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第138話:王女の恋 ーその6ー

 ジェード国王の執務室のソファは、指先がこそばゆい程触り心地のいい天鵞絨ビロード張りだった。ソフィアはいつまでも触っていたくなる誘惑に(今はそれどころじゃないでしょう!)と自分の心に鞭打って、太腿の上で両拳を握りしめていた。

大きな窓からレース越しに差し込む夕陽に照らされたプラチナブロンドはまばゆく、手紙を読むアンドリューの表情を隠してしまう。

 イサベルの手紙を読み終えたアンドリューは、執務机に着いたまま視線だけ上げた。

「この手紙には、俺が疑問に思ったことは、ソフィアに尋ねても構わないと書かれている。許可が下りたところで早速教えてもらいたい。王女のレオンに対する本気度は、どれ程なのだ?・・・つまり、永遠を誓うことを望む程のものなのか。それとも、刹那的に燃え上がっているだけに過ぎないのか。」

「私がどこまで王女様の御心を理解できていたか、保障はできかねますが・・・。」

「構わない。あなたの思ったままを言ってくれ。」

「私は、王女様の想いは、一時の気まぐれでも、寂しさを紛らわすためのものでも、単なる憧れでもないと考えています。」

「・・・その根拠は?」

「私の経験から・・・そう感じました。王女様は最初、レオンへの想いを断ち切って陛下と結婚するしかないと断言していらしたのです。ですが、生理的にレオン以外の男性を受け入れることができないとおっしゃって、苦しまれるようになりました。世の中には、それでも他の男性を受け入れられる女性もいるのかもしれませんが、私は無理です。王女様も同じタイプかと。」

「しかし、王女とレオンは20歳以上の年の差がある。これから年月を共に重ねていけば、その差が更に顕著になる。若い王女には、そこまで思慮が及んでいないのではないか?」

 ソフィアは少し視線を落とした。

「惹かれる心は―――、理屈では説明がつかないものです。相手が同年代だからとか、身分が釣り合うとか、そんな条件を確認してから選んだ方を愛せれば幸せです。でも、条件を確かめる前に落ちてしまうのが、恋というものではありませんか?私も、20歳年上の方を一方的に慕っていましたが、他人から『そんな年上の男を愛するなんてありえない』と言われたら、相当反抗したでしょうし、傷ついたとも思います。」

