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第12話:闇の騎士

 温かい昼下がり。

 レオンの遅い出勤に合わせてハウスを出ようとしたリディは、エントランスホールに見知らぬ老人がいるのに気付いた。

 老人は少し腰をこごめて、ホールの窓を拭いている。

 手の届かないところは諦めているらしく、同じところを何度も汚い雑巾でなぞってる・・・ように見える。

「あの、よかったら少しお手伝いしましょうか?」

 リディが恐る恐る声をかけると、老人はゆっくりと振り向いた。

 思ったより皺がない。白い髪と口ひげが、老けた印象を与えているのだろう。

 蒼い瞳・・・どこかで見た色だ。

「あんた、誰だ?」

 低いしゃがれ声でぶっきら棒に訊ねられ、リディは少したじろいだ。

「リディ・バーンズです。屋根裏の方に住んでるんですけど。」

「ああ、アンドリューが言ってた新入りか。」

「アンドリューを知ってるんですね。」

 リディの何気ない一言に、老人は憤慨した。

「当たり前だ!わしはこのエンバハダハウスの大家で、アンドリューの祖父じゃぞ!!」

 本当に存在していたのだ。

 こんなに簡単に姿を見せているのに、なぜキールは存在を確認できなかったのだろう?

 リディが二の句を告げないでいると、老人は自分が持ってた雑巾をリディに差し出した。

「ほれ、後は任せた。」

「え、」

「手伝うって、言ったじゃろ?」

「少しだけですよ?俺、今から仕事なんですから。」

 リディの言い分など、どこ吹く風。老人は薄暗い廊下をスタスタと歩き、突き当りの部屋に消えてしまった。

 老人が消えたのは、間違いなくアンドリューの部屋。

 東と南に窓を持つ、一番いい部屋だ。

 裏庭に直接出られるウッドデッキにガラス張りのサンルームまでついている。大使館として使われていた頃、大使家族が住居としていたのだろう。

 だが、今やウッドデッキは苔生し、あちこち腐朽している。サンルームもガラスが破れ、とても日向ぼっこをする気にはなれない。

 このエントランスも窓ガラスの半分は割れており、どこで拾ってきたかわからない不揃いの板が不器用に打ち付けられているだけだ。

 リディは板の端切れに挟まれたガラスを息で曇らせ、懸命に磨く。

 だが、埃まみれの布でこすったところで、あまり効果はない。

(早くしないと仕事に遅れちまう。こんなことなら、声なんかかけなきゃ良かった。)

 結局15分もかかってしまった。

「爺さん!掃除終わったから、俺、行くよーっ!!」

 ホールからアンドリューの部屋の方へ向かって大声で挨拶をし、リディはエンバハダハウスを飛び出した。

 

 新聞社まで走っても、完全に遅刻だ。

 せめて、少しでも早く辿り着きたい。

 リディは、今まで通ったことはないが、近道だと確信している裏通りに足を踏み入れることにした。

 アパートとアパートに挟まれた幅1mくらいの石畳。陽が当たらないため、湿っぽく、かび臭い。

(早く通り過ぎてしまおう。)

 どこから誰に見られているかわからない不気味さ。

 不自然な水溜り。

 横切る鼠。

 

 リディの本能が、心を急かせる。

 

 走り以外の動悸が、喉の奥で激しく鼓動する。

 

 わき目も振らず、一本道をただひたすらに急ぐ。

 

 と、その時だった。

 「!!」

 どこから出てきたのか、3人の男がリディの前に立ちはだかった。

 リディは一瞬足を止めたが、構わずに立ち去ろうと足を進めた。

 「おーっと、通さないよ。」

 善良な市民でないことが一目でわかる、痩せた若い男たち。しかし、少なくともリディの正体を知って襲ってきたようなプロには見えない。

(適当に撒いて逃げないと。)

 男達は、薄笑いを浮かべながらリディに近寄ってきた。

 金は持っていないが、父の形見の銀の笛が心配だ。まだ成功したことはないが、この笛は本来伝書鳩を呼ぶためのもので、人間の耳に聞こえない音波も出すのだという。


 リディは2、3歩後ずさり、今来た道を引き返そうと思った。

 それを察した男の一人が、逸早く後ろに回りこむ。

 リディは生唾を呑み込んだ。 

 今、キールはエンバハダハウスの監視中。新しい護衛のソフィアは、キールやバッツほど身軽ではない。5階建てのアパートの屋根の上からリディを見張るなどということは、できてないだろう。

(頼っちゃいけない。自分の身を自分で守るための訓練を受けてきたんだ。命の半分をアンドリューに預けている以上、これくらいの危機は自分で切り抜けなければ。)

 逃げ道がない以上、男達の手から擦り抜けるしかない。

 リディは身構えながら言った。

「見ての通り、俺に金はないぜ。」

「へぇ。だから?」

「もっと金持ちか美女を狙えよ。俺なんか、時間の無駄だぜ。」

「それは、身包み剥いでみなきゃわからないだろ?」

 男の太い腕がリディの胸倉を掴んだ。

「放せ!」

 リディは固いブーツで、男の脛を思い切り蹴った。

「こいつ!」

 別の男が、リディの頬を殴る。

 リディも負けじと、男のみぞおちに拳をぶつけた。

 後ろから襲い掛かってきた男の影に、リディは肘鉄をお見舞いした。

 しかし、所詮3対1では限界がある。

 隙を見つけて、逃げることを考えなければ。


 と、次の瞬間。

 目の前にいた男の手が一瞬止まったかと思うと、白目をむいてリディの方へ倒れこんできた。

(!?)

