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第145話:リディの闘い -その5-

 もう、数時間は走ったと思う。

 途中で一度、馬車が停車して馬を交換していた。

 道は、なだらかだったり、石畳だったり、砂利道だったりを繰り返し、結局どこまで来たのかわからない。

 ここで抵抗しても何もならないと観念し、リディは神経だけを研ぎ澄まし、じっとしていた。

 やがて、何の前触れもなく馬車が停車した。

 「降りろ。」

 荒くれ隊長の言葉に、目隠しをされたままのリディは摺り足で足元を探ろうとした。が、

「さっさとしろ!」

 乱暴に背中を押され、扉の位置も馬車の踏み台もわからないまま前のめりになり、リディは半回転するように地面へ転がり落ちた。

 固い鉄の塊に身体のあちこちをぶつけ、痛みを全身で受け止めていると、背後からシャツの襟を掴まれた。

「歩け。」

 背中を押されながら、地面が平らなのかもわからないが、とにかく前へ進む。

「止まれ。」

 言われるままに立ち止まると、キーィという扉の音がして、次の瞬間には背後から突き飛ばされた。

 再びバランスを崩して、リディは床に膝をついた。


「・・・遅すぎだ、バジーリャ少佐。」


 低い、女性の声が響いた。

「申し訳ございません。病院から連れ出すのに、思いのほか時間がかかりまして。」

「相変わらず使えぬ男だ。・・・まあ、いい。そなたは彼女達と一緒に小屋の外で待て。私はこの者と二人きりで話をする。」

「はっ。」

 数名の物と思われる足音が聞こえ、扉の閉まる音がしたかと思うと、辺りは静寂に包まれた。

 リディは床に膝をつき、後ろ手に縛られたまま首を上方へもたげた。

 ここにいる女性の声は、忘れもしない。

 荒くれ隊長―――バジーリャ少佐という男の言っていた事は、嘘ではなかった。

 皇太后がどれ程離れた場所にいるのか、どの方向にいるのか、リディにはわからない。

 目隠しの存在をもどかしく思いながら、リディは息を凝らして次の動きに備えた。


 「・・・ここへ呼ばれた理由に、心当りはあるか?」

 「いいえ。」

 思った以上に緊張していたのか、声が擦れている。

 

 ドンッ


 何かで、床を叩く音がした――― これは、皇太后の笏だ。

 かつてリディを叩いた、あの笏だ。

 また、あの長い柄で叩かれるのか。

 思わず全身が強張る。

「アンドリューが婚約していたことは、知っているな?」

「・・・はい。」

「では、アンドリューがその婚約を解消したことは、知っているか?」

 リディは、思わず息を呑んだ。

 それは本当なのだろうか?本当であれば、地獄から天国へ舞い上がる程の朗報だ。

 今自分の置かれている立場を思えば喜んでる場合ではないのだが、ここ暫く胸を締め付けていた戒めが解かれた心持は、逆らいようもない。

 ・・・否。

 浮かれている場合ではないし、皇太后の言葉を鵜呑みにしてもいけない。

 リディは、唇を引き締めなおした。

「そのことは、存じ上げません。」

「嘘だ!」

 リディが全て言い終わらない内に、否定される。

 アルティスの怒りが、辺りの空気を一変させたのがわかった。

「アンドリューは私に何ら断りもなく、勝手に婚約を解消し、イサベル王女を帰国させてしまった。二人は正式な儀式で指輪の交換をし、互いに結婚を了承していたにも関わらずだ!」

 リディの顎下に、笏と思われる物の先端が触れた。

「全ては、お前のせいだ。お前がアンドリューを唆したのだろう?」

 リディは驚いて否定した。

「とんでもございません。私は何も存じ上げません。」

「嘘をつけ!この婚約は、両国にとってこれ以上ない良縁だった。それを解消するなど・・・・、誰かの差し金でなければ、理屈が立たぬ!」

「違います!本当に私は何も―――」

「お前がアンドリューを唆し、良からぬ事でも吹き込んだのだろう?」

「いいえ、違います!」

「黙れ!!」

 顎下に差し込まれた笏が振り上げられ、リディはその勢いで後方へ倒れた。

 上体を起こそうとすると、それを許さぬように、アルティスの笏が肩先を押さえつけた。

「プラテアードは・・・、プラテアードは何度ジェード王家の邪魔をすれば気が済むのだ?」

 震える語尾から、アルティスの激しい怒りが伝わってくる。

 リディは、必死に声を上げた。

「皇太后様は、アンドリュー様が私ごときに唆されると、本気でお思いですか?あり得ないことです。私にそのような力はございません。」

「いいや。アンドリューはお前を国王の寝室に匿い、病院では王族待遇で匿った。更におぞましいことに、二人きりで部屋に籠っていた夜も一度や二度ではないと聞いている。お前とアンドリューがただならぬ関係であることは、疑いようもないではないか?」

