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第46話:眠りから覚めても

 続々と運び込まれてくる負傷者を尻目に、アンドリューは双方の被害状況の報告を受けた。

病院代わりの建物は既に怪我人で溢れており、少し離れた場所にある教会も解放することになった。軍の医療班も戻ってきたが、医師や看護婦の数が不足していることは明らかだった。

 一通りの報告を聞き終えたアンドリューは、レオンを呼んだ。

「引き続き、被害状況の調査を続けてくれ。死亡者、負傷者の正確な人数と氏名を把握したい。それから森の焼失面積を調査することも必要だ。武器弾薬の消費量もな。緊急に不足する物資は他の総督府に電報を打って調達してくれ。」

「わかった。」

「レオン達は、まだ休ませてやることができない。申し訳ないが、もう少し頑張ってくれ。」

「・・・それが俺達の役目だ。気にするな。」

 そこへ、レオンと入れ替わるようにウエルパ将軍がやって来た。

「ジェード側の者達は全員府内へ戻ってきたことを確認しました。・・・死者も含めてですが。」

「死亡者については、身内が府内にいれば知らせ、いない場合にはヴェルデへ電報を打つよう、通信班に命じてくれ。それが済んだら、少し体を休めた方がいい。」

「一段落つきましたら、そうさせていただきます。」

 ウエルパは深く頭を下げ、足早に立ち去っていった。

 深い息を吐き、ふと上を見上げると、いつの間にか日が高くなっていた。金色の光がまぶしくて、思わず手を翳したアンドリューはハッとした。

 左手が、動いている。

 指先まで自由とまではいかないが、腕は軽いし、手の甲にも感覚が戻っている。

 アンドリューは本部の横を通り過ぎようとした准将を呼び止め、「南の塔に戻るから何かあれば知らせに来るように。」と告げた。


 南の塔の螺旋階段をゆっくりと上りながら、アンドリューはフィゲラスをいつ、どう始末するか考えていた。

 計算では、リディの生死について既に結果が出ているはずだ。

 もう、逃げた後かもしれない。

 優しいアランが銃を撃つのを躊躇い、逃がしてしまったかもしれない。

 心の奥で、アンドリューはそれを願っている自分に気づいた。

 逃げていてくれたら、この重圧から解放される。

 重苦しい気持ちで前室の鍵を開けると、そこにアランの姿はなかった。

 すぐに眼くらましの間を抜け、自分の部屋の扉を開けた。

 

 想像以上に、そこは静かだった。

 部屋の隅の長椅子にアランが横たわり、眠っている。

 フィゲラスは窓辺で腕を組み、口を真一文字に結んでリディの方を凝視していた。

 リディは目を閉じている。

 眠っているのか、死んでいるのか・・・それは、わからない。

 アンドリューに気付いたフィゲラスは、軽く会釈した。

「総督。左手の調子はどうですか。」

 アンドリューはベッドの脇に立ち、訊いた。

「俺のことはどうでもいい。・・・彼女は、どうなった?」

「とりあえず生きています。今のところは。」

「今のところ?」

 アンドリューは、眉根を寄せた。

「どういうことだ?」

「毒が抜けるのに予想以上の時間がかかってます。それから、傷口の感染症の心配も残ります。潜伏期間もあるので一週間は予断を許しません。」

「感染症・・・。」

「消毒だけでは十分ではないので、焼きました。ですが、既に時間が経っていましたので、何ともいえません。」

「俺が、矢を抜いてすぐ焼いていれば良かったのか。」

「いいえ、総督の手当は適切だったと思いますよ。ただ、もっと早めに専門家の手を借りて下さっていればとは思いますが・・・。」

 アンドリューは、フィゲラスから視線を外し、訊いた。

「命が惜しくて、わざと時間稼ぎしているのではないだろうな。」

「いい加減に私を信じていただけませんか。逃げるなら、総督の留守の間にとっくに逃げていましたよ。お目付け役のアランさんも、疲れて眠っているわけですし。」

「あと2、3日あれば、俺が留守にする機会も、アランが眠る時間も再び訪れる。医者として患者を放ってはおけないだろうが、峠を越えるか死ねば、そなただけの問題になるからな。」

