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第18話:満月の奪還

 国境に最も近いジェード第一総督府に火の手が上がったのは、月が金色の円を描く夜のことだった。

 ジェリオが予想したとおり、マリティム王子とフィリグラーナ王女の婚礼の晩を狙って、カタラン派は大規模なテロを数箇所に仕掛けた。

 祝杯を挙げていたジェード軍は、明らかに通常の戦力を欠いていた。

 深い闇夜が紅く染まり、夜とは思えない人々の喧騒が続く。

 カタラン派の主戦力はジェード総督府の夜襲に費やされたため、アンドリューが捕らえられている牢の警備も薄くなっていた。

 出入り口の番兵をバッツが腕ずくで倒し、ジェリオが中へ侵入する。


 程なくして、裏通路を抜けてきたジェリオの肩には、意識を失った状態のアンドリューが担がれていた。

 打ち合わせどおりの場所で待っていたバッツは、我先にと馬の手綱を力強く引いた。

「急げ、ジェリオ!俺について来い!」

 ジェリオはアンドリューを抱えたまま用意された馬に飛び乗り、バッツを追う様に全速力で走り出した。


 草原を駆け、林を抜け、紅く燃える夜空からどんどん遠ざかる。


 幸い、誰も追ってくる気配は無い。

 ただ、草や土が焼け焦げる臭いが、しつこく追ってくるだけだ。


 やがて、一つの村の入り口に着いた。

 バッツはそこで馬を止め、ジェリオを振り返った。

「ここから先は、一緒に行動できない。アンドリューは俺が責任を持って預かる。」

「わかりました。」

 ジェリオは馬から降りると、鞍の上で自分の黒いマントに包まれているアンドリューを抱き降ろした。 そして、馬に乗ったままのバッツに、その身体を受け渡そうとした。


 その時だった。


 マントから覘いたアンドリューの顔が、ぐったりと横に倒れた瞬間。

 そう、その瞬間だった。

 アンドリューのプラチナブロンドの長い前髪がはらりと額から零れ落ち、そして。


「これは・・・!?」


 ジェリオもバッツも、思わず息を呑んだ。

 

 アンドリューの青白い額が、光っている。

 二人は眩しさに目を細めながらも、その正体を見極めようと凝視した。

 満月の光に反応するように、紋章のような薔薇色の模様が額に浮かび上がっているのだ。

「これは・・・!」

 ジェリオの顔色に、バッツはすぐ反応した。

「おい、これはどういうことだ?」

「・・・私が歴史で学んだこの大陸の王家の儀式は、戴冠式でも、結婚式でも、葬儀でも、すべて満月の夜に行われているのです。どうして満月の日なのか、そして、儀式を夜に行うのか、いつも疑問に思っていました。でもこれで、その理由がわかった気がします。」

 バッツは、大きく目を見開いた。

「まさか・・・。」

「すべての儀式は大聖堂で行われますが、宣誓などの重要な場面は神使(この大陸の宗教が信ずる神の使いとして、国ごとに王が任命する役職。)と王族のみしか立ち会えないのです。各儀式が満月の夜なのは、この額の紋章が満月の光によってのみ浮かびあがるからではないでしょうか?この紋章があることが王族の血をひく確かな証拠であるとして、神の前で額を満月にさらす慣習なのではないでしょうか?」

「・・・こんな額の紋章の話は、聞いたこともない。」

「それは私も同じです。おそらく、王家と神使のみの秘密なのでしょう。」

「だが、アンドリューはどこの国の王族だというんだ?やはり、ジェードか?」

「わかりません。私の知ってる限りでは、どこの国の王家の紋章とも違っています。もしかしたら、王家が表向きに使っている紋章とは違う、『裏紋章』のようなものがあるのかもしれません。」

 バッツは、重たい首を横に振った。

「信じられん。本当に王家の血筋をひいているのならば、こんな危険な目に遭うわけがない。」

「しかし、否定する根拠はありませんよ。」

 バッツは乾いた喉を無理に潤そうと唾を飲み込んだが、上手くいかない。

 どこかの国の王子が今、自分の腕の中にいるなど、夢としか思えない。

「まさか、俺達の気付かないところで誰かが見張っていたりするのか?」

「それはありえますね。私も気付くことはできませんでしたが。」

 バッツが、腕の中のアンドリューの存在を隠すようにマントで覆うと、額の光は何事もなかったように輝きを失った。

 ジェリオは手綱を掴み、方向を変えた。

「では、アンドリュー殿のこと、よろしくお願いします。」

 バッツは、低い声で訊ねた。

「この話、そなたは『ご主人』とやらに話すか?」

「話します。それが私の任務ですから。その情報をどうするかは、ご主人のお決めになることです。」

「そう・・・か。」

「アンドリュー殿の今後の身の振り方についても、相談してきます。1ヵ月後、再びこの場所でお会いしたい。」

「いいだろう。この木に印を刻んでおく。1ヵ月後の満月の晩、また、ここで。」

 ジェリオの馬が走り出すのと、アンドリューを胸に抱えたバッツの馬が走り出したのは、ほぼ同時だった。

 真逆の方向へ走り出しながら、2人は互いの主人について思いを馳せていた。

 

 アンドリューの額の紋章のことを知ったら、どうするだろう?

 バッツの主人である、リディは?

 そして、

 ジェリオの主人である、フィリグラーナ皇太子妃は・・・?



