第38話:リディの決意
間もなく、日が傾こうとしている。
結局、プリフィカシオン公爵一行がカタラン派の集落に近寄ることはなかった。
集まった民衆達の意気込みが、段々と、何もないことへの苛立ちや不満に変わりつつあるのが空気でわかる。
カタラン派派首ノキアにも、焦りの色が浮かんだ。これだけ大規模に呼びかけをしておきながら結局何もしないなどと、今更言えるわけがない。せっかくフレキシ派の一味さえ取り込めそうな雰囲気であるというのに、ここで引いたら求心力は一気に落ちる。はるばる集まった民衆の士気を燃え上がらせねば、自分の株が下がるというものだ。
そんなノキアにとって、アランは救いの神だった。
実のところ、アランがジェードにとってどんな存在でも、この際かまわない。例え、本当はプラテアードの小姓であってもいいのだ。。
ジェードと戦う名目さえ立てば、それでいい。
ノキアは、腹を決めた。
縛られ、馬上に座らされたままのアランの首元に剣をかざし、そして叫んだ。
「プリフィカシオン公爵は我々の動きを密偵に探らせ、この集落を回避した!我々は今、確実に公爵達を震え上がらせるだけの力があるという証拠だ!」
(よく言う)、とリディは心の中で舌打ちをした。
今までも、こうやって民衆を操ってきたのか。
そしてノキアは、意気揚々と宣言した。
「これで我々が見逃すと思ったら、大きな間違いだ!そうだろう!?」
血の疼きに耐えきれなかった連中は、ノキアの言葉に賛同の声を挙げた。
ノキアは調子を良くして、まくしたてた。
「この男は、まさに天の采配だ!俺は昔、ジェードの前国王に隠し子がいるという噂を聞いたことがある!現国王マリティムにそっくりだというのなら、この男こそ、その隠し子に違いない!!」
民衆の興奮は一気に高まった。
アランは隠し子ではない。だが、リディの口からそんなことは言えない。
その間にも、ノキアの声は高らかに響いた。
「こいつを人質にしてから金を引き出す!武器もだ!前国王の隠し子!こんなスキャンダラスな存在をジェードが放っておけるわけないからな!」
「いいぞ!」
「そのとおりだ!」
民衆の勢いこんだ声が、どんどんと膨れ上がる。
もはやそこは、ノキアの独壇場だった。
「皆の者!今から我々は第四総督府へ向かおう!人質との交換に応じなければ、その場で戦だ!」
「おぉーっ!!」
ノキアを湛える咆哮が、辺り一帯を埋め尽くす。
「恐れることはない!フレキシ派の手など必要ない!ここにいる仲間の数を見ろ!今からもっと近隣に村に呼びかけ、数を集める!我々は無敵だ!!」
それは、カタラン派の確かな復活の瞬間だった。
今やフレキシ派の言うことなど、連中の誰一人として耳を貸さないだろう。
彼らが崇めるのはノキア唯一人である。こうなっては、例えリディがアドルフォの娘であると正体を明かしても、一笑に付されるだけだろう。
自分の名が役に立たない。
こんな日が、こんなに早く訪れるだなんて。
いや、違う。
自分の名を過信し過ぎていた。
破格の賞金首だということで、プラテアードの主だと誰もが認めていると思っていた。
ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・コン・シュゼッタデュヴィリィエ
その名を告げれば誰でも平伏すだなんて、思い上がりも甚だしかったのだ。
苦い思いで、リディは更に様子を見守った。
ほとんどの者が歩きで総督府へ向かうことになる。目的地に到着する頃には、夜中になってしまうだろう。
だが、この勢い。闘争心。長い道のりもモノともしない高い士気は、天をも貫くようだ。
カタラン派の黒い旗を先頭に、ノキアと取り巻き30騎がアランの馬を取り囲んで進んでいき、その後ろから民衆が歩き出した。
民衆が歩くほどにその規模はどんどん膨らんでいき、道は人の手と武器で埋め尽くされ、波はやがてうねりへと変貌する。
その様子を見たキールが、リディの脇に近づいた。
「カタラン派を止めることは、もはや不可能です。この勢いでは、行く先々でフレキシ派の村人も巻き込んでいく恐れがあります。我々の仲間がこの戦に加担しない様、手分けして通達に回りましょう。」
リディは頷いた。
「そうだな。すぐに手配してくれ。」
「かしこまりました。」
キールが仲間と相談し、動き出すまでに、そう長い時間はかからなかった。
