第30話:告白
洞窟の奥深くと思われる。
もう夜明けが訪れたはずだが、外からの光はまったく届かない。
キールの家からさほど離れていないはずなのに、こんな場所がどこに存在したのか。
焚き火を囲んで座りながら、ジェリオは辺りを見回した。
蜘蛛だろうか。数え切れない大群が壁にへばりついている。
ソフィアは少し離れた場所で、ジロルドの看病を続けている。
みな、黙ったまま口を利こうとしない。
誰から、何を話せばいいのか。
リディも、余計なことを言ってはいけないと言われている手前、ジェリオに何も聞けないでいる。
そこへ、突然靴音が響いた。
ハッとしたのもつかの間、現れたのはキールだった。
キールは、待てども待てども戻らないジェリオに業を煮やし、帰ってきたのだ。
しかし、家は燃えて朽ち果てており、この隠れ場へたどり着いた。
「ジェリオ殿・・・!なぜ、ここへ?」
一瞬、何が起こっているのかわからなかった。
そんなキールに、ジェリオはいち早く近づいた。
「二人だけで、話をさせてください。」
「・・・いいでしょう。」
だが、それを聞いたソフィアが叫んだ。
「ここで話をすればいいわ!あなたは、一体何者なの?兄をつれていって、何をする気なの!?」
ジェリオは、キールとソフィアを交互に見つめ、小さく息をついた。
「どうしますか。私は、あなたも、二人きりのほうがいいと思ったのですが。」
「お察しの通りです。」
キールは、ソフィアに向かって言い放った。
「お前の見える位置でなら、いいだろう。」
弱気になっている妹の気持ちもわかる。これ以上の心配はさせたくない。
二人はソフィア達の対角線上の窪みに向かって腰をおろした。
冷たい土の臭いを嗅ぎながら、ジェリオは、ここまでの経緯を手短に話した。
そして、ジェリオの声はキールに届くギリギリまで抑えられ、本題に入った。。
「私は、ある要人の隠密です。アンドリュー殿の奪還を命ぜられ、同じようにアンドリュー殿を見張っていたバッツ殿と協力して救い出しました。」
「そこまでは聞いています。」
「私は、アンドリュー殿を引き取るよう、主人から言われています。」
「バッツに言おうとしていたことは、それだけですか。」
「これ以上お話するためには、私の身分を明かす必要があります。キール殿は、私に明かしてくれますか?あなたの、正体を。」
「・・・・。」
「私は、あなたの正体に気づいています。」
キールは驚いて、ジェリオの横顔を見つめた。
尖った鼻先が冷たい印象だ。ジェリオはキールを見ずに、続けた。
「確信と言ってもいいでしょう。・・・そうですね。では、平等を帰して私から名乗りましょう。私は、皇太子妃フィリグラーナ様の、プリメール国時代からの忠臣です。」
キールは、細い目を見開いた。
「フィリグラーナ王女・・・!あの方が、アンドリュー殿を・・・?」
「そうです。そして、あなたのご主人は、あそこにいる少年・・・ですね。」
唇を強張らせたキールに、ジェリオは一層声を押し殺した。
「私は、ジェード国で闇の騎士などと呼ばれていたことがあります。その時にお会いしているんです。リディと呼ばれていた、彼・・・いや、彼女に。」
キールの息遣いが、小刻みに震える。
ジェリオの話は続く。
「たぶん、彼女も私のことを覚えていると思いますよ。さっき目が合った時、そんな表情をしていましたから。しかし、これで合点がいきました。プラテアードの次期指導者が、どこでアンドリュー殿と接触していたのか不思議だったので。」
「・・・エンバハダハウスの頃から、アンドリュー殿を見張ってましたか?」
「いいえ。本格的に見張り出したのは、アンドリュー殿がプラテアードにスパイ適性テスト生として潜入してからです。」
苦く眉根を寄せているキールに、ジェリオは努めて穏やかに言った。
「安心してください。私の国はあくまでプリメールであって、プラテアードと敵ではありません。そして、主人の命令以外で動くこともありません。」
「妃殿下は、リディ様の正体をご存知なのですか。」
「いいえ。私自身、確信してから間もないですから。」
「教えてください。アンドリュー殿は、ジェード国王室にとってどういう立場にあるのです?妃殿下が擁護しようとしていたことを、マリティム王子はご存知なのですか。」
ジェリオは少し躊躇った。
「キール殿は答えられますか?リディ殿が、なぜ敵国の兵士であるアンドリュー殿を護衛させたのか。」
「・・・それは・・・。」
「マリティム殿下は、何もご存知ありません。すべてフィリグラーナ様の一存です。王室とは一切関わりなく、お一人でアンドリュー殿の保身を決められました。国も、身分も、すべて関係なく。」
