第44話:ソフィアの思い
その頃、プラテアードのアドルフォ城では、フレキシ派の幹部が雁首揃えて会議の最中だった。
今ここに集まっているのは、リディが本物のリーダーであることを知っている者のみ。
肝心のリディが、城に戻らない。
一方で、カタラン派の挑発に乗って仲間の一部が暴動に加わっている。
事の重大さに、ソフィアは表情を引き締めて命令を下した。
「偵察に数人派遣して、後は傍観しましょう。」
仲間の一人が、反論する。
「我々フレキシ派の仲間の一部も参戦しているのですよ?見殺しにするというのですか?」
「彼らは、カタラン派のリーダーの軽口に乗せられて勝手に参加しているのです。私たちが助ける義理はありません。それに、もし私たちが助太刀などすれば全面戦争になります。それが時期尚早であることは明白なはず。今回、フレキシ派はあくまで無関係であることを徹底しなければなりません。責任はすべてカタラン派にとってもらいましょう。」
「しかし、もしリディ様が一緒に参戦していたとしたら・・・。」
ソフィアは、その声の主をキッと睨みつけた。
「そんな軽はずみなことをなさっているようなら、勝手に犬死にすればいいだけのことです。こんな無鉄砲な戦、勝てる見込みがないこと位わからないのなら、プラテアードを独立させることなど到底無理というもの。」
「では、リディ様のことは・・・。」
ソフィアは腕を組み、首を振った。
「大勢が下手に動き回って敵に出会えば、戦わざるを得なくなります。」
「人質に捕られているかもしれませんよ?」
「怪我をして、動けないのかも。」
「リディ様に何かあったら、どうするのです!?」
矢継ぎ早に攻め立てる言葉に、キールが応えた。
「どちらにしろ偵察はするのだ。少し人数を増やして、同時に捜索しよう。30人。二人一組で手分けする。それくらいなら目立たないはずだ。私が指揮に立つ。それでどうだろう?」
キールの申し出に全員が頷き、ソフィアも何も言わなかった。
役割を決めた後に解散し、兄妹二人だけになると、キールはソフィアの後ろ姿に向かって言った。
「よくリディ様の悪口を言わずに耐えたな。」
ソフィアは、頬にかかった金髪を揺らして鼻先で笑った。
「私を馬鹿にしているの?彼らはアドルフォ様にすべてを捧げてきた側近ばかりなのよ?娘であるリディ様の悪口なんか言ったら、私の方が追い出されるわ。」
「確かに、そうだな。」
ソフィアは、肩越しに兄の顔を見つめた。
「リディ様が帰ってこないのに、あまり慌てないのね。リディ様が無事だという確信でもあるわけ?」
「そうだ。リディ様しかこの国を独立に導けない。ジェードがどうしようと、運命が彼女を殺さない。」
「おかしな理屈ね。私はとっくに覚悟を決めているのに。」
「覚悟?」
「そう。このまま、フレキシ派のリーダーとしてアドルフォ様の後を継ぐことよ。」
キールは、細い眉をしかめた。
「それは無理だ。」
「無理?今、私は確かにフレキシ派のリーダーとして働いているわ。リディ様がいれば意見に従うけれど、別にいなくても立派に務める自信があるわ。私はダミーから本物のアドルフォの娘として上に立つことができるはずよ。」
「それは思い上がりだ。ソフィア、そんな野望を抱くなら今すぐダミーを止めた方がいい。」
「なんですって?」
ソフィアは兄の目の前に進み出ていきりたった。
「どうして?どうして私では駄目なの!?」
キールの瞳が、ソフィアを憐みの色で見つめる。
「・・・お前には、カリスマ性がないからだ。」
「カリスマ・・・性?」
「そうだ。人を引きつける資質がないんだよ。」
「そんな・・・!そんなことはないわ。私がリーダーの振りをしていても、誰一人偽物だと疑いもしないし、ちゃんと声も聞いてくれていたわ。崇めてくれていたわ!」
「確かに一年前の戦いのとき、ソフィアは完璧にリーダーの代わりをよく勤めていた。お前そのものがリーダーだったし、ダミーと知っていようといまいと、皆、お前によく従った。だが、国を一つにまとめようとして規模がもっと大きくなった時、多分お前はそれを思い知ることになる。第四総督府を陥とすために、国民が全員お前をリーダーと認めて動いたと思っていたかもしれない。だが、あの時お前の姿や顔を実際に見た人間がどれほどいたと思う?ほとんどの国民は、『アドルフォの娘』という伝説化した肩書に心を寄せただけであって、ソフィアそのものに引きつけられていたわけではない。」
