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第137話:王女の恋 -その5-

 アンドリューは今後の方針を定めるために、レオンの心の内が知りたいと思った。できる限り穏便に事をおさめたいが、それには周到な根回しが必要だ。「二度と母国の地を踏まない覚悟でジェードに来た」と力強く語ったイサベルが、今どのような思いでいるのかも確かめねばならない。

 アンドリューは、レオンの本心を聞き出す役目をネイチェルに委ねた。

 しかし、ヴェルデ市内に潜入していた頃、恋人同士を装って『情報交換』のための逢瀬を重ねていた間柄ではあるが、互いに本音を語る仲かと問われれば、ネイチェルの返事はNoだ。それはレオンも同じだろう。アンドリューのためなら何でもする覚悟があるが、こればかりは自分の意思で強行できるものではない。

 王宮内のレオンの部屋は、ネイチェルの私室の向かい側にある。

 ネイチェルは緊張しながらも、彫刻の施された木製の扉を力強くノックした。

 が、返事はない。ネイチェルがレオンの名を呼んでも、アンドリューからの伝言があると伝えても、何の反応もなかった。

 仕方なく夕方に出なおしたが、結果は同じだった。

 夜、外からレオンの部屋の窓を見上げると、厚いカーテンが隙間なく閉められ、明かりも消えていた。これでは、部屋にいるのか生きているのかもわからない。

 ネイチェルは走り書きした紙を丁寧に折り畳むと、レオンの部屋の扉の下の隙間に差し入れた。紙が少し廊下にはみ出すようにしておけば、レオンが手紙を受け取ったかどうか確認できる。

 翌日も廊下にはみ出した紙はそのままになっていて流石に心配になったが、その夕刻には紙がなくなっていた。

 ネイチェルは大きく安堵の息を吐くと、再び扉を大きく叩いた。

 メモには、どうしても話がしたいと書いておいた。

 しかし、やはり扉は固く閉ざされ、開く気配はなかった。

 仕方なく、ネイチェルはもう一度手紙を書いた。

 ――― 明日の朝、もう一度訪ねる。その時に扉を開けてもらえなければ、合鍵を使って無理矢理部屋に入るから、そのつもりで ―――


 翌朝、レオンの部屋の扉は、昨日までとは一転、既に僅かに開かれていた。

 ノックをして入ると、レースのカーテン越しに外を眺めているレオンの姿があった。

 柔らかなオレンジの朝日に透ける白いシャツのシルエットが、心なしか細くなったような気がする。

 振り向いたレオンの顎のラインと落ちくぼんだ眼が、ここ数日ろくに食べず、眠っていないのだろうことを匂わせた。これではまるで、イサベル王女の二の舞だ。

「無理矢理入られてはかなわないからな。・・・そこまでして話したいこととは何だ?アンドリューが何か言っていたか?」

 ネイチェルは、部屋の錠を静かにおろした。

「アンドリューは、レオンの気持ちが知りたいと言っている。」

「俺の気持ち?そんなものを知ってどうする?」

「この事態をどうおさめるか、アンドリューは色々策を練っている。その判断材料の一つだろう。」

「どうおさめるかなんて、決まっているじゃないか。アンドリューはイサベル王女と結婚するんだ。それだけだ。」

「王女は衰弱しきっている。時間が解決するなどと楽観視できる状況ではない。それはどうするつもりだ?」

 レオンは、口の端を引き締めた。

 その表情を見つめながら、ネイチェルはふと部屋の中の違和感に気付いた。

 書斎とリビングを兼ねたこの部屋が、やけに整然として見える。調度品は王宮の備え付けだから他の部屋と変わらないのだが・・・。その理由にネイチェルがハッとなったのと、レオンが口を開いたのは同時だった。

「俺は、王宮を出る。爵位も捨てる。」

「そんな・・・!それは、アンドリューが許さないだろう?」

「許してくれるさ。俺がいなくなれば、王女も諦めがつくだろう。結婚を焦る必要はないのだから、少しずつ日常を取り戻してもらえたらと思う。」

「それが、レオンの考えた最善の結論なのか?」

「頭が悪いのでな、これ以上の答えが思いつかない。逃げるのかと言われても仕方がない。・・・例え刹那的な気まぐれでも、王女の気持ちを翻弄させた責任は俺にある。5日間の蟄居が終わったらアンドリューのところへ挨拶に行く。もはやアンドリューに合わせる顔がないが・・・これが今生の別れになるから、けじめはつけたい。」

