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第47話:電報

 3日が経った。

 リディは、ようやく自力で上半身を起こせるまでになった。

 ここがどこで、どういう経緯で連れてこられたのか、カタラン派はどうなったのかなど、すべてアランが話して聞かせた。

 だが、アンドリューの事に話が及ぶと、落ち着いていたリディの様子は一変した。肩や唇を震わせ、両の瞳から大粒の涙を流すのである。

 話の間だけ席を外していたフィゲラスは、リディの頬の泣いた跡を見て、アランに厳しく忠告した。

「三日前まで生死を彷徨っていたのですよ?身体が衰弱したままなんです。泣くのは身体に障ります。興奮させることもしないでくださいね。」

 そう言われても、アンドリューの名を出さないわけにはいかない。

 アンドリューは、アランがリディと話す前に、こう忠告していた。

「ここが俺の部屋であることと、俺が第四総督であることは言ってもいい。あと、リディが持っていた伝書鳩でプラテアードの仲間に無事であることだけなら伝えてもいい。俺は絶対に顔を出すつもりはないから、用があればアランを通すようにと言ってくれ。」

 アランは、戸惑いがちに言った。

「一度くらい、お会いになってもよろしいのではありませんか。」

「馬鹿を言うな。敵同士が同じ塔内にいることさえ許されないというのに。」

「今だけは、昔馴染みいうことでいいではありませんか。」

「そういう甘い考えがあるなら、リディに言っておけ。今回は、アランの命に免じて生かしてやるだけだ、と。」

 取り付く島もないアンドリューに、アランはそれ以上何も言えなかった。

 その日の夜、リディに初めて食事が許可された。

 それまでは薬草のお茶や、樹蜜をごく薄めた湯などをフィゲラスが作って与えていたが、胃に負担がかからないものという条件で、アランが前室でつくることになった。何がいいかは自分で判断がつかなかったため、レシピはアンドリューに尋ねた。

 アランは、リディのために何かできることに嬉々として調理したものだった。

 ところが、夜中にアンドリューが仕事から前室に戻ると、アランは浮かない顔で頬杖をついていた。

「何かあったのか。」

 アンドリューが上着を脱ぎながら尋ねると、アランは軽くため息をついた。

「アンドリュー様に教えていただいた通りに作ったのですが、・・・明日からは、別のものを出すように言われて。」

「なんだ、居候の分際で贅沢なことを言うものだな。」

「いえ、違うんです。その・・・逆で。」

 アランが作ったのは、温めたミルクに大麦を入れた粥だった。このレシピは、アンドリューがかつて、バッツの家で食べさせてもらったものだ。病身に染みわたる温かさは今でも忘れない。あれがプラテアードの家庭で病人に与える常食なのだと考え、提案した。いくら滋養がつくとはいえ、ジェードの国力を表すような贅沢はリディが受け入れないと思って避けたつもりだが・・・。

「リディは、何と言ったんだ?」

「とてもおいしいけれど、私には過ぎた食事だとおっしゃいました。だから明日からは、あればトウモロコシの粉と水を1対20で混ぜた粥が欲しいと。」

 トウモロコシは、ジェードにとって最も安価な穀物で、ほとんどは家畜の餌になる。甘みの欠片もない粉を水で溶いたものなど、不味くて食べられたものではない。あんな不味い粥を、プラテアードの人々は当然のように食しているのか。それとも、リディは首長としての信念で、そういう食事を心がけているのか。

「・・・勝手にしろ。で、鳩は?」

「アンドリュー様のお言いつけ通りに。リディが手紙に余計な事を書かないように見張ってましたし。」

「それで、あと何日で帰せるんだ?」

「あと4日間、感染症の症状が見られなければいいとのことです。」

「4日・・・か。長いな。」

 温めたミルクにブランデーを一滴だけ垂らして、アンドリューはアランに渡してやった。

「これを飲んで、早く寝ろ。リディが拒否したのはアランの食事ではないのだから、気に病む必要はない。」

「・・・ありがとうございます。」

 その日、本当に落ち込んでいたのはアンドリューの方だった。

 本国へ頼んでいた物資が、必要量の半分も届かなかったからだ。

 マリティムの手紙では、緊急の調達が難しく、残りは早くて一カ月後になるとのことだった。それだけではない。物資を届ける部隊が山越えの途中で山賊に襲われたのである。部隊は武器弾薬が山賊の手に渡ることを最も恐れ死守し、代わりに食料と医療品の一部が犠牲になった。医療品の不足、それが一番痛い。この事情を本国に伝えたが、やはり一月は待ってほしいとの返事だった。

