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第144話:リディの闘い -その4-

 アンドリューは、皇太后の部屋の前に立っていた。

 ここに立つ時は多少の差はあれ、いつも緊張していたものだが、今日は違う。

 部屋の前に立つ番兵に、皇太后がいるか尋ねると、午睡中だと言われた。

 アンドリューは鼻先で嘲笑した。

「昼過ぎに起きて、さらに午睡?あり得ない!中にいるのであれば、それでいい。」

 強引に扉を開けようとするアンドリューを、二人の番兵が必死に止めた。

「離せ!急ぎの用向きがあるのだ!」

「皇太后陛下の御命令です、どなたも中へ通すなと!」

「緊急事態でなければわざわざ出向いたりしない!すぐに確認しなければならないことがある!」

――― 「どうされました?国王陛下。」

 いつの間にやってきたのか、皇太后付きのメイド頭が花瓶を持って、横に立っていた。

 栗色の艶やかな長い髪をねじって頭頂部で束ねた装いは、いつもと変わりない。

「皇太后に会いたい。」

 すると、メイド頭は困った様な作り笑いを浮かべた。

「それは・・・ちょっと。」

「ちょっと?それはどういうことだ?」

 アンドリューが即座に眉根を寄せて反応する。

 メイド頭は、口元を隠すように手を当てて遠慮がちに言った。

「あの・・・皇太后陛下は、時折お忍びでヴェルデの街へお出掛けになるのです。今日も、話し相手の侯爵夫人と、女官長と、御一緒に。」

「一体どこへ?」

「お買い物か、オペラ座か、カフェか・・・そんなところです。」

 その回答は、アンドリューの神経を逆撫でした。

「そなたは、主人の居場所も把握していないのか?皇太后に何かあったら誰がどう責任をとるつもりなのだ!?」

 メイド頭はふっくらとした桃色の頬を崩すことなく、ゆったりとした口調で答えた。

「もちろん護衛もついておりますから御心配には及びません。どんなに遅くても、日付が変わる前には必ずお戻りになりますし、そう遠くへ行くはずもございませんから。」

 アンドリューの必死の形相に臆する事なく答えられるのは、皇太后が本当に遊びに出掛けているだけと信じているからか。

 これ以上ここにいても、知りたい情報は得られそうにない。

 アンドリューは心の底で強い舌打ちをして踵を返すと、走り出した。

 エントランスを出ると、階段の下に、フェルナンドが馬丁と共に待機していた。

 アンドリューは立ち止まることなく愛馬の背にまたがると、素早く鐙を蹴った。

 

 病院の前庭には、大勢の軍人が至る所で警備にあたり、中で起こった異常事態を匂わせていた。

 鈍色の門扉のところに、アンドリューの側近の一人であるアゴストが立っていた。鍛え抜かれた肉体を持つアゴストは、王宮敷地内の農園や果樹園の管理人として働きながら、諜報活動をしている。フェルナンド同様、普段はアンドリューに直接接見することはない。

 アゴストはアンドリューの姿を目にすると、すぐに脇へ寄り添った。

「このような事態になり、申し訳ございません。」

「ネイチェルが危篤というのは本当か?」

「―――はい。」

「セラーノスは見つかったのか?」

「いえ。」

「リディの行方は?」

 アゴストは、日焼けした額に何本も皺を寄せ、唇を歪めて首を振った。

「・・・シンシアには会ったか?」

「はい。落ち着いていられない御様子で、伝令役をかって出てくれています。」

 アンドリューはアゴストに誘導され、病院の奥へと進んだ。

 すると、途中の一室の扉が開かれたままになり、中に多くの人がいることがわかった。

「・・・ここは?」

「病院に勤務する者や近衛兵達から、血の提供を受けている部屋です。」

「十分に足りているのか?」

「今、広く要請しているところです。」

 更に奥へ進んだ先に、手術室があった。

 手術室は三つあるが、すべて使用中の赤い文字が光っている。

「一番右がネイチェルです。両肩を銃で撃たれ、骨が砕けているそうです。何より大量に出血したことで、危険な状態になっています・・・。ですが、ジェードで最も優秀な外科医が担当しておりますから、助からないはずがありません。」

 何の確証もない発言ではあるが、アゴストはそれ以外の結果はあり得ないというように断定した。

「真ん中が、院長です。頭部を殴られ、刃物で刺されています。それから、左が案内係です。こちらも刺し傷が内蔵に達し、重症です。」

「首謀者の御付き2名も怪我をして捕らえられたと聞いているが?」

「その2名は病院の倉庫に押し込めてあります。一人は意識がありませんが、もう一人は負傷の痛みで悶絶しています。カジェランが首謀者の名前を吐かせるべく、詰問中です。」

