第142話:リディの闘い -その2-
銃弾は、床に伏せた院長の両耳をギリギリ掠めるように撃ち込まれていた。
撃ったのは、背後にいる御付きの二人である。近距離からとはいえ、際どいポイントを確実に狙い撃ちしたのだから、腕前に疑いの余地はない。
銃口から揺らぐ白い煙。
院長が微動だにしないのは、気を失っているからなのか、それとも―――。
その疑問に応えるように、中央の男が白衣の後ろ襟をむんずと掴むと、腕を高く上げた。
吊るしあげられた院長の身体から、苦し気なうめき声が漏れる。
院長に息があるのはわかったが、男達の盾のようになり、益々攻撃しにくくなった。
一分の隙もない体制をとられ、策が浮かばぬネイチェルは奥歯を噛みしめた。
男は勝ち誇った様に、高らかな声をあげた。
「聞こえるか?―――この銃声!犠牲になった奴らの呻き声!」
ネイチェルは、男の視線が斜め上や壁の向こう側に向けられていることにハッとなった。
「隠れていないで早く出てこないと、さらに血を見ることになるぞ!どこかで聞いているのだろう、王女!?―――いや、薬局の若奥様ルフィ殿!!」
隠し扉の向こうでソフィアが状況を把握できるように、地下の隠し部屋にいるリディにも、すべての音が届いていた。匿われている要人を守るための壁裏の仕掛けだが、場合によっては危険にさらすことにもなる。
そして今回は、後者だった。
地下室のさらに奥に作られた、暗くて狭い空間に、リディはシンシアと共に押し込められていた。板張りの天井は、身体を屈めなければ頭が当たってしまう程低い。
どすの効いた男の声を聴いたリディは、息を詰めてシャツの胸元を握った。
ヴェルデ市街の王室御用達の薬局でマチオに匿われていた時、ずっと外で見張っていた“自称ジェード軍人”達。何やかやと理屈を並べて薬局に押し入り、中を滅茶苦茶に破壊して去って行った、卑怯極まりない連中の頭。アンドリューが「荒くれ隊長」と呼んでいたぐらいだから、その道では知られた存在だったのだろう。その「荒くれ隊長」は、アンテケルエラのスパイなどではなく、皇太后の配下にあったのだ。皇太后がアンドリューの行動を怪しみ、かつての隠れ家エンバハダハウスの跡地を見張らせていたということか。
(皇太后の後ろ盾があっては、この男に恐れるものはない。病院を破壊することも、アンドリューの家臣を傷つけることも厭わないだろう。皇太后が今なぜ私を呼ぶのかわからないが、事態が動いたのは確かだ。)
何があっても出て来るなとソフィアに言われたが、その言いつけは守れそうにない。
リディは表へ出ようと背を前へと動かした―――が、身体が重くて動かない。
「?」
思わず振り返ると、シンシアがリディの腰にしがみついている。一瞬、怖くて震えているのかと思ったが、そうではなかった。
「駄目です、リディ様。どうかここに留まってくださいませ・・!」
リディは、首を上方へ伸ばした。
先程聞こえた、銃弾が物体に当たる音、何かが割れる音、壊れる音。弾ける音。
幼少期から数多の危険な音を聞いてきたのだ。
荒くれ隊長の言葉は嘘ではない。既に誰かが犠牲になっている。
そこへ。
「!!」
リディの身体が弾かれるように反応した。
新たな銃声だ。
鋭い刃物が重なり合う金属音。
布が引き裂かれる音。
床に重い物体が倒れる振動音。
そして――― 弾丸が骨を砕く音。
堪らずギュッと目を閉じ、再び見開くと、リディは低い声で言った。
「伯爵夫人―――、この手を離してください。」
「いいえ!いいえ、死んでも離しません!」
リディは自分の腰に回されたシンシアの手に、自分の手を重ねた。
「離してください。」
「駄目です。私はアンドリュー様にお約束したのです。必ずリディ様をお守りすると。もう決して、誰にも手出しはさせないと!」
リディは、シンシアの手を優しく握った。
「もう、十分守っていただきましたよ。」
「ここでリディ様を引き渡したら、私は自分の命を差し出しても取り返しがつかないことになります!」
シンシアは、より一層強くしがみつき、リディが動こうとするのを阻んだ。
ここに隠れていれば、リディが危険な目に遭うことはない。
敵がこの場所を探し出すまでには、アンドリューの使者達が到着して追い払ってくれるだろう。
だからそれまで、リディをここに留めて置くことが自分の使命だと、シンシアは思っていた。
舞踏会のあの夜の後悔を、二度と味わってはならない。
そんなシンシアの思いをすべて受け止めた上で、リディは言った。
「私のために、これ以上誰かが傷つけられるのを放ってはおけません。」
「リディ様は王女様です。家臣に守られて当然なのです。」
「私が王族でも首長でも、誰かを犠牲にしていい理由にはなりません。私はこの国に来て、ようやくそれがわかりました。」
