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第140話:アンドリューとレオン

 レオンの部屋の扉をノックすると、一睡もしていないだろうネイチェルが顔を出し、アンドリューの顔を見るなり慌てて廊下に出てきた。

「レオンはどうしている?」

「夕べから殆ど眠っておりませんが、大丈夫です。」

 アンドリューは静かに瞬くと

「御苦労だった。後は任せて、すぐに病院へ戻ってくれ。」

 と言い、その腕を病院の方へ向けた。 

 ネイチェルは、自らに与えられた本来の役目を放っていることを暗に責められたのだと感じ、頭を下げた。

「申し訳ございません。只今戻ります。」

「徹夜明けのところ悪いが ――― 間もなく、事が動くのでな。」

 ネイチェルはハッと息を呑み、アンドリューの横顔を凝視した。

 しかしアンドリューはそれ以上何も言わず、ゆっくり扉の奥へと消えていった。


 レオンの部屋はすべてのカーテンが閉め切られ、昼間だというのに仄暗い。

 灯りをつけると、部屋の奥に、肩を落として椅子に座るレオンの姿があった。

「・・・レオン。」

 その呼びかけに、レオンの肩が大きく跳ね上がった。

 まさかアンドリューが来るとは思っておらず、その驚きは尋常ではなかった。だが、すぐに立ち上がり、小走りにアンドリューの足元に跪いて両手を床につけた。

 ところが、胸が締め付けられて言葉が出ない。

 アンドリューの顔を見ることもできない。

 どんな顔で、何を言えばいいのか。

 この言葉にできない思いを、どう伝えたらいいのか。

 ずっと頭の中でシミュレーションしてきたというのに、いざその場になったら何もできない。

 そんなレオンの脇を通り過ぎ、アンドリューはゴブラン織りの厚いカーテンをサッと開けた。

 金の光が部屋の中に差し込むと、使用した形跡のないベッド、書類一つない執務机など、完全に主を失くす準備が整った様子が明らかになった。

 アンドリューは、努めて落ち着いた声で言った。

「レオンは、俺に頭を下げねばならないようなことをしたのか?」

「・・・結果的に、したことになる。」

「もう一度訊く。レオンは、俺を裏切る様な事をしたのか?」

 レオンは顔を上げられぬまま、眉根を固くした。

「このような事態になった以上、申し開きはできない。」

「イサベル王女は、お前はお前の務めを果たしていただけだと言っていた。俺もそのとおりだと思っているが、違うのか?」

「違いはしないが、このまま何もなかったことにはできない。」

「それで、爵位を捨て、王宮を出るというのだな?」

「そうだ。」

 アンドリューはわざとらしく部屋中を見渡した。

「随分綺麗な部屋だ。すぐにでも出ていく覚悟はわかったが、国王である俺の許可なく出ていくことはできない。それもわかっているだろう?」

「わかっている。だが、他に責任の負い方がわからない。王宮を出ることが赦されないなら、一生牢獄にぶち込んでもらっていい。処刑されてもいい。俺には、これ以上どうすればいいのかわからない・・・!」

 絨毯を掻きむしるように拳を握るレオンを、アンドリューは見下ろした。

「俺は先程イサベル王女と話をして、婚約を解消してきた。王女は明日、帰国する。」

「!!」

 レオンは焦って顔を上げた。

「早まらないでくれ!この結婚はとても価値のあるものだ。一時の感情で解消していいものではない!」

「俺とイサベル王女の意見が一致して決めたことだ。それに、イサベル王女の申し出がなかったとしても、俺は婚約を解消することは決めていた。一時の感情に流されたわけではない。」

「しかし―――、」

「レオンにとっては皮肉なことだが、イサベル王女の恋は、俺にとって非常に都合のよいものだった。それもわかっているのだろう?」

「・・・。」

「だからレオンが負い目を感じる必要もないし、俺に頭を下げる必要もない。幸いイサベル王女はレオンのことを家臣の誰にも話していない。知っているのは、俺とネイチェルとソフィア、そしてレオンだけだ。表向き、婚約解消を申し出たのはジェード側で、王女は慣れない異国の生活に疲れ心神耗弱のため帰国するということになる。それでも、王宮を去らねばならないか?」

 レオンは、頷いた。

「どこからどう、話が伝わるか知れない。もしアンドリューが婚約解消のために俺を遣って王女を誘惑させたなどと噂されたらどうなる?そんなことにならないためにも、俺はアンドリューの傍にいるべきではない。アンドリューの思惑は全く別の次元のこととして、今回の事は、王女の世話役である俺の失態として片を付けるべきだ。」

