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第1話:エンバハダハウス

 ジェード王国の首都ヴェルデは、アルプスを遠くに望む大都市である。

 レンガと石造りの立派な街並みには至る所に緑が植えられ、手入れの行き届いた芝生と噴水の公園がいくつもある。

 

 北の外れにはなだらかな丘陵があり、その頂上に、この国を統治する王の城がそびえたっている。

 王宮を守るのは、1000人からなる近衛隊の兵士達。

 この大国の経済を支えているのは、薔薇翡翠と大理石。いにしえの時代より、貿易の要として大きな役割を果たしてきた。

 

 北方の王宮方面に伸びるアバスカル通りから一本裏に入った一角に、古いレンガの洋館がある。以前は某国の大使館だったらしいが、今では瀟洒な感じとは程遠い、壁も窓ガラスも所々欠け落ち、瓦屋根も破けて雨漏りがするようなオンボロアパートだ。

 そう、アパート。

 建物の名はエンバハダハウス。

 屋根裏部屋つきの二階建て。

 中央の入り口から左右に3ずつの大窓。

 木製のドアも窓枠もあちこち腐食していて、ぱっと見「ここが人の住むところなのか?」と疑わずにはいられない。

 庭らしき部分と歩道の境目がわからないほど、雑草は生え放題。

 永久日陰の部分には、蔦が壁を浸食している。

 周囲にも大小様々なアパートが立ち並ぶが、ここは都市の中心にも王宮にも遠くない一等地。このエンバハダハウスだけが目だってぼろい。何度も取り壊しが検討されたが、なぜかそのままになっている。

 家主は誰か、土地は誰のものか。

 そんな疑問が一つも解決できないような存在であり、街人恰好の怪奇な噂の種でもあった。

 

 ある花曇の日。

 このエンバハダハウスの前に、一人の少年がやってきた。

 名前はリディ。13歳。

 黒いハイネックのセーターに青いシャツ。

 埃まみれの長靴に大き目のズボン。

 明るい茶色の髪は、自分で切ったように耳元でがさがさに乱れている。

 だが肌は白桃色で柔らかく、紅茶色の瞳は生き生きと輝いていた。高くない鼻は、まだ少年らしいあどけなさを残している。

 蔦の絡まった壁から、イタリア瓦がところどころ抜け落ちた屋根まで、リディはゆっくりと見わたした。

 (これが噂のエンバハダハウスか。)

 リディは今日、このアパートに入居しようと田舎からやってきた。

 「女人禁制」「家賃無料」ただし「偏屈大家の許可必要」という噂。

(偏屈大家・・、問題はそれだよな。)

 緊張で喉がひっつきそうだ。

 幼いリディが知る噂の内容など知れている。噂の信憑性もわからなければ、噂の量も絶対的に少ない。

(でも、年齢制限とかは聞いたことないもんな。大丈夫、大丈夫。)

 自分に言い聞かせるようにして、リディは胸元で拳を握り締めた。

 いざ!

 前に一歩踏み出す。

 が、扉の前でリディは手を宙に浮かせたまま固まってしまった。

 呼び鈴がない。

 ドアたたきもない。

(・・どうしよう・・?)

 今はまだ他人の家。下手に覗き込んだら怪しまれそうだ。

 ドアを直接たたこうと思ったが、家主がどこにいるかわからないし、ぼろくても大きなアパートゆえ、その音が聞き及ぶとは思えない。

 しかも、このドア!

 蝶番がいつ取れても不思議がないのでは?

 せっかく勇気を振り絞ってここまで来たのに。

 どうする?

 誰か帰ってくるのを待つか?

 いや、噂では住民は全員ならず者と聞いたこともある。少年のリディなど、相手にされないかもしれない。

 と、その時だった。

 「おい、こんなところで何してる?」

「っ!!」

 心臓が喉から飛び出ると思った。

 振り向いておそるおそる見上げると、そこには銀色の髪をした少年の顔があった。

 初めて見る、プラチナブロンド!