 

 畏れていた事態が起こったのは、それから3日後のことだった。

 感染症の潜伏期間を越え、一気に感染が認められるようになったからだ。毒矢を受けた兵士だけでなく、負傷した兵士の感染も多い。

 アンドリューは、病院で医師から直接話を聞いた。

「十分な用意はしておいたのですが、これ以上患者が増えると血清が足りなくなります。二次感染を防ぐ薬も足りません。」

「あと、どれだけあれば足りるんだ?」

「まだ潜伏期間を完全に越えたわけではないので、予測は難しいのですが。」

「こちらも調達の都合がある。最低数だけ出してくれ。」

 医師は少し考え、20人分という数を出した。

 アンドリューは、第一と第二総督府に再び援助を求めた。が、返事は変わらなかった。頑として第四の救けには応じないという姿勢だ。本国のマリティムに3度目の要請をすると、最低限の必要分でも二週間はみてほしいと言われた。それでも無いよりはましと注文したが、安心はできない。

 次の日の未明、アンドリューは目くらましの間で叫ぶフィゲラスの声で目を覚ました。

 目くらましの間にある複数のドアのうち、どれが前室に繋がるのか、フィゲラスは知らない。誤った扉を開いて足を一歩踏み入れれば奈落の底に落ちて死ぬと言われたため、ここで叫んで助けを求めるしかなかったのだ。

 アンドリューはシャツ一枚のまま、目くらましの間に入った。

 フィゲラスは、青い顔で訴えた。

「感染の兆候が出てしまいました。」

「昨日までは、異常なかったのだろう?」

「微熱が続いてはいたのですが・・・、」

「言い訳はいい。血清をもらってくればいいのか。」

「お願いします。それから消毒液も追加したい。」

「わかった。」

 アンドリューは馬を走らせ、病院に向かった。

 だが、時すでに遅しだった。

「最後の血清が、夜中に使われてしまったところです。」

 リディに感染の虞があったのだから、「既に感染した」と嘘をついてでもとっておけばよかっただろうか。しかし、そのために代わりのジェード人が一人死ぬことになる。それは、アンドリューには耐えられない。

 南の塔に戻って結果を伝えると、フィゲラスは絶望の声を漏らした。

「血清が来るまで二週間・・・、そんなに持ちません。」

「どれくらいなら持つ?」

「早いほど効き目があるのです。どれくらいという問題ではないのです。」

 アンドリューは、最後の手段を使う時が来たのかと固唾を呑んだ。

 それは、旧ジェード第三総督府―――すなわち、現プラテアード領アドルフォ城へ助けを求めることだった。

 実際、第一や第二総督府よりも旧第三総督府が最も近い。互いに馬を飛ばして中間地点で堕ちあえば、馬の体力を考慮しても5時間で戻ってこられる。

 時計は、午前4時。

 動くなら、一刻も早い方がいい。

「今日の夕方までに何とかする。」

「・・・どうなさるおつもですか?」

 フィゲラスの質問を最後まで待たずに、アンドリューは部屋を出ていた。


 本国からの支援が遅れると聞いた時から散々考え、悩んだ。

 たかが20人の命を救うために敵に頭を下げるのかと言われるかもしれない。カタラン派を全滅させたことを、フレキシ派は快く思っていないかもしれない。だが、それでも尚アンドリューは敵に助けを求める道を選んだのである。

 

 明け方のこの時間、通信司令部には3名が待機していた。

 アンドリューはその3名を、総督命令で通信室から出した。

 情報通信部に所属していたアンドリューにとって、電報を打つなど容易いことだ。

 すぐに機械に向かった。


 アドルフォ城の通信室には、1人の技術者が待機していた。

 この通信室にメッセージが届くことは、滅多にない。何せ元々ジェード総督府のものだ。プラテアード独自の通信施設はないため、別の総督府からの通信以外、受信することはまずない。暇を持て余しているところで突然信号を受信したため、技術者は驚いた。

 早朝で皆眠っていたため、技術者はキールの部屋を直接訪れた。

 扉の向こうから名を呼ばれ、キールは慌てて起き上がった。

「何?私宛て?」

「ええ。『キールと話したい』と、第四総督府から。」

 キールの全身に緊張が走った。

 ジェードで、キールの名を知ってる人間は限られている。

 伝書鳩がリディの無事を伝える手紙を持ち帰った時、アランのこともあり、リディはきっとアンドリューとアランの元にいるのだろうと思っていた。話したい事とは、リディに関することなのだろうか。

 まさか、リディの身に何か!? 

