第45話:アンドリューの裁き
約束の時間を過ぎても戻らないアンドリューに業を煮やし、しかしリディの傍を離れることもできず、アランの我慢は限界すれすれだった。
アンドリューが戻るなり「何をしていたんですか!?」と責め立てようと考えていたが、医者を連れてきたことで言葉を失った。
フィゲラスはアランに自己紹介をすると、すぐにリディの様子を診た。
フィゲラスは、怪我人が女であることに驚いた。
刹那的にアンドリューとの関係を疑ったが、そんな詰まらぬことを考えるどころではなかった。フィゲラスは深刻な面持ちでアンドリューを見つめた。
「私が診たどの軍人よりも重症です。全力を尽くしますが、覚悟はなさってください。」
アンドリューは頷きもせず、冷たく言い放った。
「忘れるな。逃げようとしたり、少しでも不穏な動きをしたら容赦はしない。」
さらにアンドリューは、フィゲラスにも聞こえるように、アランに言った。
「銃を持っているな?俺のいない間は、アランにフィゲラスの命を預けておく。」
アランはとりあえず頷いたが、リディの命が保障されるまでは殺せるわけがないと思っていた。
アンドリューが部屋から出ていくと、アランもそれに続いた。
前室で二人きりになると、アンドリューはアランを振り返った。
「リディが心配なら、時折様子を見に行った方がいい。あの医者を完全に信頼しているわけではないからな。とにかく、俺が戻るまで何があってもこの塔から出るな。」
アランは上目づかいで、アンドリューを凝視した。
「・・・リディを本当に助けたいと思って、医者を連れてきてくださったんですか。」
「何か不満か。」
アランは、聞きたかったことを直接ぶつけた。
「アンドリュー様は、リディを撃とうとしたことがあるんですか。」
「・・・!」
アンドリューが驚いた様子だったため、アランは続けて訊いた。
「本当に、撃ったんですか?」
アランの声が高くなったのに反発するように、アンドリューは低い声で言った。
「・・いきなり、どうしたんだ。」
「リディが、うわごとで言ったんです。『撃たないで、アンドリュー』って。」
アンドリューは、思わず眉をひそめた。
アランは叫んだ。
「いつ撃ったんですか?リディが怪我をして苦しんでいる時に、銃をつきつけたんですか!?」
「アラン!!」
アンドリューは思わず大声を出していた。
肩で息をするほどの感情をこらえながら、アンドリューは言った。
「いいか。・・・これは、アランには関係のないことだ。二度と口出しするな。それから、フィゲラスにはリディの身分はもちろん、名前も伏せておけ。確実に口を塞ぐまで、安心はできないからな。」
部屋の扉が閉まる重い音を聞きながら、アランはうなだれた。
長いこと一緒にいながら、こんなに怖いアンドリューを見たことはなかった。
リディのことになると、アンドリューの声色が変わる。
泣きたくなるほどの、恐怖を覚える。
リディと敵だということは、7年も前から知っている。
ジェードが真っ先に首を捕らねばならない相手だということもわかっている。
だが、それとは違う次元で、アンドリューはリディを見ている気がする。
部屋に戻ると、フィゲラスはリディの傷口を確認しているところだった。
アランの気配を感じたフィゲラスは、振り向きもせず言った。
「あなたも疲れているでしょう。少し休んでいいですよ。私は患者を見捨てて逃げるなんて絶対にしませんし、足の悪いあなたを出し抜いて逃げることもしません。」
「・・・僕は、彼女が助かりさえすればいいんです。それを見届けるまでは、休めません。」
「この女性を助けたいと思っているのは、総督だけではないのですね。」
「彼女を助けるために必要なこと以外は答えられません。それに、何も聞かない方が・・・あなたのためです。」
それを聞いたフィゲラスは、息を呑むようにして口を閉ざした。
フィゲラスは、暖炉の鍋から湯を汲むのも、少し離れた場所に吊るされた布を取るのも、全部一人でこなした。アランに頼めば楽なこともあるだろうに、それらの一切を拒絶しているかのように背を向けたままだった。
アランは、自分から突き放しておきながら、罪悪感を覚えた。
フィゲラスは、何も知らない善良な医師だ。