キールは手綱を引きながら、リディに言った。
「リディ様は先にアドルフォ城へお戻りください。私も、いくつかの街に立ち寄ったらすぐに後を追います。」
「わかった。」
キールが走り出すのを見送りながら、リディは別の思惑で心を固めていた。
リディはアドルフォ城ではなく、武器を持った民衆の後ろに馬をつけた。
今や、リディがフレキシ派であろうとなかろうと関係がない。共に第四総督府へ向かう意思があるならば、すべてが仲間という状況だ。
リディは、人質となったアランを案じていた。
カタラン派がフレキシ派と大きく違うのは、人を殺すことに抵抗がないということだ。
志という名目の下、小さな子供さえ平気で自爆の道具にする。それは、代が変わっても変わっていない。
おそらく、カタラン派の無茶な要求では交渉に決着などつかないだろう。ノキアも、ジェードが大人しく金を出すとは思っていないはずだ。アランは人質というより、戦いのきっかけになればいい存在にすぎない。カタラン派が武器を振り上げたと同時に、ジェードは容赦なく銃弾で応戦してくる。その時、人質としての価値のなくなったアランを、ノキアが無傷で解放するはずがない。
(今の私に、何ができるのか・・・。)
騎馬に乗ったノキアの取り巻きだけでも、30騎。一人で相手にできる数ではない。
民衆の数も、裕に1000を超えている。
だが、訓練を積んだ軍人を擁する第四総督府を相手にするには少なすぎる。
しかも、こちらは素人同然。ノキアは、どう戦うつもりなのか。
また民衆に爆弾を抱えさせ、自爆させようとでもいうのか。
1年前の戦いで、リディは地獄を見た。
独立のための戦いは、ある意味やむを得ないと思っていたが、現実は壮絶だった。
これだけの命を犠牲にしてまで独立を勝ち取る意味があるのかと、何度も自問自答した。リーダーになる自信がなくてソフィアを表に立たせた。その奥で、リディは書物を読み漁り、答えを探した。だが、どんなに難しい哲学も啓蒙思想も文学も、欲しい答えは出してくれなかった。
(無駄な戦いも、無駄な血も流させたくない。死体の山を踏みつけて前へ進むのはたくさんだ。戦いのきっかけさえ失えば、ノキアは諦めてくれるだろうか。)
リディは息を潜めながら、頭の中で策を練り続けた。
群集はやがて、草原の広がる道に差し掛かった。
右も左も見渡す限りの緑色が、沈みかけた太陽に照らされ、うっすらと茜色に染まってる。
すでに行列の長さは1kmになろうかというほど伸びていた。
これだけの人の波を超えて先頭の様子を窺う機会は、道が広がった今しかないかもしれない。
リディは馬に軽く鞭打ち、道から外れて草原の上を走り出した。
すぐに先頭は見えてきた。
アランの馬は、相変わらず騎馬隊に囲まれている。
(移動中は、手出しができないな。)
そろそろ、移動から3時間が経つ。
さすがに人々にも疲労の色が見え始めた。
次の村で食料や水を調達し、力を蓄えて一気に攻め込むはずだ。
それが最後のチャンスになるだろう。
アランを、カタラン派から奪う。
それがリディの出した結論だった。
村の存在は、教会の鐘楼が目印となって確認できる。
オレンジの洋瓦の屋根が連なる、割と大きな村だ。
村の中心には、休日に市場が立つ大きな広場があり、脇には幾つかの井戸があった。
ノキアはそこで馬を降り、村長と交渉して水や食べ物を調達していた。
この村の村長はフレキシ派であったが、ノキアの上手い口先にすっかり参ってしまったようだ。第四総督府に攻め入り、勝算が十分にあるのだというノキアの言葉に賛同し、できる限りの協力をするというような話をしているのを、リディは聞いた。
まだ10分以上は、ここに居るだろう。
そう確信したリディは、馬を降り、アランの様子を探りに行った。
広場の端。
アランの馬の脇に、一人の男が立っている。
それだけだ。
こんなところに敵がいるとは思っていないのか、「見張りに立ってる」というポーズだけなのが見え見えだ。
アランの腕を縛り上げている紐は、馬の胴体にくくりつけられている。あれを解いていたら、いくらなんでも、その間に見つかってしまうだろう。
リディは渇いた喉を必死で呑みこみ、これからの大事に高鳴る鼓動を抑えるのに必死だった。
馬ごと、奪う。
やるなら、今しかない。
リディは馬に乗ったまま、後ろから静かに、ゆっくりと近づいた。
見張りの男は、あくびをしている。
今だ!