 重体のアンドリューを肩に抱えて帰宅したバッツを、家族は驚きながらも慎重に迎え入れた。

 老いたバッツの祖父、ジロルドは、かつてプラテアード王室付きの医師であった。

 ジェードとの戦いでは大勢の同志を手当てし、リディはいつもジロルドの手当てを近くで見たり、手伝ったりしていたものだった。

 バッツは父母と姉に家中の戸を閉じるよう命じ、アンドリューを家の一番奥の秘密の間へと連れて行った。

 バッツの家族は一言も言葉を発することなく、言われるまま動いた。

 バッツの父は元王立軍の近衛連隊の隊長であり、王室に忠実な家系と言える。プラテアード王の一族に古くより仕えてきた心得が、バッツの家族には芯から染み付いているのだ。

 秘密の間は、ジェードと戦争になった頃から、要人を隠すために使っていた場所だ。

 狭い階段を上りきると、6角形の小部屋に辿り着く。すべての辺に同じ形の扉がついており、ふと気付けば、どれがどこへ続く扉かわからず、方向を見失う。誤った扉を開くと、地下牢へ真っ逆さまに落ちていくらしいが、実際の処はバッツにもわからない。

 白い口髭を蓄えたジロルドはアンドリューの様子を一目見るなり、一刻の猶予もならないことを察した。

「バッツ。沸かせるだけ、湯を沸かせ。それから強い酒だ。煮沸消毒した清潔な布もあるだけ用意しろ。」

「わかった。」

 家族総出で、アンドリューを救うために動き出す。

 しかしアンドリューのことについて、誰も、何も聞こうとはしない。

 バッツが話さない限り、訊くべきことではないと、皆が心得ている。

 いつもケチっているランプの灯も、ここぞとばかりに消費した。

 あとは、王専属の医師だったジロルドの腕を信じるしかない。

 よく見ると、アンドリューの身体のあちこちに、尖った鉄の欠片が無数に食い込んでいる。 

 満足な食料も水もない上での拷問は、アンドリューの骨の髄まで蝕んでいるようだった。

「一体、どういう目に遭ってたんだ?」

「カタラン派の拷問牢に入れられてた。」

「栄養失調に脱水状態、身体の傷。よく生き延びられたものだ。」

「リディ様の命の恩人だ。とにかく、助けてくれ。」

「見くびるな。わしは医者として、例えこの少年が大いなる敵であったとしても、全力で救うぞ。」

「・・・頼む。」

 バッツが部屋を出ると、ちょうど姉のルチアが、三度目の湯を持って来たところだった。

 暗い廊下に灯された小さな蝋燭の火の下、ルチアは黒い瞳でバッツを見つめた。

「容態は、どう?」

「悪いさ。あとは、爺さんの腕を信じるしかない。」

「・・・母さんが下で食事の支度をして待ってるわ。バッツは少し休んだら?」

「いや、後でいい。」

 と、その時。

 突然、秘密の間から大きなうめき声が聞こえてきた。

 2人はハッとして、すぐ部屋の中に入った。

 見ると、ベッドの上でアンドリューがもがき苦しんでいる。

 ジロルドは、バッツに向かって叫んだ。

「おい、こいつの身体を押さえててくれ!」

 バッツはルチアと共にベッドにかけよった。

 バッツがアンドリューの胸元に覆いかぶさるように身体を押さえつける。

 重いバッツの身体に押さえられ、アンドリューは足だけをばたつかせた。

「ルチア、足を押さえられるか?」

 ルチアも、バッツと同じように背丈も横幅も大きい。

 太い腕で、アンドリューの足をベッドの上に押さえつけた。

「爺さん、何をする気だ?」

「身体のいたるところに鉄の欠片が食い込んでる。それを取ろうとしたら、痛くて暴れたんだ。」

「痛みを和らげるような薬はないのか?」

「身体に危険を及ぼすものは、なるべく使いたくない。身体が弱ってるからな。」

 ジロルドはまず、足の裏から、鉄片を取り除き始めた。

 深く食い込んだものは、ナイフで皮膚を刻まねばならず、アンドリューはその度に苦痛で地獄の叫びをあげた。

「バッツ、彼が舌を咬まないように、布を咬ませとけ!」

 ルチアが、消毒された布をバッツに手渡す。

 その後、ジロルドはアンドリューの服を脱がせるようにバッツに命じた。

 長い拷問のせいか、シャツはボロボロだった。

 それを脱がせたとき、ルチアが思わず低く呻いた。

 白い肌に、鞭で切り刻まれた跡が血で滲んでいる。

 おそらく全身を、鉄製の棘付き鞭で打たれていたのだろう。

 バッツは、奥歯を噛み締めた。

 本当にアンドリューは、王家の人間なのだろうか。

 エンバハダハウスにジェード王の隠し子がいるという噂があった。

 それを確かめるために、リディはハウスの住人になった。

 アンドリューが王の隠し子だったとして、どうして軍隊の下級士官などという地位にいるのか。

 隠し子というより、捨て子だったのか。

 王位継承の問題を避けるために?

 だが、長子が跡を継ぐことが国の掟である。マリティム王子はアンドリューより明らかに年長であるし、問題になるとは思えない。単純に、隠し子がいるなどというスキャンダルを避けるためとも考えられるが、本当にそうだろうか。

 ジェリオの存在だってわからない。

 もし、ジェリオの主人というのがジェード王だったとしたら、どうだろう?

 いや、それはありえない。

 ジェード王の使いの者だったら、アンドリューの額の紋章を見て「王族かもしれない。」などとバッツに言わないだろう。

 脂汗が吹き出ているアンドリューの額を見つめながら、命が助かることだけを、バッツはただひたすらに祈った。

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