 17、8歳くらいだろうか?

 背は高いが、白いシャツからのぞいた首下が華奢に見える。

 しかし、柔らかになびく長い前髪から覘く蒼い眼差しは、恐ろしいくらいに冷ややかだ。

 リディは息を呑んだ。だが、これは絶対チャンスだ。

 「あの、俺、ここに住みたくて。」

「ここに?」

「そう!だから、ここの家主さんに会いたいんだ。」

 少年は、意地悪な笑みを浮かべた。

「お前、いくつだ?大体、ここが悪名高いエンバハダハウスだと知ってるんだろうな?」

「も、もちろん!」

 リディは身を乗り出した。

「俺、こないだ親が死んじまって、家追い出されて、行くところなくて!そしたらこのハウスが家賃無料って噂聞いて、」

「ふーん。じゃ、偏屈大家の許可が必要ってのも知ってるんだろ?」

「もちろん。だから、会いたくて。」

 少年はリディの頭のてっぺんから爪先まで視線を移すと、

「お前、仕事持ってんのか?学校通う金なんか無さそうだもんな。」

「そりゃあ、金があったら家賃無料なんて言葉につられないさ。」

「家が決まったって、仕事なくちゃ食ってけないだろ?お前は知らないだろうが、このハウスの掟の一つに『隣人干渉御法度』ってのがあるんだ。つまり、隣のヤツが死のうと飢えようと手出しするなってことさ。だけど実際に死なれたら面倒だからな。食うに困るような人間は住まわせないんだよ。家賃無料に甘んじて働かないような怠け者じゃ、家主が許さねぇよ。」

 少年はそう言い放つと、リディを脇に押しやって入り口の扉に手をかけた。

 リディは慌ててその腕につかまった。

「仕事したいさ!だけど13歳じゃなかなか仕事させてくれなくて。でも、絶対見つける!だから家主に会わせてくれよ!身寄りの無い俺が住まいを探すことは、仕事探すより難しいんだ!」

 少年はリディを冷めた目で見下ろした。

「当たり前だろ。生きてくってのは甘くねぇんだ。」

「じゃあ、俺はどうしたらいい?持ってた金も底ついちゃって、明日のパンも買えないんだ。」

「仕事しないヤツに食う資格はないからな。」

「だから!どこも仕事させてくれなくて!」

「俺にどうしろってんだ、仕事の紹介なんてできないぜ。」

 リディはすがるような目で少年を見つめていたが、やがて諦めて下を向いた。

「・・・それは、そうだよな。」

 少年からゆっくりと離れ、リディは俯いたまま言った。

「俺が、甘かった。ここへ来れば何とかなるなんて、甘えすぎだった。ごめん。」

 肩を落としてその場を去ろうと踵を返す。

 そんなリディの寂しげな後姿に同情したのか、少年は「仕方ない」というように叫んだ。

 「おいっ、待てよ!」

 リディは、あまりにも気落ちしてしまい、振り向く気力もない。少年は走って追いかけると、リディの前に回りこんだ。

「待て、って!」

「・・・。」

「仕方ねぇな。3日待ってやるよ。」

 リディは無表情のまま、少年を見上げた。

「3日の間に仕事見つけてきたら、家主に会わせてやる。それでいいか?」

 リディの頬が、パッと喜びにあふれた。

「本当?」

「嘘ついてどうすんだよ。でも、ほんっとうに3日しか待たないからな。仕事先で住所書けって言われたら、このハウスの住所使っていい。それなら雇ってもらえる可能性あるだろ?」

