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第133話:王女の恋 -その1-

 ソフィアが2,3日置きにイサベルを訪ね、話をし、慰めることを続けて4回目のことだった。

 その日は朝から雨が降り続き、午後から風も吹き出した。

 しかし、イサベルの方から何ら連絡がなかったため、ソフィアはいつもどおり王宮内のネイチェルの部屋で支度を整えた。初日の靴擦れを教訓に、ネイチェルは踵の低い、飾りのない柔らかな靴を用意してくれた。ドレスの裾から爪先が出ない様に気を付けていれば、表向き何ら不自然はない。痛んだ足も一週間以上経ち、かなり回復していた。

 イサベルの滞在する館が近づいてきた時、御者席のネイチェルは思わず馬車の速度を緩めた。

 館に続く並木道の間を、召使いや侍従達が走り回っている。雨風はますます激しくなっているというのに、びしょ濡れになりながら必死に何かを探しているようだ。

 顔を打つ雨を手の甲で払いながら、ネイチェルは大声をかけた。

「どうかされましたか!?」

 すると、いつも玄関脇にいる侍従の一人が気付いて駆け寄ってきた。

「ヴィエルタ子爵。恐れ入りますが、本日の訪問は延期させてください。」

「一体何が起あったのです?力になりますから、どうぞお話しください。」

 それを聞いたソフィアも、馬車の窓から顔をのぞかせた。

 すると侍従は気まずそうに、しかし、やむを得ないと意を決したように口を開いた。

「実は、昼過ぎからイサベル様のお姿が見当たらないのです。」

「!!」

「そんなに遠くに行くはずはないと、屋敷の中から前庭を探し回ったのですが見つからず、範囲を広げ出したところなのです。ソフィア様とのお約束の3時には戻ると思っていましたが気配がなく―――」

「すぐに王宮へ知らせてくだされば良かったのに。近衛兵にも捜索させましょう。」

「いえ!それは・・・。」

「何を躊躇っておいでです?」

「このような不始末を、陛下のお耳に入れるわけには・・・できるだけ穏便に済ませるようにと、女官長から言われておりまして・・・。」

「今、どのような状況かおわかりか!?王女に万一のことがあったら、そなた達の首を幾つはねても赦されませんぞ!?」

「それはわかっておりますが・・・」

 ネイチェルは馬車を降りると、

「お手伝いします。」と言い、走り出そうとした。

「待って!」

 振り返ると、ソフィアが続くように馬車から降りていた。

「私も探します!」

 あっという間に、高価なドレスも綺麗に結い上げた髪も、風雨で乱れ舞い上がる。

 ネイチェルは自分が羽織っていた雨除けのフード付きのマントを肩から外すと、ソフィアに渡した。

「足元に気を付けて。」

「ええ、・・・ありがとう。」

 イサベルがいついなくなったのかさえわからないというが、少なくとも王宮の敷地から出るとは思わない。

 ソフィアは、皆よりも木々の深い部分へ向かった。

(行くあてなど、どこにもないはず。レオンも帰国したと聞いていない。結婚に耐えきれず逃げ出した?・・・いえ、逃げる先だってどこにもない。まさか、死―――)

