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第23話:火事

 葬儀の夜。

 レオンは合同葬儀の記事を早番(朝刊)に間に合わせるため、リディを伴って作業に追われていた。 キールは新聞社近くの狭い路地で見張りをしていたが、脳裏にはアンドリューの正体のことばかりが浮かんでいた。

 緋色の紋章。

 緋色。それは、ジェード国の財政を支える薔薇翡翠の色。

 葬儀に参列していたハンスとアランフェスの様子を注意深く伺っていたが、心底悲しんでいるようにしか見えなかった。あれが演技だとしたら、大したものだ。

(二人ともアンドリューが本当に死んだと思っているのだとすれば、国も軍もアンドリューが密かに生き延びていることを掴んでないということか。)

 昼間の葬儀の空気を引きずるような、重厚で静かな夜。

 深夜2時をまわれば酒場や賭博場も閉店し、完全に街が眠りにつく。

 犬の遠吠えさえ聞こえなくなった、まさにその頃だった。

 キールは、冷たい風に混ざって鼻をつく異様な臭いに気づいた。

(これは・・・木が焦げる臭い?)

 周囲を見渡しても、背の高い建物が視界をさえぎって、何もわからない。

 だが、その臭いは確かに段々と強くなってきる。

 火事だ。

 どこかで建物が燃えている。

 キールは新聞社を離れて、臭いの方向を辿って街をさまよった。

 東西を見渡せる大通りに出たところで、キールは立ち止まった。

 濃紺の空の彼方が、紅く染まっている。

 紅が滲む空の方向から、何となしに人の気配がし出した。

(あれは、エンバハダハウスの方向・・・まさか!?)

