第41話:血塗れの介抱
森を抜ける少し手前で、アンドリューは手綱を引いた。
「アンドリュー様?」
何事かと、後ろをついてきたアランが声をかけたが、アンドリューは返事をせず自分の肩にもたれたリディの額に視線をやった。脂汗が滲み、前髪がへばりついている。
アンドリューは自分のマントを羽織りなおすと、リディの身体をマントで覆い隠した。どこでどうリディの身元が割れるか知れない。総督自ら敵の首長を匿ったなどと、つまらぬ噂が立ってはことだ。刺さったままの矢が不自然な尖がりを作っているが、この際やむを得ない。
総督府の跳ね橋を渡り切り、広場の本部の中央で、アンドリューはウエルパの名を叫んだ。
ウエルパ将軍はすぐに走り寄って来た。
「総督!お戻りをお待ちしておりました。御無事で何よりです。」
「今の状況は?」
「森の中と外から挟み込むよう、小隊を動かしてあります。」
「騎馬隊への対策は?」
「選りすぐりの兵士200名を送り込んであります。」
「・・・とりあえず総督府の守りは最小限でいい。あと100名追加できるか。」
「いえ、それでは府内の守りが薄くなりすぎます。」
「ここまで辿り着かせないことが先決だ。あと70名でもいい。」
「・・・わかりました。配置を工夫しましょう。」
「頼む。俺は南の塔の自室にいる。何かあれば呼んでくれ。」
「はっ。」
アンドリューは再び馬を走らせ、城の角に位置する円柱状の塔に馬をつけた。
この塔は総督専用で、最上階の総督室までひたすら螺旋階段が続いている。窓は最上階に一つのみで、外から壁をよじ登って侵入するのは不可能な造りになっている。
南京錠を解き重い鉄製の扉を開け、馬に乗ったまま中に入った。アランが続き、すぐに扉を閉める。
アンドリューはリディを馬から降ろすと、改めて矢の刺さった傷口をランプを翳してよく見た。
(!!)
暗くてよく見ていなかったとはいえ、これは迂闊だった。
矢が刺さっただけにしてはぐったりしていると思っていたが、この腫れ方を見て合点がいった。
毒矢だ。
どれほどのものかはわからないが、手当せずに放っておけば確実に死ぬだろう。
(このまま放っておけば、俺の手を汚さずにリディを殺すことができる・・・。)
そんなことを考えながらも、アンドリューはリディの身体を地面に横たえた。
(だが、今死なせてはアランが俺を一生許さない。アランには、そんな恨みを抱いて生きてほしくはない。)
アンドリューは自分のマントの端をナイフで切り裂き、細い布を二本作り上げると、傷口の上部と下部を力いっぱい縛りあげた。更に自分の胸ポケットから細い木製のペンを取り出し、リディの口に咥えさせた。
「俺がリディを押さえているから、アランが矢を抜け。」
「でも、抜いたら血が噴き出さない?」
「この矢には毒が塗ってある。一刻を争うんだ、早くしろ!」
「・・・ただ、引っ張ればいいの?」
「そうだ。垂直に、素早くな。」
アランは生唾を呑みこみ、細い矢に手を添えた。
「さあ、いけ!」
アンドリューの声を合図に、アランは一気に矢を引き抜いた。
「―――っっ!!」
声にならない咆哮と同時に、咥えさせたペン軸がリディの口から外れ、腕の傷口からは赤黒い血がドクリと溢れ出した。
アンドリューは空かさずその傷口を口に含み、溢れる血を吸出して吐き捨てた。
何の躊躇いもないその行為を見て恐ろしくなったのはアランである。
口の周りを血だらけにして何度も同じことを繰り返すアンドリューの様子は、人間ではなく物語に出てくる吸血鬼のようだった。とにかく、この世のものとは思えなかった。
アランは思わず、目を反らせた。
そんなアランの様子を見て、アンドリューは言った。
「アラン、その矢を持って医者の所へ行け。この毒を浄化するためのものと治療道具を借りてくるんだ。何か聞かれたら、戦闘で怪我人が出たと言っておけばいい。ただし、絶対に医者を連れてくるな。もしそんなことをしたら、医者を射殺しなければならない。」
「どうして?リディがプラテアードの首長だとは公表されてないし、口止めすれば・・・。」
「駄目だ!いいから俺の言うとおりにしろ!医者の手を借りたいのは俺だって同じだ。でもできない、それぐらいリディはジェードにとって最たる敵なんだ、自覚しろ!!」
アランは後ずさりしながらも、すぐに外へ出て行った。
アンドリューは口の中に残った血を、唾液ごと吐き出した。
こんなことで、毒が抜けるわけではない。ただ、傷口付近の毒を吸い取ったにすぎない。
リディの傷口を改めて見た。
赤黒い穴が開いているのと同じ状態だ。
アンドリューはリディを抱き上げると、壁に備え付けられた燭台の火を頼りに、城の暗い螺旋階段を上っていった。視線を下げると、リディの青白い額が目に入る。
藍色の紋章が浮かんだ額。今はただ、熱を帯びて汗を滲ませているだけだ。
最上部の自室にたどり着くと、アンドリューはベッドにリディを横たえた。
見ている自分まで苦しくなるような表情だ。
(俺がバッツに助けられた時は、もっと重症だったはずだ。それでも俺は生きた。リディ。俺が助けることで、お前は歴史に必要とされていることを実証するのか。それとも俺自身が、リディを歴史の舞台に引き上げることになるのか。)
リディのマントを外しながら、アンドリューは軽い違和感を覚えた。
(・・・?)
