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第32話:満月の再会

 リディは、足から手の先まで震えているのを感じていた。

 そんなリディに、アンドリューは静かに言った。

「・・・久しぶり。」

 目頭が、熱くなる。

 何と言えばいいだろう。

 黙って姿を消し、二度と会えないかもしれないと思っていた相手が、今、確かにここにいる。

「こっちへ来てくれないか。まだ、歩けないんだ。」

「・・・。」

 喉が固まって、声が出ない。

 リディがベッドの脇まで歩み寄ると、背もたれのない木の椅子に座るよう促された。

 改めてアンドリューの顔を見つめると、頬や顎に、擦り傷の跡が見える。

 どれほどの重症だったのか、結局キールは教えてくれなかったが、この様子からなんとなく察しがついた。

「すまないが、まだ足の骨折が直ってない。このままで、許してくれ。」

 リディは激しく首を振った。

「いいよ。・・・そんなの、気にしないで。」

 乾いて擦れた声だったが、ようやく呼吸ができるようになった。

 アンドリューは、切なく微笑んだ。

「出会ったばかりの時は、まさかこんな形で再会するとは思ってもいなかった。」

「それは・・・。」

「すべてを話す日が来るとも、正直思っていなかった。」

 ようやく、すべてが明らかになる時がきた。

 リディは、高鳴る胸を必死に抑えた。

 アンドリューは、宙を睨み付けるようにして話し出した。

「俺の本名はアンドリュー・プリフィカシオン・ディア・ジェード。ジェード国王と王妃の実の息子で、マリティム皇太子は俺の兄だ。」

 その真実を初めて知らされたリディは、エンバハダハウスの噂が本当であったことを知った。だが、まったく予想していなかったことではなかったため、驚きはなかった。

「同居していたハンス爺は、俺の教育係。アランフェスは、マリティムによく似ていることと、ずば抜けた知能から、俺の側近として遣わされた貴族の少年だ。」

「どうして王子であるアンドリューが、あんな粗末な家で、軍人なんかに?」

「王である俺の父は骨肉の争いをとにかく嫌っている。王妃が俺を身ごもったとき、城の奥に隠して妊娠から出産まで秘密裏に片をつけたというから筋金入りさ。ジェードの掟では長子が王位を継ぐことが決まっているというのに、周囲の陰謀で兄を殺して弟が跡を継ぐようなことがないよう、生まれたばかりの俺を城から追い出した。王の狙いはもう一つある。例え王宮が敵に攻められ王室が全滅したとしても、俺が無関係の所で生き延びて王位を継げるというわけだ。実際、現王室に万が一のことが明日おこっても、俺がすぐ王位につける準備は整っているらしい。無論、俺の存在を知っている者はごく僅かだが、一人ひとりが優秀で、そいつの一声で何百という人間が動く。エンバハダハウスの住人のほとんどが、実は仲間だったんだ。レオンも・・・俺のためのスパイだ。」

「レオンも?」

 新聞記者というのは、スパイにはうってつけかもしれない。時々取材と称して遠出していたが、その序でに情報収集もしていたのだろう。

「でも、どうしてわざわざ軍人に?別に、ただの貴族として屋敷で優雅に暮らしたっていいわけだろう?」

「俺を、試してるんだ。」

「試してる?」

「王はハンス爺に言ったそうだ。軍人として体を鍛え、時に戦場に行ってでも生き延びるだけの生命力と武運がある男なら、万が一の時でも王として国を治める器がある。自分やマリティム王子に何かあった時には、すべてを委ねる・・と。」

「マリティム王子は、アンドリューのことを知ってるのか?」

「知ってる。フィリグラーナは、ジェリオから聞いて初めて知ったというから、二人の間で俺のことは話題になってないだろうし、マリティムも余程のことがない限り、俺の話は出さないはずだ。フィリグラーナが俺と結託してジェード王室を乗っ取り、プリメールを開放しようとする可能性は否定できないからな。ジェリオも相当神経を尖らせて行動している。俺との接触も、ハンス爺とアランしか知らない。」