「だから!だからこのまま、私はアドルフォの娘という肩書を背負ってもいいと言っているのよ!」
「・・・アドルフォ様は、神のようだった。すべての人を跪かせるオーラを放っていた。それを持たない『アドルフォの娘』は、やがて本物ではないと気づかれる。」
「リディ様だって・・・!リディ様だって、アドルフォ様とは赤の他人じゃないの!?」
「そうだ。だが、リディ様にはあるのだよ。確かな、カリスマ性が。」
「どうしてそんなことわかるの?彼女は国民の前に『アドルフォの娘』として姿をさらしたこともないのよ?」
「ずっと、アドルフォ様の傍で本物のカリスマ性を嫌というほど見てきたからわかる。ソフィアは違う目でアドルフォ様を見ていたからわからないだろうが・・・な。」
そんなことはない。
そう、叫びたかったが、ソフィアにはそれ以上何も言うことができなかった。
兄の指摘に、いつの間にか悔し涙が浮かんでいた。
それを見られまいと、ソフィアは再び兄に背を向けた。
「・・・もうわかったから、早く探しに行きなさいよ。」
「・・・ああ、そうする。」
キールはソフィアの思いを察して、その顔を見ないように脇を通り過ぎ、部屋から出て行った。
ソフィアは、机に片手をついて頬に伝う熱い液体を感じながら、歯を食いしばった。
別に、派首の地位が欲しいわけではない。
アドルフォの娘なんて肩書が欲しいわけでもない。
亡きアドルフォの遺志を継ぎたいのは確かだが、表舞台に立ちたいと思っているわけではない。
ただ、歯がゆいのだ。
アドルフォの傍で、娘として最上の愛情を注がれ、教育を受け、思想を継いできたはずのリディが、いつまでたっても一歩引いていることに。
一年前の戦いを決意したのだって、周囲の強い勧めがあったからであって、リディ自身は決して積極的ではなかった。「他に方法があるはず。」そんな甘いことを言って、逃げていた・・・・としか思えない。確かに、国の財力を蓄える事には力を注いでいた。鉱脈の発見への多額投資を決意したのも、隣国アンテケルエラ王国との裏取引を成功させたのもリディだ。それは認める。だが、守りに徹して攻めを忘れてしまったかのように、リディは独立運動を起こそうとしなかった。ジェードに潜入して、リディは敵を知るどころか敵に親愛の情を寄せるようになってしまったと、ソフィアは思っている。実際、戦火にあってもリディは味方の陣地で成り行きを見守っていただけで、決着後に初めて外へ出て死体の山に嗚咽していた。戦いを主導したのはキールとソフィアであり、リディは参謀と呼ぶにも程遠い存在にすぎなかった。
そんな小娘に、カリスマ性があるだなんて。
アドルフォを崇拝し、ずっと傍で独立運動を支えてきた自分には備わっていないものが、何の苦労も知らない甘ちゃんのリディにあるだなんて、どうして認めることができるだろう?
(このまま、いっそ、本当に帰ってこなければ・・・!)
そう考えたが、次の瞬間には後悔した。
こんなこと、考えてはいけない。
リディがいなくなって、一番悲しむのは兄のキールではないか。
アドルフォだって、そんなことを望むわけがない。
(そう、アドルフォ様は、私が跡を継ぐことなど少しも望んではいない。いいえ、アドルフォ様だけではない。誰も・・・誰一人として、私が継ぐことなど望んでいないのだ。)
リディが表舞台に出るまでの身代わりにすぎないと、フレキシ派の幹部の誰しもが思っている。ソフィアだって、そのつもりでいたし、今もそのつもりだ。
だが時折、野望と呼ぶには小さすぎる何かが頭を擡げる。
それが膨らまないように抑え込む回数が、最近頓に増えた。
人は、1秒ずつ弛まぬ歩みで死へ向かっているのだ。
今35歳のソフィアだって、遠からず死はやってくる。
それまでに、本当にプラテアードは独立できるのか。
リディに任せておいて、本当にその日を迎えられるのか。
そんな焦燥がソフィアを駆り立てるのかもしれない。
アドルフォ城の窓から眺める空の色は、見るたびに違う。
今夜は、深い、深いグレーに見える。
星も月も、厚い雲に隠れてしまった。
ソフィアは崩れるように跪き、手を合わせた。
(どうか・・・リディ様の無事を心から祈ることができない私を、そんなに責めないでください。私を・・・どうか・・。どうか、アドルフォ様・・・!!)