第34話:アドルフォの娘
プラテアードに陥落したジェード第三総督府は、独立運動の拠点へと変化を遂げていた。
第三総督府は10の村を支配していたが、もともと資源のない荒地であったため、ジェードに左程ダメージを与えたとはいえない。だが、例え少数でもジェードの支配から逃れたという事実は、プラテアードの国民に多大な喜びと力を与えた。これらの土地はプラテアードのものとなり、第三総督府内の小さな城は、伝説の独立運動家の名をとって「アドルフォ城」と呼ばれるようになった。周囲を守るのは、かつてプラテアード王立軍だった生き残りの兵士達。今、彼らが守るのは、現フレキシ派の派首、ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・コン・シュゼッタデュヴィリィエである。
城の一番奥の部屋で、リディは一人本を読んでいた。
壁一面を埋め尽くすのは、すべてアドルフォが読んでいた本だ。哲学や啓蒙思想、経済、地理、医学・・・。言葉の理解に時間がかかり、10代の頃は1冊読み終わらないうちに嫌になってしまったものだが、今は大分慣れてきた。
リディの髪は相変わらず肩の上で切りっぱなしだし、化粧もせず、白シャツにぶかぶかの男物のズボンの裾を長ブーツの中に押し込んで履いているが、今は女であることを隠してはいない。
そこへ、扉をノックする音が聞こえた。
リディは本から顔を離すことなく、「入れ。」と答えた。
この部屋へ入れる人間は、限られている。側近中の側近、キールと妹のソフィアのみだ。
その日は珍しく、二人がをそろえて中に入ってきた。
「リディ様。新しい情報が入りました。」
キールの横にソフィアが立ち、二人をリディが見上げた。
「このたび、第四総督府の総督が変わりました。」
「あの、近衛隊が多く駐留している・・・?」
「はい。そのせいか、新しい総督は王家の遠縁だそうです。名は、プリフィカシオン公爵。」
「!?」
リディは、全身を雷で撃たれたかのような衝撃を感じた。
プリフィカシオン。
それは、アンドリューが一度だけ告げた本名の一部。
一度しか聞かなかったが、決して忘れはしない。
何年経とうとも、忘れられない名。
アンドリュー・プリフィカシオン・ディア・ジェード
これは、偶然なのか。
口を開くと震えを悟られそうで、リディは何も返事をしなかった。
そこへ、ソフィアが口を出した。
「聞かない名だわ。何者なの?」
「わからない。大方、地位だけの能無し貴族だと思うが。」
「調べてみる価値はあるでしょう。・・・そうですわよね、派首?」
カタラン派がほぼ壊滅状態にあるとはいえ未だ存在する以上、フレキシ派のリーダーのリディが、一国のリーダーのような顔をすることは許されない。かつてのアドルフォは、いくつもあった派閥をすべてまとめあげる手腕とカリスマ性に富んでいたが、今のリディには、そこまでの魅力も能力もあるわけではない。だから、とりあえずフレキシ派の「派首」に納まっている。
リディは、ソフィアを凝視した。
プリフィカシオン公爵がアンドリューかどうか確かめたい気持ちが溢れだしそうだが、アンドリューとわかったからといって、どうするわけでもない。特にソフィアは、バッツの死の原因をアンドリューだと思っている。例え何年経とうと決して許すはずもなく、正体を知ったが最後、アンドリューの胸に刃を突き立てるだけだ。
リディは自分を落ち着かせるように一度息を吐き、それから言った。
「・・・いや。調べることはない。」
「なぜです?敵を調査するのは当然のことです。」
「相手が何者だろうと、我々の次のターゲットは第四総督府に変わりはない。例えどれほどの強者であろうと平伏させるだけの計画が必要なことにも変わりはない。だったら、余計な人員を割く必要はない。」
「そう、ですか。」
ソフィアの頬が怒っている。
リディの言葉に納得しない時は、いつもこうだ。
そんなソフィアに、リディは強く言い返すことはしない。
ソフィアが何に苛立っているか、わかるからだ。
「ところで、」
リディは気持ちを切り替えるように本に栞をはさみ、机に置いた。
「最近、こういう噂をよく耳にする。『アドルフォの娘は絶世の美女である』とな。」
ソフィアは唇の片端を持ち上げ、皮肉っぽく笑った。
「だから、なんです?」
「敵に写真を撮られたりしてはいないだろうな?私のダミーとはいえ、そこまで存在を誇示する必要はないのだぞ。」
