第17話:囚われの身
アンドリューが、カタラン派の村に潜入して2ヶ月。
リディ達のフレキシ派と敵対しているカタラン派は、ジェード国からの独立だけでなく、ジェードそのものを制圧せんとする過激な思想で洗脳されている。
プラテアード国内に分散して拠点を持つフレキシ派とは対照的に、ジェードとの国境からそう遠くない土地に、カタラン派は同志全員、家族ぐるみで生活している。
国境付近でジェード国の軍人と度々紛争を起こすのは十中八九、カタラン派の連中である。
彼等はジェード総督府に潜入し、爆薬や銃などを盗むことも多い。
アンドリューは、盗むための犠牲になる子どもの姿を、何度も目の当たりにした。
爆薬をシャツの下の腹に巻きつけ、見張りのジェード軍人と共に自爆する。
その騒ぎの最中に、大人が武器庫に侵入して盗みを働くのだ。
また、カタラン派の女は13歳から子を産み始め、間を空けずに次々と産み続けねばならない。
ジェード国の統治下で満足な食料もない中、毎年出産し続けるのは大変なことであり、大半の女は30歳になるまで生きられない。
そのため女子は大事に育てられ、自爆役は男子か障害児に限られていた。
そんな中、アンドリューは一人の少女と出会った。
16歳の少女は3度目の妊娠で流産し、子どもの産めない身体になった。そのため、近々、自爆役として、死なねばならないという。
アンドリューは同情し、その辛い任務から逃れる術はないものかと考えた。
それは、ジェード国のスパイとして許される行動ではない。
それでも尚、動かないではいられなかったのだ。
リディの命令によりアンドリューを始終監視し続けていたバッツは、ここ数日、不穏な気配を感じて身を固くしていた。
アンドリューは現在、カタラン派の拷問牢に閉じ込められている。
アンドリューが同情した少女というのは、実は組織に潜入したスパイを炙り出すための、プロの囮だったのだ。
新参者のアンドリューは当然疑いの対象だった。
始めは喜んで同志として受け入れていたような振りをしておいて、相手が安心した頃に牙を剥くのだ。
バッツが連中の話を盗み聞きしたところ、アンドリューは少女を逃がす算段をしたらしく、それが「裏切り者」だということで、拷問牢に入れられたらしい。
だがそれは牢に入れるきっかけにすぎず、実際はアンドリューがジェード国のスパイかどうか口を割らせたいのが本心に違いない。
アンドリューが入っている拷問牢は、外からは全く見えない所にある。
バッツは盗み聞きで、それがどんな場所でどの辺にあるのかは掴めたが、それ以上は窺い知ることができないでいた。
今後、アンドリューが無事に解放されることは、まずないだろう。
このまま指を咥えて見ているだけなんてできない。
自分の落ち度で見失ったリディを救ってくれたのだから、今こそアンドリューに恩返しすべきだ。
しかし、亡きフレキシ派リーダー、アドルフォの側近だったバッツは、カタラン派に顔を知られている。
ジェード国から独立する上で、両派はいつか手を組まねばならない間柄のため、表面上は友好を結んでいる。内部紛争で国力を落とすべきでないとリディが常に言うように、両派が争うきっかけなど絶対に作ってはならない。
「大男」と有名な肉体の持ち主であるバッツは、覆面などで変装しても意味がない。
そこで気になるのが、「不穏な気配」だ。
見張っていることを、カタラン派に勘付かれたのか?
だが、いくら辺りを探ってもそれらしき人影は見つからない。
次の日、アンドリューが、もはや虫の息らしいことがわかった。
毎日、逆さに吊るされ、鞭で打たれ、身体を刻まれ、食事も水も与えられず、死ぬのも時間の問題だという。
もう、待てない。
見捨てるか、助けるか。
スパイとして潜入している以上、ジェード軍は、アンドリューの救出など絶対にしない。
アンドリューをスパイとして送り出したら最後。半年の任務を終えて帰還しない限り、身柄の保障はしない。
迷いを決断に変えねばならない夜。
バッツは小高い丘の上で、人の背丈ほど生い茂る草に身を潜め、牢の方を眺めていた。
と、その時。
突然、後ろから口をふさがれた。
「!!」
「静かに!」
力に自信のあるバッツが、微動だに出来ない。
あれほど気を張りつめていたのに、全然気配を感じなかった。
一体、何者なのか?
飛び出さんばかりの眼で脇を睨むと、そこには全身黒尽くめの男がいた。
男は、黒いマスクの下から抑えた声で話を続けた。
「私は敵ではありません。あなたに相談があるだけです。」
「・・・!?」
「近くに洞窟がありますから、そこへついて来て下さい。多分、私とあなたの目的は同じですから。」
そう言うと、男はバッツから離れた。
男の黒いマントが軽やかにはためき、細くて背の高いシルエットが、美しく月明かりに映えた。
男はバッツの目の前からフッと消えたかと思うと、軽やかに5mほどの崖下に飛び降りていた。
(げっ、俺にも飛び降りろってか?)
