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第2話:クラブ・ローザ

 3日が過ぎた。

 大聖堂の鐘の音が鳴り響く夕方。

 アンドリューは、ジェード王国軍の下級士官である。入隊して2年目。階級はまだない。

 この都市の移動手段は、車1割馬車4割歩き5割といったところだ。車に乗れるのは一握りの特権階級のみに許された贅沢である。普通は馬車、無ければ歩きだ。階級のある軍人は馬で移動するが、下っ端のアンドリューは歩くしかない。エンバハダハウスから片道40分歩いたところの駐屯地の通信部で働いている。

 その日は機密文書を届けがてらの帰りだったため、アンドリューは軍服のままハウスに戻った。ハウスの姿が見えてくるにつれ、アンドリューはもう一つの影を見つけた。

(・・・あいつ、)

 リディだ。

 リディはアンドリューの姿を見つけるなり、すっ飛んできた。

「俺、見つけたぜ、仕事!」

 肩で息をしながら、リディは小さな紙をアンドリューに手渡した。

「・・・へぇ。」

 紙には、勤め先の名称が印字されている。

 ”クラブ・ローザ”

「居酒屋の洗い場。すっごく給料安いけど仕事は仕事だから、いいよな?」

「ちょっと見せて。」

「レオン?」

 いつの間にか横にいたレオンはアンドリューの手から紙を奪い、一目見るなり眉をひそめ、リディに訊ねた。

「君、いつから働くの?」

「もちろん今日から。夜6時から12時まで。」

「・・・そう。」

 レオンの怪訝な様子が気になりながらも、アンドリューはリディに言った。

「ま、約束だからな。ついてきな、部屋に案内するよ。」

 リディは、はじけそうな笑顔で頭を下げた。

「ありがとう!」

 今にも抜け落ちそうな木製の狭い階段を上がっていく。

 二階の東側隅の屋根裏部屋。

 天井は斜めになっており、窓は北側に一つ。

 じめっとした空気の感触が心地悪い。埃だらけだし、かび臭い。

 リディが息を呑んで黙り込んでると、アンドリューはつっけんどんに言い放った。

「無料なんだからな。文句があるなら入居しなくていいぜ。」

「これぐらいは覚悟してた・・・いや、何でもない。けど、偏屈大家の許可っていうのは?」

 アンドリューはリディを一瞥した。

「俺の爺さんのハンスってのが大家だから。俺が許可しても同じことなんだよ。」

「ああ、・・・なるほど。」

「じゃあな、あとは好きにしな。この家を出てく時だけは挨拶してけよ。」

「わかった。」

 アンドリューが1階に戻ると、階段脇にレオンが待っていた。

「アンドリュー、お前はクラブ・ローザが何か知ってるか?」

「安っぽいホステスがいるクラブだ。麻薬の売買もあるって聞いたことがある。」

「それだけなら、まだいいがな。」

「何がある?」

「人身売買だよ。」

「人身!?」

 レオンは、アンドリューの大声に「しっ!」と声を下げた。

「どこへ売られるんだ?」

「海の向こうの、金持ちのところ。」

「金持ち?小間使いにでもなるのか?」

 アンドリューの真剣な問いに、レオンは軽く吹き出した。

「可愛いもんだな、アンドリュー。まあ、お子様は知らなくてもいいことさ。」

 小馬鹿にしたようなレオンの振る舞いに、当然アンドリューは憤慨した。

「俺はもう17だ!子ども扱いすんなよ。」

「いいじゃないか、子どものほうがいいさ。急いで大人になることはない。人生、大人でいる時間のほうが、ずっと長いんだから。」

 アンドリューは、レオンの寂しげな横顔を見つめながら言った。

「別に、金持ちの所でどうなるか想像できないわけじゃない。で、どうすればいいんだ?そんな所で働くなって言えばいいのか?」

「いや。このまま行かせようと思う。」

「何だって?」

「悪いが、囮になってもらう。こんなチャンスは二度とない。」

 アンドリューは驚いてレオンの顔を覗き込んだ。

「囮?そんなにスクープしたいのかよ!?」

「違う!警察も現場押さえるのに躍起になってるのに、上手くいかずに何人も見逃してしまってるんだ。これを逃す手はない。」

「しくじったら?あいつが連れて行かれたら、どう責任取るつもりだよ!?」

「ちゃんと警察を連れて行く。絶対危険な目には合わせない!」

「どういう自信だよ?敵は常習犯罪者だろうが!」

 レオンは一度口を噤んだが、その後口元を緩めた。

「めずらしいな、アンドリューが他人を気遣うなんて。」

「当たり前だろ?犯罪に巻き込まれようとしてるんだぞ!?」

「心配なら一緒に来るといい。大丈夫。絶対、助けるから。」

「・・・あいつには、何て?」

「何も言わないほうがいい。言ったら動揺する。店側に怪しまれたら終わりだからな。」

 大聖堂の鐘が1つ、鳴る。5時と半時を告げる音だ。

 リディが部屋から出てきた。

 アンドリューは一人、そっと後をつける。

 レオンは一足先に店に先回りしていた。

 大通りは帰宅を急ぐ人で賑わっているが、一本裏へ入れば、薄暗くひっそりとしている。

 歩いて15分。

 日が暮れると同時に店じまいを始めた小さな食料品店やカフェなどに混じって、クラブ・ローザはあった。吊るされた黒い看板に金色の文字で店の名前が書いてある。周囲の消灯と入れ違うように、扉の上のランプに灯がともる。