「吐く前に自害など絶対にさせるな。」

「カジェランは警備隊の鬼と恐れられたベテランです。それは、抜かりなく。」

 献血の部屋へと戻ると、広々とした空間には10程のベッドが並んでいて、そのすべてが埋まっていた。皆、腕にチューブが繋がれている。

 アンドリューは入り口に立っている整理役の若い青年に、必要な血液の型を確認した。

「では、俺の血も使ってくれ。好きなだけとってもらって構わない。」

 そう言って白いシャツのカフスを外し始めたところを、アゴストが軽く制した。

「陛下。お気持ちはわかりますが、今、陛下は様々な指揮をとるお立場です。必要な血液は何としても我々で調達しますから、ここはお控えください。」

 整理役の青年は、そこで初めて、いつも遠目にしか見ていなかった国王が目の前にいることに気付き、慌てて直立した。

 アンドリューは、丁度一つのベッドが空いたことを確認した。

「アゴストが今報告できる内容は、これ以上ないのだろう?俺がここで血を提供している間に、さらに情報を集めてくれ。何もせずに待つなど、時間の無駄だ。」

「はっ、それはそうですが・・・。」

「ネイチェルを助けるために、1秒でも時間を無駄にしたくない。一瞬たりともネイチェルのために使わない時間が生まれることで、万一の結果に陥ったら―――、後悔では済まないからな。」

 アゴストは「30分後にまた報告にあがります」と言い残し、その場から立ち去った。

 アンドリューがベッドに仰向けになると、整理役の青年から話を聞いた看護師長が現れた。

「失礼いたします、陛下。」

 挨拶もそこそこにアンドリューの腕をとり、躊躇いもなく採血の準備を始めた。

 手際よい段取りを眺めていると、その奥の白いベッドに、金色の長い髪が見えた。あまりに目立つその髪の主は、献血のために横たわっている様に見えない。

「ソフィア・・・?」

 思わず口から名前が零れた。

 看護師長は、作業の手を止めることなく、小声で言った。

「つい先程まで、大変だったのですよ。」

「・・・え?」

 看護師長は、病院関係者の中でも、リディやソフィアのことを知っている筆頭だ。リディが自ら堕胎した時の治療から現在に至るまで、看護において中心的な役割を担っている。夜間のリディの世話の仕方をソフィアへ指南したのも、彼女だ。

 アンドリューが求める様に看護師長を見上げると、慈愛に満ちた小さな目が視線を落とした。

「私がソフィアさんの助けを求める叫び声を聞いたのは、ある治療室から廊下へ出た時でした。凄まじい悲鳴でしたから、私以外も皆、声の方向へ走りました。ソフィアさんは院長室前の廊下でしゃがみ込み、その周りは血の海で・・・。ソフィアさんはヴィエルタ子爵の両肩から吹き出る血を少しでも押さえようと、必死に抱きしめていらっしゃったのです。そのソフィアさんも、両足を何か所も切られて動ける状態ではありませんでした。」

 看護師長は、アンドリューの腕から管を通って血が流れだしたのを確認し、ベッドの脇の椅子に腰を降ろした。

「子爵はすぐに手術室へ運ばれ、ソフィアさんは治療室へ。ところが、ソフィアさんは御自身の治療よりも、子爵に提供するための血を採ってくれとおっしゃって。」

「え・・・?」

 驚いた。

 昔、フィゲラスを刺したソフィアは、輸血が必要だと言った医師ジロルドへ、こう言っていた。

――― プラテアードの血は、ジェードと混ざり合ってはならない。 ―――

 ジェードの人間が死んだとしても、それは因果応報だといって断固献血を拒否していたではないか。

 そのソフィアが、ジェードの貴族であるネイチェルへ、自分の血を分け与えると言ったというのか。

「ソフィアさん自身かなりの出血でしたから、献血どころではないのですよ。アキレス腱を切られていましたし、ソフィアさんの治療を急ぎたいと申し上げたのですが、それはもう、激しく抵抗されて。」


――― 私はこうして生きています、ここで幾らかの血をとったって、死にはしません!ですからどうか、必要なだけ私の血を採ってください!彼を助けるために私の血で役に立つのなら、いくらでも使ってください。私とは違い、ここで命を落としてはならない方です。絶対に助けなければならない方です!私はどうなっても構いませんから、どうか!!―――


 看護師長は、静かに息を吐いた。

「ソフィアさんは子爵が危篤と知って、半狂乱で訴えておいででした。その必死な御姿に、私達も断り続けることができず・・・。それに、血を採るまでは大人しく治療を受けて下さらないと判断して、この部屋へ運び、採血と見せかけて鎮静剤を打たせていただきました。それでようやく眠ったところなのです。間もなく処置室へ運ぶ手筈になっております。」

 一体、ソフィアの中でいつ、心境の変化があったというのだろうか。

 その変わり様に驚きながら、アンドリューは尋ねた。

「・・・ソフィアも、手術が必要なのか?」

「私の見立てでは、おそらく。手術が必要なかったとしても、しばらく歩けないことは確かです。リハビリも必要ですが、適切な経過観察がないと、以前のように歩くことができなくなります。」

 改めて看護師長の肩越しにソフィアを見ると、青白い顔で乾いた唇を僅かに開き、影色の瞼を閉じていた。

「それから・・・。」

 看護師長は膝を床について、アンドリューの耳元で声を潜めた。

「ソフィアさんは、こうもおっしゃっていました。もしリディ様に万一のことがあったなら、自分の身体の何もかもを負傷した人々の治療に役立ててくれ、と。」

「それは・・・命を捨てるということか?」

「ええ。主人を守り切れなかった以上、生きて国に帰れないとおっしゃっていました。」

 アンドリューは、高い天井を見上げた。

「―――そんなことにならないよう、最善を尽くさねばな。嫌・・・そんなことは、絶対にあってはならない。誰一人として、命を落とすなど許さぬ・・・!!」

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