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第13話:兄と妹

 夜明け前、リディの部屋を、キールとソフィアが訪れた。

 ソフィアはやわらかなウェーブかかった金に近い栗色の髪を耳の下でカットした、緑の瞳の美女だ。口元が、兄のキールとよく似ている。

 兄妹は並んで、リディの前に跪いた。

 リディに怪我させた失態に頭を下げたのである。

 リディは「それよりも、」と口火を切った。

 「闇の騎士ダーク・ナイトという存在を知っているか。」

 ソフィアは、もちろんというように頷いた。

「街の女の子の噂はそればかりです。」

「姿を見たことは?」

「残念ながら、まだです。神出鬼没で、彼に助けられてもまともに顔を見た人はいないそうです。」

 リディは、キールの方へ視線を落とした。

「ハウスの監視の片手間に、正体を調べてみてくれないか。私を昼間、チンピラから助けてくれたんだ。黒い短髪で黒い瞳、着てるものもすべて黒尽くめの、細身で長身の若い男だ。」

「かしこまりました。」

「よろしく頼む。」

 リディは軽く顎を引いて、唇を引き締めた。

「ところでキール、3日後に身体をあけられるか。」

「もちろんです。何か?」

「レオンが遠出する間の5日間、連休をもらった。山で鳩笛の訓練をしたい。成功させて、伝書鳩を使いこなしたいんだ。お前達と直接会うのも、そろそろ控えたほうがいいと思うしな。」

「かしこまりました。準備しておきます。」

「バッツから、便りは来ているか・・・?」

「いいえ。まだ、何も。」

「そうか。」

 夜空の彼方を遠い目で見つめるリディに頭を下げ、ソフィアとキールはその場から立ち去った。

 

 朝が近いことを告げるブルーの街を抜け、人気のない林に出た。

 この林の奥に、二人の住み家はある。

 狭い木立を歩きながら、ソフィアはポツリと呟いた。

「私の記憶にあるリディ様とは、違っていたわ。」

 キールは、隣を歩く妹を見下ろした。

「アドルフォ様が亡くなって以来だから、3年半ぶりか。」

「そうね。でも、歳月のせいで変わったということではないわ。」

 ソフィアは立ち止まり、長い睫毛の瞳でキールを見上げた。

「少年に成りすましているつもりかもしれないけど、隠せないほど『女』になってる。」 

 キールは眉をひそめた。

「そう見えるか。」

「見る人が見れば、すぐわかるわよ。大体、敵国の軍人に恋してるなんて、とんでもないことだわ。」

「ソフィア、それは口にするな。」

「兄さんだってわかってるくせに、認めたくないってこと?」

「口にすべきでないことは、安易に口にするなということだ。」

「甘いわね。ジェードに潜入してる仲間の誰かに気付かれたらどうするの?あっというまに同志に広がって、リディ様は裏切り者として放り出されるわ。」

「そうならないようにするのも、我々の務めだ。」

 キールの厳しい眼差しに、ソフィアは唇を噛んだ。

 だが、リディを心配する気持ちは二人とも同じだ。それがわかるから、キールは優しく言った。

「すべてわかっていて一番辛いのは、リディ様だ。だから、見て見ぬ振りをしようと決めた。どうせ、叶わない。せいぜい1年の夢だ。」

「夢?」

「リディ様は、今後恋愛などとは無縁の人生を歩むことになるんだ。結婚するとしても、政略結婚をせねばならない。だから今だけでも、夢を見させてさしあげたい。」

 ソフィアは睫毛を伏せた。

「男って、変にロマンティストなのよね。その点、女の方がよっぽど現実的だわ。兄さんは、少しも考えないの?リディ様が私たちを捨ててジェードに寝返ったら・・・なんてこと。」

「馬鹿を言うな!そんなことありえない。」

「相手の男、アンドリューだっけ?そいつがリディ様と両思いになったとしても、リディ様が仲間を裏切らないと言い切れる?」

「言い切るさ!俺はリディ様を信じている。アドルフォ様と同じように、絶対服従の覚悟を決めている。お前は違うのか、ソフィア?」

「私は、まだ認めたわけじゃないのよ。アドルフォ様の跡継ぎとして相応しいかどうか、もう少し見極めたいと思ってる。」

「そんな半端な気持ちなら、護衛などするな。お前には頼まない。」

 見放すように背を向けた兄に、妹は叫んだ。

「するわよ!護衛くらい、きちんとするわ!でも、リディ様に指導者としての器が本当にあるのか、国のために命を賭ける覚悟があるのか、疑わずにいられないのよ。リディ様が本当にアドルフォ様の血をひいた娘なら信じるわ。でも・・・!!」

 その瞬間。

 ソフィアは、自分の喉下にあてられたナイフの刃の冷たさに、思わず息を止めた。

 キールはソフィアの耳元で、かすれた低い声を出した。

「それ以上口にしたら、妹といえども許さない!俺達は、結束が大事だ。例え何が真実だろうとも、その結束を乱すような発言をしたら俺が許さない。本気で、殺す!!」

「・・・!!」

「わかったか!?」

「・・・わかっ・・た・・。」

 兄の手が離れ、ソフィアはよろめきながら、肩で激しく呼吸をした。

 一頻り咳き込んだ後、ソフィアはポツリと呟いた。

「兄さんには、わからないのね。」

 ナイフを腰に収めながら、キールはソフィアの方を見た。

 ソフィアは、言うだけは言っておきたいという性格を貫いた。

「リディ様を縛り付けているのは、アドルフォ様の血をひいているという嘘の事実だけなのよ。もしリディ様がアンドリューとの未来を選んだとしても、引き止める理由は、ないわ。」