 キールは全速力でハウスに向かって走った。

 段々と、人が増えてくる。

 オレンジの火の粉が、宙を舞い始めた。

 ハウスにたどり着く前に、キールは確信した。

 こんなに遠くの空気まで熱するほどの火災。

 鼻を鋭く突く、焦げた臭い。

 大通りから見上げたエンバハダハウスは、もはや手の着けようもないほどに炎に包まれていた。

 腐って抜け落ちそうな木の床や風化した石、欠けたレンガ。そんなものが丈夫であるわけもない。

 炎がガラスを割る音。

 少し息を吸うだけでむせ返る、煙を含んだ空気。

 消防隊がやってきて近くの井戸から水を運んでいるが、効果は見えない。

 キールは近くにいた野次馬の一人の中年女に尋ねた。

「ここの住人は、逃げたんですか?」

「さあねぇ。私が来た時には火の海だったから。」

 他の人にも聞いてみるが、誰も住人の行方を知らなかった。

 脱出したのかどうか、全く伺い知る事もできない。

 そこへ、レオンとリディが駆けつけた。

 新聞社に火事の一報が入り、やってきたのだ。

 二人は青い顔をして、呆然と燃え盛る建物を見上げるしかなかった。

 その時、突然すさまじい爆音が響き渡った。

 ハンスとアランが住んでいた部屋の辺りの壁が崩れている。

 野次馬の叫びと爆風に煽られ、リディの身体は勝手に動き出していた。

「おいっ、どこへ行く!?」

 レオンの問いに、リディには叫んだ。

「確かめるんだ、あそこにまだアラン達がいるかもしれない!」

「馬鹿か?見ればわかるだろう!お前が死ぬだけだ!」

「でも、もし居たら!?今だったら間に合うかもしれないじゃないか!」

「落ち着け、リディ!俺が確認してくるから!」

 レオンはそう言うと、野次馬の人ごみに消えていった。

 その間に、キールはリディの傍らに立った。

 リディは隣のキールを見ず、炎を瞳に映したまま尋ねた。

「キール。この火事は、一体どういうことだ?」

「私にもわかりません。来た時には、この有様で。」

「では、住人の安否もわからぬのだな。」

「・・・申し訳ありません。」

「火災の原因を調べてくれ。意図的なものなのか、そうでないのか。それと住人達の行方も。」

「はっ。」

 キールが姿を消し、入れ替わりにレオンが戻ってきた。

「リディ、安心しろ。住人は全員逃げたそうだ。」

 リディは、それを聞いて満面に笑みをたたえた。

「本当?」

「本当だとも。ただ、その後どこへ行ったかはわからないんだが。」

「ハンス爺さんは?アランは?」

「知り合いの家にでも身を寄せてるんじゃないか?アランをこの寒空の下にいさせるわけにはいかないからな。」

「・・・知り合いなんているのかな。」

「いるだろう?この街に二十年は暮らしてるんだし。」

 あの偏屈爺さんに身を寄せられるような知り合いがいるのだろうか。

 そう質問しようとしてレオンを見上げたリディは、思わず口を噤んだ。

 レオンは、エンバハダハウスの燃え尽きる音を聞きながら、グッと奥歯を噛み締めていた。

 いくらボロ屋とはいえ、10年も暮らしてきた家だ。家財道具も置いてある。その財産が燃えてしまっているのだ。悔しいに決まっている。

 すべての持ち物を小さな鞄に全て収めて持ち歩けるリディとは、違う。

 リディは、レオンの険しい横顔を見上げた。

 これからどうするつもりなのか、聞きたかった。

 だが、それを言葉にすることが躊躇われるほど、レオンの紅く染まった頬は厳しく、悲しかった。

 二人の目の前で、エンバハダハウスは更に激しい炎に包まれていった。

 リディの乾いた咆哮を掻き消すように、建物は音を立てて崩れていった。

 


 朝靄あさもやなのか、燃え残りの煙なのかは、わからない。

 白い靄の中に浮かぶエンバハダハウスは、もはや原型を留めてはいなかった。

 焦げた骨組みに、崩れた煉瓦。

 まだ熱いし煙くて、近づきたくても近づけない。

 レオンはリディを連れて、とりあえず新聞社に戻った。

 レオンはリディにホットチョコレートを入れてやり、自分は編集長と今後のことを話し合った。

 家を失ったレオンやハンス爺さんには悪いが、リディにとってこれはいい機会だと思った。これを口実に、プラテアードへ帰国するのだ。ソフィアだって文句は言えまい。ジェード国王の隠し子の存在は確認できなかったが、一先ず捜索を中断したことにすればいい。

 やがて、レオンが戻ってきた。

 レオンはリディの前に座ると、努めて優しい声で話し始めた。

「リディ。今後のことを編集長と話し合ったんだが・・・すまない。」

 それが何を意味するのか、リディはすぐにわかった。リディは微笑んで頷いた。

「わかってるよ、レオン。いいんだ。俺、田舎に帰る。」

「田舎へ?でも、身寄りがないんだろう?」

「知り合いはいるよ。何でもして働けば、生きていけると思う。」

「大丈夫なのか?」

「仕方ないよ。」

「すまない。これからは家賃を支払う必要のあるアパートへ住まざるを得ない。そしたら、リディに賃金を払うことができないんだ。正式に新聞社に雇ってもらいたかったんだが、新聞社にも余裕がなくて、だめだった。」

「いいんだよ、レオン。今までありがとう。こんなに良くしてもらって、俺、本当にラッキーだった。」

 レオンはリディの手を両手で握り締め、頭を下げた。

「本当に、すまない。・・・ごめん。」

「やめてよ、レオン。俺、すごく感謝してるんだ。レオンは身の回りの物ぜんぶ失くして大変なのに、俺の心配までしてくれて、俺のほうこそ、すまない。」

 リディの事情を何も知らずに純粋に心配してくれるレオンの好意に、申し訳ないと思う。だが、本当のことを言えるわけがない。『自分がプラテアード国からの密入国者だ』なんて。

 レオンは、できるだけの金を用立ててリディに渡した。

「もし、またヴェルデに戻ってくることがあったら、新聞社に必ず寄ってくれ。俺は死ぬまでこの仕事を続けるつもりだから。」

「わかった。本当に、色々とありがとう。」

 夕べまで一緒に働いていて、こんなに突然別れが来るとは思ってもみなかった。

 プラテアードへ帰国する意思を自ら固めていながら、リディは寂しく思った。

 エンバハダハウスでの生活は、楽しかった。穏やかで、心が安らいだ。

 自分の立場や身分を忘れ、祖国を忘れ、一人の人間として生きられた。

 その生活に、別れを告げる。

 それは、リディ・バーンズという少年が、ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・コン・シュゼッタデュヴィリィエという少女に戻るということだった。

 リディは一度だけ振り返り、見送るレオンに手を振った。

 ズボンのポケットに片手を入れたまま、レオンは軽く手を挙げた。

 レオンがいつまでも、いつまでも見送っているのを、リディは背中で感じていた。

 レオンは、いい人だった。

 レオンだけでなく、ジェード国で知り合った人は皆、ほとんどがいい人だった。

 プラテアードの敵国の人であっても、その一人ひとりがプラテアードを制圧しているわけではない。

 憎むべきはジェード国家そのものであり、ジェード国民ではないのかもしれない。

 そう言ったら、ソフィア達に「甘い。」と叱られるだろうか。

 重い足取りで大聖堂広場にたどり着くと、パンくずを啄ばんでいた無数の鳩が、羽音をたてて一斉に空へ飛び立った。

 プラテアードへ続く空を見上げて、リディは今一度、唇の端を引き締めた。


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