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第42話:アランの憂い

「開けてくれ!レオンだ!!」

 扉を叩く音の主はレオンだった。

アランは扉を少しだけ開けると、「中には入れない」とばかりに隙間をすり抜けるようにして、部屋の外へ出た。

 レオンは、アランが現れたことに少し驚いた。

「アラン・・・!無事だとは聞いていたが、ここにいたのか。」

「ご心配おかけしてすみませんでした。」

「無事ならいいさ。アンドリューは?」

 アランは扉にぴったりと身体を押し付け、両腕を広げた。

「ここから先は通すなと言われています。」

「何だって?今がどういう状況かわかっているのか?反乱が起きているんだぞ。総督が指揮に立たないで何をしているんだ!?」

「・・・僕が呼んできますから、ここで待っていてください。」

「悠長なこと言ってる場合じゃない!他の奴らならともかく、俺さえ通せないとは一体どういうことだ?」

「それは・・・。」

――― どうした? ―――

 突然アランの背の後ろの扉が開き、アンドリューが現れた。

 扉の外の物音は、壁の中に通された鉄管を通して総督室まで聞こえるようになっている。アンドリューはレオンの声を聞き、すぐにやってきたのだ。

 アンドリューは肩を抱くようにしてアランを脇に寄せ、レオンの前に立った。

 レオンは、蝋燭のほの暗い明かりに照らされたアンドリューの姿を見て、ゾッとした。

 アンドリューの白いシャツは黒い血で汚れ、口の周りも血の乾いた色で塗れている。

 まるで、人を喰った後のような様相だ。

 息を呑んで声が出ないレオンに、アンドリューは声をかけた。

「レオン、何があった?」

 それを訊きたいのはこちらだ――― そう思ったが、レオンは気を取り直して言った。

「ウエルパ将軍からの伝達だ。歩きの一般市民に手を焼いている。アンドリューは森の外へ追い払うことを優先しろと命じたようだが、奴らも丸腰じゃあない。猟銃を持ってる奴もいるし、弓矢も使う。無傷で追い払うのは限界だ。」

「だが、歩きの連中の半分はカタラン派に触発されたフレキシ派だ。彼らを殺せば、フレキシ派が黙ってはいない。それこそ全面戦争になる。」

「それはわかるが、総督府が陥とされたら元も子もない。とにかく、本部に出てこい。この重大事に総督が前に出ないんじゃ話にならん。」

 アンドリューは口を噤むと、事情を知らないレオンは、業を煮やした。

「何を考えてるんだ?ここを離れられない理由ってのは、革命を前にしても譲れないものなのか!?」

「・・・俺がいなくても、ウエルパ将軍がいる。」

「馬鹿なことを言うな!ここの主は誰だ?それとも、本当に名前だけの総督に成り下がるつもりなのか!?」

「そうではない!」

 レオンは、何も知らないが故の勝手な主張をしているわけではない。当然のことを言っている。だからこそ尚、今は腹立たしく感じてしまう。

 アンドリューがここを離れて治療を止めれば、リディは確実に死ぬ。

 本来ならそれでいいはずだ。

 総督府の危機を前にしても尚、リディを救う理由はどこにあるのか。アランに恨みを抱かせたくないという甘い理由だけで説明できるものなのか。

 アンドリューは悩み、しかし、決断した。

「無傷で追い払えないのならば、多少の攻撃はやむを得ないとウエルパ将軍に伝えてくれ。それから、カタラン派壊滅の手は絶対に緩めるな、とも。」

「結局、本部へ来る気はないんだな。」

「・・・今、0時を回ったところだな。1時間後に少し時間をとる。それでいいだろう。」

 そう言い残すと、アンドリューは踵を返して再び扉の向こうへ消えていった。

 レオンは、アンドリューに続いて部屋に入ろうとするアランを引き留めた。

「一体、アンドリューに何があった?」

 アランは、首を振った。

「それは、言えません。」

「あの血・・、まさか、アンドリューが怪我したとか病気じゃあるまいな。」

「そうではありません。」

「そうか。・・・ならばいいが。」

「僕、ずっと前室にいます。また何かあれば、僕を呼んでください。」

 腑に落ちない表情のまま、レオンは螺旋階段を駆け下りて行った。

 アンドリューは総督府の大事よりリディを取った ――― そう解釈していいのだろうか。

 前室から「目くらましの間」へ行こうとするアンドリューに、アランは声をかけた。

「アンドリュー様、・・・着替えと、それから顔の血を拭られたほうがよろしいかと・・。」

 アンドリューは少し横顔を見せただけで扉の奥へ消えていった。

 こんな時、アンドリューのプラチナブロンドは殊更表情を冷たく見せる。

 それがアランを、再び不安にさせた。

 