リディはアランの座る馬の背に、飛び乗った。
驚いた馬が、前足を上げて嘶く。
見張りの男が驚いて振り向くが、もう遅い。
リディは振り落とされないように、しっかりと手綱を握りしめた。
裸馬も、暴れ馬も乗りこなす訓練を受けてきた。
鐙に足がかからなくても、馬がどんなに反り返ろうと、操るだけの技術がある。
「やあっ!」
馬の前足が地に着く時、見張りの男を蹴ったようだが、構ってはいられない。
リディは全速力で馬を走らせた。
「何事だ!!」
カタラン派の幹部が慌てて出てきたときには、すでにリディは広場から離れていた。
「追え、追えぇ!!」
ノキアの叫びが聞こえる。
リディは馬を走らせながら、アランを縛り上げている綱にナイフをこすりつけて、引きちぎってやった。そして、次に目隠しを外す。猿轡は固かったが、無理に引きちぎった。
「・・あなたは!?」
アランの問いに、リディは答える代わりに叫んだ。
「しっかり摑まって!!」
村を貫く一本道。
追いつかれたら終わりだ。
アランは、何が起こったか状況を掴めてはいないだろう。だが、事情を話している余裕はない。
「!」
後ろから弾が飛んできて、道脇の家の壁に当たる音を聞いた。
その音は、何度も、何度も、リディ達の脇を飛んでいく。
村を抜け、林に入ると、銃弾だけでなく弓矢も飛んでくるようになった。
追手が増えている証拠だ。
馬が嫌がって、首を振る。
その歩みが一瞬、止まった。
次の瞬間。
「くっ・・・・!」
リディの上腕に、一本の矢が突き刺さった。
鈍い音と共に、血しぶきがあがる。
それは、アランの目にも映った。
手綱が、リディの手から離れそうになった。
アランはとっさに手綱ごとリディの手を掴んで、自ら馬を走らせた。
アランは背にかかる重さで、その人の傷の重さを実感した。
痺れる足をかばってなどいられない。
この人がどういう了見で自分を連れだしたのかわからないが、今は逃げ切るしか道はない。
両足で鐙を踏みしめ、必死に飛び交う矢を振り切って走った。
突然林が終わり、視界が開けた。
が、その先にあったのは崖だった。
ここで止まれば、殺されるだけだ。
「そのまま僕の背にもたれていて!!」
アランは、リディの両腕と手綱をしっかりと掴んだ。
「はあっっ!!」
勢いをつけ、崖の急斜面を下っていく。
馬の足が滑り落ちていく。
銃弾が何発か飛んできた。
無我夢中で下を目指す。
ふと気づけば、周囲は先ほどの騒ぎが嘘のように静かになっていた。
崖を下り終えた頃には、左右にも、見上げた先にも、敵の姿はなかった。
アランは油断せず、切り立った崖に沿って馬を進めた。
一番星が輝きだしたころ、周囲に敵の姿がないのを確認し、初めて馬を止めた。
「大丈夫ですか?」
話しかけても、返事はない。
アランは馬を降り、後ろの人の姿を、そこで初めて見た。
星明りはまだ暗く、顔の細部を確認することはできない。
明らかなのは、矢が刺さったままの腕。恐ろしいほど腫れ上がっている。
矢を抜けば、大量に血が噴き出すかもしれない。
初めて目の当たりにした痛々しい傷に、泣きたくなった。
薬も、水もない。
止血という方法を知っているが、こういう場合に適切かどうかわからない。
アランは躊躇し、そのままにすることにした。
しかし、一刻も早く本格的な治療を施さねばならない。
今のアランにできることは、ただ一つ。早急に第四総督府に帰ることだ。
星の瞬きは、アランに正確な方角を教えてくれた。
西へ、
西へ。
ひたすら西へ、進むだけだ。