言葉を失ったキールに、ジェリオは少し間を置いてから言った。
「アンドリュー殿が王子だということを、リディ殿に教えましたか。」
「・・・いいえ・・・。バッツと決めました。この真実は、まだ話さないと。」
二人の心遣いが、ジェリオには理解できた。そして、これ以上の詮索は止めようと決めた。
「今回のことでは、あなた方に多大な犠牲を払わせてしまいました。特にバッツ殿のことは、私にも責任の一端があります。」
「あなたに?」
「アンドリュー殿をお任せしたのは私です。プラテアード内でアンドリュー殿を看病する伝手がなく、バッツ殿にすべてお任せして私はジェード国に戻りました。こんなことになるとは予想をしていなかったとはいえ、申し訳ないと思っています。」
キールは、宙を睨み付けながら首を振った。
「あなたの責任にしても、何も始まりません。」
「ええ。バッツ殿も、ご家族も、家も、何も元に戻らない。それはわかっていますが、せめてもの償いに、これを受け取ってください。」
差し出されたのは、一枚の紙だった。
開いてみると、地図が書いてある。
「この、印のついている部分に、本来アンドリュー殿を引き取って住むつもりだった家があります。ここを使ってください。」
疑わしい目を向けたキールに、ジェリオはまっすぐな瞳で返した。
「どう言えば信じていただけるかわかりませんが、私にはこれしかできません。病人や女性に、この洞窟での生活は無理です。仮住まいとお考えいただければ結構です。」
「しかし・・・。」
「フィリグラーナ様の命令以外のことを決断したのは、これが初めてです。お咎め覚悟で申し出ています。バッツ殿には、本当に感謝しているのです。彼がいなければ、アンドリュー殿を救い出すのは不可能でした。バッツ殿なしで、瀕死のアンドリュー殿を救うことはできませんでした。バッツ殿がいなければ、私は私の命を全うすることができなかったのです。ですから、こんなことだけで役に立てるのならば、」
「わかりました。」
キールは紙を受け取り、大事に折りたたんだ。
「住む場所をどうするかは、迷っていたところです。ご好意、ありがたく頂戴します。」
ジェリオは、ようやく頬を緩めた。
二人は立ち上がると、バッツを葬るための穴を、洞窟の隅に掘った。
避難場所であるこの場所には、一通りの道具と食料、水は蓄えてある。
スコップと鍬もあり、1mほどの深さの穴を掘るのも難しいことではなかった。
黒土の上に横たえたバッツに、ソフィアは大粒の涙を降り注いで別れを惜しんだ。
しかし、リディは違った。
棒のように立ったまま、唇を硬く結んでバッツを見ているだけだ。
その顔を、姿を、余すことなく脳裏に焼き付けるように、ただひたすらに凝視していた。
放られる土で、だんだんと隠れていくバッツを微動だにせず見つめているリディの隣で、ソフィアは悔しそうに口端をゆがませていた。
ソフィアは、リディを許せなかった。
こうなることを恐れて、敵国の軍人のためにバッツを遣わすことをあれほど反対したではないか。自分の言うことを聞かないから、この様だ。だが、それを詰ることを兄のキールが止めた。それが更に、ソフィアを追い詰めている。
バッツを葬り終わると、ジェリオはキール達に別れを告げた。
「私は、アンドリュー殿の所在をなんとしても確認しなければなりませんので、ジェード総督府に戻ります。」
「大丈夫ですか?敵に顔を見られてますよね?」
「それでも、私の使命ですから。」
ジェリオは黒いマントを羽織り、首に黒いスカーフを巻いた。
その姿は、まさにヴェルデ市内でリディが見た闇の騎士そのものだった。
疑いの気持ちは消えないが、これで最後だと思ったソフィアは、思い切って一歩前に出た。
ジェリオが眼差しを向けると、ソフィアは口ごもりながらも言った。
「さっきは、ありがとう。助けて・・・いただいて。」
礼を言われるとは思わなかったジェリオは、思わずフッと微笑んだ。だが、バッツを死なせてしまった後ろめたさが、すぐに頬を引き締めさせた。
「どういたしまして。私にできることは、あれぐらいでしたから。」
薄暗い洞窟の中で、ソフィアの金髪だけが光って見えた。
その光を瞳に宿し、ジェリオは背を向けた。
キールがジェリオを洞窟の出口まで見送ることになったが、そこへ同行したのが、今まで黙ったままのリディだった。
外の光が見えたところで、リディは初めて口を開いた。
「キール、先に戻っていてくれないか。」
「え・・・。」
ジェリオと二人きりにさせろと言うのだ。
