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第36話:アンドリューの計画

 プラテアードの西側にあるジェード第四総督府は、広大な湖の中央に浮かぶ島である。

 島の周囲は頑丈で高い壁で固められ、壁に開けられた小さな穴からは、常に銃口が外へ突き出ている。

 湖の対岸に8か所の監視所が設けられ、通常は各々2名ずつ近衛兵が見張りをしている。

 島からは三方向に巨大な跳ね橋がかけられており、必要に応じて降ろされる。

 島とはいえ一つの村程度の広さがあり、中央に城、周囲に数件の屋敷、畑、漁場がある。湖の周りは深い森であり、近くに丘もなく、遠くから中の様子を見張ることは不可能だった。

 マリティムが国王になり、アンドリューが名ばかりの総督になって三か月。

 命ぜられた使命はただ一つ、プラテアード王家の忘れ形見の暗殺。

 すなわち、リディの殺害だ。

 かつてエンバハダハウスの住民だった男達が、プラテアード中を駆け回って探している王位継承者は、彼らも見知っているリディだ。

 だが、それは言えない。

 リディは、アンドリューの身分を側近のキールが口外したら始末するとさえ言って、その秘密を守ることを約束してくれた。アンドリューも、約束をした。だからアランやレオンを始め、エンバハダハウスの住人の振りをしていた仲間全員が、リディがフレキシ派のリーダーであることは承知していても、プラテアード王女であることは決して知らない。

 仲間に無駄足を踏ませていることを百も承知しながら、しかし、言えないでいた。


 領土の偵察は、アンドリューの提案で実現した。

 危険すぎるとアランフェスが叫ぶと、アンドリューは穏やかに諭した。

「もちろん、策がある。今回の偵察の目的は、プリフィカシオン公爵がどんな奴かということを領土の民に見せつけてやることだ。そして、民衆の目が公爵一行に向いてる間を利用して、俺は別の場所を偵察しようと考えている。」

「直にプラテアード王家の忘れ形見を探しに行きたいということか。」

 腕組みをしながら尋ねるレオンに、アンドリューは頷いた。

「そうだ。これから俺が自由にプラテアード国内を動き回るためにも、ダミーを仕立てるのは必要なことだ。・・・で、申し訳ないが。」

 アンドリューはレオンの隣の細身の男を見た。

「ネイチェル、お前に頼みたい。」

 ネイチェルと呼ばれた男は、眉を歪めて

「また、俺?」

 と不機嫌な声をあげた。

「お前しかいないだろう?お前は昔から変装の名人だ。今回も、思い切り厳めしい風貌のプリフィカシオン公爵になりきってくれ。」

「まあ、王子の頼みじゃ断れねぇけど・・・。」

 アンドリューは、小さく笑った。

「昔みたいに女装でもいいが?面白いぞ、プリフィカシオン公爵は実は女だった、だなんて噂がたつのも。」

「冗談だろう?もう嫌だぜ、この歳で女装すんなんて。」

「40近くてもネイチェルは大丈夫。昔通り、金髪の美女で通るさ。何せリディは、ネイチェルが女装してレオンと話してるのを見て、本気で恋人同士だと勘違いしていたからな。」

 思わずリディの名を出してしまったことに、アンドリューは口を噤んだ。

 エンバハダハウスの住人で、ハンスと共に玄関掃除をしていた健気な少年を敵とみなさねばならないことに、誰しもが戸惑いを感じている。リディの名に触れないよう、皆が気を遣っているのを知らないわけではなかったのに。

 その気まずさを、レオンが破った。

「とにかく、今は王家の生き残りを探すことが先決だ。リディのことは、とりあえず置いておいてもいいだろう。向こうも偽物の『アドルフォの娘』を仕立てているんだ。しばらくはそれに騙された振りをするのも悪くない。」

 アンドリュー以上に、リディと関わりを持っていたのはレオンだ。いかに最高額の賞金首でジェード最大の敵とはいえ、殺すには割り切れない部分もあるのだろう。

 アンドリューは、作戦を続けた。

「ネイチェルを中心に、周囲を近衛兵に囲ませる。アランフェスは、留守番。後の者は手分けして村や町で情報集めだ。」

「王子は?」

「俺も、もちろん行く。」

「では、誰か一緒に・・・。」

「いや、俺は一人でいい。人手が足りないくらいだ。無駄な人員は配備できない。」

「王子一人だなんて、駄目です!」

 アランが叫ぶと、他の者も全員頷いた。アンドリューは自由にプラテアード領内を見て回りたかったのだが、自分の立場を考えれば仕方のないことだと了承した。

――― お前はこれから、次期国王になるべく今まで以上に自愛せねばならない。お前の周囲を何人犠牲にしようとも、生き残らねばならないのだ ―――

 マリティムの言葉を思い出す。決してアンドリュー自身のためなどではなく、すべてはジェード王国存続のための忠告。

「あまり大勢ではかえって目につく。あくまでプラテアード国民のような風体で動く。二人で十分だ。俺についてきてくれ。」

 こうして、新総督お披露目領土視察計画が練られた。

 視察ではあるが、プラテアードの民衆にとっては「偵察」になるだろう。

 下手な暗殺計画など考えられないよう、偵察のことは朝一番で、アドルフォ城へ電報を打った。この電報は、ジェードの4つの総督府同士が情報伝達のために設置していたものであった。第三総督府がプラテアードに陥落されても、電報機器だけは残しておいてある。それを、アンドリュー達は利用した。