「関係ありません!リディ様に何かあると、アンドリュー様がどれ程深く悲しまれるか?国王陛下にとってリディ様は最も大事な御方なのです。絶対にこの手は離しません!」
「伯爵夫人・・・。」
優しい言葉。
だが、もはや限界だ。
相手が悪すぎる。人の心も身体も物体としか捉えていない人間には、どんな正論も倫理も通じない。彼らと同じレベルに落ちて反撃すれば、我が身も省みず更なる攻撃の口実に利用してくるだろう。
「私は、行かねばなりません。どうかアンドリューに伝えてください。私は、私の務めを果たすために自ら出て行ったのだと。」
「リディ様・・!」
リディは、伯爵夫人の腕が折れてしまう限界まで力を入れて、自分の身体から引き離した。
そして、シンシアが再び自分にしがみつく前に素早く身を翻すと、シンシアの細い肩を抱きしめた。
「ありがとう、伯爵夫人。敵である私にこんなにもよくしてくださったこと、決して忘れません。どうか、末永くハロルド伯爵とお幸せに。」
そう言うや否やシンシアを突き放し、リディは暗闇から飛び出した。
地階から駆け上がると、そこにソフィアの姿はなかった。
ためらうことなく、隠し扉の向こう側へ走る。
狭い廊下から広い廊下に出るなり、リディが真っ先に目にしたものは―――
「・・・これは・・・!」
10数メートル程先に立つ、深緑のフロックコートを纏った背の高い男。
男の左手は、白衣の後ろ襟を掴んでいる。掴まれた男の首は力なく垂れ、生死はわからない。
男の右手に握られた銃口は、真っすぐリディの方向へ向けられていた。
間違いない。
薬局を破壊し、リディを張り倒した、あの荒くれ隊長だ。
隊長の後方で、黒い服の男が一人、膝を抱えて床をのたうち回っている。
その右手に、壁に背中を預けて項垂れる黒い服の男。足を投げ出し、ピクリとも動かない。
リディは隊長から向けられた銃口を恐れることなく、視線を手前に戻すと、見慣れた金髪が目に入った。
ソフィアは床に片膝をついて、懸命に人を抱きかかえている。その足元には、おびただしい量の―――血!
隊長はリディの青ざめた表情を見ると、勝ち誇った様に笑った。
「すべて、そなたがすぐに出てこないかったせいだぞ?随分もったいぶった御登場だ!」
そう言うと、左手に持っていた白衣の襟を乱暴に投げ離した。
リディの両手に武器がないことがわかった隊長は、銃を持つ手を降ろすと、リディの方へ向かって歩きだした。
リディは自らも前進し、ソフィアを隠すような位置に立った。
二人は向かい合い、リディはありったけの侮蔑を込めた目で男を睨み上げた。
「私を連れて行くだけのために、なぜこのような事になるのです?」
隊長は、リディの顔を食い入るように見て、にやけた。
「その頬の銃痕――― 確かに、本物の王女だ。」
リディは、男の視線を振り払うように顔を横へ向けた。
「皇太后陛下の召喚であれば、正式な手続きを得れば済む話ではありませんか?」
「そんなまどろっこしい事をやっている猶予もない程、皇太后陛下はお怒りなんでね。」
「だからといって、このように自国の人間を傷つけることを、皇太后陛下はお許しになるのですか?」
「手段は択ばぬ―――と言われている。アンドリュー陛下が拒むことは承知の上だったのでね。」
「ジェードとは、随分脆い国なのですね。国王より、皇太后の命令の方が上だと考える人間がいるのですから。」
すると、隊長は高笑いをした。
「我はアンドリュー国王のせいで、一度僻地へ飛ばされた。だが、皇太后陛下の計らいですぐにヴェルデへ戻ってこられた。我にとって皇太后様は、絶対服従に値するお方なのだよ。我だけではない。そういう人間は、大勢いる。」
そう言うと、リディの両腕を掴もうとした。が、リディがそれを強く拒み、言った。
「私はお前の捕虜ではない!皇太后の召喚に応じるだけだ。さっさと案内するがいい。」
「相変わらず身の程を知らぬ女だ。後ろ手に縛りあげねば、何をしでかすか油断ならぬ。」
隊長はリディを後ろ手にして腰から麻縄を取り出して括ると、引きずる様にして病院の裏口へと向かった。
二人の姿が見えなくなってほどなく、なかなか戻らない案内係の青年を心配した事務官の一人が、警備兵と共にやってきた。
その時、広い廊下でまともに意識があったのは、ソフィアだけだった。
リディが現れる前、ソフィアは黒い服の男達と刃物で戦い、足の腱を切られて動けなくなった。そんなソフィアをかばって両肩に銃弾を撃ち込まれたネイチェルを、ソフィアは懸命に抱きしめていた。自分の身体をネイチェルの両肩に押し付けることで、吹き出す血を止めようと必死だった。リディが現れた時、ソフィアは顔を上げられない体制で「さっさと逃げろ」と声をかけていたのだが、リディは隊長の存在に集中していて、耳に入っていない様子だった。
ソフィアは、ようやく現れた味方の姿に、最後の力を振り絞って叫んだ。
「みんな、まだ生きている!早く助けて!・・・早く!早く!!」