 語尾が震えているのは、気のせいではないだろう。

 ネイチェルは何と言っていいかわからず、ただ、少し首を振った。

 レオンは自嘲した。

「アンドリューに直接話をするつもりだが、ネイチェルから先に伝えておいてもらえるか?それでアンドリューが『会いたくない』と言うなら、挨拶せず明日にでも王宮を出ていく準備はできている。」

「ここを出て、どうするつもりだ?」

「ヴェルデから最も遠い村へでもと思っているが・・・男一人、何とでもなるだろう。」

 レオンは、表情を変えずともわかる困惑気味のネイチェルの肩を叩いた。

「この間は、・・・悪かった。」

「え?」

「『本当の恋愛をしたことのないお前に、何がわかる』なんて言って、すまなかった。」

「それは・・・」

「人の心の内など、他人が計り知ることなどできるはずがないのに、勝手に決めつけて中傷するなんて許されることではなかった。第一、『本当の恋』を知らないのは、俺の方だ。」

 そう語るレオンの瞳を見た時、いつもは表情が動かないネイチェルの眉根が、微かに動いた。

 決して語られることはないレオンの思いが、まるで湧き出る泉の様にネイチェルの心に流れ込んでくる。

 なぜ、このようなことになってしまったのだろう?

 レオンが王宮を離れるということは、アンドリューだけでなく、長年苦楽を共にしてきた同士達とも訣別するということだ。

 そんなことを望んでいる人間は、誰もいない。

 王女一人の恋に、なぜレオンの人生が潰されなければならないのか。

 王女の恋は、本当にここまで周囲を翻弄するほど重みのあるものなのだろうか。

 ソフィアは「心底真剣で本気だ」と言っていたが、それも所詮いつかは冷める「うら若き乙女の恋」に過ぎないのではないのか。

 そんな一時の感情で、何人もの人生を狂わせていいのか。

 レオンの部屋を出たものの、ネイチェルがやるせない思いのまま病院に戻ると、ふくれっ面をしたセラーノスが手を差し出してきた。

「30分の遅刻!これは安くはないよ?」

 ネイチェルは見張りの交替に遅刻したつもりはなかったのだが、仕方がない。ポケットに入っていた硬貨を無造作に掴んでセラーノスに渡した。

「えっ、こんなに?」

 思ったより高額だったのかもしれないが、今のネイチェルはそれどころではない。少しでもセラーノスと雑談しようものなら、耐えきれず「レオンがいなくなってしまう!」と叫んでしまいそうになっている。

 アンドリューが言っていた「穏便に事を済ませたい」という言葉の裏には、レオンが国を出なくてもよいようにする、という思惑も含まれていたのではないか。

 だとすれば、一刻も早くアンドリューにレオンの思いを伝えて、次の一手を考えてもらいたい。


 ―――「ネイチェル殿?」

 

 ハッと我に返ると、目の前にハロルド伯爵が立っていた。

 声をかけられるまで気付かないとは、見張り失格だ。

 ネイチェルは慌てて体制を立て直し、礼をした。

「お疲れの様ですね?」

「申し訳ございません。役割を忘れて考えに耽るなど、弛んでおりました。」

「いえ・・・。それよりソフィア殿を呼んでいただけますか?実は、イサベル様がソフィア殿をお呼びなのです。」

「イサベル様のお加減はよくなったのですか?」

「少し熱は下がりましたが、咳がおさまりません。ですが、どうしてもソフィア殿と話がしたいと。急な事でしたので、陛下の命令で私がお迎えにあがりました。」

 廊下に呼び出されたソフィアは、ろくな説明も受けないまま急かされて馬車に乗り込んだ。館への道中、ハロルドから「イサベル王女が起きているうちに訪問することを優先するから着替えの必要はありません。」と言われた時、ソフィアが真っ先に考えたのは「ネイチェルと接触しない」という事象だった。

 傍から見ても、自分で思い返しても、先日のネイチェルとの最後のやり取りに問題があったとは思わない。しかし、ソフィアの何気なく口にした「お金持ちの国は違う」などと言った後の気まずい沈黙と、その後ソフィアと目を合わせようとしなかったネイチェルの態度が、心に引っかかっていた。だから、今の状況さえ(ネイチェルに避けられたのではないか)と勘ぐってしまう。

