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第125話:裏紋章の行方

 三日目の朝が訪れた。

 まだ、リディの面会謝絶は解けない。

 エストレイ達が余計な動きをしないよう、「要人警護」と称して厳重な監視の下ホテルに閉じ込めてあるが、様々な手段で情報収集しているに違いない。次の事態に備えて秘密裏に動き出していることは間違いないだろうから、余計な準備期間をこれ以上与えることはできない。

 今宵、覚書を白紙に戻したら、その足で帰国してもらわねば。

 アンドリューはハロルド伯爵を呼び、様子を確認した。

「リディの具合はどうだ?」

「だいぶ落ち着きましたが、痛み止めの副作用で夢とうつつを繰り返している状態です。」

「今夜7時にアンテケルエラの一行を招いている。それまでにリディの支度を整えるよう、シンシアに伝えてくれ。」

 常に冷静なハロルドではあるが、流石に少し顔をこわばらせた。

「リディ様に、立って歩けとおっしゃるのですか。」

「・・・1時間だけだ。それだけ持てばいい。」

「立って歩けば、傷口から再び出血するおそれがございます。当然、痛みも――― 」

「ハロルド。」

 アンドリューは厳しい表情で、ハロルドの肩を叩いた。

「すべて承知の上で言っている。リディだって覚悟の上だ。これは国家の大事だ、やってもらうしかない。」

「・・・かしこまりました。」

 エストレイがどのような反応をするか、幾通りものシミュレーションを繰り返してきた。リディの身体にできる限り負担をかけたくないと思っているが、避けられない事も多い。だが、ここで失敗したらすべてが水の泡になってしまう。リディの覚悟の強さを思う程に、何が何でもやり遂げねばと、改めて身が引き締まる。


 リディとの僅かな時間の打ち合わせも叶わず、夜の帳が降りた。

 

 病院に到着したエストレイの表情は、事態を察したかのように険しかった。

 直接、礼拝堂に通されたアンテケルエラの一行は、入口で出迎えたハロルド伯爵に向かって「理由も語らず3日間でも拘束したうえ、一方的な呼び出し。なんという無礼な!」と吐き捨てた。伯爵はただ低頭に徹し、アンドリューが現れるのを待った。

 その様子を、ジロルドとミヒャエル卿は、隅の椅子で固唾を呑んで凝視していた。

 ここに来る直前まで、リディはソフィアとシンシアに身体を預け、なされるがままになっていた。

 意識をはっきりさせるために痛み止めの投与をやめ、ほんの1時間前までは上半身を起こすことさえままならなかった。そんなリディの髪を結い、血の気のない顔に白粉おしろいをのせ、白い絹のドレスを着せながら、ソフィアもシンシアも苦しい表情を隠しきれていなかった。二人がリディの身体を支え、車椅子に乗せて診察室のベッドまで運んだのは、つい5分前の事だ。

 礼拝堂に、正装したアンドリューが静かに足を踏み入れた。

 アンドリューは誰の顔も見ることなく、前だけを睨みつけるようにしてゆっくりと自席に着いた。それを合図に、ジェードの第二神使が祭壇に立ち、丸めてあった書状を徐に広げた。

「今宵は、プラテアード王女、ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・ディア・プラテアードの懐妊の事実について、再度確認をするためにお集まりいただいた。王女は既に診察室で待機している。ジェード王国、アンテケルエラ王国、プラテアード国の医師と第一神使は、御移動を。」