 キールは技術者に、「この事は絶対他言するな。ソフィアにもだ。自室で待機していてくれ。」と言い残し、通信室に走った。

 キールも通信の心得はある。ただちに「キールが受信した」というメッセージを返した。

 しばらくすると、再び信号がメッセージを紙に刻みはじめた。

 無数に空いた穴をなぞって解読し、キールは固唾を呑みこんだ。

――― キールとジロルドへ 命と引き換えに ・・・ ―――

 あとは、よくわからないアルファベットと数字の羅列だった。

 「ジロルドへ」という所がポイントかもしれない。

 ジロルドの存在を知っているなんて、このメッセージはアンドリューからのものに違いない。それに、誰の命か明記してはいないが、キール達と第四総督府を結びつける命など、リディのものしかありえない。

 キールはジロルドを起こし、通信室へ引っ張り込んだ。

 歳で足腰弱くなっているジロルドには申し訳なかったが、緊急事態だ。

 ジロルドは解読内容を見て、すぐに「破傷風の血清20人分という意味じゃよ。」と答えた。

「破傷風?」

「それを、リディ様の命と引き換えによこせと言うのじゃろ。わしらに助けを求めるなんて、余程追い詰められた状況とみた。」

「そんな。第一や第二総督府、本国、味方はいくらでもいるではありませんか。」

「だから、余程のことだと言っておろう?」

 キールは、少し考え込んだ。

「罠、ではないでしょうか。」

「罠?」

「これを届けに行っても、それだけでリディ様を返してくれる保証はないでしょう。」

「まあな。」

「私を殺したいのかもしれませんし、それをきっかけにアドルフォ城に戦いを挑んでくるのかもしれません。」

 ジロルドは禿げ上がった頭をゆっくり振った。

「だったら、もっと堂々と破傷風の血清が欲しいと言ってくるんじゃなかろうか。」

「どういうことです?」

「こんな専門用語、医師じゃなきゃ何のことかさっぱりわからん。通信を盗み見されても何のことか容易にわからんようにしたとしか思えんがな。」

「ジロルド様は、どうしたらいいと思いますか。」

「わしにとったら、アンドリューはバッツの命そのものだからな。放ってはおけん。」

「・・・血清は、あるのですか。」

「わしの手製のものがある。20人分は無理だが、10人分なら何とかできる。」

 キールは頷き、申し出を了解する旨の返事を送った。

 すると間もなく、落ち合う場所と時間を知らせてきた。

 この大陸は国を問わず共通の地図を用いており、1kmおきに格子状に区切って番号をつけてある。二人は、セピア色の使い古した地図を広げて確認した。

「ちょうど、第三と第四の中間地点ですね。この辺はヒースの荒野で作物ができず、村も民家一つもない場所ですよ。」

「人目にもつかず、調度いいというわけじゃな。」

「向こうが指定した時刻は午前8時・・。すぐにでも出発します。」

「よし。わしは荷づくりをする。」

 キールは一度自室に戻り、念のため武装した。小銃に弾を込め、剣も腰に刺した。

 相手が本当にアンドリューであってもなくても、用心しなければならない。

 リディのこともあるし、ジロルドの思いもあって申し出を受けるが、反面、大きな賭けでもあった。

 早朝の蒼い空気の中、ジロルドは城の門の前でキールを見送った。

「気をつけてな。危ないと思ったら、深追いせず逃げるんじゃぞ。」

「はい。ジロルド様、このことは絶対に他言しないでください。リディ様のことがあるとはいえ、敵に塩を送ることになるのです。これを喜ぶ者はいないでしょう。」

「わかっとる。他の者には、適当に誤魔化しておこう。」

「お願いします。」

 馬の脇腹を強く蹴り押し、蹄の音高らかに、キールは走り出した。


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