 王位を廻って、互いに駆け引きをしている。

 目に見えない緊張の糸が、常に王家とアンドリューの間でキリキリと音をたてているのがわかるようだ。

「軍隊の人達は・・・?」

「軍は政治利害がからむから、俺の正体を知る者はいない。アランから聞いたが、俺は死んだことになっていて葬式までしたって?軍が知らせに来た時、さすがのハンス爺もそれを信じたらしい。それから真実を確かめるために国王が俺を探させ、俺を匿っているのがプラテアード国民だと知って敵とみなし・・・バッツ達を始末する様、命令したんだ。」

 アンドリューは口端をゆがめて、手元の布団を掻き毟った。

「はじめ、どうしてバッツが俺を救い出してくれたのか不思議でならなかった。だが、バッツはジェードの人間だと思っていたし、家もジェード国内にあるものだと思い込んでいた。バッツの祖父だという医者が俺を手当てし、バッツはつきっきりで看病してくれた。それなのに・・・!」

 プラチナブロンドの長い前髪が、アンドリューの目元を隠した。

「別の家へ俺を移したとき、おそらくバッツは何か異常を感じていたんだと思う。ある晩、突然俺は抱きかかえられ、馬にのせられ、何が起こったのかわからなかった。ジェード総督府の中に連れられ、しばらくしてハンス爺やアランと再会し、真実を知らされた。その後、ジェリオから大方のことを聞いて納得した。・・・すべて、リディのお陰だったんだな。」

 アンドリューは、リディの紅茶色の目を見つめた。

「バッツを実際に殺した奴をつきとめてある。お前が望むなら、俺が、この手で銃殺してもいい。」

 冷たい光が、アンドリューの瞳に宿った。

 鳥肌が立つような恐怖に、リディは恐ろしくなって首を振った。

「そんなことをしても、バッツは戻らない。憎いとは思う。でも、その人だってアンドリューのためにやったことなんだ。それは・・・責められないよ。」

「リディ・・・。」

「私はただ、恩返しがしたかったんだ。アンドリューがいなかったら、私は遠い国へ売られているか、濁流に呑まれて死んでいた。だから、・・・だからバッツに頼んだんだ。」

 リディの肩先が震えだした。

「償うべきは私なんだ。私の命令がバッツの死を招いた。全部、私の所為なんだ。アンドリューがバッツを殺せと命じたわけじゃない。アンドリューの所為にしようとは思ってないよ・・・!」

 うつむいたリディの乱れた栗色の髪を、アンドリューは優しく撫ぜてやった。

 慰めの言葉も、何をしてやれるかも思いつかない。

 だが、アンドリューはこの話だけのためにこの場所へ招いたわけではなかった。夜明けまで、残された時間は限られている。リディには追い討ちをかけることになるかもしれないが、そろそろ本題に入らねばならない。

「・・・ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・コン・シュゼッタデュヴィリィエ。」

「!!」

 リディは、ハッと顔を上げた。

「軍で暗殺命令が下ったとき、必死で覚えた。まさか、こんなに近くにいたなんて。」

「ジェリオから、聞いたんだな。」

「バッツやキールのことと共に。お前は少年の振りをしていたし、独立運動の王の娘とは露ほども疑わなかった。だが、俺はエンバハダハウスにいた時からリディが只者ではないことには気づいていた。」