 フィゲラスはアンドリューの嫌味など意に介さないといった様子で、一枚の紙切れを差し出した。

「私をここから出さない以上、必要な物は調達していただけますよね?この紙に書いておきました。病院の薬局へ行ってきてください。」

 アンドリューは渋い顔でメモを手に取り、アランを起こさないように静かに部屋を出た。

 外へ出たついでに本部へ戻ると、准将とレオンが深刻そうに話をしているところだった。

 「どうした。」

 アンドリューが声をかけると、レオンはすぐに寄ってきた。

「今、呼びに行こうと思っていたところだ。実は、第一、第二総督府ともに物資の支援を断ってきた。」

「何?」

「電報で回答してきたんだが、余分は無いから一切協力できないと言ってきた。」

 准将は、悔しそうに口を歪めた。

「総督が単独で減税を行ったことを面白く思ってないんですよ。国王の親族で若くして総督になってるというのにも嫉妬してるようですし。」

 その答えに、レオンが反応した。

「巷では、そんな話が出ているのか?」

「税の取り立てに行った者達が、プラテアードの農民から聞いたようです。第四が減税した分を、第一と第二総督府の兵士に奪取された村もあるそうですから。」

「そんな大事なこと、どうしてすぐに報告しなかった!?」

 レオンに詰め寄られ、准将は肩を縮ませて首を振った。

「いや、私もちょっと聞きかじった程度だったもので・・・。」

 アンドリューは、大きなため息を吐いた。

 これでは、減税しても不満が出るはずだ。暴動の原動力も合点がいく。

「駄目なものは仕方がない。俺の名で、国王に直接電報を打ってくれ。緊急だということを強調してな。」

「はっ。」

 二人が行ってしまうと、アンドリューはフィゲラスのメモの物を調達するため病院へと向かった。重症患者が収容されていると聞いたが、入り口や廊下は静まり返っている。

 ようやく一人の看護婦の姿を見つけ、忙しい中無理を言って薬剤やガーゼなどを集めてもらった。しかし一つだけ、どうしても無理な物があると言われた。

「破傷風の血清は十分な量がないので、緊急性のある患者から優先に与えていきませんと。実際に発症していない限り、お渡しできません。」

「今、必要な物資を本国に頼んである。それで間に合うはずだ。」

「今から48時間以内に確実に届くという保証がありますか。なければ、総督であってもお渡しはできません。」

 ジェード国民の救済は優先させねばならない。

 アンドリューは諦めて、塔へ戻った。

 フィゲラスは経緯を聞いて、すぐに頷いた。

「病院でも、まだ誰も発病していないはずです。万一感染したとしても、すぐもらいに行けば残っていますよ。」

「毒の方はどうだ?」

「夜明けまでがリミットです。意識が戻るかどうかが勝負です。」

「意識が戻らなければ、どうなる?」

「・・・うわ言を時々言うので、それがチャンスなのですが、今のところ呼びかけに応じる気配はありません。」

 アランの話ではアンドリューの名を出したらしいが、フィゲラスもそれを聞いているのだろうか。気になって、思わず聞いていた。

「うわ言では、何と言っている?」

「途切れ途切れで、私には何のことだか意味不明なことでした。」

 鵜呑みにしたくはないが、これ以上深追いして墓穴を掘るわけにはいかない。

 アンドリューは、疲れて泥のように眠り続けるアランを抱き上げ、部屋を出ようとした。

「左手、治りましたね。」

 背中から声をかけられ、アンドリューは一度立ち止まったが、そのまま扉の奥へと消えた。


 前室のベッドにアランを横たえ、アンドリューもソファに背中から倒れこんだ。

 さすがに、疲れた。

 重いカツラを取り、床に投げつけた。

 マリティムがアンドリューを案じて用意してくれたものだが、厄介この上ない。

 軽くなった頭を、柔らかな背もたれに埋めて目を閉じた。

 少しだけ、すべてを忘れたい。

 そう思う間もなく、抗えようもないほどの眠気に襲われた。

(部下はまだ働いている。俺が先に眠るわけには・・・。)

 だが、夜を徹して動いただけではなく、アランの捜索からずっと気を張り詰めており、さらに毒に侵されていたアンドリューの身体は、完全に限界を超えていた。



 どれくらい経ったのだろう。

 アンドリューは跳ね上がるようにして、上体を起こした。

(いま、何時だ?)

