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第124話:月満ちて -その6-

 アンドリューが廊下に出ると、ソフィアが待ち構えていた。

「もうよろしいのですか?3分よりは多少、時間がかかったようですけど。」

 嫌味な言い方に、思わず苦笑する。

「王女は気が高ぶっているのか、涙がとまらない様だ。落ち着くのを待ってやってくれ。」

 ソフィアは、眉を顰めた。

「レオンから、王女様はリディ様の事は何も知らないと聞いていますけど。」

「そのとおりだ。まさかソフィア殿がプラテアードの幹部だとも思っていないだろう。」

「・・・私が言うのもなんですが、このまま私を王女につけておくのは危険ではありませんか?伯爵夫人か、王女の侍女をよこしていただくのが賢明かと。」

「俺もそう思う。だが、リディの大事に、あなたは余計なもめごとなど絶対に起こさない。ましてやリディのために血を提供した王女を、敵とはいえ、どうにかするとは思わない。」

「私を信じてよろしいのですか?私は、陛下のことも殺そうとした女ですよ?」

「わかっている。だが、今何かあれば一番傷つくのはリディだ。それがわかるあなただから、そして今のリディを一番理解できるのはあなただから、この国へ招いた。」

「・・・。」

「ソフィア殿も相当疲れていると察するが、頼りの伯爵夫人は夜通し立ちっぱなしで限界だ。王女が病院を出るまで、もう少しお願いできないか?リディの方は、まだ暫く面会謝絶だそうだが、責任をもって最善を尽くす。」

 ソフィアは、何と答えてよいか戸惑う表情を見られないよう、俯いたまま部屋に入った。

 イサベル王女は、涙に濡れた頬を紅潮させていたものの、もう泣いてはいなかった。

 王女の涙を下々に見せるなど、王族の矜持が赦さないのだろう。

 ソフィアはワゴンの豪華なティーセットに複雑な感情を抱きながら、紅茶を注いだカップに、オレンジのコンポートを浮かべて王女に差し出した。

 イサベルは、少し落ち着くと、カップに口をつけた。

「・・・美味しい。見た目も綺麗。」

 ソフィアはホッとして思わず頬を緩めた。銀の食器やティーコゼー、初めて見たフルーツのシロップ漬け。何が作法かよくわからないが、自分で「おいしそう」だと思った組み合わせを王女が喜んでくれたのは、素直に嬉しかった。

 ソフィアも、プラテアード王家が滅亡するまでの幼少期は、貴族の令嬢だった。その頃の贅沢は、その後の惨状の中で千切れ飛んでいったと思っていたが、今、なんとなく蘇ってくる。

「サンドウィッチを召し上がりますか?それとも甘いものがよろしいですか?」

「あまり、食欲がなくて。」

「少しでも召し上がって力をつけた方がよろしいですよ。水分の多いものの方が喉を通りやすいでしょう。」

 そう言って果物の皮をむき、一口サイズに切り分けていると、イサベルがソフィアへ質問をした。

「怪我をされた方は、危機を脱したと伺いましたが、本当に大丈夫ですの?」

「ええ。先ほど手術が終わったそうです。」

「そう・・・。安心しましたわ。」

「陛下は、王女様に感謝されてましたでしょう?」

「ええ。私の方こそ、お役にたてたことを嬉しく思っていますわ。」

 可憐に微笑む姿は、同じ女であるソフィアでさえ見とれてしまう。

 これは、酷だ。

 イサベルは若く美しい上に、性格も可愛い。王女としての威厳も備えている。大国の王妃にこれ以上相応しい女性はいないだろう。残念ながらリディが太刀打ちできる部分が見つからない。

「あなたは、いつもこの病院で働いてらっしゃるの?」

「・・はい、まあ。」

 とりあえず、適当に受け流すしかない。

「大変なお仕事ですわね。皆さん、眠ってらっしゃらないのでは?」

「ええ。でもこの後、順番に休みに入りますから。」

 サイコロ状にカットしたり、スプーンで丸くくりぬいた、赤や緑、オレンジ、白と、色とりどりのフルーツを透明の器に入れて、イサベルに渡した。

「まあ・・・!」

 感嘆の声と共に、イサベルがクリスタルの器を朝日にかざせば、ガラスの中のフルーツカクテルが宝石のように煌めいた。

「素敵。食べるのが勿体ないぐらいですわ。」

 ソフィアが、他人にこんなことをしたのは初めてだった。好ましいことではないが、ソフィアはこの王女に少しでも喜んでほしいと思っている。本来の主人であるリディに、こんな思いを抱いたことはないのに。王女はアンドリューより随分若いが、二人が並べば絵物語のように美しい景色になるだろう。それは、ジェードの輝かしい未来の象徴になる。