 驚く間もなく、残りの二人の男達も、あっという間にその場に倒れこんでいく。

 キールが助けに来たのか?

 いや、違う。

 

 リディが見たのは、黒い短髪の背の高い男だった。

 

 黒いシャツが胸元まではだけた、細身だが精悍な印象の若い男。

 黒髪にオニキスのような瞳、黒いズボンにブーツ、上から下まで黒尽くめ。

 

 男は冷たい視線でリディを見下ろした。

「ついて来い。表通りまで送ってやる。」

「・・・。」

 リディは言われるまま、大またで歩く男の背を必死で追った。

 男は、一度もリディを振り向かない。

 いくつか角を曲がり、気付くと大聖堂広場に着いていた。

「ここまで来れば、安心だろう。」

 リディは、相変わらず背を向けたままの男に向かって頭を下げた。

「ありがとうございました。」

「何があっても、二度とあの通りに近づくな。」

「・・・はい。」

 男はそのまま人混みに紛れ、あっという間に見えなくなってしまった。




 リディがようやく新聞社に着くと、到着の遅れを心配していたレオンが入り口まで飛んできた。

「どうしたんだ、その顔は?」

 他の社員達も、驚いた顔でリディの所に集まってきた。

「頬が腫れてるよ。」

「誰か、冷たい布を持ってきてやれ!」

「救急箱も!」

 リディが何も言わないうちに、大人達は忙しく動き出していた。

 

 女性タイピストのモーラが、リディの怪我の手当てをしてくれた。

「ほら、袖をまくって。ズボンの裾もね。どこが痣になってるか、擦り剥けてるかわからないもの。」

「その消毒薬、染みるよね?」

「当たり前でしょう?あとで化膿したらもっと痛いのよ?男の子でしょ、我慢しなさい。」

 そんな会話の合間に、リディは何があったのかレオンにすべて話した。この怪我では隠し通せないし、隠しても得はないだろう。そして、全身黒尽くめの男にたすけられたことを話すと、モーラは黄色い声を上げた。

「それって、噂の闇騎士ダーク・ナイト様よ!」

「ダーク・ナイト様?」

 モーラは目を輝かせて頷いた。

「最近ね、街で悪事が働いたときに、どこからともなく現れて悪者を退治してくれるっていう謎のヒーローよ。今や街中の女の子の憧れなんだから!」

 レオンは、呆れたように溜息をついた。

「ダークナイトでも何でもいいよ。問題は、リディが襲われそうになったってことだ。」

 リディは慌てて弁解した。

「俺が悪かったんだ。もう二度と危険な道は通らないよ。気をつける!だから、クビにしないでくれよ!?」

「う・・ん。だが、街でそいつらに再会したらまずいだろう?」

「大通りしか通らないよ。泊まりが多くなってもいいから、家に帰るときはレオンと一緒に帰る。だから!」

 渋い顔で悩むレオンを見て、モーラは明るく言った。

「リディは働き者よ?レオンが守ってやればいいじゃない?」

「簡単に言うなよ。王子の婚礼が近くてますます忙しくなるんだ。」

「だから、かえって安全よ。そろそろ警官だけでなく、軍隊も警備に就くでしょ。半端なチンピラは下手に動けなくなるわ。」

「だが、プラテアードの革命家は間違いなく潜入してる。独立運動の王の娘が、一人で入国するわけないからな。」

 リディはドキリとした胸のうちを、唇を咬むことで抑え込んだ。

「レオンったら。そんなの、リディを襲ったチンピラとは関係ないでしょ。・・・はい、これでいいわ。」

 傷の手当をすべて終え、救急箱を閉まったモーラは、リディににじり寄った。

「ねぇ、ダーク・ナイトの顔、見た?」

「・・・ええ、少しですけど。」

「どんな感じ?ハンサム?髭は生えてた?」

「一瞬しか見てないんです。とにかく全身黒尽くめで、髪も目も黒で、背が高くて細かったです。」

「ああ・・!会ってみたいわ。会えるなら、擦り傷くらい負ってもいいわね。」

 すると、レオンが大声をあげた。

「モーラ!襲われたリディの前で、不謹慎すぎるぞ!」

「あら、記事にしたくないの?」

「記事?冗談だろ。ローカル過ぎだし、ゴシップにもならん。高い広告料払ってくれてるスポンサーに申し訳ない。」

「そんなんだから、うちの社の売上は伸びないのよ!」 

 頬を膨らませたモーラは、自分の仕事に戻っていった。

 レオンはリディの腫れた頬を覗き込み、言った。

「大丈夫か?歯は折れてないのか?」

「口の中は切れてるけど、歯は食いしばってたから大丈夫。」

「どうする?今日はこのまま帰ってもいいぞ。」

 リディは慌てて首を振った。

「仕事するよ。させてくれ。」

「そんなに躍起にならなくても、クビになんかしないよ。」

「ありがとう、レオン。でも、こんなことくらいで仕事を休みたくないんだ。」

 真っ直ぐなリディの眼差しに、レオンは優しく微笑み、柔らかな髪を撫でてやった。

「よし、じゃあ頼むよ。」

「うん!」

 それにしても、闇の騎士ダーク・ナイトとは一体何者だろう。

 噂好きな街の乙女達のヒーローらしいが、あの身のこなし、気配の無さ、只者ではない。

 黒いシャツからのぞいた白い首下。

 スラリと伸びた、細くて長い足。

 低くて、暗い声。

 あんなに印象的な人物なんて、そうそういるものではない。


 (ちょっと、調べてみるか・・。)


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