 ガタン、という大きな音がした。

 全員が一斉に音の方向を振り向くと、エストレイが前屈みに立ち上がっていた。長椅子の背もたれを掴んだ指が、小刻みに震えている。

「どういう・・・ことだ?」

 第二神使は、冷静に諫めた。

「御着席願います、エストレマドゥラ王子。ここは、質問や議論の場ではございませぬ。」

「ふざけるな!どういうことかと聞いているのだ、アンドリュー!」

 アンドリューは微動だにせず、ただ前を向いたまま唇を引き締めた。

 今にも暴れだしそうなエストレイを、アンテケルエラの医師と神使が押さえつけ、「その話は後で」と繰り返し、宥めた。

 医師達が礼拝堂から出て行ってからの時間の、何と長かったことか。

 時折聞こえるエストレイの罵声が、沈黙を破る。

 何が起こったのかアンテケルエラだけが知らないのだから、落ち着かないのも当然のことではある。

 しかし。いや、だからこそ、アンドリューはただ一つの息を漏らすことさえできない。

 祭壇の装飾蝋燭が半分溶け落ちた頃、ようやく礼拝堂の扉が開いた。

 エストレイは戻ってきた自国の医師に駆け寄るなり、「何があった!?」と詰め寄った。医師は固く眉根を寄せて小さく首を振る。

「それは、どういうことなのだ!?」

 そう言いながら、ふと礼拝堂の入口に目を走らせると、そこにはリディの姿があった。

 礼拝堂の中の通路は狭く、車椅子で入ることはできない。

 ミヒャエル卿がリディの手をとり、中に入ると同時に扉が閉まった。

 第二神使はすぐ様「静粛に!」と高らかに告げ、次の行程へ移る事を示唆した。

 リディは、唇を真一文字に結んだまま、大きく深呼吸した。

 朧げだった意識も、身体の中央を貫く痛みで現実に引き戻され、ほとんど説明もないまま、今、この場にいる。だが、すべて自分が思い描いていたとおりであるため、惑いはない。

 第二神使は、先日の懐妊の時と同様に、三名の医師がそれぞれ結果を記した紙を広げ、妊娠の継続が停止したことを告げた。そして、王位継承の可能性のあった存在がいなくなったというような内容も読み上げられた。

 エストレイは怒りで顔を真っ赤にし、身体を震わせた。

 だが、儀式の最中に何を問いかけようと答えが得られないことを承知しているため、歯を食いしばって耐えた。

 今回確認したことを証明するためのサインを順々に終えると、医師と神使達は礼拝堂を後にした。

 残ったのは、王家の血を継ぐ3人のみ。

 祭壇の上には、緋色に染められた牛革のフォルダに綴じられた覚書が置かれていた。

 アンドリューは静かに立ち上がり、祭壇の前に立った。

 それを合図にエストレイが祭壇の向かい側に立ち、リディも続いてエストレイの隣に距離を置いて立った。ここまで来たら、恐れや嫌悪も無い。

 アンドリューは二人の顔を一瞥してから、覚書に視線を移した。

「我々が交わした覚書によれば、『リディの懐妊が認められなかった場合は、次の新月の午後8時より、互いの領地への攻撃を解禁する。懐妊が認められた場合は、産まれた子の洗礼を終えた日から数えて二度目の新月の午後8時より、互いの領地への攻撃を解禁する。なお、何らかの理由により、上記の事象の確認が不可能となった場合には、本覚書の一切を白紙に戻す。』となっている。今回、リディの懐妊が認められたものの、『産まれた子の』からの下りは確認する事が不可能となった。つまり、『上記の事象の確認が不可能となった』ため、これをもって『本覚書の一切を白紙に戻す』。」

 アンドリューは宣言の後、書類にサインした。

 次はエストレイの番だったが、祭壇には上がらず、隣にいるリディの方を睨みつけた。

「このまま大人しくサインなどできると思うか?神使もいない、儀式ともいえない今なら構わないだろう。私が納得できるよう、この三日間に何があったのか説明してもらおうか?」

 リディは軽く顎を引いてから、エストレイを真正面から凝視した。

「懐妊の確認を終えた後、私が、自らの手で子どもを亡き者にしました。その痕を、先ほど三人の医師に確認していただきました。」

「なぜだ?王家の跡継ぎだぞ!?それを自ら殺すなど、理解できぬ!!」

「すべては覚書を白紙に戻すためです。」

「この覚書が不服ということか?」

「不服ということではなく、私の目的は、国民を戦火に巻き込まぬ事。それだけです。」

「そんな・・!国家の存亡をかけた私の計画を、愚弄するにも程がある!国民は、国王のために存在しているのだ、王家存亡のための戦いに駆り出されるのは当然のこと。それを、王位継承者を殺してまで国民を守る価値など、どこにある?」