 複雑な心境で王女の様子を眺めていると、イサベルはハッとして言った。

「あなた、お食事は?」

「後でいただきます。」

「一緒にいかが?二人分の食器があるのは、陛下が私とあなた二人分という意味で持ってきてくださったからでしょう?」

「とんでもございません!お気遣いは大変嬉しゅうございますが、恐れ多いことです。」

 いくらソフィアだって、その辺の礼儀はわきまえている。

 一歩下がって立ち続けていると、イサベルは改めてソフィアの顔を凝視した。

「・・・やっぱり、綺麗ね。」

「え?」

「マスク越しでも美しいと思っていたけれど、マスクを外すともっと美しいわ。カタラネスにも貴女ほどの美人はそういなくてよ。」

「・・・恐縮です。」

「きっと、あなたの恋人も素敵な方なのでしょうね。」

 ソフィアは、ちょっとだけ眉根を寄せ、

「恋人は、おりません。」

「でも、沢山の殿方からお誘いがあるでしょう?」

「そんなことはございませんよ。・・・紅茶のお代わりを淹れましょう。もうすぐお迎えも来るでしょうから。」

 その答えのはぐらかし方が、イサベルの疑惑を生んだ。イサベルは、どうしても気になっている事を確認したくてたまらないのだ。この機会を逃したら次はない。その若い焦燥感が、イサベルの口を突いて出た。

「あなたは、侯爵の恋人ではないのですか?」

「は!?」

 思いがけない事を言われて、ソフィアは思わずせき込みそうになった。

 王女の表情は真剣で、ソフィアは無視できずに答えた。

「なぜ、バーンハウスト侯爵が?」

「だって、ファーストネームで呼んでらしたわ。親しそう・・でしたわ。」

 ソフィアは、ベッド脇に膝をついて、王女に目線を合わせた。

「私の親しい方が、昔、侯爵にお世話になったことがございまして、ファーストネームで呼んでいらしたのです。ですから、私もそれで覚えてしまったのです。王女様の前で軽率でした。申し訳ございません。」

 それを聞いたイサベルの目元と頬が安心した様に緩んだのを、ソフィアは見逃さなかった。

(どういうこと?)

 ソフィアは、イサベルの食器を片付けると、ワゴンを廊下の外に置くため、部屋を出た。

 そこにはネイチェルが既に控えており、ソフィアが「王女様。お迎えが参りましたよ。」と告げると、イサベルは俯いて羽根布団をギュッと握りしめた。

「・・・私、一人で戻れます。」

 ネイチェルは、顔色一つ、眉一つ動かさず、言った。

「歩いたら1時間もかかります。それに、王女様をお一人にできるはずがないことは、よくおわかりのはずです。」

「私は子供ではありません。王宮の敷地の中なら、迷子になることも、さらわれることもありません。」

「イサベル様は、将来、王妃様になられる方です。大事な御身体なのです。」

「一人で帰りたいのです。・・・送っていただかなくて結構です。」

 ソフィアは、ネイチェルを援護したいと思ったが、イサベルの気持ちがわからず、躊躇った。ソフィアには、イサベルが悪戯に我儘を言ったり、困らせるようなことをするとは思えない。

「王女様。・・・何か、理由がおありなのではありませんか?」

 ソフィアの言葉に、イサベルは思わず唇を噛んだ。

 レオンに送ってもらえないなら、他の誰にも送ってもらいたくないのだ。それなら、一人で帰った方が気持ちも紛れる。だが、そんなこと口が裂けても言えない。

(私・・・、私は、一体どうしてしまったのだろう?)

 いけないことだ。

 許されないことだ。

 それが嫌という程わかっていながら、こんなにも、どうにもならない。

 イサベルが長い睫毛を震わせ、思いつめた表情をしているのを見て、ソフィアはネイチェルと共に扉の外に出た。

 ソフィアは、小声でネイチェルに聞いた。

「あなた、そんなに王女様に嫌われているの?」

「・・・多分。」

 ネイチェルとしては、自覚がある。レオンの代わりに世話役として館を訪れた時から、王女は一度として顔さえ見せなかった。嫌われる様なことをする暇もなかったと思うのだが、要はレオンでなければ駄目だ、ということなのだろう。

「陛下に相談してきますので、もう少し王女様をお願いできますか。」

「・・・それは構いませんけど。」


「何かあったのか?」


 廊下の向こうから声をかけてきたのは、レオンだった。

 アンテケルエラの一行へ滞在を3日間延ばすよう告げ終え、アンドリューに報告するため戻ってきたところ、二人がひそひそ話をしていたため、何か起こったのかと心配になったのだ。

 ネイチェルは、簡単に経緯を話すと、レオンは大きく溜息をついた。

「この非常事態で皆忙しい時に、何をわけのわからない事を・・!」

 その声が大きくて、ソフィアは中の王女に聞こえてしまうと、レオンを窘めた。だが、レオンは首を振った。

「聞こえて何が悪い?王女は相手の真意を確かめるために我儘を言うのだ。きっと、ネイチェルやソフィアのことを試しているのだろう。普段なら許されることでも、今は許されない!」

「レオン、王女様も、血を提供されるなどという今までにない体験をされて、混乱されてるのかもしれない。それを責めることは大人気ないと思わなくて?」

 レオンは、目元を強くゆがめるなり、部屋の扉を乱暴に開けた。

 驚いたのは、イサベルである。

 レオンは、ソフィアに向かって尋ねた。

「イサベル様は普通に歩いて大丈夫なのか?」

「伯爵は特に問題はないとおっしゃっていましたが、おそらく貧血気味だと思います。まだ、立つだけでもよろめく可能性が。」

「では、一人で帰るなど到底無理な話ではないか!?」

 イサベルは、肩をびくっと震わせた。

 そうだ。

 そんなこと、わかっている。そしてレオンは、とても怒っている。

 イサベルは怖くて、思わず目をギュッと瞑った。

 と。


(・・・え・・?)