「いつ・・・!?どうして?」

 アンドリューは、窓の外を見やった。

 まだ、黒い雲が青い夜空をところどころ浮遊している。

「今夜が、何の夜かわかるか。」

「・・・ううん。」

「今夜は、満月の夜だ。この満月の晩を選んでお前を呼んだ。それがどういうことか、わかるか。」

 リディの体が、ビクッと反応した。

 満月。

 それは、リディの白い額に紋章のような藍色の模様が浮かび上がる晩だ。

 その刹那。

 まるでこの時を待っていたかのように雲が晴れ、大きな金色の満月が現れた。

 見たことのないほど、大きな月。

 まるで宇宙ごと落ちてきそうだ。

「リディ。」

 アンドリューは突然、窓の下へとリディの腕を引き寄せた。

「!!」

 いけない。

 父に厳しく言われてきた。

 額の秘密を、絶対に誰にも知られてはならないと。

 そうだ・・・、思い出した。

 かつて、エンバハダハウスで前髪越しに額の輝きを見られたことがあった。

 アンドリューは、それを覚えていたのだ。

 リディは腕を引いて抵抗した。

 だが、アンドリューは容赦なくリディの濃い栗色の前髪を持ち上げた。

「駄目・・・!」

 自分でさえ、まぶしい。

 輝きは容赦なく、真実を映し出した。

 リディの額の藍色の紋章を確認するとアンドリューは深い溜息をついた。

 そして、

「リディ、俺の方も見てくれ。」

 自らのプラチナブロンドの前髪を持ち上げたアンドリューの額を見たリディは、心臓が止まるかと思うほど驚いた。

 目を大きく見開き、額を凝視する。

 緋色の模様だ。

 これは、どういうことなのだ?

 アンドリューは、言った。

「どうして満月の晩、額に模様が浮かび上がるか、理由を知っているか?」

 リディは、首を振った。

「父は何も・・何も言ってなかった。ただ、この秘密を誰にも知られるなと言っていた。このことは、父と私だけしか知らない。」

「そうか。・・・やはり、人払いをして良かった。この模様は、王家の真の紋章であり、王家と神使以外が目にすることは許されないものだからな。」

 リディは耳を疑った。

 今、アンドリューは何と言った?

 王家の真の紋章?

 王家・・・?

 状況を呑み込めていないリディに、アンドリューは畳み掛けるように言った。

「俺の額に浮かんだのは、ジェード国王室の人間である証だ。そして、リディ。お前の額に浮かんだ藍色の紋章は・・・。」

 リディは、アンドリューの口元を凝視する。

「藍色の紋章は、プラテアード国王室の人間である証だ。」

「・・・・!?」

 リディは、首を振った。

「言ってることが・・わからないよ。」

「リディ。お前は、」

「だって、私はアドルフォの娘で、父は王室とは何の関係もないんだよ?プラテアードの王室はジェード王国に全滅させられてるんだよ?」

「そうだ。俺もそう聞いていた。でも、お前が王室の人間であることは真実なんだ。リディはビーリャ・ラス・アドルフォ・アルミラーテ・コン・シュゼッタデュヴィリィエの娘ではない。」

「何・・・?」

 独立運動の王と崇められていたアドルフォが、自分の父ではない?

 耳を疑った。

「どうして、そんな嘘を・・・。」

「嘘ならいいさ。だが、これは事実だ。」

「どうしてアンドリューがそんなこと知ってるの?その方が不自然だよ!」

 アンドリューの蒼い瞳に、睫毛の影が落ちた。

「俺がプラテアードへ潜入しようと考えた理由の一つは、リディの額の藍色の輝きが本当に王家の印であるかどうか調べるためだった。もう一つは、アドルフォの娘を見つけること。カタラン派に潜入して、俺は一人の男と出会った。その男はジェードとプラテアードが戦争していた時の兵士だったようだが、戦いで片足を失くし、心を病んで、薬物に溺れていた。」

「薬物?そんな金、どこに・・・。」

「知らないのか?カタラン派の資金源の一つは薬草の栽培だぞ。」

「薬草?どこから種を・・・?」

「それは知らないが、人の滅多に入らない林の奥で大量に栽培して隣国に売りさばいている。ジェードにも、入っていると思う。」

「おろかなことを・・・!」

「そうだな。そして、知り合った男は誰にも相手にされていなかった。意味不明な言葉を叫ぶし、誰の言うこともわからないようだったし、男の話を誰も信じていなかった。だが・・・。」