 アンドリューは宣言通り、1時間後に部屋を出てきた。

 黒地に緋色の縁取りが施された詰襟の軍服をきっちりと身にまとい、先ほどまでの血生臭ささは微塵も感じさせない。まるで何事もなかったかのように、落ち着いて見えた。

 アランは、杖で身体を支えて立ち上がった。

「リディの様子は?」

「今、三度目の注射を打ってきた。傍にいて額を冷やし続けてやってくれ。一時間後には戻る。」

「冷やすだけでいいのですか?他にできることは?」

「部屋の暖炉の火を絶やさないようにしてやれ。薪は十分にあるから大丈夫だ。」

「水とか、薬とかは?」

「必要ない。今俺が言ったこと以外、しなくていい。」

 その言い方が投げやりに聞こえて、アランは思わずアンドリューの腕を掴んだ。

「しなくていいって、どういうことですか?リディが死んでも構わないってことですか!?」

 アンドリューは眉を吊り上げ、アランの手を乱暴に振り払った。

 こんな仕打ちを受けたことがなかったアランは、驚きと同時に恐怖を覚え、アンドリューの方を見ることができなかった。

 俯いたまま、アランはアンドリューの答えを待つ。

 が、アンドリューは黙ったまま、振り返りもせず前室を出て行った。

 アランは不安に駆られ、すぐにリディのいる部屋に向かった。

 扉を開けた途端、ムッとするほどの熱さにアランは顔をしかめた。

 こんな環境ではかえって身体に障るのではないか?と思うほどだ。

 健康な身体にはきついが、病身のリディには調度いいのだろうか。

 ベッドの脇の椅子に座り、アランはリディの顔を覗き込んだ。

 汗が玉のように蟀谷こめかみから噴き出している。

 荒い息が、リディの華奢な鎖骨を大きく揺らす。

 額に乗せられた布は、すでに温んでいた。

 アランは真鍮のたらいに張られた水に布を浸してゆすぎ、再び額に乗せてやった。

 こんなに苦しそうなのに、これ以上何もできないだなんて、辛い。

 そんな中、リディが突然小さく呻きだした。

「リディ?」

 アランが腰を浮かせて見つめたリディの表情は、奥歯を噛みしめて更に苦しそうだった。

「・・・っ。」

「え?」

 僅かに、リディの唇が動いた。

 意識が戻ったのかと思ったが、瞼はきつく閉じられたままだ。

 気のせいか。

 だが、次の瞬間、リディの口から確かな声が漏れた。

「・・・ないで・・。」

「?」

 何かを訴えたいのだろうか。

 どこか、苦しいとか痛いとか、そういうことだろうか。

 アランはその声を聞きとろうと、リディの口元に耳を近づけた。

 すると、次に。

「撃た・・・ないで・・・。」

(撃たないで?)

 何のことだろう。

 銃を撃つなということか。

 アランは、銃など持っていない。

 リディの呻きは、まだ続く。

「・・・撃たないで・・・。」

 やっぱり、同じことを言っている。

 意識が戻ったわけではない。ただのうわ言なのだろう。

 アランがそう思ってリディから離れようとした瞬間だった。

「撃たないで、アンドリュー!」

 苦しい息を吐きながらの言葉だった。しかし、はっきりと、確かに聞き取れた。

 アランが再びリディの顔を覗き込もうとすると、今度はリディの腕が宙に伸びた。

「お願い・・・撃たないで・・。撃たないでっ・・。」

 敵を突き放そうとするかのように、手が空で暴れている。

 リディの閉じた目尻から、透明な涙が一筋、流れ落ちた。

 アランは、空しく宙をかすめる白い手を思わず握りしめた。

 片腕は怪我をしているのだ。動かしては傷に障る。

「大丈夫。大丈夫ですよ、リディ。誰も、あなたを撃ったりしませんから。」

 意識のないのをわかっていながら、アランはリディに優しく話しかけながら、手を掛布団の中に戻してやった。

 しばらくすると、リディの呻きはおさまった。

 アランは息を吐きながら椅子に座り、考えた。

 今のセリフは、なんだったのだろう。

 アンドリューに撃たれる夢でも見ていたというのか。

 それとも・・・?

 アランの胸に、不安が過った。

 アンドリューは自分を前室に追いやっている間に、リディを撃ち殺そうとでもしたのではないか。しかし、自ら手を下さなくても放っておけば矢毒が全身に回って死ぬことを確信して、銃を下ろしたのではないか。その時リディは意識が戻っていて、アンドリューの行動をすべて認識していたのではないだろうか。それが、こんなうわ言になったのではないか。

 そうでなければ、あんなにはっきりと言うわけがない。

――― 撃たないで、アンドリュー ――― なんて。

 だが、そんなこと信じたくない。

 アランは疑いを晴らすために、医師から預かった薬瓶を探した。減っていれば、ちゃんと治療をしていることが証明される。

 

 見当たらない。

 

 注射器は?

 

 それは、ベッドの脇机の上に無造作に置かれていた。

 中に液体らしきものは入っていない。

(まさか、本当に注射していないんじゃ・・・?)

 アランは慌ててリディの腕を探った。

 破られたシャツから覗く細い腕。

 ところがリディの腕には既に痣や擦り傷などが無数にあって、どれが注射の跡なのかどうか、アランにはわからない。

 気づくと、暖炉の火が消えかかっている。

 アランは慌てて薪をくべに向かった。

 間もなく、1時間が経過する。

 アンドリューが戻ったら、問いただそうと思う。

 問いただして、その答えがもし、予想通りだったら・・・。予想と違っていたら・・。

 アランは、未だかつてない緊張に、ゆっくりと固唾を呑んだ。


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