しかし、巨体とはいえ、素早く動けなければ要人の側近など務まらない。
バッツは腕を胸の前で組むと、息を止めて崖を飛び降り、黒尽くめの男の後を全速力で追った。
巨岩の重なりに隠れていた窪みは、思ったよりもずっと奥深い。
湿気の高さが、服の下の素肌にまで浸透してくる。
突き当たりまで進んだ所で、男は大きな蝋燭に火をつけて、地面に突き刺した。
「座ってください。」
マントを脱ぎながら、男は麦藁で編んだ筵をバッツに勧めた。
バッツは筵の上にどっかと腰掛けると、蝋燭の小さな明かりを頼りに、辺りを見回した。
大したものは置いてないが、どうやら男はここを塒にしているようだ。
黒尽くめの男は、バッツの向かい側に座ると、マスクを外した。
細い、面長の顔。
黒髪にオニキスのような黒い瞳。
胸元まではだけた黒いシャツ、黒いズボンにブーツ。
上から下まで見事に黒尽くめだ。
「急がせて申し訳ありませんでした。誰かに見られては困りますので。」
バッツは眉を顰めて、用心深く男を睨みつけた。
「お前は、プラテアードの人間ではないな?」
「・・・私があなたを誘ったのは、同じ目的を持っていると確信したからです。」
「同じ目的?」
「私とあなたは、ずっと同じ人間を見守っていたんです。つまり、アンドリュー・レジャンを。」
「!!」
バッツは驚いて息を呑んだ。
「いつから気付いていた?」
「私がプラテアードに入国して間もなくです。あなたの方が私より先にアンドリュー殿を見張っていたようなので、気付きました。」
男は、バッツを鋭い眼光で射抜くように見つめた。
「アンドリュー殿を助けたいと思っています。手を組んでくれませんか?」
「何?」
「明後日は、ジェード国王子の結婚式です。明日はジェード軍の監視が強まりますが、明後日はお祝いで総督府も警備が緩みます。カタラン派が、こんなチャンスを逃すわけがないんです。」
「奴等が総督府に押し入る間に助け出そうというわけか。」
「ええ。」
「・・・そうか、いい考えだ。だが残念ながら、俺は内部の様子が全然わかっていない。」
「私は大分掴んでいます。しかし、一人では奪還が難しいと思っていたんです。あなたが一緒なら、可能です。」
「見返りは何だ?」
「何もありません。私はただ、アンドリュー殿を助け出したいだけです。」
「それは、誰かに頼まれてのことか?」
すると、男は少しだけ口を噤んで首を振った。
「それを口にすれば、私の正体を明かすことになります。」
「そうか。まあ、俺も身分を明かせない。だから、そなたの正体も聞かないことにしよう。ただ、アンドリューを助けたいのは同じ気持ちだし、どうしたらいいか迷っていたのも事実だ。」
「では、手を組んでくださいますか。」
「ああ。こちらから頼みたい位だ。」
男は唇の端に少しだけ笑みを浮かべて、大きな手を差し出した。
「私の名はジェリオ。」
「俺はバッツ。よろしく。」
信頼を掴み取ろうとするように、二人はがっちりと握手を交わした。
このジェリオこそ、ジェード王国の都市部で噂される闇の騎士であることをバッツが知るのは、かなり後のこととなる。
二人は僅かな灯の中で、アンドリューを助け出す作戦を細かく練った。
ジェリオの計画は慎重で、寸分の隙もないものだった。
細い枝のような指で地面に牢への道のりを示していく。
一通り話し終えると、ジェリオはバッツに言った。
「見ての通り、私はこんな洞穴を根城にするしかない余所者です。助けた後、アンドリュー殿には治療と静養が必要になりますが、それらを手配する伝手がありません。強引に国境を突破してジェードに帰国させることも考えましたが、衰弱の程度から無理があると思ってます。」
バッツは、太い親指で顎をさすった。
「スパイ活動に失敗したことがジェード軍に知られたら、アンドリューはどうなる?」
「スパイ適性のテスト生という身分ですが、除隊処分は免れないでしょうね。」
「アンドリューが囚われてることくらい、ジェード軍のプロのスパイは、既に知ってるのだろうな。」
「ええ、おそらく。しかし、軍がアンドリュー殿を助けることはありえません。」
「そうか。ならば俺が身柄を引き受けよう。その代わりといっては何だが、俺はカタラン派にあまり姿を曝したくないのだ。役割分担で、牢の外の手引きに回らせてもらえないか。」
「いいでしょう。」
ジェリオは洞窟の出口まで、バッツを見送った。
「では、明後日。約束の時間に。」
「ああ、必ず成功させよう。」
軽く手を挙げて背を向けたバッツに、ジェリオは呟くように言った。
「互いの・・・ご主人のために。」
その言葉に、バッツがハッとして振り向いたときには、すでにジェリオは闇の奥だった。
(ジェリオ・・・奴は一体何者なんだ?それに、奴の主人って・・・?)