い時間がかかったような気がする。 もう、舟は半分沈みかかっている。
目を覚ましたリディは、目の前にアンドリューがいることに驚いた。
「アンドリュー、どうして・・?」
アンドリューは唇を咬みながら、言った。
「賊からは助けたつもりだが、命が助けられるかは保障できない。」
少年達は、すぐに自分達の置かれた状況を悟った。
アンドリューは言った。
「この舟は駄目だ。ここから川を泳ぐしかない。いいか、オールは二つ。これが命綱だ。川原か土手がみつかるまで、とにかく進もう。川は海へ向かって勝手に流れる。泳ぐ必要は当面ない。下手すれば誰かが見つけてくれるまで海で漂うことになる。余計な体力は極力使うな。」
少年達は頷いた。
「よし。ブーツは脱げ。重い上着もだ。」
アンドリューは、リディに言った。
「お前、泳げるか?」
「大丈夫。よく川を渡ったから。」
「そうか。」
いよいよ沈もうとしている舟から、四人は脱出した。
アンドリューとリディ、黒髪と栗色の髪の少年二人が、それぞれ一つのオールを共有する。
4人は流れにまかせて、漂うしかなかった。
この時期の水は冷たい。
身体が冷え、痺れるのも時間の問題だ。
(あとは、運を天に任せるしかない。)
アンドリューは、一番年上である自分がしっかりしなければならないと思った。
4人が生きるか死ぬかは、自分にかかっていると言っても過言ではない。
何の保障もない川の流れの行方を、4人は黙って凝視し続けた。