「それは、私とあなたの価値観が異なるというだけです。あなたが、何よりも国の存続を重要視していることは理解しています。ですが私は、私の身に起こったことで戦争が起こることだけは、何が何でも阻止したかったのです。」

「これは、そなただけの問題ではないのだぞ?そなたが殺した子は、そなただけの子ではない、私の子でもあるのだ!アンテケルエラの高貴な血を殺めた、その大罪をどう償う気だ?戦争を阻止したいなどと戯言をほざいているが、私の子を殺めた復讐で、すぐにプラテアードなど全滅させることもできるのだ。その覚悟はできているのだろうな!?」

 リディは、エストレイを睨み上げた。

「――― あなたの子だという証拠が、どこにあるのです?」

「何・・?」

 エストレイの怪訝な表情に、話を聞いているアンドリューも思わず息を呑んだ。

 リディは語気を強めて、繰り返した。

「私が殺めた子が、あなたの子だという証拠など、どこにもないはずです。」

 エストレイは髪の毛を逆立てるが如く怒りを露わにした。

「証拠だと?あれが私の子でなければ、誰の子だというのだ!?苦し紛れに、いい加減な事を口にするな!」

「確かに私は子を宿しました。でも、誰の子であるかなど医師の誰も宣言しておりません。プラテアードはもはや王国ではありませんが、王家の血を継く私が懐妊したから『王位継承』と銘打っていたにすぎない。子が産まれ、アンテケルエラの裏紋章を額に頂いたことが確認されない限り、あなたの子であることを証明する術はなかったのです。」

「まだ言うか!?そなたの純潔を貰い受けたのは、間違いなくこの私だ!」

「そうです。でも、その後のことなど、あなたには確認する由もございませんわね?」

「何・・・?」

 エストレイの左眉が吊り上がる。

 リディは努めて冷静に、言葉をつないだ。

「私はあの後、すぐに複数の男と関係を持ちました。正直なところ、私自身も殺めた子が誰の子かわからないのです。」

「嘘だ!そなたが複数の男を相手にするなどと、誰が信じる?純潔を失ったばかりの女が、すぐに他の男と等と、ありえぬ!」

「私のことを、あなたがどれだけ知っているというのです?あなたに犯された私が自暴自棄になっても、不思議はないでしょう?」

「下手な嘘をつくな!傷ついて恋人に慰めてもらうというならまだしも、手あたり次第などと・・!」

「お望みなら、その男たちを証人としてこの場に連れて来させましょうか?」

 そのセリフに驚いたのは、アンドリューの方だった。

 リディは何を考えているのだ?

 複数の男と関係など持っていないのは、アンドリューが一番よくわかっている。

 それを、一体誰を連れてきて証言させようなどというのか?レオンか?アランか?こんな出任せを言って、どう収拾つける気なのか?