マントの内側で何かが動いている。
驚いて思わず手放しそうになったが、かろうじて握り直し、その正体を探った。
「ああ・・・。」
マントの前身頃の内側に小さなポケットが作られており、その中に鳩が隠されていたのである。灰色と孔雀色の羽に嘴を埋め込んで眠っているようにみえる。
鳩をそっと手の中に包みいれると、小さな鼓動が確かに伝わってくる。
アンドリューは部屋の隅に置き去りにされていた空の小箱を見つけ、その中に置いてやった。リディが死んでも生きても、この鳩がプラテアードとの唯一の連絡手段になるのは違いない。
次にアンドリューは部屋の暖炉に火を灯し、大なべに水を沸かした。
洗濯済みのシーツを細く引き裂き、沸き立つ湯に入れて消毒する。
アンドリューは軍隊に所属していた時、半年間医療班に入れられたことがあった。その時の実践が、今、アンドリューの身体を無意識に動かす。
そこへ、アランが両腕いっぱいに荷物を抱えて戻ってきた。
「アラン、鍵を閉めてこっちへ!」
アランは床いっぱいに荷物を広げた。
「毒の正体はわかったか?」
「植物の毒がいくつか混ざってると言ってました。それで、これを。」
アランは親指ほどの小瓶をアンドリューに手渡した。
「これを1時間おきに注射して、6時間以内に熱が下がれば大丈夫だろうと。」
「下がらなかったら?」
「それは・・・。」
うつむいて口を閉ざしたアランは、答えを言っているも同然だった。
気を取り直し、アンドリューはアランに言った。
「暖炉の鍋で包帯を煮沸消毒している。それを引き上げて、衝立にかけておいてくれ。」
「はい。」
アランが余所を向いている間に、アンドリューは注射の準備をした。昔取った杵柄とはよく言ったものだ。学んだことが、いつどこでどう役立つかなど、その時にならねばわからない。
傷とは反対側の腕に注射をして、アンドリューは改めてリディのシャツが血まみれであることが気になった。自分のシャツを衣装箱から取り出し、リディの服を脱がそうとして、はたと思い出した。
リディは、女だ。
ずっと男同士として関わったことしかなかったからか、「王女」だと自分で口にしておきながら、女であるという意識に欠けていた。
今、手元が躊躇している。
改めて見れば、よくわかる。
リディは、確かに女だ。細い腕・・・手も、腰も、顔も、すべてがこんなに小さい。
男同士とは明らかに違う、容易に触れてはならない何かがある。
服を脱がせるのは諦め、ナイフで傷側の袖を割き切った。
消毒液をたっぷりと含ませた綿を傷口にあてる。
「・・・―――っ!」
意識がないのに感じずにはいられない激痛が、リディの身体をのけ反らせる。
暴れれば、止まっていた血がまた噴き出す。
アンドリューはリディの上に馬乗りになって、身体を押さえつけた。
傷口を清潔な白い綿で塞ぐと、見る間に赤く染まっていく。
肩で息をしながら、アンドリューは奥歯を噛みしめた。
これ以上の修羅場がアランに耐えられるとは思えない。こういう場になって、初めてアランを大事に温室育ちにしてきたか思い知る。それが悪い事とは思わないが、いざという時に立ち向かう力は養われない。
アンドリューは、この部屋に続く前室を利用しようと考えた。
「アラン。疲れているとは思うが、前室で待機していてくれないか。俺を誰かが訪ねてきたら知らせてほしい。ただし、絶対にこの部屋には入れるな。さっき言った通り、誰であろうと始末せねばならなくなる。」
「レオン達も?」
「そうだ。」
リディの腕を包帯で力いっぱい縛り上げているアンドリューの姿に、アランはそれ以上何も聞けなかった。
アンドリューの部屋の扉を閉め、六角形の壁が全面鏡張りの「目くらましの間」を通り抜けると、前室に辿り着く。
ひっそりと静まり返ったこの部屋では、すべての喧騒が嘘のようだ。
前室とはいっても、総督に仕える側近2~3人は寝起きできる広さがある。
冷たくなったベッドに腰かけ、アランは膝の上で拳を握りしめた。
アンドリューは、真剣にリディを助けようとしている。
そう、信じてはいる。
だが・・・。
―――今は戦闘が始まる緊急事態だ。お前と言い争っている暇はない。だから城へ連れて帰る。それだけだ。それを忘れるな!!―――
あんな事を言いながらも、アンドリューのリディに対する決死の表情は、本物だと思う。
ここまでしておいて、易々リディを見殺しにすることなどないだろう。
アランを含めた人払いは、決して秘密裏にリディを始末しようなどという魂胆ではないはず―――
(そうだ。僕は何をバカなことを・・・。)
握った拳の内側が、汗ばんでいる。
一旦不安を感じると、それはどんどん膨らんでいく。
と、その時。
突如、前室の扉を激しく叩く音がし、アランは弾かれたように立ち上がった。