「それは、私の身を案じてくださってるのかしら?それとも、私がこのままリディ様の代わりに仲間を率いていくことを恐れているのでしょうか?」
「ソフィア!言葉が過ぎるぞ!」
キールが怒鳴ると、リディがそれを制した。
「いいんだ、キール。・・・ソフィアが気を付けてさえくれれば、それでいい。」
二人が部屋を出ていくのを見届けて、リディは窓辺に立ち、曇りがかったブルーグレイの空を眺めた。
今はまだ、リディは表舞台に顔を曝していない。
ソフィアがアドルフォの形見の藍色のスカーフを巻いて、「アドルフォの娘」のような顔をしている。そして仲間に指揮し、キールと共に1年前の暴動を成功させた。
リディはこのまま、ソフィアとキールが独立運動を率いてもいいと思っている。
民衆が求めているのは独立運動の王の娘であり、リディ自身ではない。ソフィアをアドルフォの娘と信じて皆が崇めるのならば、それでいいと思う。どうせ、アドルフォに娘などいないのだから、誰が娘の振りをしようと構わないはずだ。
だが、それを口にした時、自分はどうなるのか・・・とリディは不安になる。
アドルフォの娘だから、バッツもキールもソフィアに対し、偉そうに指図してきた。
それがすべて偽りとなったら、自分の存在意義はどこにいくのか。
プラテアード王女などといったって、王室は既に存在しない上、唯一の証拠である紋章を民衆に見せることが許されないのだから、証明する術もない。
いつ、表舞台に出るべきか。
リディは、そのタイミングを掴めずにいる。
大勢を束ねる自信を持つか、表に出ざるを得ない事態に陥るか。どちらかがなければ、勇気が出ない。父の存在が大きすぎて、どんなに勉強しても、どんなに剣や銃の腕を磨いても、統率へは結びつきそうにない。
次のターゲット、第四総督府。
1年前にジェードから巻き上げた武器や弾薬、金銭は大切に保管してある。
しかし、それは決して十分な数とはいえない。
(最小の資源で最大の結果を出すために・・まだ、しばらくは動けないな。)
アンドリューの助言を受け、リディは6年前からブルーアンバーの鉱脈探しに力を注いでいた。できるだけの資産を投げ打ち、村一つをキャラバンに、国を3方向から山から谷へと渡り歩かせた。そしてようやく2年前、良質なブルーアンバーの鉱脈を探し当てたのである。それはジェード第四総督府の領土内にあった。だから、その場所も、鉱脈を探し当てたこともジェード国には秘密にせねばならない。見つかれば最後、すべてジェードに巻き上げられてしまうからだ。
リディは、採掘した鉱物はすべて、南東に僅かに国境が触れているアンテケルエラ王国へ密かに売りさばくことを決めた。
アンテケルエラ王国はジェードに次ぐ強国だが、他国を支配するようなことはしていない。表では中立の立場を強調し、どこの国とでも折衝し、場合によっては仲裁に入ることもあった。ダイヤモンド鉱山を持つため、国民の生活水準も高い。ジェードに虐げられているプラテアードからすればうらやましい限りだが、アンテケルエラは安易な寄付や救済はしないことで徹底している。だから真っ当な取引で、資金を引き出させるしかない。つまらぬ戦を仕掛ける気もないから、プラテアードとの取引も決してジェードの耳に入らぬ様にしてくれるのも、都合がいい。
この採掘現場を訪れるのが、二年前からリディの習慣になっていた。
リディの住むアドルフォ城からは、馬を走らせてもたっぷり二時間はある。往復四時間も費やすことになるが、ブルーアンバーは大事な国の財産源であるし、採掘現場の男連中の豪快さも、村の女達の気風の良さも気に入っているため、通い続けている。
穴の入り口は、村はずれの洞窟の奥深くにあるため、外からは決してわからない。リディはいつも洞窟の奥へ入り、掘り出した石や土を片付ける手伝いをしている。
村の人々は、リディとキールを「アドルフォの娘」の使いだと思っている。
鉱脈発掘は「アドルフォの娘」の命令で始めたものということになっている。確かに命令して資金を投入したのはリディ自身だ。だが村人達は、「アドルフォの娘」ほど偉い人間がこんな場所まで来るはずがないと思っているらしい。
その日、リディとキールは夕食まで村人と共にし、アドルフォ城に帰ったのは夜遅くだった。馬に揺られながら、リディは夜空を見上げた。銀の星の中央に、金色の月が見える。
(明日が、満月か。)
満月の夜は、リディは決して部屋から出ない。他人を部屋に入れることもせず、窓のカーテンを閉め切り、一人でいることを徹底している。