 リディは、アンドリューの次の言葉を待ちきれないように体を乗り出した。

「濠雨の日だった。暗い洞窟で、男は一人で泣いていた。どうしたのかと思って俺が理由を聞くと、男は戦争中のことを思い出し、恐怖で泣いてるのだと言った。男は戦争の時、足を切られて動けず、他の兵士の死体の下敷きになっていたそうだ。やがて豪雨になり、屍の間から一つの光景を・・・見たそうだ。そこには、王冠を頂いた女性と、一人の将校がいた。王妃は身重だったが、敵に切られて死に瀕していた。その女性が大柄な将校に何か言い、次の瞬間、将校は王妃の腹をサーベルで引き裂き・・・赤ん坊を取り出した。赤い血と、降りしきる雨、雷・・・それが男の恐怖の記憶となり、耐えられなくて薬物に手を出したみたいだ。」

「その話を・・・信じろというのか?」

「作り話だと思うか。」

「気が振れてるんだ、真実味がないよ。」

「気が振れてるからこそ、引き出された記憶だけが侵されていないんだ。」

「それは、憶測だろう!?」

「アドルフォの話もカタラン派の奴らから聞いてきた。アドルフォは、結婚したことがない。真面目で仕事一徹の優秀な男で、浮いた噂ひとつなかったそうだ。それが突然赤ん坊を自分の子だと言って連れてきて・・・不自然だったと、言っていた。」

「カタラン派は、私たちフレキシ派と対立に近い関係なんだ。悪口くらい言うさ!」

「これは、悪口か?信じたくないなら、信じなくてもいい。だが、作り話にしては辻褄が合いすぎてる。どこにも矛盾は見られない。リディは、本当は13歳なんかじゃないよな?俺と同じ、18歳になったはずだ。そして、男の話は18年前、プラテアードがジェードに完全降伏した時の話だ。」

 震えが止まらない唇を懸命に開いて、リディは叫んだ。

「でも私はアドルフォの娘で、それ以上の何者でもない。王家なんて縁のない世界で生きてきた。何かの間違いだ。こんなの、間違いに決まってる!!」

 アンドリューは、リディの両肩をしっかり掴んだ。

「間違いはない。藍色は、プラテアードの鉱物ブルーアンバーの色を示している。リディは間違いなく、プラテアードの王女なんだ。」

 母の思い出は、まったく無い。

 母の顔すら知らない。

 父は一切何も話さなかった。臨終の床でさえ。

 その理由が、これなのか。

 父は母のことを話さなかったのではなく、話せなかったのか。

 わからない。

 頭の中が混乱している。

 アンドリューが、ジェード国の王子で。

 自分が、プラテアード国の王女?

 まさに、宿敵同士そのものではないか!

 しかもアドルフォが実の父でないとしたら、どうして自分が独立運動のリーダーになる必要があるのだ?

 もし、皆にこのことがばれたら、どうなる?

 アドルフォの娘でない少女など、リーダーの資質はないと言われて追放されるのか?

 それとも、全滅したはずの王室の生き残りとして、別の役目を負わされるのか?

 もう、嫌だ。

 自分のために誰かが犠牲になる立場も、誰かに狙われるのも、嫌だ。

 特別な責任を負わされることに、耐えられない。

 平凡な自分に、非凡な運命を背負うことなどできない。

 資質のない自分に、これ以上何を課そうというのか?

「こんな・・・、額にこんな模様があるから王女だなんていうなら、こんなの壊してしまえばいい!」

 そう言うと、リディは持っていた小刀で自分の額を刺そうとした。

「駄目だ、リディ!」

 思い切り宙に振り上げた腕を、アンドリューが掴んだ。

 まだ病床にあるとは思えない力だ。

 これが、女のリディが決して敵わない男の力なのか。

「放せ!・・・放せ、アンドリュー!」

「こんなことをしても、お前が王女であるという事実は変わらない!」

「嫌だ・・・!私が父さんの娘でないなんて、そんなの嫌っ・・・!!」

「リディ!」

「・・・っ!」

 リディの声が、断ち切られた。

 血を吐くような叫び声をあげるリディを、アンドリューが抱きしめたからだ。

 宙に浮いたリディの手から小刀が滑り落ち、床の上でカランと音をたてた。

 呼吸を止めたリディの耳元で、アンドリューは静かに言った。

「すまない。・・・真実を伝えるべきか、本当に迷ったんだ。リディがどれほどの衝撃を受けるか、想像もできた。だが、この真実を伝えられるのは、お前の紋章を見ることが許される人間だけだと判断して、決意した。許してくれ。」

