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第146話:リディの闘い -その6-

 コン・クエバは、昔、鉱物を採掘した跡の洞穴を利用した監獄である。

 採掘した路は奥深くまで続き、そこから縦横無尽に蟻の巣の如く大小様々な空間が掘られていた。それら一つ一つの入り口に鉄柵さえ設ければ牢屋になる。岩盤からは不規則に水が染み出していて、それが気が遠くなるほどの時間をかけ岩を浸食し、場所によっては脆く崩れやすくなっていた。だが、それで天井や壁が崩れて生き埋めになったとしても「囚人」なのだから問題はない。ジェードにとって最も古い、最も安上がりな監獄として、そして、国家の安寧を揺るがす重罪人が収容される監獄として名を馳せていた。

 しかし、その場所は殆どの一般国民が知らない。なぜなら、地図に載せることを禁じているからだ。だからその存在は「実在」しながらも、「伝説」のごとく現実味の無いものと捉えられることも多かった。

 リディも勿論、ここがヴェルデの王宮からどれ程遠いところにあるのか、見当もつかない。

 馬車の走った時間や道のコンディションから、また、馬を交換していたことから、60km以上は運ばれたのではないかと考えた。

 壁のくぼみに身体を押し込められ、同じ姿勢を強いられることは想像以上に辛いものだ。

 腰や手足の曲げ伸ばしが自由になるなら、これより狭い空間でも今よりはましだろう。

 リディの筋肉や筋を疲労させる原因はもう一つあった。両足の置き場の奥行きが自分の足より狭いだけでなく、絶え間なく流れる湧き水に濡れて滑りやすいということだ。今はまだいいが、いつか確実に睡魔が訪れる。その時に力の抜けた裸足の爪先が滑り落ちる事は間違いない。

 初めは真っ黒にしか見えなかった爪先の遥か下の景色が、目が慣れて来るに連れて少しずつ見える様になってきた。黒土色の中に白茶色の欠片が散らばっていることに気付いた時は、流石に足裏から総毛だった。あれは間違いなく、リディの前に吊るされていた囚人の骨だ。

 改めて鉄製の手かせを見るとところどころ錆が浮いていて、岩壁に繋がった鎖も頑丈とは言い切れない。下手に暴れたら金具が壊れて落下するかもしれない。落下すれば骨折し、動けなくなっているところを再び吊るされるのか、そのまま槍で突かれて殺されるか。

(いや。どう足掻いてもここで死ぬことに変わりはないのだ。)

 洞窟の中は、気温が一定してひんやりしている。

 空間一体を照らす松明が絶えず炎を上げていても、この広い空間を温めるだけの威力はない。

 ここに吊るされる前に、リディが元々来ていた服は囚人用の服へと着替えさせられたていた。男の番兵や看守達の目の前で無遠慮に裸にされ、藁で編んだ大きな穀物袋に穴をあけただけのような物を被せられたが、もはや屈辱や羞恥を感じることもなかった。ただ、半年近く続いた魔法が解けただけのような、本来あるべき姿に戻っただけのような、まさに「夢から覚めた」状態に過ぎなかった。

 堕胎のために自ら傷つけた体は、看護師長から常に「特に腰回りは冷やしてはいけません。長時間立って作業してはいけません。走って転ぶようなこともあってはなりません。寝不足も栄養不足も身体に障りますからね。」と言われ、随分と甘やかしてきた。この半日で全ての言いつけを破ることになってしまったが、殆ど寝たきりのような生活をしていた身体は、想像以上に脆くなっているだろう。

 瞼を閉じれば、病院での惨状が思い返される。

 もっと早く、荒くれ隊長の前へ出て行くべきだったのかもしれない。

 背中しか見えなかったソフィアが抱えていた人は、誰だったのか。

 力の抜けた両腕と、おびただしい血の海しかわからなかったが、もう、息絶えてしまっていたのだろうか。

 床に倒れている男性もいた。

 壁にもたれて動かなくなっている人もいた。

 彼らは一体、どうなったのだろう?

 助けを呼ぶことはできたのだろうか。

 ネイチェルから「リディ様のおられる病室は、王家の者の病状を決して外へ漏らしてはならない時に使われるものです。他の棟と明確に区分けされていますし、近くにある院長室など幹部の部屋も、幾つもの扉で仕切られた場所にありますが、それより更に奥の隠し扉で守られています。」と聞かされていた。今回はそれが仇となり、表に気付かれず暴虐を揮うことを許してしまったのかもしれない。

 遠くへ視線を泳がせると、鉄格子が見えた。

 あれが、この空間と廊下の境だ。

 鉄格子の外には二人の男が立っていて、常にリディの方へ銃を構えていた。もし誰かがリディを助けようと監獄に侵入したら、即座に殺す様に命じられているのだろう。

 彼らは同じ姿勢を崩すことなくリディを見張っている。仕事で訓練されているとはいえ、長時間同じ姿勢を保つことは容易ではないはずだ。

 その事に気付いたリディは、ハッと視線を上げた。

 奇しくもプラテアードの首長を名乗っていた王家の末裔である自分が、この状態が辛いなどと泣き言を言ってはならない。落ち込んで、俯いてもならない。

 自分の最期の様子は、ジェードだけでなくプラテアードの国民にも伝わるだろう。それが、「惨めに項垂れて命乞いをしていた。」では、それこそプラテアードの恥になってしまう。どれ程の虚偽が上乗せされて伝わろうと、真実は「最期まで自分を失わず、堂々としていた。」であるよう、毅然としていなければ。

