表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/152

第28話:約束の日 ― 仮初の終焉 ―

 鎮火の気配も見られない中、ジロルドが肩を落として戻ってきた。

「ジロルド様!」

 キールが駆け寄り、ジロルドの小さな身体を支える。

「キール・・・!戻ってきてくれたのか。」

「はい。遅くなって申し訳ございません。」

 ジロルドは顔を上げ、ジェリオを一瞥した。

「あの青年を知っているか。」

「今宵、バッツが会う約束をしていた相手のようです。」

「そう・・・か。」

 そう呟くと、ジロルドはガクッと膝から倒れこんだ。

「ジロルド様!」

 キールの腕の中で、ジロルドは振り絞るような声を出した。

「皆殺しじゃったよ・・・。」

「え?」

「わしの息子も、嫁も、孫も、みんな・・・あの家の中で焼き殺されてしまった。」

「そんな・・・!」

「わしの様な老いぼれだけ生き残ってどうする?」

「そんなことをおっしゃってはなりません。ジロルド様は国民が頼れる唯一の医師です。どうか、気を強くお持ちください。」

 ジロルドは皴の寄った目じりに涙を滲ませ、気を失った。

 キールは、胸のつぶれる思いだった。

 最悪の事態になってしまったのだ。

 その様子を見ていたジェリオは、太股の横で拳をぐっと握り締めた。

 バッツの家族を皆殺しにしてしまった。

 アンドリューを預けるとき、こんなことは想像していなかった。

 額の紋章を見た時も、ここまでは予測できなかった。

 責任の一端を、ジェリオは重く受け止めていた。

 キールは、額に皴を寄せて唇を歪めているジェリオに訊いた。

「アンドリュー殿の行き先に、心当たりはありますか。」

「彼をさらったのがプラテアードの人間でない限り、ジェード総督府の中の可能性が高いでしょう。」

 キールはジロルドを背負い、バッツの遺体と共に馬上に跨った。

 男三人の重さに、馬が首を振って抵抗する。

「私が一人預かりましょう。」

 ジェリオがそう提案したが、キールはそれを受け入れることはできないと思った。

 バッツ達を自分の家へ連れて行こうと考えている。いや、それ以外に連れて行く充てもない。

 しかし、家にはリディがいる。

 ジェリオの正体はわからないが、プラテアードの人間でないことは確かだ。そんな男にリディを会わせるわけにはいかない。ジェリオが噂の闇の騎士ならば、ジェード国内で会ったリディがプラテアードにいることを、どう説明しろというのか。

「いえ・・・、一人で大丈夫です。」

 その断りのニュアンスに、ジェリオは引き下がった。

「そうですか。では私は一足先にジェード総督府を探ることにしましょう。アンドリュー殿に何かあっては、バッツ殿に申し訳が立ちませんから。」

 そう言われて、キールは少し迷った。

 もし、ここで別れたが最後、二度とジェリオに会えなかったらどうする?