「アンドリュー・・・。」

 透明な雫が、リディの紅い頬の上を玉のように滑り落ちていく。

 窓の外では、厚い雲が風に流されて満月を覆い始めていた。

 二人の額は輝きを失くし、部屋には夜の色だけが残された。

 苦しい。

 アンドリューの腕も。自分の心も。

 瞳を閉じて、リディは強く思った。

 アンドリューが好きだ。

 それに気づかないようにしながらも、いつも気づいていた。

 だが、例え女だということがわかった今でも、アンドリューの中では自分は13歳の少年のままなのだろう。

 風にさらされた髪も、乾いた唇も、洗いざらしのシャツも、どれ一つとっても女らしさの影もない。 女として見ろという方が、無理がある。そして自分は、女として生きることを捨てたのだ。薔薇色の紅も、白粉も、リボンも宝石も、すべて捨てることを自分で選んだのだ。

 この思いに出口がないことを知っているから、入り口を作らないようにしていた。

 このまま、気持ちが噴出さないうちに封印せねば、切なさに悶え苦しむだけだ。

 アンドリューの腕が緩み、二人の体が離れた。

 下を向いたまま動かないリディに、アンドリューは言った。

「王女の身分は、当面誰にも話さない方がいいだろう。無論、俺も誰にも言わない。お前の額の紋章を見たのが俺とアドルフォだけだというなら、二人だけの秘密にしておける。プラテアード王女となれば、ジェード以外の国も放っておかないからな。」

「それは、どういうこと・・・?」

「独立運動のリーダーという立場なら、ジェードの敵というだけだ。だがプラテアードの正統な王位継承者というなら、他国の王室が手を組みたいと交渉してくる可能性がある。もしくは、友好を隠れ蓑にして暗殺する・・・とか。」

「!!」

 今でさえ暗殺命令がジェード軍に下っているのに、これ以上敵が増えるというのか。

「きっと、アドルフォはそれがわかっていたから、額の紋章を誰にも見られるなと厳しく言っていたのだと思う。忠臣のバッツやキールにさえも知らせずに。」

「アンドリューは本当に秘密を・・・守ってくれるのか?」

「同じ王家に生を受けた者として、誓う。」

「私も・・・アンドリューのことは、言わない。」

「バッツはジェリオと一緒に俺の紋章を見ている。バッツとキールは一蓮托生の関係と聞いた。キールは、知っていると思う。」

「キールが万が一アンドリューの正体を他人に話すようなことがあれば、私が始末する。」

「お前に、キールを始末できるのか?」

「できる。だが、その前にキールは隠密としての掟が染み付いてる男だ。信用している。」

「そうか。・・・」

 バッツも同じくらい信頼して大事に思っていたのだろうと言いたかったが、その言葉をアンドリューは呑み込んだ。悲しみを、自分の罪を、蒸し返すことになるだけだからだ。

 空の色が、間もない夜明けを告げるように変わってきた。

 リディは立ち上がると、訊いた。

「国王にならなかったら、アンドリューはどうなるの?」

「それは、もう決まっている。」

 アンドリューは唇をぎゅっと引き締め、そして答えた。

「マリティム王子に子が生まれ、その子が成人して王位継承の資格を得たとき。そこで、俺の役割は終わることになっている。」

「終わったら、解放されるの?」

「そうだ。・・・死をもって、俺は王家から解放される。」

「・・・・!」

 リディは、頬を歪めた。

「そんなのって、酷い。アンドリューの人生は、」

「それ以上何も言わないでくれないか。俺の立場は、俺が一番よくわかっている。王家にとって、俺は捨て駒だ。スペアの役割が必要なくなれば、抹消せねばならない。俺が余計な欲望を持って王家を乗っ取らないうちに。」