 脇机の置時計を見る。

 10時。

 前室には小さな天窓がある。

(夜・・・か。)

 だが、次の瞬間。

 アンドリューは身体が凍りつく思いがした。

 灰色の雲の間に見えるのは、クリーム色の月。

 月は、見事な円を描いている。


(しまった・・・!)


 うっかりしていた。

 戦いに感けて、満月の晩であることなど完全に頭の中から飛んでいた。

 アンドリューは走って前室から目くらましの間を抜け、リディのいる部屋へ飛び込んだ。


 「・・・・!!」


 遅かった・・。

 月明かりを受けたリディの額は、藍色に輝いている。

 フィゲラスはその現象に、ただ立ち尽くしていた。

 だが、事はそれで終わらなかった。

 月光は、さらにアンドリューの額をも照らした。

 プラチナブロンドに透けて輝く緋色の紋章。

 二人の輝きを目にしたフィゲラスは、声にならない感嘆の息を漏らした。

 アンドリューは窓辺へ突き進み、すぐさま分厚いカーテンを閉めた。

 その途端、すべての輝きは失われ、何事もなかったかのような部屋に戻った。

 オイルランプの小さな灯だけが、壁を照らしている。

 アンドリューは、唇を噛んだ。

 王家の裏紋章を王家と神使しんじ以外の者が見てはならないという掟だが、それを破ったらどうなるのかはわからない。国が亡びると聞いたこともあれば、見た者の目が潰れるとか、1か月以内に死ぬとか聞いたことがあるが、真相は不明だ。アンドリューの額の紋章を見たバッツは確かに死んでしまったが、ジェリオは消息がわからない。アドルフォはリディの額の秘密を知っていたというから、おそらく目にしたことがあるのだろう。リディが生まれた時から育てていた親なら当然だ。そしてアドルフォもまた、若くして死んでしまった。だが、それが紋章を見たことと関連があるとは思えない。掟として肝心なのは、「見てはならない」ということより、王家の裏紋章の秘密を王家と神使以外の者に知られてはならない、ということのはずだ。

 フィゲラスは、死ぬ。

 リディの治療が済み次第、始末される。

 これもまた、裏紋章を見てしまったこととは関係なく決まっていたことだ。

 しばらくして、フィゲラスは乾いた喉を絞り出した。

「なぜ私を始末しなければならないのか、わかった気がします。」

「・・・・。」

「この女性も総督も、特別な存在だということだったんですね・・・。」

 アンドリューは、太ももの脇で拳を握りしめた。

 奥歯を噛みしめ、今後どうしたらいいか自問自答する。

 と、そこへ小さな声が聞こえてきた。

 リディだ。

 リディが唇を開き、何やら呻いている。

 フィゲラスはベッドの傍らに膝をつき、リディに声をかけた。

「頑張ってください。もう少しですよ。」

 しかし、返ってくるのは苦しい息遣いなのか、言葉なのか区別がつかないほどだ。

 フィゲラスは、アンドリューに向かって大声を出した。

「総督、彼女に声をかけてあげてください!」

「・・・?」

 アンドリューを、フィゲラスは叱咤した。

「何をしているんです?はやく!彼女の名前を呼んであげてください。」

「名前って・・・。」

「アランさんは、私が彼女の傷を焼こうとしたとき、驚いて思わず名前を呼びましたよ。『リディ』って。」

「・・・。」

「ここまで来たら、あとは本人の気力に頼るしかないんです。助けたければ、名前を呼んであげてください!私では、駄目なんですよ。見も知らぬ他人の私では、駄目なんです!」