 ソフィアの挑戦的な瞳を、キールを正面から睨みつけた。

「リディ様は、ご自身の信念と意思で、我々フレキシ派のリーダーになることを選択されたんだ。アドルフォ様の血を引いていなくても、大衆を引き付ける力もある。」

「女としての幸せを知ったら、いくら強い意思でも揺らぐかもしれない。その時私は、送り出してあげたいのよ。引き止めたくない。引き止められないわ。」

「馬鹿を言うな。リディ様がいなくなったら、フレキシ派はどうなる?アドルフォ様の跡継ぎを心待ちにしている同志は、何を頼りにすればいいんだ?」

「兄さんが継げばいい!アドルフォ様の側近で、一番の忠臣だった兄さんが!」

「ソフィア!」

 キールは、思わず妹の頬を打っていた。

 激しい音に、小鳥のさえずりが途絶えたほどだ。

「お前は!少しもわかっていない!」

 ソフィアは唇を震わせて、叫んだ。

「どうして!?私は兄さんよりも、リディ様のことを考えているのよ!」

「俺もお前も、リディ様も、考えるべきはプラテアードの独立だけだ!」

「それはそうよ!でも、そこまで達観するにはリディ様は若すぎる!一つも二つも乗り越えなければならない壁があるわ。その一つが、今よ!」

 ソフィアの紅く上気した頬を、冷たい風が撫でていく。

 キールは腫れた手の平を、太腿の脇でグッと握り締めた。

 二人は複雑な視線を絡めたまま、その場に立ち尽くした。

 やがて、ソフィアが再び赤い唇を開いた。

「女が恋愛を捨てるって、相当の覚悟がいることなのよ。男とは違うわ。」

「お前も、そうだったと言いたいのか。」

「そうよ。ただ私の場合、相手が死んでしまったから諦めざるを得なかっただけ。」

「死んで・・・しまった?」

「そういえば、兄さんには何も言ってなかったわね。」

 細い腕を組み、ソフィアは横を向いた。

 思い出に浸るというより、悲しみを思い出すような横顔だ。

「私が愛したの男はただ一人。今も昔も、あの方だけ。」

「あの方?」

「・・・アドルフォ様よ。」

 キールは驚いて、その目を見開いた。

「アドルフォ様?」

「そうよ。少しも気付いてなかったのね。」

「だって、お前より二十歳も年上じゃないか?」

「そんなの関係ないわ。初めて会った七年前、アドルフォ様は四十歳、私は二十歳。アドルフォ様の奥様のことは誰の口の端にも上らないからわからないけど、私の気持ちは決まっていたわ。」

「アドルフォ様は、あの頃すでに命を国に捧げておられた。」

「ええ。だから私も、同じ道を歩めることを喜びにできたの。それに、死んでしまったから永遠に他の女のものにならないし、安心して心の支えにし続けることができるのよ。」

 キールは痛ましげに妹を見つめた。

「・・・お前が危険な任務を厭わない理由が、やっとわかった気がする。」

「そうよ。女は、愛する男を支えにしてこそ生きられるし、強くなれるの。」

 そこまで口にして、ソフィアはハッとして足元を見つめた。

「そうよ・・!リディ様の恋愛も、使いようなんだわ。」

「使いよう?・・・ソフィア、まさか・・!!」

 キールが覗き込んだ妹の顔には、企みを帯びた笑みが浮かんでいた。

「恋が燃え上がっている最中に相手が死んでしまうことほど、悲しいことはない。でもその分強くなって、二度と別の男に目をくれることもなく、死んだ男に一生の操を捧げてしまうものよ。」

「しかし、それは・・・!」

「リディ様が今後プラテアードの独立運動に専念して下さるための、最高にして唯一の手段かもしれない。」

「アンドリュー殿には、借りがある。」

「敵に対して非情になれって言ってる兄さんが、今さら何?」

「二人は恋仲ではないし、ましてやリディ様のお気持ちもわからない。逆にアンドリュー殿が死んだことで、プラテアードへの敵対心が芽生えるとも限らない。」

「カタラン派に殺されれば、我々フレキシ派にとっても、いい口実になるわ。」

「駄目だ。国内での紛争は、戦力の無駄遣いになる。今は内乱を起こすべきでない。」

「カタラン派は、そう思っていないわ。リディ様がいない今を狙って勢力を伸ばしている。奴等に同調するつもりなんかないフレキシ派を、力ずくでねじ伏せようとしているのよ。」

「カタラン派の挑発に乗ってはいけない!あいつらの狙いは独立ではなく、ジェードの征服だ。戦うための口実を捏造さえする、危険な連中だ。迂闊に手出しをしてはならない!」

 キールは、厳しい瞳でソフィアを睨みつけた。

「いいな・・・!下手な手出しは絶対にするな!!」

 兄の本気の形相に、ソフィアは瞳を閉じた。

 それは、これ以上何も言うまいという意思表示でもあった。

 

 キールは、ソフィアに背を向けた。

 兄妹でも、意見が食い違うことはある。

 しかし・・・

 

 ソフィアが女である生々しい事実と、リディの恋を利用しようとする強かさを見せ付けられ、キールは動揺していた。

 ソフィアも、思いつめた唇を固く結んで宙を睨みつけていた。

 二人は、それぞれの記憶にあるアドルフォを思い出していた。


 複雑な思いを胸に、二人は夜明けの月を見送った。

 

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