 エストレイも、こんなことで大人しく引き下がるはずはない。

「面白い。何人か知らぬが、全員ここへ連れてくるがいい。私は今回の事態を納得するまで、署名などせぬぞ!!」

「待て!」

 アンドリューは思わず祭壇から降りて、リディの前に立った。

 リディはハッとして、アンドリューの背を見上げる。

「口出しをするな、アンドリュー!これは私とリディの問題だ。」

「いいや。ここへ複数の男など、呼ぶ必要はない。」

「どういうことだ?」

「そのうちの一人が、この俺だからだ。」

「!!」

 リディは、アンドリューのセリフに息が止まるかと思った。

 こんなことを、アンドリューに言わせるつもりはなかった。

 なのに。

 エストレイは、叫んだ。

「嘘だ!リディのことを『国家に純潔を捧げた女だ』と言ったのは貴様ではないか?その信念が本物だからこそ、決して手を出さなかったのではないのか!?」

「嘘ではない!だから流れた子は、俺の子だったかもしれないということだ。」

「ありえない。悔しいが貴様の子の可能性が僅かでもあるなら、リディは堕胎などしなかったはずだ。」

 リディは、首を振った。

「誰の子であろうと、結果は同じです。覚書を白紙に戻すための方法が、これしか思いつかなかったのですから。」

「どうだろうな?」

 エストレイは鼻先で嘲笑い、横を向いた。

「どちらにしろ、私の子である可能性がある子を殺された事に変わりはないのだ。この際、証拠があろうとあるまいと構わぬ。すぐにプラテアード全土を火の海にしてやる!」

 リディは、首を振った。

「やめてください!私の民に罪はありません!それに、攻め入る理由を何とするのです?あなたがその気なら、私はあなたに犯された事を公表します!」

 すると、エストレイは高笑いした。

「それが、何だというのだ?それでこの私を貶めようというのか?それは逆だぞ、リディ。こういうことはな、女の方が悪くとられるものだ。」

 アンドリューは、二人の間に入った。

「プラテアードへの侵略は、このジェードが許さない。アンテケルエラとプラテアードの国境には、既に我が軍が待機している。少しでも不穏な動きがあれば、容赦なく攻め入るよう命じてある。」

「・・・!そのような報告、私は自国から受けておらぬ。」

「そうだろうな。国境から直接見えない場所に身を潜めているのだから。これが脅しかどうかは、1時間も経たぬうちに証明することができるが、どうする?」

 エストレイが悔し気に下唇を噛む。

 リディは、アンドリューの脇をすり抜けて、エストレイの目の前に立った。

 思い返せば、もっと早くこうして真正面から向き合うべきだったのかもしれない。エストレイに対して常に逃げ腰だったことが、ここまで事態をこじらせてしまった要因とも思える。

 エストレイの灰色の瞳をまっすぐ捉えたのは、一体、いつ以来だろう?

「あなたは、あなたを慕う大勢の王女様のどなたかと、今後いくらでも子を成すことができます。裏紋章を持つ王女に固執して国民を犠牲にするなど、非生産的です。王女に裏紋章などなくても、裏紋章を頂いた子が産まれる可能性は十分にあります。現に私の母は王族ではなく、当然裏紋章もなかったそうです。」

「気休めはやめてくれ!王妃選びに、幼い頃からどれだけ苦労してきたと思う?裏紋章のある王女がいるとわかれば、大臣達が大陸の果てまで馬車を走らせた。ところが既に他の国の王子と婚約していたり、我が国より強国にとられてしまったり!」

「それが間違っているのです!この大陸の王族は、一体いつまで額の紋章に翻弄されなければならないのです?『裏紋章のない者が国王になったら、国は滅びる』?プラテアードの国王は裏紋章があったのに滅びました。これは一体、どう説明するつもりです?もはや、関係ないのではありませんか?確かに裏紋章のない国王が継いだ国が、次々と滅びた歴史はあったのかもしれない。でもそれは、いつの頃からか『紋章がないから滅びる』という暗示にかけられ、自信を失い、うまくいかないことをすべて紋章のせいにして逃げた国王の辿った末路だったにすぎないと、考えることはできませんか?」

 リディは、続けた。

「もし、あなたがこの先裏紋章を持つ子をもつことができなかったとしても、国を滅ぼすことのないよう子を教育し、国を強化すればよいのではありませんか?・・・植民地の私が偉そうな事を言える立場ではありませんが、裏紋章などなくても国は滅びないのだと、国家の安寧を保つことができるのだと、強国のアンテケルエラが証明できれば、この大陸の王族皆が救われると思うのです。これは、あなたにしかできないことです。」

 エストレイは、心なしか肩を落として、リディを見た。

「本当に・・・、綺麗ごとばかり並べる。だからプラテアードは、いつまでたっても独立などできないのだ。」

「おっしゃるとおりです。・・・同じことを、他の方からも言われました。」

「こんなことを言っておきながら、アンドリューとの間に裏紋章付きの子などもうけたら、ただでは置かぬぞ。」

「それは、ありえません。」

「ありえない?」

「私はもう、二度と子を設けられない身体になったからです。」

 アンドリューは、静かに息を呑んだ。このことは、アンドリューは既にハロルド伯爵から聞かされていたが、リディに告げるタイミングは後々だと言われていた。だが、リディは既にわかっていたのだ。