 リディの額には、玉の汗が噴き出しては流れていた。

 息の詰まるような逼迫した声で、呻き続ける。

 苦しげに手元のシーツを掻き毟り、地獄の底を這うような表情をしている。

 意地でも名前を呼ぼうとしないアンドリューの様子を見て、フィゲラスは息を吐いた。

「私がいると、素直になれないようですね。いいでしょう。私は部屋を出ます。ああ、もちろん逃げませんよ。私ができることはすべて、しました。おそらく、これが最後のチャンスです。彼女が呻いているうちに意識を戻してあげられなければ、終わりですから!!」

 扉を叩きつけるようにして、フィゲラスは出て行った。

 アンドリューは、ゆっくりとベッドに腰を下ろし、リディの顔を見つめた。

「・・・・ず・・・。」

(え?)

 何を言いたいのかとリディの口元に耳を寄せた。

 すると、リディは「水が飲みたい。」というようなことを言っていた。

 自らの意志を喋っているのならば、意識が戻ったということではないのか。

 生水は病身に障ると考え、白湯のはいったコップを用意すると、リディの背中を起こしてやった。だがリディの首はガクッと後ろに反り返り、水を飲める態勢にはならない。頭を少し前へ倒し、コップから口中へ注ぎようと試みたが、吸うより吐く息の方が大きくて、すべて顎から首へと流れ落ちてしまう。そもそも呑みこむ時には一瞬だけ呼吸を止めさせなければならない。

 荒い息に高い熱、汗。喉が乾ききっているに決まっている。

 フィゲラスは、全然水分を与えていなかったのだろうか。

 オレンジの明かりに浮かぶリディの横顔を見て、アンドリューは思わずドキリとした。

 リディの左頬に、傷跡が光って見えたからだ。

 これは、自分が撃った銃痕に間違いない。

 そっと指先で触れると、滑らかな頬に明らかな凹みが感じ取れる。

 ――― 撃たないで、アンドリュー ―――

 苦しみに喘いだ脳裏で、そんな悪夢を見るほどに傷ついていたというのか。

(俺が撃たねばならなかった理由を、わからないわけではないだろう・・・。)

 いたたまれない気持ちを振り払うように、アンドリューは白湯を口に含んだ。首を反らせたリディの額を支えると、その唇に少しずつ、水を注いでいった。

 アンドリューが唇を離すと、リディの喉が波打った。

 そして、

「・・・リディ。」

 その名を呼ばれたことに応えるように、ゆっくりとリディの瞼が動いた。

 閉じたはずの分厚いカーテンには、ほんの少しの隙間ができていた。

 その隙間と満月の位置が重なり、部屋の中に一筋の月明かりが差し込んだ。

 二人の額に、うっすらとした輝きが宿った。

 リディは、重くて開ききることができない瞼の奥の瞳で、緋色の光を見た。

 それが何なのか、認識する前にその光は目の前から消えた。

 アンドリューはリディの意識が戻ったと確信し、部屋の外に待機していたフィゲラスを呼びに行ったのである。

 フィゲラスはリディの元へ走ったが、アンドリューはそのまま部屋の外に残った。

 アンドリューは、意識の戻ったリディと、まともに顔を合わせてはいけないと思った。自分は、リディを殺そうとした身。たとえ未遂に終わったとしても、殺す側と殺される側が向き合うことなど許されるわけがない。

 だから、フィゲラスが扉を開けて「峠を越えましたよ。」と教えてくれても、中に入ることはなかった。

「朝になったら、アランを使いにやる。必要な物を伝えてくれ。」

「総督は?せっかく意識が戻ったのですから、お話しされたいこともあるでしょう。」

「・・・そんな関係なら、そなたを始末する必要などないではないか。」

 アンドリューはフィゲラスに背を向け、前室に帰って行った。

 フィゲラスは覚悟の息遣いで、それを見送った。


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