 皮肉なことだ。

 皇太后の言うことが真実なら、リディは幸せの海に溺れている。

 リディは心底アンドリューを愛しているが、アンドリューも自分と同じ気持ちでいるとは思っていないし、思ってはいけないと自重している。リディは意識を失いかけた時にアンドリューが「愛している。」と言ったのを聞いた気もするが、都合のいい幻聴だったとしか思っていない。

「それは誤解です。私とアンドリュー様の間には、皇太后様の思うような関係はございません。」

「そんなこと、誰が信じる?では、夜な夜な二人きりで何をしていたというのか?」

「私をプラテアードへ帰国させる上での取引を交渉していたのです。無条件というわけにはいかないと言われ、しかしプラテアードに資産はないため、結論が見いだせず長引いただけです。」

「そんな見え透いた嘘をー――!アンドリューは今、お前の無条件解放について大臣達を説得していると聞いている。」

 リディは首を振った。

「そんなはずはありません。」

「・・・くっ、どこまで白を切りとおすつもりだ?」

 アルティスは、笏を振り上げ、リディの背中へ振り下ろした。

 鈍い音がする。

「こちらが言う通り大人しく白状すれば、少しは情け心も生まれようというものを。お前といい、お前の父親と言い、プラテアード王家の血は、何と強情なのだ!?」

 そう言うと、抑えていた僅かな理性が吹き飛んだかの様に、笏を振り回してリディの身体を打ち続けた。

「なぜ私がお前を目隠ししたまま話をしているかわかるか?私はお前の目が大嫌いだからだ!私の義妹を死へ追いやったお前の父親と同じ目をしているからだ!あのおぞましい血筋を根絶やしにしてやったと思っていたのに、こうしてしぶとく生き抜いていただけでなく、ジェードの繁栄を邪魔する悪霊になるとは!!」

 リディには、アルティスの言う意味が理解できない。だが、父の代から憎まれていたということはよくわかる。

「どうせ―――、どうせお前のような強かな女は、アンドリューだけでなくエストレマドゥラ王子へも色目を使ったのだろう?純潔を奪われ子を孕んだというが、それも元々二人で仕組んだ筋書きではなかったのか?」 

 リディは、懸命に顔を擡げて叫んだ。

「それは違います!」

「戦いを避けるため自ら堕胎したというのも、アンドリューの同情を買うための芝居ではなかったのか!?」

「違います!!」

「二度と子を孕めぬと聞いたが、それも、本当は嘘ではないのか!?」

「嘘ではありません!そのような嘘をついて、何があるというのです!?」

 リディは、声の限りを尽くして訴えた。

「私の嘘でプラテアードの独立が叶うというなら、私は幾らでも嘘をつきます。でも、そんな都合のいい嘘は、この世に存在しないのです。皇太后様の言われるように、私に彼らを唆す力があったならば、もっと賢く立ち回れたでしょう。その力がないから、私は、私の身を差し出す以外ないのです。そのことを最も不甲斐なく情けないと思っているのは私です。こんな私に・・・・どうしてジェード国王を操る事ができるでしょう?」

 アルティスの息遣いが、聞こえなくなった。

「アンドリュー様は常に冷静な方です。決して情に流されることなく、広い視野で物事を判断する方です。こんな・・・プラテアードの裏紋章を持つだけの女に、翻弄されるはずがございません。」

 厳かな衣擦れの音がして、皇太后が間近に寄って来たことがわかった。

「・・・その強情さが綺麗に浄化される場所へ連れて行ってやる。お前がアンドリューを唆したことを認め謝罪したら、解放してやろう。・・・恐れるがいい。お前が行き着く先は、地獄に最も近いところだ。」

 皇太后が去り、リディは目隠しをしたまま再び荒くれ隊長に連れ出された。



 リディがようやく目隠しを外され、見たものは―――


 土や岩が剝き出しの洞窟の中。

 人の何倍もの高さがある、広い空間。

 地面に置かれた松明が照らすのは、罪人であるリディの様子を確認するためのもの。

 空間の最奥の壁、地面から5m以上ありそうな高さに掘られた、人一人分の窪みに身体が収まっている。しかし足元は、両足を揃えて置く事も許されない程の奥行きしかない。両腕は上げた状態で壁に固定されているが、少しでも気を抜けば足が外れ、宙吊りになるだろう。いや、腕を固定する金具が身体の重みで壊れて、落下するかもしれない。

 遥か下を見下ろすと、その真下に地面はなかった。真っ黒な闇に見えるから、深い穴になっているのかもしれない。

 顔を横に向けると、壁伝いにちょろちょろと水が流れているのがわかった。

 これで水分だけは補給できるが、同時に服が徐々に濡らされるため、身体が冷えていく。

 流石に、リディの全身が震えた。

(以前、話に聞いたことがある。ジェードで重罪を犯した罪人が収容される洞窟の監獄。そして今、私がいるこの場所こそ、生きて解放された者がいないという、最も罪の重い罪人が収容される場所・・・!)

 

 コン・クエバという名の監獄。

 それはまさに、地獄に最も近い「この世の地獄」だった。

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