 あの、滅多なことには動じないバッツが心浮かれるほどに待っていた相手から、何も聞かないまま別れていいのだろうか。

 再会の保障はない。

 ジェリオはバッツにどんな情報を持ってきたのだろうか。

 アンドリューについて、何を調べてきたのだろうか。

 ここで、その話をする時間はない。ジロルドを一刻も早く休ませてやりたいし、バッツの遺体も安置せねばならない。

 それらと、リディと、どちらを取るのかと言われたら、間違いなくリディである。

 しかし、ジェリオがキーパーソンであることは確かだ。

 味方になり得るならば、心強い。

 しかし、敵ならば恐ろしい。

 キールは切迫した決断に生唾を飲み込んだ。

 これは、駆け引きだ。

 バッツだって全てを信じたわけではない。それは、ジェリオも同じだろう。

 決して相手に弱みを握られてはならない。

 なかなか動こうとしないキールを見ていたジェリオは、もう一度声をかけた。

「やはり、手伝わせていただけませんか。バッツ殿とご家族を犠牲にした責任の一端は私にあります。」

 キールはグッと口端に力を入れると、バッツの遺体をジェリオに渡した。

「では、お願いします。私についてきてください。」

「わかりました。」

 時間が惜しい。

 一刻も早くアンドリューを探しに行きたい。

 だが、今、ジェリオとの絆を絶ってはいけないと思う。

 そう、本能が告げている。

 キールは、自分を信じることにした。

 ようやく勢いに歯止めがかかってきた火災の燈色に漆黒のシルエットを落とし、二頭の馬は走り出した。



 家に明かりはなかった。

 こういう時は、リディを地下収蔵に隠し、ソフィアが外の様子を見張ることになっている。リディとジェリオがすぐに鉢合わせするようなことにはならないだろう。

 キールは馬を降りると、すぐにジロルドを抱きかかえて家の中に入った。

 窓から兄の姿を確認したソフィアは、すぐに玄関先へと走った。

「お兄さん、この方は・・・ジロルド様?」

「そうだ。気を失っておられる。ベッドに寝かせてくれ。」

 ソフィアが部屋の隅のベッドにジロルドを連れて行く間にキールは卓上のランプを点け、暖炉にも火を入れた。

 そこへ、バッツを担いだジェリオが中に入ってきた。

 見知らぬ気配に反応したのはソフィアだった。

 ソフィアは素早く胸元から短剣を出し、ジェリオの前に立ちはだかった。

「誰だ!?名を名乗れ!」

 ジェリオは、突然の出来事よりも、ソフィアの透き通った美しさに驚いた。

 頬にかかるウェーブかかった髪が、金色に光っている。

 そこへキールの声が飛んだ。

「ソフィア!彼を家の中に入れたらすぐにかんぬきをかけろ!」

 そう言われて、ソフィアは初めてジェリオの肩に担がれたバッツに気づいた。

「バッツ・・・?」

 ソフィアも、独立運動に参加していた一人だ。

 怪我人か、死人かの区別は、つく。

 ジェリオはゆっくりとバッツの身体を床の上に横たえた。

 ソフィアの肩が、わななく。

「これは・・・どういうことなの?」

 バッツの脇に跪いたジェリオに、ソフィアは掴みかかった。

「どういうこと?どうしてバッツがこんなことになってるの!?」

 ジェリオは、その問いに何と答えればいいかわからなかった。

 充血して潤んだソフィアの瞳を見続けることができず、ジェリオは顔をそむけた。

 そこへキールがやってきて、ソフィアの肩に手をやった。

「ジロルド様の看病をしてくれないか。私たちはすぐにバッツを殺した奴らを追わねばならない。」

「誰なの?バッツを殺したのは!?」

「まだわからない。奴らはバッツの家にも火をつけた。一族で助かったのはジロルド様だけだ。」

「なぜ・・・?なぜ、バッツ達が?」

 そこまで言って、ソフィアはハッと顔をあげた。

「それは、アンドリューのため・・・?」

 キールは何も言わず、背を向けた。

 ソフィアは、兄の前に回りこんだ。

「そうなのね?アンドリューのために、バッツは殺されたのね!?」

 その悲痛な叫びは、床下のリディにも届いてしまった。

 食料の詰まった木箱の間に身体を丸めながらリディは息を呑んだ。

(バッツが・・・殺された?)

 床上では、ソフィアの大声が続いていた。

「どうして、ただの軍人のためにバッツが殺されなければならないの?バッツが、ジェード国の人間を護衛したから?バッツはプラテアード国を裏切ったと思われたの!?」

「違う!詳しい話は帰ってからする。ジロルド様を頼む。」

 そして、すれ違いざまにキールはソフィアの耳元に鋭く囁いた。

「いいと言うまでリディ様を絶対に出すな。そして、」

 一層声を抑え、キールは言った。

「余計なことをリディ様に言ったり、何かしたら許さない・・・!」

 震える唇を噛み締めながら、ソフィアは立ち尽くしたまま二人が出て行くのを見送るしかなかった。

 バッツの死について、リディを責めるなと言うのか。

 バッツの死やアンドリューのことについて、何もリディに言うなというのか。

 だが、大声は床下のリディに届いている。

 

 バンッ


 床下から、物音がした。

 リディが木箱を蹴飛ばし、外へ出せと催促しているのだ。

 ソフィアは口端に残忍な笑みを浮かべて叫んだ。

「外へ出すなという、兄の命令よ!出してやらない。出すもんですか。そこで一人、悔し涙を浮かべればいい。そこで一人、よく考えるがいい。どうしてバッツが死んだのか!!」

 そこまで言って、ソフィアはバッツの遺体の前で泣き崩れた。

 1分なら、いいだろうか。

 30秒なら、大丈夫だろうか。

 見張りもせず、ジロルドの様子も見ず、ただ、10年来の同志のために泣くことが許されるのは。

 


 バッツの遺体を見つけた場所から、無数の馬の足跡を辿って、二人は全力で走り続けた。

 複数の村や林、森を駆け抜け、やがて大きく視界が開けた。

 1km離れた草むらからでも確認できるのは、長く続く城壁だ。

 カタラン派の襲撃から1ヶ月。

 強大なジェード王国の総督府の中でも最も広大な敷地を持つ第一総督府は、着実に再建が進んでいる。

 この先にあるのは、国境と、第一総督府だけ。

 ジェリオは馬を停め、キールを振り返った。

「ここで待っていてください。私が総督府の中を探ってきます。」

「あなたは中に入れるのですか?」

 城壁は見上げる以上の高さで、とてもよじ登れるものではない。入り口は4つあるが、いずれも鉄の重い扉で閉ざされ、虫一匹入る余地はない。入るには、ジェード国民である証明書を見せるか、先日のカタラン派のように100人体制の力業で押し込むかのどちらかしかない。

 ジェリオは少し口を動かそうとしたが、キールの問いに結局何も答えず手綱を引いた。

「2時間後に戻ります。くれぐれも、ここを動かぬよう。」

「待ってくれ!」

 キールは、訊いた。

「今宵、あなたがバッツに話そうとしていたことを今、聞くことはできませんか。」

「先を急いでることはおわかりでしょう?」

「ええ。しかし、このままジェリオ殿と二度と会えなかったら、私は一生後悔します。」

 ジェリオは漆黒の瞳でキールをじっと見つめ、答えた。

「私は、必ず戻ります。バッツ殿に借りがある以上、このまま逃げることも死ぬこともできませんから。」

 黒いマントを再び身に纏い、ジェリオは灰色の城壁に向かって一直線に馬を走らせた。

 

 日付が、変わる。

 

 ジェリオとバッツの約束の日が、約束を果たせぬまま終わろうとしている。


 長い一日だった。

 しかし、例え時が日付変更線を越えても、本当の終わりはまだ訪れない。

 まだ当分、誰の心も静まらない。

 まだ、何一つとして解決には至っていない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