 リディは笑顔で何度も何度も頷いた。

 少年はポケットから紙と木炭を削ったペンを取り出した。

「今、エンバハダハウスの住所言うから、ここに書いとけ。」

「うん。」

 リディはしゃがんで石畳の上に紙を置いた。

 少年は立ったまま言った。

「いいか?ジョゼ・セラーノ街、アルカラ、アバスカル通り・・・。」

 リディは素早くメモしていく。

「あと、紙の下にお前の名前を書いとけ。」

「わかった。」

 書き終わると、リディは少年に紙を渡した。

 少年は下の部分だけを切り取ると自分のポケットに閉まい、残り半分をリディに返した。

「じゃな、仕事が決まらなかったら来なくていいぜ。」

「ここへ来れば、いつでもあんたに会えるのか?」

「いや、夕方のほうがいる可能性は高いな。」

「・・あの、名前、聞いておきたいんだけど。」

「俺の?・・俺は、アンドリュー。」

「アンドリュー・・・。」

「別に覚えなくていいぜ、これっきりの間柄かもしれないし。」

 リディは、「ちょっといい人かな?」と思った自分を馬鹿らしく思い、頬をふくらませた。

 「俺、絶対、ぜーったい、仕事見つけてくるからな!見てろよ!」

 そう言い捨てて走り去るリディを見送り、アンドリューは軽い溜息をついた。

 「相変わらず、孤児に弱いね。」

 突然後ろから声をかけられ、アンドリューは驚いて振り返った。

「・・・レオンか。」

「今の、全部見せてもらったぜ。」

 レオンはエンバハダハウスの住民の一人で、こんな家賃不要のボロアパートに住む必要などないはずの新聞記者だ。勤め先も給料もしっかりしている。物好きな29歳の立派な青年だ。

「別に、住まわせるって決まってないよ。ここは孤児院じゃないんだ。」

「でも、気に入らなかったら声もかけないだろ?」

「・・・まあ、ただの浮浪児には見えなかったんでね。それに、」

 アンドリューはレオンにさっきのメモ書きを見せた。

「あいつ、文字が書けるぜ。しかも書きなれてる。ちゃんと学校に通ってた証拠だ。」

「国の政策が行き届いてるってことじゃないか。今や6割が12歳までは学校に通えるようになった。」

「あとの4割は何だ?親の貧乏の犠牲になってるだけじゃないか。口減らしにどこへでも売られちまう。」

「でも、ここ3年ほどは少年ゲリラとして売られていく子が確実に減っている。」

「プラテアード国の『独立運動の王』が死んだからだろう?次の指導者が現れるまでの束の間の平和だと思うよ。」

「その通りだ。色んな噂も飛び交い始めているし。」

「噂って?」

「まだ噂の域を出ないからな。秘密だ。」

 アンドリューは、レオンの持つ紙包みから野菜の葉先がはみ出しているのを見つけた。それは、白いシャツにネクタイを締めたいい歳の男には相応しくない、というより、滑稽さを感じてしまう。アンドリューは思わず言った。

「レオン、今のうちにハウスを出た方がいいんじゃないか?」

「どうして?」

「こんなオンボロハウスじゃ、女一人連れ込めないだろ?」

 レオンは、穏やかに笑った。

「そんな心配は無用だよ。」

「大丈夫かよ?暴動専門の記者なんかやって忙しさにかまけてると、あっという間に爺さんだぜ?」

 レオンは、アンドリューの肩を軽くたたいた。

「少年にはわからない人生が大人には待ってるんだよ。俺はこのハウスが落ち着くんだ。好きなんだ。追い出さないでくれ。」

 アンドリューは、レオンの手を払いのけながら言った。

「ここの家主は俺じゃない。」

「アンドリューのおじいさんじゃないか。同じ様なもんさ。」

 レオンは手を振りながら、自分の部屋へ帰っていった。

 アンドリューも自分の部屋へ戻ろうとして、ふと思い出したようにさっきの紙切れをポケットから出してみた。

 茶灰色の粗末な紙に書かれた、一つの名前。

 ”リディ・バーンズ ”

 (・・・上手い字じゃないか。だが、それだけじゃ仕事にはありつけないぜ。)

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