だが、キールもジェリオを100パーセント信じているわけではない。そんな思いを察するように、リディはもう一度言った。
「せめて会話が聞こえないところまで、下がっていてくれ。大丈夫だ。・・・頼む。」
遠くを見ているような瞳のリディは、目を離せば消えてしまいそうなほど儚く見えた。
キールは言われたまま、リディがギリギリ見える位置まで下がった。
二人きりになったのを確認して、リディはジェリオを見上げた。
「闇の騎士・・・。あなたが、どうしてプラテアードに?」
「長い話になります。キール殿に聞いてください。話せることは、すべて話してあります。」
「では、バッツとは知り合いでしたか。知り合いでしたよね?」
「・・・私は、あなたがバッツ殿に命ぜられたことと同じことを、私の主人から命じられていました。同じ命を受けた者同士、協力したまでです。」
「あなたの主人とは・・・?」
「フィリグラーナ妃殿下です。」
「・・・!どうして、王女が・・?」
いや、それは疑問に思うところではない。アンドリューに会うために城を抜け出してきた王女を思えば、不思議はない。
「それはお答えできません。しかし、これだけは申し上げておきましょう。キール殿にも言いましたが、私は即ちプリメール国の人間です。例えフィリグラーナ様がジェード皇太子妃になろうとも、私自身はプリメール国民にすぎません。つまり、プラテアード国のあなた方の敵ではありません。」
リディは唇を震わせながら、訊いた。
「あなたは、私の正体を知ってるのです・・・か。」
「図らずとも、気づいてしまいました。」
「フィリグラーナ様に、報告する・・・?」
「それが私の使命ですから。」
「・・・・。」
リディの息が荒くなっている。ジェリオは、リディが何を考えているか察した。
「私を、殺しますか。」
「・・・・!」
「私はこれから、アンドリュー殿を探しに行きます。それは、プラテアード国のあなた方には不可能なことです。必ず探し出し、保身します。その私を、今、殺しますか。」
「私は、私の正体を知った人間は始末せよと言われてきた。だから・・・。」
「ならば、殺せばいいでしょう。しかし、私の方があなたより強いのは確かです。あなたが私の心臓を撃ちぬく前に、私はあなたを殺す自信があります。キール殿を遠ざけたことを後悔するだけですよ。」
リディは、期待していたのだ。
ジェリオがキールと内緒の話をしていた時、その会話の中で何度か「アンドリュー」という名が出ていたのを漏れ聞いていた。ジェリオがアンドリューのことを話してくれると思い、キールを遠ざけて接近したのに。
リディが俯くのを見たジェリオは、肩膝をついて下からリディを見上げた。
そのオニキスの瞳は、ヴェルデ市内でリディを助けてくれた闇の騎士そのままだった。
「いいですか。バッツ殿を殺した奴らが、アンドリュー殿も連れ去ったのです。私はバッツの敵を討ち、アンドリュー殿を取り戻します。約束しましょう。必ずあなたをアンドリューに会わせてさしあげます。」
「そんなことができるのか?フィリグラーナ様は、なんと言うかわからないだろう?」
「アンドリュー殿の御意思なら、フィリグラーナ様も何も言えますまい。」
「・・・しかし・・・。」
「申し訳ないが、先を急ぎます。一刻も早くアンドリュー殿の所在を確かめたい。連れ去られた目的がわからない状況では、彼の身の上が心配ですから。」
ジェリオは立ち上がった。
そしてリディに背を向け、洞窟の外へと歩き出した。
その後姿は無防備で、まるでリディに「撃ちたければ今撃てばいい。」と言っているかのようだった。
(私が、殺せないと思って・・・!)
動けないでいるリディに、ジェリオは一度だけ立ち止まった。
肩越しに振り返ったジェリオの表情を、黒いマントが翻って隠した。
信じて、待つしかないのか。
自分の正体が暴かれたことよりも、アンドリューの方が大事なのか。
バッツを失っておいて、それでも尚、アンドリューを選ぶのか。
(アンドリューは私の命の恩人だ。だから、だから・・・。)
こんなことになるなんて、思わなかった。
バッツが殺されるなんて思わなかった。
キールの家が燃やされるなんて。
バッツの家族まで殺されるなんて。
しかもアンドリューは、いない。
自分の所為か。
自分の所為で、みんなを巻き込んでしまったのか。
アンドリューを守るということは、これほど多くの犠牲を払わねばならないものだったのか。
自分がやるべきことは、本当は何だったのだろう。
自分がしたかったのは、こんなことだったろうか。
本当は、どうすればよかったのだろうか。
どうしたら、
バッツは許してくれるのだろうか。