 エストレイの顔が、青ざめる。

「そんな・・・!それではこんどこそ、プラテアード王家の血は途切れてしまうではないか?」

「もとより、そうでなくてはいけなかったのです。もう二度と、私の子を成す能力を、争いの引き金にさせてはならない。これで、あなたが私に執着する理由はなくなりました。あなたにとって私は、もはや無用の産物でしょう。」

「そのことも計算して・・・、己の子宮を貫いたのか。」

「そうです。本当は子を宿す前に、覚悟を決めておくべきだったのかもしれません。」

 エストレイの眉間が、苦し気に歪んだ。

 リディの瞳が、力強く黄金色を帯びた。

「私が、まだ人の形を成す前の儚い命を殺めたことの罪の重さは自覚しています。この世に、子を望んでも恵まれない夫婦が大勢いることを知っています。彼らにとってみれば、私は許し難い存在でしょう。そのことは一生心に刻んで生きていきます。それに・・・この罪は死んでも赦されず、未来永劫、私は塵の欠片にさえ生まれ変わることはできないでしょう。」

 エストレイは、この状況を頭で理解するものの、待望の子を失ったショックで打ちのめされていた。

 悔しさも憤りも、怒鳴り散らすことはできても、その後の喪失感は途轍もないだろう。

 その気持ちを察するように、二人は静かに、様子を見守った。

 リディも、エストレイのやった事は許せないが、エストレイの子を亡き者にしてしまったことには、懺悔の気持ちがある。決して、口には出せないが。

 やがて、エストレイは乱暴にペンをとり、覚書に署名をした。

「言っておくが、納得したわけでも、そなた達を許したわけでもない。一度国に帰り、今後のことを考える。・・・ただで済むとは思わず、戦闘の準備は怠らないことだな。」

 そう言い捨て、二人の顔を見ることもなく礼拝堂を後にした。

 二人は同時に大きく息をつき、リディは祭壇に上がると、書類の一番下にサインを認めた。


 カラ・・・ン


 それは、署名を終えたペンが、リディの指から滑り落ちた音。

 見ると、リディは額に脂汗を浮かべ、唇を震わせている。そして、祭壇に手をすべらせながら、崩れるようにその場に座り込んだ。

「どうした!?」

 慌てるアンドリューに、リディは、固く瞼を閉じて苦しい表情を見せた。

「・・・人を、呼んでください。」

「具合が悪いのか?人を呼ぶまでもない。俺が急いで病室へ―――」

「駄目です!」

 リディは、座ったままアンドリューを見上げた。

 必死に見開いた目は、赤く充血している。

「傷口から・・出血しているのです。これでは、アンドリューの正装を汚してしまいます。」

「そのようなこと、」

 すると、リディは祭壇に手をつき、よろめきながらも再び立ち上がった。そして、足を引きずるようにして一歩、二歩と歩き出した。

 リディはシンシアから、エストレイに犯された時も、自ら堕胎した時も、アンドリューが国王のマントや正装を汚して対応してくれたと聞かされていた。

「私は・・・、私の罪に塗れた血で、これ以上、あなたを汚すわけにはいかないのです・・・!」

 アンドリューから視線をそらすようにして言い放ったリディだったが、次の瞬間、ふわりと爪先が宙に浮くのがわかった。

 リディを抱き上げたアンドリューは、リディの金の瞳を間近で見つめ、言った。

「・・・急ぐぞ。」

 胸が詰まる間もなく、大きな振動を伴うような痛みが、リディの身体を貫いた。

 思わずアンドリューの服を掴みそうになる手を、寸前で丸めて握る。

 その固く握られた拳をほどくように、アンドリューは自らの手を、一瞬だけ重ねた。


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