 リディは足裏にグッと力を入れ、背筋を伸ばした。

 今、ここに吊るされているのは「リディ」というただの女ではない。かつて「革命家アドルフォの娘」と呼ばれていた女なのだ。

 その時脳裏に浮かんだのは、昔、アドルフォから聞かされた神話。いわれなき罪を認めなかったため岩に四肢を繋がれ、ハゲワシに全身を啄まれて生きながらにして腐肉を食われ死んでいったという神の話。アドルフォが聞かせてくれた物語はどれも幼子に聞かせる様な優しさは含んでいなかったが、それぞれに大切なメッセージが込められていたことはわかっていた。

 例え血の繋がりはなくても、アドルフォに育てられた娘として、アドルフォの教えを体現した生き様を示さなければ。

 それが自分に与えられた最期の務めであると、リディは唇を引き締めた。

 リディを見張っている二人の番兵は、その時、リディの瞳が金色に輝くのを見た。



 コン・クエバ監獄から馬車で30分程走った場所に、モラガス城という王家の別荘があった。

 監獄は岩山群の狭間に隠れており、橋を渡って谷を越え、森を下れば、そこには小川と麦畑の広がる美しい農村があった。モラガス城は村の端の教会を見下ろす高台に建てられていて、アルティスは年に2、3度、気分転換に訪れていた。

 実は、ヴェルデ市街からコン・クエバ監獄までは、20km程しか離れていない。

 しかし、リディには「容易に助けが来られないほど遠い場所に連れて来られた」と絶望させるため、目隠しをして、あえて遠回りをしたり、同じ道を周回して時間稼ぎをしていたのだ。

 モラガス城では、アルティスが、バジーリャ少佐の報告を待っていた。

 皇太后が寛ぐ部屋では、バジーリャ少佐はヴェール越しにしかアルティスと話をすることは許されない。

 少佐は恭しく跪いた。

「・・・どうだ、王女の様子は?恐怖に震えて命乞いでもしたか?」

 リディが苦しむ様子を期待しているアルティスの声は、弾んで聞こえた。

「いいえ。今のところ、大人しく繋がれております。抵抗しても無駄だとわかっているのでしょう。」

 その報告は、アルティスの思惑とかけ離れている。

 アルティスの返事がなく、少佐は慌てて付け加えた。

「所詮、今の内だけのことです。3日も経てば、寒さも飢えも限界に来て、取り乱すことでしょう。」

「・・・。」

「賞金首になった程の強者ですから、そう簡単に音をあげないのは想定内のことです。拷問された経験もあるやもしれません。頬の銃痕だけでなく、腕に焼け爛れた深い傷跡がありました。」

「傷跡・・・?初耳だ。」

「あんな傷ができる程の痛みに耐え抜いた奴も、流石にあの特別牢には堪えられないでしょう。何せ、あの場所に囚人が吊るされるのは10年ぶりのことです。前に吊るされた奴が飢え死にして、肉体が朽ちて白骨化するまでの間、あの牢屋には誰も入っていなかったのですから状態は最悪です。蝙蝠が住み着き、蛆虫が湧き、壁には爬虫類が―――」

「ああ、その薄気味悪い描写は要らぬ!!」

「はっ、申し訳ございません。それに、他にも以前とは異なる悪条件が生じておりまして。」

「悪条件とな?」

 アルティスが興味を示したことに気をよくした少佐は、饒舌に語り出した。

「王女が吊るされている壁に近い天井に、ヒビが生じているのです。つい1時間ほど前に雨が降り、雨垂れというより飛沫が吹き出していて、王女の全身に降りかかっており、気付きました。」

 得意げに話す少佐に、思いがけない言葉がかけられた。

「そのひび割れ・・・、すぐに修復しろ。」

「・・・は?」

「私に同じことを二度言わせる気か?すぐに埋め立てて、地上のものが地下へ降り注ぐことがないようにしろと言っているのだ!」

 少佐は驚いた。

「それは非常に難しいことです。あの空洞の天井が、地上のどの部分と繋がっているか検討もつきません。例えその場所を探し出したとしても、真っすぐに穴があいているわけではなく不規則に地割れしているものと思われますから、土で埋めれば済むわけではございません。かといって、空洞の天井はとてつもなく高く、あそこまで届く梯子も、壁を伝い歩ける職人も、この国には存在しません。」

 すると、アルティスは怒鳴り散らした。

「うるさい!お前の御託など聞きたくもないわ!お前は私の命令通りに動けばよいのだ!いいか、3日だ。3日以内に、何としてもそのひび割れをふさげ!よいな!?」

 そう言うと、アルティスはヴェールの奥へと身を隠してしまった。

 少佐は立ち上がると、強く舌打ちをした。

(いくら皇太后の命令だからって、できねぇことはある。たかがヒビ一つ、何だっていうんだ?どうせ死ぬだけの女が雨で濡れたって構いやしないはずなのに。・・・どうせいつもの気紛れだ。一応、部下を集めて穴を探させ、最終的に「どうしても見つからない」と報告しておけばいい。)


 アルティスが指定した「3日以内」という期限。

 それは、次の満月が訪れるまでの日数だった。


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