 客用の入り口から少し奥まった所に、地下へ続く暗い階段がある。リディはそこへ身を沈めた。従業員用の裏口といったところか。

 石造りの4階建てが連なる通りに、ポツリ、ポツリと窓明かりが見え出した。

 1階を商業施設、2階以上を住宅にしているのだろう。帰宅を急ぐ人もまばらに見える。深夜になれば人目が無くなるのは確かだ。

 違法な取引にはもってこいかもしれない。

 だが、警察が何度も見逃してしてしまっているのなら、表の入り口から堂々と取引をしたとは考えられない。地下に抜け道のようなものがあるのかもしれないし、この街の建物の多くが有している中庭から連れ出されれば、表からは絶対にわからない。

 (くそっ。レオンのヤツ、何が『絶対助ける』だよ?どっから出てくるかもわからねぇのに。)

 苛立つ気持ちを抑えるように、アンドリューは建物の隙間に身をひそめた。だが、気付かれないように隠れているにしろ、約束の「警察」の姿がどこにも見えないのも不安になる。

 見上げた空は、ラベンダーからネイビーブルーへと変わりつつあった。


 その頃リディは、縛られた状態で地下倉庫にいた。

 既に二人の少年が同じように縛られ、横たえられている。リディは憔悴しきっている少年に尋ねた。

「何で俺たち、ここに入れられたんだ?」

 すると、栗色の髪の少年が答えた。

「売られるんだ、僕達。」

「売られる?どこへ?」

「知らないよ。ここへ入れた男が『お前等は高く売ってやる。』って言ってただけだもの。」

 リディは、隣の黒髪の少年に訊いた。

「君たちも、ここで働くつもりで来たのか?」

「そうさ。おいら先週親が病気で死んじまって、住むところもなくて、街をうろついてたら声かけられたんだ。働かせてくれるって言うから喜んでついてきたら、この様さ。」

 黒髪の方は「もうどうにでもなれ。」といった感じで、開き直っている。栗色の髪の少年は華奢な体つきと同じような神経の持ち主らしく、しくしくと泣いている。

 リディは、唇を噛んだ。

 この店の奴らは、身寄りがなく、行方不明になっても誰も探さない少年を狙って連れ込んでいるのだ。それはきっと、常習的に違いない。リディはそんな奴らの思う壺にはまってしまったのだ。

(畜生。どうすれば・・・!?)

 後ろ手に縛られた腕を動かし、縄を緩めようとした。だが、細い腕ではびくともしない。

(俺が深夜になっても帰らなかったら、アンドリューは気にするだろうか?・・・嫌、駄目だ。エンバハダハウスは隣人干渉御法度だった。俺がいなくなったことに気付いたって、何とも思わないだろうな。)

 頼みの綱を失って、リディは一気に力を落とした。

 と、その時。

「さあ、坊や達。出発の時間よ。」

 地下室の扉が開き、店主の男と、太ったマダムがやってきた。後ろには体格のいい男が2人控えている。リディは必死に生唾を呑み込もうとした。だが、粘膜がひっついてどうにもならない。

「おら、さっさと立てよ!」

 乱暴に襟首をつかまれ、縛った縄が腕に食い込む。

「放せ!」

 気丈に反発すると、その頬を強く殴られた。

「っ!!」

 石の床に、思い切り肩をぶつけた。口の中が、鉄の味になる。

 栗色の髪の少年の泣き声が大きくなった。すると、女が厳しく言い放った。

「がたがたうるさいね!口もふさいどきな!」

 雑巾といっても過言ではないような汚い布で、猿轡を咬まされる。

 男二人は、壁際のワイン樽や積み上げられた木箱をどかし始めた。

 あんな大男でさえ腰を低くして額に汗しながら動かしているのだから、普通の大人の男では無理な仕事だろう。

 すべての荷がどかされた部分の壁は、一見何の変哲もない石造りの壁だ。

 だが、男が力を入れて一箇所の石を押すと、壁の一部に、人一人通れるぐらいの穴が空いた。

「さあ、早く!」

 まず店主の男が窓より小さい四角い穴に入った。次に黒髪の少年が押し込められ、そして栗色の少年、続いてリディ。最後にマダムが、ハイヒールの赤い靴と太い足をあらわにしながら壁をまたぎ、やっとのことで穴に入り込んだ。

 5人が穴に入ったのを確認すると、大男二人は穴を石で塞ぎ出した。それが終わらないうちに、リディ達は足元もよくわからない暗い道を歩かされ始めた。

 足裏の感触から、レンガが敷いてあるらしい。

 ただ掘っただけの穴ではない。

 生暖かい湿った空気が、肌にまとわりつく。

 天井からは、時折水滴が落ちてくる。

(どこへ続いているんだ?この道は・・・。)

 ハイヒールの固い足音が、穴の中を木霊する。

 リディは、とにかく気持ちだけは強く持たねばと、しっかりと前を見据えた。

 いつか、必ず一度は、逃げるチャンスが来る。

 店主とマダムの気持ちが緩んだ瞬間・・・それを逃さないよう、じっと待つのだ。

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