 熟慮して考え抜いてきたレオンの意思は固い。

「どうか、しかるべき処分を。」

 アンドリューへ一生を捧げる決意をしているからこそ、王宮に留まってはいけない。

 レオンの強い意志を瞳の中に読み取ったアンドリューは、レオンの前で片膝をついた。

「では、ジェード国王として、バーンハウスト侯爵へ命ずる。まず、ジェード国王の特使として、イサベル王女をカタラネス王国まで送り届けること。今回の特使の役割の重さに見合う様、レオンの爵位を公爵へ昇格する。」

「・・・!?」

「そして、その役目が終わったらカタラネスとジェードの間に位置するジェード領アカンティラド王国の第一総督の職に就くこと。現在の総督が高齢になりジェードへの帰国を申し出ているから、その後任を命ずる。」

 思いがけない言葉に、レオンは二の句が継げなかった。

 侯爵から公爵への格上げなど聞いたことがない。

 しかもアカンティラドの第一総督とは、事実上、国の最高権力者だ。

 これでは左遷にならない。せいぜい、王宮に置いておけない「わけあり」の王族の辿る末路だ。

 アンドリューは、幼い頃と変わらない蒼い瞳でレオンを見つめた。

「だがな、レオン。もし、総督の地位よりジェード国王の側近を望むのであれば、カタラネスから真っすぐ王宮へ戻ってくれ。」

「え・・・?」

「このような選択をさせることは、卑怯な気もする。だが、何がレオンにとって幸せなのか、俺にはわからないんだ。レオンが俺の傍に居辛いのではないかと異国の総督の地位を用意したが・・・不服だろうか?」

 レオンは、素早く首を振った。

「不服だなんて、とんでもない。嫌、むしろ身に余ることばかりだ。このようなこと、宰相や大臣達が許さないだろう?」

「それは心配しなくていい。爵位も総督の地位も、レオンの力からすれば妥当だと思う。」

「・・・国家間の契約をぶち壊した張本人だぞ?爵位剥奪の上、国外追放で丁度いい―ーー!」

 レオンの言葉が、途切れた。

 アンドリューが、レオンの首に両腕を回して力いっぱい抱きしめている。

 驚いたレオンは、呼吸を忘れて目を見開いた。

 アンドリューは、レオンの肩に額を埋めて言った。

「本当は、ずっと傍にいてほしいんだ。」

「アンドリュー・・・。」

「ハンスと一緒に俺を育ててくれて、その人生を俺のために捧げてくれたこと、心の底から感謝している。レオンがいなければ、今の俺は無かった。」

 レオンの薄い唇が、微かに震えた。

 アンドリューは、その腕にさらに力を込めた。

「俺はレオンがどんな行動をしようと、何一つとして裏切りなどと思わない。レオンの幸せを誰よりも願っているし、レオンが幸せになるなら、どんな選択をしようと全力で応援する。」

 レオンは、掠れた声を振り絞った。

「・・・俺が願うのは、アンドリューの幸せとジェード王国の繁栄だ。それが俺の幸せで・・・それがすべてだ。」

「うん・・・そう思ってくれてるのもわかっている。それでも、俺のことよりレオン自身が幸せになる道を選んでもらいたいんだ。」

 まるで、今生の別れを惜しんでいるかのようなアンドリューの態度。

 両親を亡くしハンスに引き取られた時に引き合わされた、幼い王子。その日から実の弟の様に、常に付き添い、与えられる限りの愛情を注いできた。時に叱り、時に本気で喧嘩をしながら、いつか来るかもしれない国王即位に向けて、厳しく鍛えてきた。

 一生人生を共にすると、疑ったことさえなかったのに。

 

(アンドリューは、俺が王宮に戻ることを決して選ばないと、わかっているのだ。)

 

 さっきの言葉も、今の態度も、何もかもが、アンドリューの示唆する「結論」なのだ。

 それを全身で悟った時、レオンは覚悟を決めねばならなかった。

 レオンは、アンドリューが自ら離れるまで、そのまま動かなかった。

 ただ、頬を伝う熱い涙の感触と共に、切ない時間を噛みしめた。

 レオンがずっと感じていたアンドリューとの歯車のずれは、今瞬間的に噛み合い、そして綺麗に離れていく。

 まるで、それこそが二人が出会った時から定められていた運命のように。

 

 翌朝。

 東の空がまだラベンダー色に染め切らないうちに、レオンは小隊を率いて、カタラネス王国の一行と共にヴェルデを離れた。

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