「許されない恋だからこそ燃え上がるということもある。」

「それは、周りが判断できることではありません。ですが―――、」

 そこへ、扉をノックする音が響いた。

 伯爵がネイチェルを連れて来たのだ。

 ネイチェルは硬い表情のまま脇目も振らず、足早にアンドリューの元へ近づいた。

「レオンが王宮を出ると言っています。爵位を捨てるとも言っています。」

「何・・・?」 

「なぜレオンが犠牲にならなければならないのです?このような理不尽な事態はあり得ません。どうか止めてください!」

 ネイチェルの勢いに、アンドリューは息を呑んだ。表情は変わらないが、その焦燥感は限度を超えているのだろう。

 見かねた伯爵は、ネイチェルの肩を叩いてソファに座るよう促したが、ネイチェルは聞く耳を持たない。感情の爆発をこれでも抑えているのだと、上下する肩が物語っている。

 アンドリューはおもむろに立ち上がった。

「ネイチェル。それで、レオンの本心を探ることはできたのか?」

「!・・・それは・・・。」

「できなかったのだな。」

 アンドリューの言葉は冷ややかに聞こえて、ネイチェルは唇を噛みしめるしかない。

 ここでアンドリューが速やかに行動しないということは、もっと思案すべきと言われているのと同じだからだ。

 膠着状態が続く中、ソフィアが遠慮がちに声をかけた。

「恐れながら・・・、私は、イサベル王女様からレオンへの伝言を預かっています。直接レオンにお伝えしたいのですが、陛下のお許しをいただけますでしょうか。」

「王女からの伝言とは?」

「王女様の御心ですから、まずはレオンに伝えてから陛下へ御報告したいと存じます。どうか御容赦くださいませ。」

 腰を深く屈めて許しを請うソフィアに、アンドリューは言った。

「・・・その場にネイチェルを同席させることは可能か?」

「レオンが私を嫌っていることは自覚しております。その私が1対1で話ができるとは思っておりません。」

「では、ネイチェル。王女の言伝を聞いたレオンの反応をよく観察してきてくれ。これがレオンの本心を知る、最後のチャンスかもしれない。」

 二人は何やかや考える暇も与えられないまま、アンドリューに急き立てられるようにレオンの部屋に向かった。

 ネイチェルが扉を叩き、アンドリューの指示で参じたと声を張り上げると、目論見どおりレオンが出て来た。ネイチェルの背後からレオンの顔を見たソフィアは、ハッと息を呑んだ。青白くやつれた様子が、想像以上だったからだ。

 レオンは、ソフィアの存在に気付くと、あからさまに不快感を示した。

「ネイチェル。今度は何用だ?なぜその女を連れて来た?ジェード王宮のプライベート空間に敵国の人間が立ち入るなど言語同断だ。」

「陛下の指示無しに、このような事はしない。陛下から、彼女の話を聞くようにとの伝言だ。・・・中に入れてくれないか?内容の検討はつくのだろう?」

 レオンは眉を顰めて躊躇していたが、やがて(仕方がない)というように扉を大きく開いた。

 扉が閉まっても、レオンは入り口付近より奥に進むことなく、二人の方を凝視した。

「用件を。」

 立ち話でさっさと済ませろということか。

 ソフィアは、軽く顎を引いた。

「イサベル王女様からの伝言です。」

「・・・聞きたくないと、言ったら?」

「それは、王女様の事がお嫌いだからですか?それとも、王女様のことを女性として意識していらっしゃるからですか?」

 ネイチェルは思わずソフィアの方を見た。

 鼻筋の通った彫刻の様に美しい横顔は、レオンを真っすぐに捉えている。

 だが、レオンがこのような挑発に乗るとは思えない。

 視線を正面へ移すと、動じない瞳でソフィアを睨みつけるレオンの姿があった。

「単に、プラテアードの人間の話を聴きたくないだけだ。」

「陛下からの指示ですよ。『聞かない』という選択肢はありません。そのようなこと、言われるまでもなくおわかりでしょう?」

 レオンは眉間に深い皺を寄せ、視線を横へ反らした。

「・・・アンドリューもイサベル王女も、なぜここまであなたを信用するのか理解できない。」

「そのお考えには私も賛同します。ですが、」

 前座も心の準備もここまでだ。

「王女様の伝言は、二つです。『侯爵に迷惑をかけるつもりはなかった』、そして『私は国へ帰る』と。」

 レオンの目が、大きく開かれた。

「カタラネスへ帰国すると・・・?」

「ええ。」

「アンドリューとの結婚は・・・?」

「王女様は、あなたを想う気持ちを、アンドリュー陛下へ伝えました。もう、この国に留まることはできないとお考えです。」

 レオンは、大きく冠りを振った。

「俺が・・・!俺が王宮を離れる。爵位も捨てて国を出る。それを王女に伝えてくれないか?そうすれば諦めて、アンドリューとのことを考え直すはずだ。」

 ソフィアは、スカートの上で拳を強く握った。

「あなたは、王女様の思いを軽く考えすぎてはいませんか?」

「・・・所詮、我儘な御姫様の気まぐれだ。」

「何て失礼な事を・・・!」

 ソフィアは思わずレオンの両腕を掴んで揺すった。

「だからあなたは、王女様の告白を『聞かなかったことにする』などと言ったのですね!?王女様はすべてを捨てる覚悟で告白したというのに、そのこと自体を否定されてどれ程傷つかれたか!」

 レオンは乱暴にソフィアの手を振り払った。

「ジェード王妃の地位を捨ててまで手に入れたい物など、この世に存在するはずがない!王女は自ら望んでアンドリューと結婚するためにこの国へ来たのだ。婚約の儀まで終えている。それを、こんな俺のために覆すなどあり得ない、あってはならない!」

「そんなこと王女様だってわかっています!だから心も身体も壊されるほど苦しんでいらっしゃるのです。御自分の心をコントロールできないと、御自身を責めてらっしゃいました。」