 


 長い一日だった・・・と、思う。

 黒髪の重いカツラを机の上に放り投げ、アンドリューはシャツの襟元を緩めた。

 ベッドに身体を投げ出し、花の彫刻が施された金箔の天井を眺める。

 色々考えなければならないとは思うが、頭がそれを拒否するかのように動かない。

 自分が何をしたのか、もう一度思い返さねばならないのに。

 村から村を彷徨っていたアンドリュー達は、落ちかけた太陽を見て、そろそろ引き返そうと思っていたところだった。

 そんな折、どこかから馬の小さな嘶きが聞こえてきた。

 大勢で近づけば気づかれてしまう。

 アンドリューは供の二人をその場に待たせ、自分の馬も預けて歩くことにした。

 静かに道を進んでいくと、すぐに小川のせせらぎが聞こえ、木立の間から川原で顔を洗う人の後ろ姿が見えた。

 川岸の上から目を凝らして見ているうちに、白い横顔が見えた。

 華奢な身体だと思っていたら、それはやはり女だった。

 そして、その紅茶色の瞳を見たとき、アンドリューの身体に激震が走った。

 少し上向きの鼻。

 僅かに突き出た、苺色の唇。

 丸い顎のライン。

 柔らかな、茶色の髪。

 かつて、焚火の炎の向こうに見た大人びた表情が、今、そのまま大人の女の横顔になって再現されている。

 ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・コン・シュゼッタデュヴィリィエ

 しかしてその正体は、プラテアードの王女!

 こんなに早く姿を目にするとは思っていなかった。

 因縁なのか、宿命というのか。

 マリティムに与えられた使命を果たすことが、期せずして適うのだ。

 額に紋章がなければ見逃しても良いと、マリティムは言った。だが、残念ながらリディの額に藍色の紋章が浮かぶことを、アンドリューは知っている。

 色々考えれば、殺せなくなる。

 理屈や納得のいく説明を欲しがれば、使命など果たせない。

 アンドリューは、腰にさした銃を手に取った。

 そして、ゆっくりと構える。

 乾いた草をうっかり踏み倒した音を合図に、リディがこちら向いた。

 その瞳は、すぐに、自分がアンドリューであることを確信したかのように見えた。

 しかし、怯みはしなかった。

 次の瞬間には、アンドリューは思い切り引き金を引いていた ―――


 弾は、リディの頬をかすめただけだった。

 それを承知で、その場を離れた。

 二度目を発砲する間にリディの仲間が現れたら面倒なことになる。

 待たせていた二人と合流し、すぐに馬に飛び乗った。

 あれぐらいでは、死ぬことはないだろう。

 そう思うと、アンドリューの胸の中は行動とは裏腹に、安堵の気持ちでいっぱいになった。

(俺だとわかっても逃げようとしなかったのは、やはり、撃たれるとは思わなかったからだろう・・な。)

 しかし、アンドリューははっきり敵とみなした。

 ジェードの安寧を脅かす存在は、消さねばならない。

 アドルフォの娘であろうと、プラテアード王女であろうと、どちらでも!

(駄目だ、リディ。ジェード国の人間にとって、お前は絶対的な敵なんだ。ジェードの人間を見たら、例え俺でもアランでもレオンでも、逃げるか倒すかしなければ、生き残れないんだぞ。)

 だが、リディを殺しきれなかったのも事実だ。

 軍で鍛えたアンドリューの銃の腕は、かなりのものだ。たかだか50m離れた場所の的を外すなど、考えられないことだった。

 なのに、心臓を撃ちぬけなかった。

 それは、やはりアンドリューの心の中にも、迷いがあったからなのだろう。

(俺も・・・敵とみなしきれなかったというのか・・・。)

 長い前髪をかきあげ、額を手の平で覆った。

 これから、どうすればいいのだろう。

 リディと会うたび、どちらか死ぬまで同じことを繰り返すというのか。

 そんなことをしている間に、リディがプラテアード王女であることがどこかから漏れるかもしれない。

(そうだ。あの男・・・。)

 7年前、プラテアード王妃の最期を語っていたカタラン派の男はどうしただろう。

 あの時カタラン派は全滅の危機にあったというが、生き残りもいて、未だ小さな集落を築いているという。あの男は死んでいるかもしれないが、男の話を覚えている人間は生きているかもしれない。

(だが、今の俺にそれを確かめる術はない。)

