第21話:偽りの訃報
昼間はソフィア、夜間はキールが、リディを護衛する生活が続いていた。
エンバハダハウスの裏手には林があり、その中に潜んで常にリディの部屋や周囲を監視し続けている。
異常に気づいたのは、ソフィアが先だった。
エンバハダハウスを見つめる不穏な気配がする。
それは、独立運動の最中でスパイを務めていたソフィアだからこその気付きだった。
夜、キールと交代する時に、ソフィアは紅い唇を小さく開いた。
「何かが、起こるわ。」
「何か?」
「ええ、近いうちに必ず。できるならリディ様を非難させた方がいいかも。」
「アンドリュー殿のことがある限り、動かないと思うが。」
「まだそんなことを言うの?兄さんがそう言うなら、私が無理に連れ出してもいいのよ?」
キールは奥歯をきしませ、ソフィアから目をそらせた。
「・・・早く仕事へ行け。今まで以上に気を張って監視する。」
ソフィアは何も言わず、兄の下を去っていった。
キールは、プラテアード国内にいるバッツから手紙を受け取っていた。
バッツはリディに伝書鳩で「異常なし」と伝えていたが、散々悩んだ挙句、キールには真相を話すべきだと思い、リディ宛とは別の「キールとバッツ専用」伝書鳩を飛ばしていた。
二人の用いる暗号はオリジナルの乱数表を用いており、決して他人にわからないようにしてある。リディやソフィアにさえも、実態をさらしてはいない。
アンドリューがバッツの家で病身にあること。
そして額に不思議な紋章を持つこと。
ジェリオという名の男の存在。
キールは手紙を燃やしながら、額に意識を集中させた。
全身が黒尽くめということから、ジェリオとは、もしや噂の闇の騎士ではないか。
しかし、ジェード国内に出没した男がプラテアードにいる理由がわからない。
要人の隠密だから黒尽くめだっただけで、闇の騎士とは無関係という可能性も高い。
だが、最も重要なのはアンドリューの額の紋章のことだ。
ジェリオの言うとおり、王家の血筋を引く証なのだとしたら?
(エンバハダハウスの噂が事実だったというだけのことだ。不思議はない。では、あの大家の老人と弟のアランフェスは何者なのだ?ソフィアの気づいた気配と関係あるのか?)
そしてバッツは、最後に追伸した。
このことを、まだリディに話してはならない、と。
(そうだ。まだ不明なことが多すぎる。不審な気配といい、ジェリオという男のことといい、油断ならない。)
特に何も起きないまま数日が過ぎた。
その日の夕方、一台の自動車がエンバハダハウスの前に駐車した。
こんなボロアパートに何の用かと、近所から人々が遠巻きに集まってくる。
車の中からは、見るからに階級の高そうな軍人と、おつきの軍人二人が降り立った。
茶色の立派な口ひげを蓄えた軍人は、半分幽霊屋敷のような建物を訝しげに眺めていたが、やがて中へ入るべく建物の入り口へと進んだ。
玄関先のポーチでは、黒い獰猛な犬を連れた住人の一人が散歩に行くところだった。
犬は3人の軍人を見るなり牙を向け、低く唸る。
おつきの下級仕官が犬を追い払おうと、手や足を振り回すと、犬は激しく吠え出した。
それを聞きつけ、ハンスが玄関から出てきた。
「何の騒ぎじゃ、これは!?」
犬と飼い主が散歩に行ってしまうと、軍人は改めて姿勢を正した。
軍人はハンスを見つめると帽子を取り、恭しく頭を下げた。
「失礼ですが、アンドリュー・レジャン殿のおじい様でいらっしゃいますか。」
ハンスは曲がった腰を伸ばして、軍人を見上げた。
「だったら、何だ。」
軍人は再び帽子をかぶると、カッと踵を鳴らして敬礼した。
「私はジェード王国陸軍中佐、バーディ・ルシェルドと申します。」
「中佐?何でそんなお偉いさんが・・・?」
怪訝な顔つきのハンスに、ルシェルド中佐はフッと哀れみの目を向けた。
「実はこの度、通信司令部三等士官アンドリュー・レジャン殿の死亡が確認されました。」
「死・・・?」
そう言ったきり、ハンスは膝から崩れこんだ。
中佐は瞳を伏せ、穏やかな口調で静かに言った。
「優秀な軍人でした。大変、残念です。」
ハンスは顎をガクガクさせながら、首を振った。
「そんな、馬鹿な・・・。」
「最近、プラテアードとの国境付近で紛争があったのはご存知ですね?その渦中で亡くなりました。」
「プラテアードに、殺されたのか?」
「そうです。」
そこへ、駆けつけた足音があった。
それは、新聞社でエンバハダハウスに人だかりが出来ていると聞きつけた、レオンとリディだった。
人垣を掻き分けて二人が目にした光景は、初めて見るハンスの弱い姿だった。
レオンは始め、軍人がハンスを甚振っているのではないかと勘ぐった。
リディもそれは同様で、すぐにハンスの前に立ちはだかった。
両手を広げて、リディは中佐を睨み付けた。
「いったい、何の用ですか。」
中佐は、みすぼらしい少年の突然の登場に驚いたが、後を追うようにレオンが現れたため、「大人」と話をすることにした。
「あなたは、ここの住人の方ですか。」
「ええ、新聞記者です。・・・失礼ですが、あなたはルシェルド陸軍中佐ではありませんか。」
「そうです。今日は、我が軍の勇敢なる仕官の訃報をお知らせに参りました。」
「訃報?」
レオンの顔色が変わり、リディも息を呑んだ。
「アンドリュー・レジャン殿がお亡くなりになったのです。」
青い顔で震えているハンスの体を支えながら、リディは心の中で否定した。
(そんなはずはない。バッツが異常なしと言ったんだ。あれから何も言ってこないし、これは軍隊の誤報か企みだ。)
しかし、中佐の言うことを信じざるを得ないレオンは言った。
「遺体は、軍に安置されているのですか。」
「ええ。しかし、爆破で個人の識別はできません。来週、プラテアードとの紛争で亡くなった軍人の合同葬を行います。本日は、そのお知らせに来たのです。」
「中佐、直々にですか。」
「国家の尊い財産を失ってしまったのですから、当然のことです。来週は皇太子ご夫妻もお迎えして葬儀を行います。」
ハンスは、腰が抜けたまま叫んだ。
「嘘だ!陰謀だ!死体もないのに、信じられるかーっ!?」
中佐はため息をつき、おつきの下級仕官から布袋を受け取って、それをハンスに差し出した。
「これが遺品です。日常品しかございませんが、お納めください。では。」
中佐はもう一度敬礼し、車に乗って去っていった。
「ふざけるな!わしは葬儀になんぞ行かんぞ!」
手元の小石を投げつけ、ハンスは暴れた。
レオンは、枯れ木のように細いハンスの体を肩に担ぎ上げた。
「何をする、馬鹿レオン!?」
「ここで暴れたって何もなりませんよ。それより、アランにどう伝えるか。そっちの方が問題でしょう?」
その瞬間、3人は静まり返った。
病弱なアランに、何と言えばいいのか。
レオンの、ハンスの苦痛な面持ちを見つめていると、リディは苦しくなった。
リディは、「アンドリューは生きてる。」と言いたくてたまらなかった。
しかし根拠を示せない以上、それはただの妄想になる。
両拳を握り締め、リディは言葉をグッと飲み込んだ。
大人しくなったハンスを肩に、レオンはアランの待つ部屋へと入っていった。
扉の閉まる音が、暗い廊下に重く響き渡った。