 途端、ふわりと体が宙に浮いた――― と思った。

 何が起こったのかと目を開けると、床が遥か下に見える。そして耳のすぐ近くで、レオンの声が大きく響いた。

「ネイチェル!俺はイサベル様を離れに送ってくる。陛下には、30分後に参上すると伝えておいてくれ!」

 レオンはイサベルを抱き上げたまま、大股で病院の外へと歩き出した。

 イサベルは、何と言っていいのかわからず、ただ、夢見心地とはとても言えない苦い思いを喉に詰まらせた。

 レオンは、病院の外に繋いでおいた馬の上に王女を座らせると、その後ろに跨り、鐙を蹴った。

 しかし、馬の歩みは極めてゆっくりだった。来る時と違って、急いでいるわけではないが、イサベルの身体を気遣ってのことだとすぐにわかる。

 イサベルには、後ろにいるレオンの表情を見ることは出来ない。

 レオンは、無言のままだ。

 イサベルは、馬の鬣をギュッと握りしめた。

 こんなことを望んでいたわけではないのだ。

 いや。

 ネイチェルを拒絶すれば、レオンが出てくるかもしれないと、心のどこかでは期待していたのかもしれない。

 規則正しいリズムに揺られながら、イサベルは背中でレオンを意識し固くなる。

 国の大事のために寸暇を惜しんで皆働いている。そんな中での我儘だと思われているのだろう。

 レオンだって本当は馬を飛ばして送り届けたいところを、イサベルの体調を気遣ってゆっくり進んでくれているのだ。

 そんなつもりはなかった、と言っても事実迷惑をかけてしまったのだから、言い訳にならない。

 今、レオンに何か言われたら、それがどんなことだろうと涙があふれてしまいそうだった。

 初めての心の揺らぎに、到底太刀打ちできそうにない。

 俯いたまま肩を丸め、唇を噛みしめて何かに耐えているかの様子に、レオンは、静かに言った。

「気分が優れませんか?」

 イサベルはビクッと身体を震わせ、黙って首を振った。

 本当は、馬の振動と揺れで、少し気分が悪くなっていた。それに額の辺りに鈍い痺れを感じる。

 だが、これ以上迷惑はかけられない。あと少し我慢して再びベッドに入れば、すぐによくなるだろう。

 しかし、レオンは手綱を引いて馬をとめた。そして馬を降りると、イサベルを横抱きにして歩き出した。

 驚いて口がきけないイサベルは、思わずレオンを見つめた。

「気を付けていたつもりでしたが、馬の揺れで酔われたかもしれません。私が歩く揺れの方が少しは楽だと思いますが、きつければ遠慮なくおっしゃってください。」

 これは駄目だ。

 叱られて当然だと思っていたのに、こんなに優しくされたら、心も身体も崩れ落ちてしまう。

 レオンの肩にかけた指も手のひらも、切ない痺れで力が入らない。

 短いのか長いのかわからない時が刻まれ、二人は離れの館に到着した。

 呼び鈴を鳴らすとすぐに扉が開き、レオンは女官長の案内でイサベルを寝室まで運んだ。

 ベッドにそっと横たえられ、レオンの身体から指が離れると、別れがたい思いが腕を宙に浮かせたままにした。

「医師の診察の結果、異状はありません。ただ、今日一日は安静に。それから、馬に揺られて酔ってしまわれた様ですので、ジンジャーシロップなどございましたら、差し上げてください。事態が落ち着きましたら、陛下が直接御礼に上がりたいと申しておりました。」

 レオンの言葉に、女官長は眉を吊り上げた。

「由々しきことですわよ、侯爵!王女様をこのようなお姿にさせるなんて。いかに陛下の御命令であっても、私は許せませんわ!母国へ報告させていただきますからね!」

「・・・やめて。」

 ベッドの枕に頭をうずめたまま、イサベルは必死に声をあげた。

「侯爵や陛下を責めるのはやめて。皆さん、本当に私を気遣って大切に扱ってくださったのですから。」

 そして、もう踵を返していたレオンの背中に向かって、言った。

「侯爵、・・・私、誰かを困らせるつもりはなかったのです。でも結果的に御迷惑をかけて・・・ごめんなさい。」

 レオンは、肩越しに僅かに振り向いて

「何もお気になさらず、ゆっくりお休み下さい。後で、陛下が何か贈り物をしたいと申しておりました。何がよいかお考えになりながら、どうぞ、よい夢を。」

 そう言い、扉の向こうへ消えた。

 まるで「かかわるのが面倒だ」と言わんばかりの冷たい瞳の色に、イサベルはこれまで感じたことのない痛みで、枕に深く頬を埋めた。

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