第40話:羽音に導かれて
総督府の跳ね橋を駿馬で駆け抜けながら、アンドリューは叫んだ。
「プラテアードが襲撃に来る!軍隊はすぐに戦闘態勢を整えよ!」
総督の命令により、見張りの兵士達、そして府内のすべてが一斉に動き出した。
軍靴の重い足音が、無数のさざ波のように木霊する。
ほどなくして、アンドリューの側近達の何名かが戻ってきた。
府内の中央広場に設けた作戦本部で、アンドリューを囲んで報告が始まった。
「群集は、森の手前で三手に分かれた。」
「ただし、騎馬隊は正面に集中している。」
「集まった数だが、2000人は下らないだろう。寄せ集めだが、侮れないな。」
「松明を手にしている奴も多い。あれを放たれると厄介なことになる。」
「群集の中には子供もいた。カタラン派の奴ら、性懲りもなく昔と同じことを繰り返すつもりかもしれない。」
アンドリューは頷いた。
「森を焼かれた時には、ただちに木を切り倒して延焼を防いだ方がいいだろう。」
「では、準備させておく。」
「頼む。」
アンドリューは続いて、軍部の司令官であるウエルパ将軍を呼びつけた。長く国王の城を護ってきた近衛隊隊長上がりのウエルパは、「王の親戚」という肩書のアンドリューには忠誠心が高い。
「大砲の準備に抜かりはないか。」
「もちろんです。いつでも火を点けられます。」
「敵は三手に分かれたが、率いる騎馬隊は正面切って向かっているそうだ。できるだけ双方共にダメージが深くなる前に決着をつけたい。ここまで歩いてきたような市民はなるべく傷つけず、森の外へ追い払うことを優先してくれ。」
「馬に乗った連中はいかがなさいますか。」
アンドリューは唇を引き締め、言い放った。
「騎馬隊とカタラン派の派首は全員殺せ。容赦はしなくていい。特に派首の首は切り落として、後日、村中の晒し者にしてやれ。」
「かしこまりました。」
ウエルパは手を胸に当て、深く頭を垂れた。
アンドリューは一通りの命令を終えると、再び馬に乗った。
「総督、どちらへ!?」
ウエルパが慌てて尋ねると、アンドリューは手綱を引いたまま答えた。
「偵察に行ってくる。」
「な・・・!何をお考えですか!?総督自らお出向きになられるなんて無茶です!」
「すぐに戻る。それに俺よりウエルパ将軍の方がずっと戦い慣れているではないか。俺が戻るまで、そなたに全権を委ねておく。」
「しかし、総督に万が一のことがあっては、私の首がいくつあっても足りません!」
「心配せずともすぐに戻る。とにかく、何があっても我が第四総督府を全力で護れ。プラテアードの奴らに、ジェードの本力を見せつけてやるんだ。いいな!」
アンドリューはそう言うと、鐙で馬の脇腹を思い切り蹴飛ばし、風のように走り出した。
アランを、探すために。
アンドリューが森の中を走り出してほどなく、一発の銃声を聞いた。
(何だ?)
突然森に響き渡った野鳥の羽音に、思わず空を見上げる。
この近くに人がいることに間違いはない。
鳥が向かった先と逆へ向かえば、そこへ辿りつくはずだ。
アランではないかもしれない。
いや、アランであるという可能性の方が低い。
だが、0.01%でも可能性があるなら、行くしかない!
アンドリューは銃声の方向へ向きを変え、走り出した。
アンドリューの強い思いが届いたのか。
またはアランの願いが叶ったのか。
それとも、これはリディとアンドリューの宿命なのか。
「そこに誰かいるのか!?」
アランは、ハッと顔を上げた。
その声。
一言だけで、誰だかわかる。
緊張の糸が、一気に緩んだ。
アランは、力の限り叫んだ。
「アンドリュー様!!」
互いに、夢ではないかと疑った。
アンドリューは馬に括り付けていたランプを取り外して、改めて声の方向へ翳した。
大木の陰に佇む小柄な青年の姿を見て、アンドリューは感嘆の声をあげた。
「アラン・・・!」
アンドリューは思わず馬から滑り降り、倒れこむように向かってきたアランの体を全身で抱き止めた。
「アラン・・!無事でよかった。」
「アンドリュー様・・・!ごめんなさい。本当に、勝手なことをしてごめんなさい・・!」
「無事ならそれでいい。・・・もう、いいんだ。」
アンドリューの頼もしい腕を実感して力が抜けるほど安心したアランではあったが、安堵するのはまだ早かった。アンドリューに早急に伝えねばならないことが二つある。
アランは、アンドリューの顔を見上げた。
「カタラン派が、第四総督府を襲撃しようと群集を連れてこちらに向かっています。」
「ああ。アランを探している時に気づいた。すでに戦闘態勢を整えている。大丈夫だ。」
「フレキシ派の一部も丸め込んで、相当の人数になってるみたいです。」
「そうか。とにかく、すぐに城に戻ろう。アランは休んだ方がいい。」
「アンドリュー様、もう一つお話があります。」
アランはそう言うと、自分の馬の方へ眼をやった。つられてアンドリューが明かりを向ける。
「・・・!?」
周囲が暗すぎて事態が呑みこめないアンドリューは、アランから離れ、馬に近づいた。そこには、腕に太い矢を刺したまま、ぐったりと馬の背にもたれている人がいた。
「これは一体どういうことだ?」
「実は、僕はカタラン派に捕らわれていたんです。それをこの人が助けてくれました。逃げる途中で、カタラン派の放った矢が腕にささってしまって・・・。手当をしたくて連れてきたんです。でも、馬が疲れて動かなくなってしまって、ここで往生していたんです。」
アンドリューは馬の鬣に埋まった頭をランプで照らし、その顔を確認して声を失った。
(どうして・・・!?)
