第35話:訣別の銃声
馬を走らせながら、ソフィアは苦い疼きを感じていた。
時折見せる強気なリディは、亡きアドルフォを彷彿とさせる。
先々まで見通し、澱みなく命令を発する潔さ。
あの、宙に腕を振りかざす仕草。
亡き父を意識して真似ようとしているのではない。常に近くで見聞きしていたからこその自然なモデリングなのだろう。
(実の親子でないのだから、遺伝ではない。でも・・・私はリディに、アドルフォ様の面影を見てしまう。)
当然、顔かたちが似ているわけではない。性別の差もある。
だが・・・
ソフィアは、首に巻いたアドルフォの形見のスカーフに、そっと触れた。
これを使うように言ったのは、リディだ。
しばらく、表に立って仲間を束ねるようにと言った。
リディの真意はわからないが、死ぬほど愛していたアドルフォの形見を身に着け、アドルフォと同じ地位に就くことは、感慨深いものがあった。本当は「アドルフォの娘」という位置づけではなく、「アドルフォの恋人」と呼ばれたいところだが、そんなソフィアの微妙な女心は、誰の知るところでもない。
一方、リディは一人、林を駆け抜けていた。
アドルフォ城から2時間はかかる採掘現場も、プリフィカシオン公爵のいる第四総督府からならば一時間とかからない。
もう、日が大分高くなってしまった。
馬には可哀想だが、頑張ってもらわねば。
だが、走り続けるだけが能ではない。
一度は小川を見つけて馬に水を飲ませ、再び走った。
近道よりも、多少遠回りでも走りやすい道を選び、馬の足を気遣った。
その甲斐あってか、リディが村に着いた時には、皆何事もないように採掘準備をしているところだった。
リディは馬上から叫んだ。
「第四総督が領土偵察に来る!今日の作業は中止してください!!」
すぐに、村長がリディの元へ走ってきた。
「つい先ほど、早馬から知らせを受けました。今日の作業をどうしたものか迷っていたところです。」
「総督がここへ立ち寄るかはわかりませんが、見つかれば一大事です。私は洞窟の中の人達に声をかけます。村長は、女子供衆に外へ出ないよう命じてください。」
「承知しました。」
表向き、この村は麦を育てて生計を立てていることになっている。
男たちはすぐに洞窟から離れ、普段は女たちが面倒を見ている麦畑で農作業をしている風を装わねばならない。
採掘の道具などは、常に洞窟の奥に隠してある。男たちは機械をすべて確実に停止し、洞窟を少し覗いたくらいではわからないよう、道具すべてに黒いぼろきれを被せた。
全員が洞窟の外に出たことを確認し、入り口の周囲の足跡を砂利を散らして隠した。
すぐに男たちを畑に行かせ、リディは再び馬に乗った。
「私は周りを見てきます。総督が見えたら、知らせに来ますから。」
村長は不安げにリディを見上げた。
「お一人では危険です。新しい総督がどのような方か、まだわからんのですよ。乱暴者で、鞭を振るったり、剣を振り回すのが好きな方かもしれません。」
「それは承知しています。気をつけますから、大丈夫です。それより、村長。昨日までのブルーアンバーは、いつもの場所に隠してありますね?」
「もちろんです。あれを巻き上げられては元も子もありません。1か月後の取引までしっかり管理します。」
「頼みます。プラテアードの独立は、この村の働きにかかっているのですから。」
そう言うと、リディは鐙で馬の腹を力強く蹴り上げ、走り出した。
正直なところ、リディは新総督であるプリフィカシオン公爵の顔を見たいと思っていた。
遠目からで、構わない。
近衛兵に囲われた隙間からでいい。
横顔を、一瞬だけでも見られれば、わかる。
それが、アンドリューかどうか。
7年経って、どれほど変わっているかわからない。だが、あのプラチナブロンドは決して変わらないはずだ。
村の周囲をぐるりと回りながら、リディは隣の村へ寄り公爵一行が来なかったかを尋ねて歩いた。だが、それらしい一行は影すら見えない。
(どのルートかわからないし、第四総督府の領土は広い。主要な街を通るだけで丸一日はかかる。この辺の村は辺鄙な所だと思っていてくれれば、来ないのだろうが・・・。)
一番近い街へ行けば、村から離れすぎる。
その間に村に危機が訪れても、助けに戻れないだろう。
リディは村の安全を優先させるしかなかった。