「・・・アンドリュー・・・。」

「今も、そうだ。俺が余計な動きをしないか、常に監視されている。だから、今夜、お前を呼ぶのも大変だった。アランはあちこちで見張りに酒を振舞い、ハンス爺が傭兵に女をあてがい、この満月の晩を作り上げた。もうすぐ、そのリミットがくる。」

 その言葉を証明するように、暁の明星が一際光り輝いた。

 最後に、アンドリューはリディに質問した。

「将来、もし俺がジェード国王になる日が来たら、どうする?」

 その質問の真意がよくわからないが、リディはアンドリューの蒼い瞳をしっかりと見つめて答えた。

「プラテアードの独立を認めてもらうよう、交渉に行く。」

「俺のところへ辿り着くまでが、尋常でない険しい道のりだと思うぞ。」

「もちろん。それは、死の覚悟を持って臨むまでだ。」

「そうか。それほどの強い思いがあるなら、一つ助言させてくれ。プラテアードが真の独立を達成するためには、ジェードに吸い取られても耐えられるだけの産業を根付かせねばならない。ブルーアンバーはまだ大量に地に眠っているはずだ。諦めず、動いて蓄えろ。財力のない国は、独立しても瞬く間に崩れる。それを忘れて独立ばかり声高に叫ぶ指導者に、独立後を背負う資格はない。」

 アンドリューの言葉に、リディはしっかりと頷いた。

 その顔を見て、アンドリューは思い出した。

 かつてバッツとキールに助けられた晩、薪の炎の向こうに見たリディの横顔を。

 あの、大人びた表情。

 いつもは紅茶色の瞳が、今は金色に光って見える。

 これこそが、将来のプラテアードを背負う者の目の色なのか。

 この時初めて、リディが少年でも、少女でもない、一人の女性に見えた。

 アンドリューは、リディの方へ右手を差し出した。

「俺が国王になった時には、這い上がってでも俺の処に辿り着け。・・・待ってる。」

 少し微笑んだアンドリューに応えるように、リディはその手をしっかりと握り返した。

「必ず。・・・その時がきたら、必ず、行く。」

 これが最後ではないと自分に言い聞かせないと、リディは自分を支えきれそうもなかった。

 お互いの姿をしっかりと瞳の奥に焼き付けるように、二人は見つめあい、

 そして―――


 「さよなら。」


 踵を返したリディは、背中の視線を振り切るように、走り出した。

 扉を開けると、そこにはアランが待っていた。

「急いでください。もうすぐ、起床の鐘が鳴ってしまいます。」

「すまない。」

 リディはアランと共に馬に乗ると、勢いよく駆け出した。

 外の大気はすでに漆黒ではなく、青に染められている。

 表には一頭引きの粗末な馬車が待っており、ハンスが御者台にいた。

「ついて来い!」

 ハンスの先導で、リディはアランを前に乗せたまま走った。


 リディを送った後、ハンスはアランを馬車に乗せて、帰っていった。

 別れ際、何か言いたかったが互いにそれを控えた。

 アランの瞳も、ハンスの相変わらずの仏頂面も、リディを敵とみなさねばならない決意を宿していた。

 

 朝靄に消えていく馬車の後ろ姿と車輪の揺れる音を聞きながら、リディは風に吹かれていた。

 夕べのことが、すべて夢のようにも思える。

 だが、すべては真実だ。


 亡き独立運動の王ビーリャ・ラス・アドルフォ・アルミラーテ・コン・シュゼッタデュヴィリィエの娘、ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・コン・シュゼッタデュヴィリィエ。


 しかしてその実態は、プラテアード王国第一王女にして、正統な王位継承者。

 ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・ディア・プラテアード。



 その人生は今、

 始まったばかり。


本話を持ちまして、第一部が終了となります。

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