アランは、懇願した。
「この人が誰かはわかりません。どうして僕を助けてくれたのかもわかりません。でも、この人がいなければ、僕はカタラン派の人質のまま絶対に生きて帰れなかったと思います。お願いです。もしこの人がプラテアードの人であっても、殺さないでほしいんです。助けてあげてほしいんです。」
アンドリューは、奥歯をかみしめた。
「お前、本当にこれが誰だかわからなかったのか。」
低い声で言われ、アランは怖くなった。
「暗かったので・・・。」
アンドリューの苦い表情を見たアランに、一つの考えが浮かんだ。
アランが知っているプラテアード人は限られている。しかも、直接関わったことがあるのは、ただ一人しかいない。
「まさか・・・。」
思い当った名前を口にすることができない。
アランは、唇を震わせた。
自分を助けてくれた理由が、やっとわかった。しかし、それを打ち消すようにアンドリューは言った。
「誰かわかったか、アラン。ならば、助けられないこともわかるな?」
「そんな・・!僕はリディがいなかったら、死んでたんですよ?」
「駄目だ。俺たちが殺さなければならない張本人だぞ!!」
アランは、首を振った。
「命の恩人です。このまま放っておけません。」
「命の恩人?それは違うな。所詮、アランに恩を売って、総督府内に潜り込もうという魂胆でもあったんだろう。」
「リディは、そんな卑怯な考えは持ちませんよ!」
「どうしてそう言い切れる?今のリディは、昔のリディとは違う。プラテアードの独立を担う革命家で、実質プラテアードの首長だ。どんな策を持って動くか知れない!」
「でも、リディがいなければ僕は確実に死んでいました。命がけで僕を助けてくれたのは事実です!」
「独立のためなら命さえ問わないのは当たり前だ。それに恩を感じてどうする!?」
アランは、眉をひそめた。
「じゃあ、僕の独断でリディを助けます。罰を受けてもいいです。どうせリディがいなければ助からなかった命ですから。」
アランの湖色の瞳が、アンドリューの蒼い瞳を呑みこむように強い光を帯びている。
アンドリューは、こんなに強気のアランを初めて見た。さっきまで、疲れて力なく自分に寄りかかってきたアランとは別人のようだ。
今まで、自分に逆らったことなどなかった。
いつまでも、幼い少年のままのように思っていた。
だが、そうではなかったのだ。
アランは馬の手綱を引っ張った。
馬は、嫌がって首を振りながらではあるが、少しずつ歩き出した。だが、アランの足の方は相変わらず思うようには動かない。
足を引きずりながら進もうとするアランの背を眺めながら、アンドリューは迷った。
マリティムからリディを殺せと命じられ、実行して失敗した。
それなのに、今度はその命を救えというのか。
アランがよろめきながらも必死に進もうとしている後ろ姿が、アンドリューの心を揺さぶる。
(アランは大事だ。何を差し置いても償うと誓った。・・・しかし・・・。)
マリティムに似た美しい容貌という理由だけで、王家の犠牲になったアラン。
アランの人生のすべてを、王家が奪ってしまった。
これ以上の苦しみも、痛みも、悲しみも、与えたくはない。
アンドリューは、走ってアランの前に立ちはだかった。
「・・・アンドリュー様?」
「プラテアードの人間がジェード総督府内に入ったら銃殺だ。わかっているのか?」
「どちらの国の人間かなんて印はないんです。アンドリュー様が黙っていて下されば大丈夫です。」
「ジェードに助けられたと知ったリディがどうするか、わからないぞ。」
「結果はどうあれ、僕の気持ちは決まっています。リディだろうと誰だろうと、命の恩人を救います。それだけです。」
「アラン・・・。」
「そういうの、バッツさんに助けられたアンドリュー様ならわかって下さると思っていましたが、違うのですね。」
「・・・!」
バッツの名を出されるのが一番つらい。
それをわかっていて、アランは敢えて口にしたのだ。
今と昔では立場が大きく違うと再び口にしても、アランを説得する切り札にはならないだろう。
アンドリューは睫毛を伏せ、やがて、決意の目を見開いた。
「今は戦闘が始まる緊急事態だ。お前と言い争っている暇はない。だから城へ連れて帰る。それだけだ。それを忘れるな!!」
アンドリューはそう言うと、アランの馬の背からリディを担ぎ上げ、そしてその流れのまま自分の馬にまたがった。
リディの片腕を自分の肩に回し、アンドリューの左腕はしっかりとリディの腰を支えた。
アランも、再び自分の馬に乗った。
「馬の調子はどうだ?」
少し歩いてみた限り、足取りは軽くなっている。アランは頷いた。
「軽くなった分、あと少しなら行けそうです。」
「そうか。では全力で飛ばすぞ。死に物狂いでついて来い!!」