 そこまで思って、ソフィアは激しく首を振った。

 イサベルはさかしい。どんなに嫌な事があっても、逃げ道に死を選ぶようなことはしない。

 雨粒をまとった木々の葉は、風に揺られて激しく飛沫をまき散らす。

 一刻も早く見つけなければと、焦りだけが空しく時間を食いつぶしていく。

 額から流れる水滴が睫毛をすり抜け、瞳に染みた。

 そんな中、ふと、僅かな甘い花の香りに気付いた。

 立ち止まってみれば、そこは果樹園の中だった。

 今を盛りに花を咲かせたというのに、白い花びらは風で千切れ、芝生の上に落ち、雨に打たれて無残な姿をさらしている。

 ソフィアはマントの前立てをしめなおし、もう一度走り出した。

 雨脚はますます激しくなり、視界が悪くなってきた。

 夕方が近づいてきたのだろう、灰色の空がさらに色濃くなっている。

 更に悪い事に、遠くでは雷鳴が轟きだした。

 これは危険だ。

 雷が高い木に落ちる様を、何度も見たことがある。

 ソフィアは雷の位置を確認しようと、前ばかり向いていた視線を真上へあげた。

 大きく辺りを見渡すと、不意に、視界の中に鮮やかな水色を見た。

 「?」

 灰色の景色に浮かんだ不自然な色。

 見間違いだろうか。

 眉の上に手をかざして雨をよけ、改めて目を凝らした。 

 するとその水色が、濃い緑の葉の間で風にはためいている様を確認できた。

 ソフィアは、力の限り地面を強く蹴った。

 雨を含んで重たくなったドレスのスカートを必死でたくし上げ、走る。

 そして。


 「イサベル様!」


 イサベルは、太い幹から枝が幾重にも分かれている大木の上にいた。

 人の背丈の二倍程の高さの枝に、はだしの足をそろえて座っている。

 まさか王女に木登りができるなど、誰も想像していなかったろう。

 水色の正体は、薄い布を幾重にも重ねた寝着だった。全身濡れて肌にへばりついている。いつもはまばゆい金髪も乱れて額や頬に貼りつき、輝きなどみじんもなくなっていた。

 イサベルはソフィアに見つかったことに気付いてか気付かずか、ただ生気のない目で宙を見つめている。

 ソフィアは叫んだ。

「危のうございます、王女様!人を呼びますから、そこから動かないでくださいませ!」

 すると、イサベルは虚ろな目のまま首を振った。

「放っておいて。」

「放ってなどおけません!落ちたらどうするのです!?」

「落ちてもいいわ。」

「イサベル様!」

「雨に打たれていたいの、どうか一人にして。」

 ソフィアは必死に声をはりあげた。

「身体が冷えて病気になってしまいます!ただでさえお身体が弱っていらっしゃるのですから、放ってなどおけません!」

 すると、イサベルは唇を震わせた。

「私、雨に強く打たれて自分を痛めつけたいの。激しく痛めつけて、これから来るどんなことにも耐えられるようになりたいの。」

「王女様は既に十分苦しんでらっしゃるではありませんか?これ以上身体を痛めつけるなど、どうかおやめください!」

 雨に濡れたイサベルの頬に、青い瞳から涙が伝う。

「駄目なの・・・!私、努力すると言ったけれど、もう、想像するだけでも震えが止まらなくなってしまうの。どうしたらいいかわからなくて・・・こんなことぐらいしか思いつかなくて・・・!」

「王女様、お話はいくらでも伺います。ですから館へ戻りましょう!雷も近づいてきています。もし雷がその木に落ちたら死んでしまいます!」

「弱虫な私なんて、雷に打たれるぐらいがちょうどいいのかもしれないわ。」

「なんてことをおっしゃるんです!?」

「そうよ、雷に打たればいいのよ・・・!そうしたら事故死ですもの、結婚できなくなっても誰も責められることはないわ。」

 それを聞いたソフィアは、思わず拳を握りしめた。

 もう、限界だ。

 国家間の問題もあるだろうが、それより優先すべきは王女の心身の健康だ。

 王女という立場はあれ、18歳の乙女がこれほどまでに健気に苦しまなくてはならない状況など無情すぎる。

 アンドリューに、言わなければならない。

 例えレオンへの思いが刹那的な気まぐれであったとしても、手遅れになる前にいったん救い出してもらわなければ。

「ソフィア。」

 後ろから声をかけたのは、ネイチェルだった。

 ソフィアの大声に気付き、駆けつけたのである。

「先に王女が見つかったことを知らせてくる。あなたはここで見守っていてくれ。」

 すると、イサベルが叫んだ。

「駄目よ!人なんか呼んだら、ここから飛び降りるから!」

 ネイチェルが肩越しに振り返る。

「わかったわね?どうか私の気が済むまで放っておいてちょうだい!」

 ネイチェルは一度ソフィアと顔を見合わせ、軽く頷いてその場を走り去った。

 ソフィアは木の幹まで駆け寄り、イサベルを見上げた。

 できることなら木を登って無理矢理でも王女を降ろしたいのだが、この重いドレスでは足が持ち上がらない。かといって、一人で脱ぐことも叶わない。

 イサベルを説得する言葉は、すべて出尽くした。

 身体は芯から冷え切って身震いする。だが、薄着のイサベルの方がもっと寒いはずだ。

「イサベル様、私の着ているマントを渡しますから、せめてそれを羽織ってください。」

「結構よ!いいから気の済むまで一人にしてちょうだい!」

 もはやイサベルも、意地を張って後に引けなくなっているのではないか。

 ネイチェルが応援を連れて戻ってきたら、木に登ってもらって降ろしてもらうしかない。

 それまで王女が落ちたり飛び降りたりしないよう、見守るしかないのだ。

 

 どれぐらい時間が経ったのか。

 灰色の雲は遂に夜の闇に染まり始めた。

 だから、遠くからランタンを手に近づいてきた人物が誰なのかソフィアが判別できた時には、イサベルの方が先にその正体に気付いて大きく目を見開いていた。

 ネイチェルが連れて来たのは、帰国したばかりのレオンだった。

 走ってきた証拠に、吐く息が白く空気に滲んでは消えてゆく。

 ネイチェルはソフィアの肩を軽く叩き、「後は任せよう。」と言った。

 ソフィアは気付いた様にマントの留め具を外すと、レオンに渡した。

「これを・・・。」

 レオンは頷くこともなく、ただ黙ってマントを受け取り、腕にかけた。

 ソフィアが確認できた光景は、そこまでだった。


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