 異国の、ましてや敵国の人間に、どう思われようと構わないはずなのに。


 伯爵の紳士的で完璧なエスコートは、ソフィアが馬車を降りてイサベル王女の部屋の前に到着するまで続いた。

「こちらでお待ちしております。」

 ソフィアは伯爵に軽く頷くと、侍女が開いた扉の中に入った。

 いつも感じるが、ここは例えようのない芳香がふわりと漂っている。

 王女は、柔らく膨らんだ羽根布団から上半身だけ起こし、ソフィアへ細い腕を目いっぱい差し伸べた。

 ソフィアはその手を空かさず握りしめ、ベッド脇に跪いた。

 イサベルは既に充血した目を縁取る長い睫毛を震わせ、ソフィアを見つめた。

「お仕事中だったのでしょう?無理を言ってごめんなさい。」

 掠れた声から、掴んだ手の熱さから、まだ熱が下がっていないことがわかる。

 イサベルは次の言葉を出そうと息を吸った途端、激しく咳き込んだ。

 ソフィアは、イサベルに白湯や蜂蜜を与えたり、背中をさすったりして様子をうかがった。

 少し落ち着いたところで、ようやくイサベルの呼吸が声になった。

「私・・・もう堪えられなくて、嵐の夜、侯爵に想いを伝えてしまいました。」

 それを既にレオンから聞いたと言っていいのか悪いのかわからず、ソフィアは質問で返した。

「それで侯爵は、何とお答えになったのです?」

 すると、イサベルは熱で乾いた唇を震わせた。

「聞かなかったことに・・・する、と。」

「え・・・?」

 ソフィアは思わず聞き返した。

 イサベルは、時折咳き込みながらも、話を続けた。

「聞かなかったことにするから安心してください、と言うのです。私は、何もかも捨てる覚悟で告白したのですが、侯爵にとっては、ただ迷惑なだけだったのでしょう。」

 想いそのものを否定されたとあっては、断られるよりも辛いだろう。

 アドルフォに叶わぬ想いを抱き続けたソフィアには、イサベルの気持ちが痛い程わかる。アドルフォも、ソフィアの気持ちに気付いていながら、それを絶対に表には出させないバリアを張っていた。ソフィアも、自分の恋心そのものがアドルフォの迷惑になっていると自覚していた。

 安易な慰めは、逆効果になる。

 しかし、少しでもイサベルの救いになる言葉をかけてやりたい。

 では、自分なら何と声をかけられたいだろう? ――― しかし、いくら考えてもそんな都合のよい答えは見つからない。

 透明な涙を流すイサベルが、痛々しい。もう何度、こうして頬を濡らしてきたのだろう?心よりもっと深い場所にある魂が、レオンを求めてやまないことの証だ。

 ただ王女の手を握りしめ、傍にいることしかできないソフィアに、イサベルは静かに言った。

「ソフィアさんが傍にいてくれると、私の心は落ち着くのです。でも、これ以上お引止めするわけにはいきませんから、今日、お呼びした理由を言いますね。」

 イサベルはそう言うと、サイドテーブルに置いてあった白い封筒を手に取った。

「これは、私が陛下にあてた手紙です。ソフィアさんから陛下へ届けていただけますか?」

「わかりました。必ず、お届けします。」

「それから・・・、侯爵へ、伝言を・・・。」

 イサベルは躊躇いながらも、しかし、決心したように視線を上げた。

「私は、決して侯爵を困らせるつもりはなかったのだと・・・。それから、私は国へ帰る、と。」

「え・・・。」

「もう私は、ここにはいられません。陛下へのお手紙にも、そのことを書きました。でも、侯爵には手紙を書くことも、お目にかかることも許されませんから・・・せめてソフィアさんから、侯爵へ伝えてください。」

 再びイサベルは肩を震わせ泣き出したが、「私は大丈夫だから、もう下がっていいですよ。」と繰り返すため、ソフィアは後ろ髪ひかれる思いで部屋を出た。

 左手にアンドリュー宛の手紙、そして胸の奥にはレオンへの伝言。

 ハロルド伯爵は手紙の事を聞くと、このまま一緒に王宮へ行こうと言ってくれた。しかし、「レオンに会いたい」と言うと、表情を曇らせた。

「レオン殿は宮殿内の自室におられますが・・・、お会いするのは難しいと思います。」

「私とは会いたくないとおっしゃるからですか?」

「いえ、そうではなく・・・。レオン殿は今、どなたとも会おうとなさらないのです。今朝、ようやくネイチェル殿が少しお会いできたようですが、それ以外はノックしても返事もございません。」

「私が手紙を書いたら、読んでもらえるでしょうか?」

「残念ながら、保障はできかねます。ネイチェル殿が直接頼めば、可能性はありますが。・・・そうですね、陛下はおそらく、イサベル様からの手紙を読む間、ソフィアさんにその場にいるようおっしゃると思います。その間に、私がネイチェル殿を呼んできましょう。」

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