それを殺さねばならないなんて、残酷すぎる。
リディを助けてくれたら、アンドリューの目を盗んで逃がしてやりたい。が、そんなことをすれば、アンドリューは絶対に自分を許さないだろう。
アンドリューと長い年月を共に兄弟として過ごしてきて、多くのものを共有してきたと思っている。物だけでなく、気持ちも。だが、今こうして相対していると、どんなに好きでも慕っていても、いつでも同じ方向を向いていられるわけではないということを思い知る。アンドリューの意見にいつでも従えるわけではないのは、アランはアランとしての意志があるから。
―――これは、アランには関係のないことだ。二度と口出しするな ―――
あんなに冷たい、他人に言うようなセリフを聞くことになるとは。
確かに、アンドリューは誰にでも優しいわけではない。だからこそ自分への優しさは本物であり、特別な存在だと信じ切っていた。
だが、違うのかもしれない。
所詮アンドリューの心にあるのは、償いと同情の心だけ。
だから・・・だから、信じきれないのだろうか。
と、その時。
地獄を彷徨う様な叫びに、アランは顔をあげた。
見れば、フィゲラスの背の向こう側で、リディの身体が暴れている。
「何をしているんですか!?」
アランは慌てて立ち上がると、足の事を忘れたように走り出した。当然、痺れた片足は地面を蹴ることができず、その場に倒れこんだ。
フィゲラスはアランを気遣うように少しだけ横顔を見せ、言った。
「治療に決まっているでしょう。」
アランは両腕で上半身を持ち上げ、肘で這いながら前進した。
フィゲラスの背後からリディのベッドを覗き込むと、傷口が熱したナイフで焼かれているところだった。
アランは思わず、フィゲラスの足に掴みかかった。
「リディに何するんですか!?」
「あなたは素人でしょう?医者のやることに口出しをしないでください!」
「でも、こんなことをして、リディが苦しんでいるじゃないですか!」
「当り前です、死ぬか生きるかの瀬戸際なんですから!」
アランが下唇を噛んで震えているのを見たフィゲラスは、口調を和らげた。
「とにかく、私に任せて。総督にとっても、あなたにとっても大事な人なのはよくわかっています。全力で助けたいと思っていますよ。」
「・・・アンドリュー様も、助けたいと言っていましたか?」
「いいえ、そのようなことはおっしゃいませんでした。」
「じゃあ、なぜ・・・。」
フィゲラスは、細い目を閉じた。
「総督から、直にお聞きください。私の口から言うべきではない気がします。」
「僕が訊いても、答えてはくれません。」
「では、尚更私がお答えすることはできません。・・・さあ、ソファに戻って足を休めた方がいいですよ。」
フィゲラスは再び、リディの方に集中した。
アランは床に座ったまま、しばらく動くことができずにいた。
漆黒の宇宙の色が薄まっていくのと、森林火災の紅色が白い煙に変わったのは、ほぼ同時だった。
本部に真っ先に戻ってきたレオンは、馬上からアンドリューに報告した。
「片は付いたぞ!今、カタラン派の派首と幹部数人を捕えた!!」
アンドリューは勢いよく立ち上がった。
こちらは訓練を受けた軍隊、対してプラテアード側は殆どが農民。数の問題があったとはいえ、勝利は当然といえば当然だった。
「奴らは今、どこにいる?」
レオンは手綱を操りながらアンドリューを見下ろした。
「ウエルパ将軍が縄で繋いでこちらへ向かっている。」
「プラテアード人が府内へ立ち入ることは許さない。俺が湖の対岸へ出よう。」
「わかった。ウエルパ将軍に伝える。」
アンドリューは、馬に乗って走り去るレオンを見送り、自分の左手を見た。
力を入れてみる。・・・だが、指先の僅かさえ動かない。
前より、少しは「痺れている」という感覚があるが、それ以上ではない。
片手で馬に乗ることはできないため、アンドリューは歩くことにした。
湖を架ける吊り橋の上は、いつになく風が唸っていた。
火災の影響もあるかもしれない。
灰が、細かく宙を舞うのも見える。
表が黒で裏地が緋色のマントを翻し、アンドリューはまっすぐ前を見据えて歩みを進めた。