月の満ち欠けを気にするたび、リディはアンドリューを思い出してきた。
そのアンドリューが、ここから100㎞しか離れていない第四総督府にいるかもしれないだなんて。
敵同士であることは百も承知だ。こちらは独立を願う側、そしてあちらは独立を阻止して支配する側。 それに、いくらソフィアが表舞台に立っていても、アンドリューやレオン、アラン達は、リディこそが本物のアドルフォの娘であることを知っている。リディはジェードの暗殺リストの筆頭で、最高額の賞金首。
(わかっている。私はいつ殺されても、おかしくない身。本当の私はとても無力で、いなくなっても多分、世界は何も変わらないのに・・・。)
アドルフォ城にいても、やることがない。
ソフィアとキールと話し合いはするが、それ以外の仕事はない。
書物を読み漁っても、それだけでは自信がつくわけでも独立が近づくわけでもないと気づいてしまった。だから外へ出て、何かせずにはいられない。ソフィアは「危険だからウロウロしないでくれ。」と言うが、キールを護衛につけるからと強引に出かけている。
仕事をしたい。
そして、自分の存在意義を作りたい。
誰かに頼られる自分を確かめないと、不安になる。
採掘現場へ行かずにいられない本当の理由は、そんな気持ちの表れなのだろう。
満月の夜が明けた次の朝。
その日も発掘現場へ行こうと、リディは身支度を整えていた。マントの肩止めをはめているその時、突然、部屋の扉がノックされた。
朝早くからの訪問は、よくない知らせを告げている。
リディが返事をする間もなく、ソフィアとキールが入ってきた。
「どうした?こんなに朝早く。」
「申し訳ありません。たった今、情報が入りまして。」
「何だ。」
「第四総督府の新総督、プリフィカシオン公爵が今日、領土の偵察に来るそうです。」
「え!?」
ソフィアは、唇を歪めて不快な息を吐いた。
「いい度胸だわ。もはや、プラテアードの民衆が無力でないことを知っているはずなのに。」
キールは、リディの方を見た。
「どうなさいますか。相応の近衛兵を引き連れての偵察となるはずですが。」
二人は、プリフィカシオン公爵を襲うかどうかを問うていた。
だが、リディの心配は別の方へ向いた。
公爵がアンドリューかもしれないという期待交じりの疑いが襲撃を躊躇させたわけではない。派首として、今、最優先でやらねばならないことがある。
リディは少し考え、やがて一気に命令を発した。
「すぐに第四総督府内に早馬を出し、公爵の偵察の件を伝達させろ。我々には、まだ第四と争う力も計画も十分ではない。今つまらぬ喧嘩を仕掛ければ、奪った第三さえ失う結果になりかねない。今回は、いかなる場合にも、何人も公爵一行に手出しはさせないよう、周知徹底させるんだ。私は、ブルーアンバーの採掘現場へ向かう。今日の作業を完全に中止させ、ブルーアンバーの採掘を悟られないようにせねばならぬからな。ソフィアは、キールと共にカタラン派が安易な襲撃をかけぬよう、あちらの派首に会いに行け。だが、万一に備え、小隊を率いて行った方がいいだろう。」
キールは慌てた。
「リディ様は、お一人で行動なさるおつもりですか!?」
「カタラン派の連中はソフィアを派首だと思っている。派首一人で交渉に行っては、恰好がつくまい。それに、危険性も高い。それに引き換え発掘を中止させるのは簡単なことだ。」
「しかし、」
「アドルフォの娘とわからねば、私は狙われる心配がない。案ずるな。」
そう言いながらリディは腰の剣に手を触れ、その存在を確認した。
「カタラン派派首が言うことを聞かぬのならば、ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・コン・シュゼッタデュヴィリィエの名を使ってもよい。つまらぬ争いは無駄しか生まん。公爵一行に、絶対に手出しはさせるな。必要とあらば例え仲間であっても、見せしめ程度の暴行を加えてもわない。」
「万一、公爵とカタラン派の間で乱闘が起こったら、どちらを取りますか。」
リディは視線を揺るがすことなく、言い切った。
「・・・カタラン派を潰せ。将来の大事のために何を犠牲にすべきか、自ずと知れたことだ。」
ソフィアは、グッと奥歯を噛みしめ、頷いた。
一体いつから、こんなに厳しい命令を、リディはできるようになったのだろうか。
リディは振り向き様に濃紺のマントを翻し、宙に腕を振りかざした。
「あとは、ソフィアとキールの裁量に任せる。さあ、行くぞ!!」