プリフィカシオン公爵の素性を調べる必要がないとソフィア達に言った言葉は、リディ自身に言い聞かせる言葉でもあった。
手綱を引き直し、リディは再び村へ戻った。
もう、午後三時をまわっている。
公爵一行が来ない可能性が高まったと感じたリディは、村長と二つ三つ話をして、馬を休ませるため、村外れの河原へ向かった。
白いさらさらとした川砂を踏みしめ、小さな流れを見つけて馬を降りた。
馬に水を飲ませながら、リディ自身も川のきれいな水で、汗と埃で汚れた顔を洗う。
エメラルド色の神秘の色も、リディの手の内では、ただの透明の色になってしまう。
そのまま口に流し込み、毀れた水を手の甲で拭った。
この時、リディの緊張の糸は少し緩んでいた。
朝から張りつめっぱなしの神経が、夕方になって疲れてきたこともある。
いつもキールとバッツに仕込まれていた「周囲への注意」が、明らかに欠けていた。
後ろから、自分を凝視する視線に少しも気づいていなかった。
カサッ
ほんの少し、草を踏みつける音が耳をかすめた。
次の瞬間、リディの鍛え抜かれた反射神経が呼び戻された。
振り向いたリディの視線の先にあったのは、川岸の上方。木立の間に立つ人影だった。
50mくらい離れていたが、目を凝らして懸命にその姿をとらえようとした。
そして、リディが人影の髪の色と、瞳の色を確認した次の瞬間。
ダー ・・・ ン
目を大きく見開いたリディが仰向けに倒れながら見たのは、青い空に一斉に羽ばたく白い鳥の群れ。
しかし、それより前に見た男の顔が、リディの瞳を閉じさせた。
どうしてだろう?
男の顔が、アンドリューに見えただなんて。
会いたいと思ったから、幻を見たのか。
そしてその幻が、自分を撃ったのか。
遠のく意識の中で、リディは涙が頬を伝ったことだけを感じていた。
リディは、誰かが喧嘩するように会話をしているのを聞きながら、意識を取り戻していった。
ゆっくりと目を開くと、見慣れた天井が見えた。
そして部屋の隅で、ソフィアとキールが激しく言い争っている様子を目にした。
「ほんっとうに自覚がない娘だわ!お兄さんの忠告を無視して一人で行動して、このザマよ!」
「そんなことより、誰に狙われたかの方が問題だ。リディ様がアドルフォ様の娘であることは、まだ公にしていないんだぞ。」
「そんなの知らないわよ!第一ジェードの奴らなんて、プラテアードの人間は犬猫以下だと思ってるんだから、誰彼構わず撃ち殺したって不思議はないわ。」
不意にキールが、リディのベッドの方を一瞥した。
そして、リディが目を覚ましたことに気付くと、すぐに駆け寄ってきた。
「よかった・・・!気づかれましたね。」
「・・・私は、どうしてここに?」
「リディ様の馬が村人の所へ知らせに走ったのですよ。リディ様は気を失っておられましたが、幸い銃弾は頬をかすめただけでした。ショックで気絶しただけですから、大丈夫です。」
頬を撃ち抜かれただけで、倒れて気絶してしまうものなのか。
いや、違う。
気を失ったのは、銃で撃たれたからではない。
河原での一部始終を一息に思い出したリディは、布団で顔を隠して言った。
「すまないが、一人にしてくれないか。」
「もうすぐ、ジロルド様が診察に見えますよ。それに、何か召し上がった方が。」
「後にしてもらってくれないか。・・・頼む。」
それを聞いたソフィアが、憤りを露わにした。
「どこまで自分勝手なんです?今回のことで、どれだけの人が心配して、迷惑かけたかわかってらっしゃるんですか!?」
その言葉に、キールが答えた。
「当り前だろう?さあ、出て行こう。リディ様のご命令だ。」
ソフィアの背を強引に押しながら、キールは扉の閉まる音と共に消えた。
それを確認するや否や、リディはもう一度、記憶を手繰り寄せた。
あの時、木立の間にいたのは、若い男だった。
そして髪の色は、黒だった。
それはいい。
だが、瞳の色。
蒼い、冷たい眼差し。
それを確認した次の瞬間、撃たれたのだ。
髪は、記憶にあるアンドリューのものとは違っていた。
だが、近くで覗き込んだことのある瞳の色は、遠目だというのにはっきりと見て取れた。
顔のすべてを見た。
あの鼻の形、唇の形、顔の輪郭、肌の色、肩のライン、足の開き方・・・
一瞬の間に、リディはすべてを目に映した。
それは思い込みでもなく、幻でもなく、今思い返して尚、確信する。
髪の色が違おうが、髪型が違おうが、間違いはない。