吊り橋を渡り切った先の草むらにはジェード軍が円弧を描くように整列しており、その中央にカタラン派の派首ノキアと、幹部10名が正座させられていた。縄で後ろ手に縛られ、馬に引きずられたせいか、服は破れ、裸足の足の裏は血だらけだった。
現れたアンドリューに、ウエルパ将軍が声をかけた。
「どうしても総督にお目通り願い、話したいことがあると申しております。」
アンドリューが無言でカタラン派の連中を見下ろすと、ノキアが頭を上げた。
ノキアの大きな口は、このような場でもよく動いた。
「私はカタラン派の派首ですが、ここでお情けいただけるのならば、今後命のある限り、ジェードのために尽くす用意がございます。」
アンドリューの軍靴が踏みしめた草が、軋んだ音を立てた。
「ここにいるのは私が見こんだ才能ある男ばかりです。どのようにでも、お役に立ちます。フレキシ派に潜り込み、スパイとして働くことなど慣れたものです。」
アンドリューが何も言わないことに、ノキアは少し焦ったようだった。
「その証拠に、いいことをお教えします。」
「いいことだと?」
反応したのは、ウエルパ将軍の方だった。
ノキアは調子を良くし、まくしたてた。
「今、フレキシ派は資金集めに力を入れています。1年前の戦いに相当つぎ込んだようですが、それでも蓄えを無くしてはいません。その資金源はなんだと思いますか?ブルーアンバーですよ。」
「・・・。」
「すでに見つかっていた鉱脈はジェードに抑えられてしまっていますからね、新しいのを探し当ててひた隠しにしてますよ。この第四総督府の領土内にあって、採掘した鉱物はすアンテケルエラ王国へ密かに売りさばいてます。」
アンドリューは、口端を引き締めた。
リディは、自分の助言を忠実に実行していたというわけだ。
アンテケルエラはジェードが敵に回したくない唯一の強国だ。その売買に気づいたところで、そうそう妨害などできない。いいところに目を付けた、としか言いようがない。それに対し、このノキアはどうだ。血気にはやり、目先のことばかりで長期的な展望も何もなく、口先の上手さだけで人々を操る。こんな男がプラテアードの首長になっても、未来はないだろう。“いい情報を教えたのだから命は助けてくれるだろう。”という浅はかな目論見が滲み出た顔を見ていると、気分が悪くなりそうだ。
へつら笑いを浮かべるノキアから視線を反らせ、アンドリューはウエルパ将軍に右腕を翳した。
「こいつらには弾丸はおろか、我々の刃を血で汚すことさえ値しない。この場で縛り首に処せよ。」
ウエルパ将軍は、少し息を呑んだ。
「全員、でございますか。」
「そうだ。」
すると、ノキアが裏返った声で叫んだ。
「私は派首だ!こいつら部下と違う。能力があるのだ!生きる価値がある!」
下らない戯言だ。所詮は仲間の命より自分を優先させる、凡人さ。
アンドリューは何も聞こえなかったかのように、ウエルパ将軍に命令を続けた。
「確実に息の根を止めたことを確認したら、カタラン派の集落でさらし首にしてやれ。何人かは残っているだろうからな。そいつらも殺して根絶やしにしろ。」
「女子供でもですか。」
「・・・カタラン派は、女は12、3の頃から孕ませ、子を産ませるだけ産ませて役に立たなくなれば捨てる。子供は爆弾を持たせて自爆させる道具にする。すべてが戦いの手段として、我々の敵になる。生かしておく理由は、ない。」
幹部の誰かか、それともノキアか、絶望の雄たけびが聞こえたが、アンドリューは踵を返して、総督府の城門を見据えた。
これでいい。
そう、自分の胸に言い聞かせる。
昔、拷問を受けた恨みを晴らそうとしたわけではない。
こんな望まぬ戦いで、ジェードの人間も相当犠牲になったはず。その反乱を扇動した首謀者を罰するのは当然だ。
ここで情けをかければ、必ずいつか仕返しされるのは歴史の常ではないか。
橋を渡る時にも強いと感じていたのに、帰りは更に風が唸っていた。
水面から湧き上がり捻るような風に、足元が掬われそうになる。
風の轟音に混ざって、男達の断末魔の叫びが千切れ千切れに聞こえてきた。
それは、流石のアンドリューにとっても、臓器に針が刺さるような痛みだった。
しかし、耳を塞いではならない。
走って、声の届かぬ場所へ逃げてもならない。
それが、命令を下した者の責任だ。
東の金星が、長い夜の終わりを告げるように、静かに瞬いた。