 ソフィアは、必死に訴えた。

「前にも言いましたが、王女様は本気です。あなたへの思いは、まさに命懸けの恋です・・・!!」

 こんなに近くで視線を絡め合っても、ソフィアにはレオンの心が読めない。

 勿論、レオンには、レオンの立場なりの苦しさがあることはわかる。

 レオンの心境は想像に難くないが、イサベル王女の思いの丈は、どうしてもわかってほしい。

 だが、王女の深く切ない思いは、自分の持っている言葉をどう尽くしても表現しきれない。語彙力の無さが、殊更に悔やまれる。仕方なく、自分の経験を持ち出すことにした。

「もし・・・あなたが、20以上年の離れた男性に恋をするなどありえないと思っているなら、それは違いますよ?私にも経験があるのでわかります。人を好きになる時に、表面的な要因はすべて関係ありません。求めるのはただ、相手の心だけだからです。」

 ソフィアは何とかして僅かな心の動きでも感じ取りたいとレオンを凝視したが、その睨み合いを早々に放棄したのは、レオンだった。

「女の感傷話は御免だ。」

「感傷って、そんなつもりは、」

「この結婚は!―――国家間の契約なんだ。婚約の解消は、和平を破棄したと同じ。戦争の火種にもなりかねない。王女の心身が壊れてでも、避けなければならないことなんだぞ。」

「何て非情なことを!?王女様の心身よりも、国家の契約が重要だと言うのですか!?」

「当たり前だ!あんたはリディの傍にいて何を見ているんだ?リディが自分の身体を犠牲にして守ったのは、プラテアードの民ではないのか!?」

「・・・!」

「それに、イサベル王女が母国に帰って歓迎されるとでも思うか?ジェードと血縁関係を結ぶのはカタラネスの悲願だったはず。それが駄目になったとなれば、王女は勘当されかねない。国外追放か、よくて王宮の蟄居暮らし。婚約解消された王女を貰い受ける国などありはしないからな。」

「・・・。」

「王女の身分は、国を背負って初めて成り立つのだ。王女がすべて承知しているからこそ苦しんでいるというのは理解する。だが、若い王女の覚悟よりも現実はずっと冷酷なはずだ。」

 レオンは、ネイチェルの方を向いた。

「王女は既に、カタラネスへ電報や手紙を送ってしまったのか?」

「それはわからない。」

「すぐに確認してくれ。今ならまだ間に合うはずだ。」

「しかし、王女の意思はかたい。アンドリューも婚約解消に向けて動き出そうとしていると思う。」

「それを止めるのが側近の役目ではないのか?二人の結婚は、大勢に益をもたらすものだ。二人だって、今はどう考えようと、数年後には結婚してよかったとわかるはずだ!」

 これまで見たことのない程に、レオンの瞳の色が深く澄んでいる。

 ネイチェルの背筋が、ゾクリと震えた。

 レオンは、王女がこの恋を諦めて結婚する気になるなら、自らの命さえ差し出してしまうのではないか。そんな恐ろしい予感がネイチェルの全身を貫いたからだ。

 レオンはアンドリューの忠実な臣下であればこそ、自分の意思など心の底に沈めて生きてきた。

 常にアンドリューのために、アンドリューの意のままに行動してきたレオン。そこにレオン自身の「意思」は、存在することすら許さなかったのだろう。

 レオンは、二人に背を向けた。

「用は済んだろう。・・・出て行ってくれ。」

 しかし、ネイチェルは嫌な予感を拭いきれず、レオンを一人にしたくなかった。

「・・・ソフィア殿。陛下への報告をお願いできますか?私はもう少しここに残ります。」

 ソフィアは、ネイチェルが暗に人払いをしているのだと察し、部屋を出た。

 だが、一体、アンドリューに何を報告すればいいのだろう?

 アンドリューが知りたがっていたレオンの本心は、やはり、わからない。

 わかったのは、レオンがアンドリューの真の忠臣であるということ。

 そこに、イサベル王女の入り込む隙が見当たらないということ。

 それを、誰に報告して、誰が喜ぶというのか。

 人ひとり見当たらない広い廊下に、ソフィアは暫く立ち竦んでいた。

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