アンドリュー・プリフィカシオン・ディア・ジェード
アンドリューは、リディがアドルフォの娘であることを知っている。
ジェード国民すべてにとって、リディは大いなる敵である。
殺す理由は、リディが「アドルフォの娘だから」で十分だ。
心臓を撃ちぬかれなかったのは、運が良かったに過ぎないのだろう。
その後、止めを刺しに来なかったのは、リディが倒れて死んだと勘違いしたからだろうか。
リディの唇が、小刻みに震えた。
(アンドリューが、私を、殺そうとした・・・。)
そんなこと、百も承知していたではないか。
アンドリューとは宿敵同士だと、知り合った瞬間からわかっていたことではないか。
なのに、こんなにショックを受けている。
それは、アンドリューが自分を殺すわけがないと、どこかで思い込んでいたからだ。
例え自分が賞金首であっても、知り合いだから殺さないだろうなんて思い込みがあったのだ。
――― 俺が国王になった時には、這い上がってでも辿り着け。・・・待ってる。―――
そう言ったアンドリューが、自分を殺すわけがないと箍を括っていた。
リディは、苦し紛れにシーツを掻き毟った。
何を根拠に、そんな風に思っていたのだ?
あの言葉は、七年も前の言葉。
当のアンドリューさえ、そんなセリフ忘れているかもしれない。
それに、立場も変わった。
本当に第四総督の地位に就いたのなら、どんな理由にせよ、影から表の世界に関わることになったということだ。昔のままのアンドリューでいられるわけがない。
アンドリューは、あの時、確かに自分を見ていた。
成り行きや、誰でもいいという撃ち方ではなかった。
はっきりと敵と見なして、狙って撃ったのだ。
リディの瞳から涙があふれた。
そしてその涙は、どうしても止まらなかった。
声を押し殺して泣くのがリディの泣き方だったが、今回ばかりは時折声を上げずにはいられなかった。
エンバハダハウスの日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
七年前の満月の夜が、胸の奥を突き破る。
プラテアード王女と知って取り乱した自分を抱きしめてくれた記憶が、壊れていく。
リディは、自分が哀れだと思った。
七年経っても、何も忘れることができないでいたのだ。
あの時、溢れないように封印した想いが、時を経て今、吹き出しそうになっている。
殺される所だったのに、そんな経験をして、再び心に火がつくなんて、どうかしている。
自分を殺そうとした男を愛しているなんて、どうかしている。
部屋の外の廊下で、キールは悪いと思いながらも中の様子を窺っていた。
ソフィアだけは遠くにやったが、キールはリディのことが気にかかって仕方なかった。
リディが声をあげて泣くなんて、初めて聞いた。
敵に狙われたのは、初めてのことではない。
銃弾を受けたことも、初めてではない。
なのに、ここまで衝撃を受けているには、何か大きな事情があると睨んでいた。
実は、キールとソフィアは、カタラン派と共にプリフィカシオン公爵一行を目にしていた。
道の脇で馬を降り、頭を下げながら、その存在を目の当たりにした。
中央で兵士に囲まれた「公爵」らしき男は、顎鬚を蓄えた、40過ぎくらいの痩せた中年男だった。プラテアードの民衆などに興味はないといった風で、供を数十人連れて去って行った。
「なんだか、存在感のない男だったわね。」
ソフィアの言葉通り、キールは、今見た男は公爵のダミーだと確信した。
本物は、別にいるはずだ。
今日の偵察は、偽物の公爵を披露するためのデモンストレーションだったのだろう。
リディが本物のアドルフォの娘だということを知っているジェードの人間は、エンバハダハウスの住人のほぼ全員だ。彼らなら、リディを狙ってもおかしくない。
そして、公爵が王家の遠縁だという話。
(まさか、プリフィカシオン公爵は、アンドリュー殿・・・?)
プラテアードで、アンドリューが王子である事実を知っているのはリディとキールだけ。
(リディ様は、公爵がアンドリュー殿であると疑っておられるのだろうか。)
リディが何かにショックを受けているだとすれば、その線しか思いつかない。
アンドリューでなくても、エンバハダハウス時代の見知った顔に撃たれたのかもしれない。
キールは苦しい吐息を漏らし、部屋から離れた。
しばらく、リディをそっとしておこうと思った。