 閉じた瞳の奥に、リディの紅茶色の瞳が思い出された。

 倒れながら、その瞳が揺らいでいた気がする。

 あの距離で、そんな所まで見えたはずはないのに、まるで見えたかのように思い浮かぶ。

 倒れながら、リディが自分に向かって訴えかけていた。

 ――― どうして? ―――

 そんな風に聞こえた気がする。

(これでわかったはずだ。俺は敵だということを。)

 あんなところで無防備に一人でいるなんて、意識が低すぎる。

 自分の価値を、もっと認識しなければいけない。

 だが、それはアンドリュー自身も同じことだ。

 もっと、自分の立場に徹しなければならない。

 

 マリティムは、リディ暗殺のためにアンドリューを第四総督の地位に据えたにすぎない。だが、一人を殺すためだけには勿体ない立場だ。理由はどうあれ、プラテアード国土四分の一の領主である。将来、真に国王となる日が来るならば、この四分の一で自分の力を試してみたいと思っていた。さらに、プラテアード国民を試す、いい機会だ。


 アンドリューは、かつてエンバハダハウスにいた側近11名を呼び出した。

 無論その中にはレオンもアランもネイチェルもいる。アラン以外は皆アンドリューより5歳以上年上。アンドリューを少年の頃から知っているせいか、半数はタメ口で話す。

 狭い会議室に頭を寄せ合い、アンドリューは言った。

「総督としての仕事をしようと思う。俺は俺なりの自治をする。その手始めに、第四総督府が統治する領土の税を20%減額する。」

「その目的は?」

 レオンがすかさず訊いた。

「それで領土内の国民がどう動くか見たい。今の税が重すぎるのは事実だ。だから不満が溜まって暴動が起きる。ジェードは奪うだけでプラテアードを護っていない。プラテアードを独立させる意思が国王に無い以上、特段の配慮はしてはならないが、減税くらいは必要だ。その結果、どういう態度にでるか見たい。」

「単独で動くと、他の総督から文句が出るんじゃないか。」

「言わせておけばいいさ。俺が動きやすいように、マリティムはわざわざ『新第四総督は王家の親類』という頭書きをつけてくれたんだ。何かあれば国王の後ろ盾を笠に着ればいい。」

 アンドリューはネイチェルを見た。

「減税のおふれの後、再び総督視察を実施する。有難がって頭を下げるなんてことは期待していないが、少しずつ気持ちが緩めばと思っている。」

 ネイチェルは頷き、

「それは構わんが、どうだろうな。プラテアードがジェードを恨む気持ちは半端じゃない。減税も罠か御機嫌取りくらいにしか思わないんじゃないのか。下手をすれば、なめられるぞ。」

「そうかもしれない。」

 アンドリューは、まっすぐ前を見据えた。

「そういうのも含め、全部見たい。ジェードがプラテアードを恐れているのは確かだ。だから必要以上の締め付けを続けた。その結果が第三総督府陥落だ。このままプラテアードの資源を利用して富を得たいのならば、プラテアード国民が命を賭けてまで独立する必要があるのかと思うように、適度な締め付けと恩恵を同時に与える必要があると思っている。プラテアードの傷が深いのは承知している。だから少し試して様子を見て、また次のことを考えたい。・・・協力してくれないか。」

 その言葉に、みんな口々に言った。

「どんな命令でも、やるに決まってる。協力だなんて、水臭い。」

「王子のために我々はいるんだ。そのために、ずっと一緒に暮らしてるんじゃないか。」

 アンドリューの隣にいたアランも、意気揚々と発言した。

「僕も、次の視察にはお供させてください。」

 反対されるだろうと思ったアランは、更に言葉を繋いだ。

「馬には一人で乗れますし、今のプラテアードの暮らしを見てみたいんです。ご迷惑はかけません。」

 アンドリューは、優しくアランを見た。

「アランが迷惑をかけるなんて、誰も思っていないさ。だが、アランは目立ちすぎる。」

「この金髪がだめなら、アンドリュー様みたいにカツラをかぶります。」

「・・・アランは、駄目だ。」

「なぜ!?」

「アランの使命は、いざという時にマリティム国王の身代わりになったり、前国王の隠し子という噂の隠れ蓑になることだ。その役割は重い。わかるな?」

(アンドリュー様の方が役割が重いくせに・・・。)

 その不満を口の奥に残したまま、アランは引き下がるしかなかった。

 そんなアランのひどく落ち込んだ様子を見て、アンドリューは「仕方がないな」とため息ばかりに呟いた。

「栗毛色のカツラを用意させよう。それでいいか?」

「本当?」

 アランが身を乗り出すと、アンドリューは言った。

「一人で行動しないこと。やむを得ず仲間と離れる時は必ず居場所を告げること。危ないと感じたら戦わず逃げのびることを優先させること。いいな。」

「はい!」

 レオンはアランの髪をくしゃくしゃに撫でながら

「アンドリューは昔からアランには甘いよな。」

 と仲間と一緒になって笑った。

 国の思惑はともかく、アランが大事なのは当然だ、とアンドリューは思う。

 いったい誰のために、アランは足を痛めたと思っているのだ?

 アランには、一生をもって償い続けねばならない。

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