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第112話:橋の向こうの異国

 プラテアード国、アドルフォ城。

 キールがリディに「ジェードへ行くなら首長の座を降りろ」と言って別れてから、数か月が経っていた。

 表向き、リディは人質としてジェードに捕らわれたことになっているため、今の状態に不自然はない。リディが首長の座を捨てる覚悟で出て行った事を知っているのは限られた側近だけで、彼らは皆、リディが戻って来る事を信じて待っている。

 そんな中で届いた、ジェードの国王が王妃に殺されるという前代未聞のスキャンダルから、アンドリューの即位までの一連の報道。御丁寧にも、ジェードの各総督府から、新国王即位の祝いと称して酒樽のストックを幾つ取り上げられたか。改めて、ジェードへの対抗心が掻き立てられる。


 小雨の早朝、キールはアンドリューからの電報を受け取った。

 2日後の午前10時に第四総督府へ来るように、という内容で、キールと医師のジロルドのみの召喚という。

 つい昨日、ジェードに潜入している仲間から、リディが戴冠式の立会人になったという報告を受けた。リディの無事を確認できた安堵と裏腹に、アンドリューの思惑を計りかねて困惑していたところへの、召喚――― 即位したばかりで多忙を極めているはずのこの時期に、国王自らプラテアードへ出向いてくるなんて、只事ではない。

 キールは不穏な胸騒ぎと共に、電報の紙を握りしめた。



 プラテアードの西に位置するジェード第四総督府は、広大な湖の中央に浮かぶ島である。

 島からは三方向に巨大な跳ね橋がかけられており、それぞれに番兵がついていて、必要に応じて橋が降ろされる。

 約束の30分前に、キール達一行は跳ね橋の前に辿り着いた。いくらキールとジロルドのみの召喚とはいえ、首長代行の護衛や取り巻きは必要だ。相手は敵なのだから、一戦交える可能性も覚悟しておかねばならない。結局、50名の隊列を組んで乗り込んだ。

 番兵は、キールとジロルドにだけ橋を渡ることを許可した。

「まって。」

 前へ出たのはソフィアだった。

「女一人ぐらい加わっても問題はないでしょう。」

 キールはソフィアの唐突な行動に驚きながらも、妹の行動の意味を察し、自らも番兵への交渉に加わった。互いに一歩も譲らず決着がつかないままでいると、仕舞いには番兵の上官が現れ、女であることに一切気遣いのない身体検査ですべての武器を取り上げた上で「国王への謁見は敵わないが、よいか。」と言って入府を許可した。

 第四総督府には、身分の高い者の駐留が多い。プラテアードと分厚い壁一枚を隔ててアーチの門を潜れば、そこには別世界が広がっていた。

 美しく敷き詰められた石畳、頑丈なつくりの建物、すべての窓に飾られた色とりどりの花々、刈揃えられた街路樹。

 キール達は6名の近衛兵に囲まれながらも、街のあちこちに目を奪われ、まっすぐ歩くことができない程だった。想像以上の、生活レベルの違いを見せつけられる。

 ほどなくして、街の中央に備え付けられた巨大な噴水の奥に、当に「城」と呼ぶに相応しい総督の住まいが現れた。

 天井の高いエントランスホールに待ち構えていたのは、黒いフロックコートを羽織ったレオンだった。

 レオンは、招いていないソフィアの姿を見ると、あからさまに片眉を吊り上げた。近衛兵の一人が素早くレオンに耳打ちすると、小さく「余計な事を・・」と舌打ちしなら、ホールの奥へ姿を消した。

 5分後に再度現れたレオンは、3人全員に対し「陛下がお待ちです。どうぞ。」と冷たく言い放ち、先頭立って歩き始めた。周囲の様子を見る隙を与えない様になのか、とにかく早い。年寄のジロルドなど、ほとんど小走りの状態だった。

 やっとの思いで辿り着いた場所は、縦に長い謁見室だった。

 突き当たりの檀上の下まで案内され、レオンから高圧的に「両膝を着いて、お待ちを。」と言われた途端ソフィアが反抗的な眼をしたが、隣にいたキールがソフィアの肩を沈め、一緒に膝を着いた。

 中央にキール、左にジロルド、そして右にソフィア。

 視線を伏せ、自分の呼吸の音だけを聞きながら、磨き抜かれた木材の床を凝視して待つ。


 コツ・・・


 革靴が床を蹴る音と共に、厳かな衣擦れの音が重なった。

 音が鳴りやむと、

おもてをあげよ。」

 以前のアンドリューとは違い、今は正視してはならない相手であることは三人ともわきまえている。

 視線だけは下げたままでいると、驚いたことにアンドリューの方から壇を降りて近づいてきた。そして、迷うことなくジロルドの皺だらけの手をとり、立ち上がらせた。

「ご無沙汰しておりました、先生。御変わりなくお過ごしでしたか?」

 歳のせいで窪んだジロルドの眼に映ったアンドリューは、国王らしい煌びやかな出で立ちではなく、黒い上着に緋色の縁取りがしてある、軍服に近い礼装だった。しかし、そこには以前とは一線を画す威厳が備わっている。

 自然と傅きたくなる品格、とでもいうのか。遠い昔にプラテアード国王に仕えていた頃の感覚が鮮やかに蘇る。

 ジロルドは、擦れた声で頭を垂れた。

「勿体ないお言葉、痛み入ります。」

 アンドリューはレオンに目で合図をすると、壁際に用意したテーブルへ三人をいざなった。

 通常であれば下々の者を跪かせたまま国王が話をするが、今回は事情が違う。それがわかっているから、レオンも神妙な顔つきでアンドリューの指示に従っている。

 キールは、異例づくしの状況に固唾を呑みこむことさえできない。ただ促されるまま席に着き、隣にジロルドが座り、後ろにソフィアが立つ。キールの正面にアンドリューが座り、背後にレオンが控えた。

 アンドリューは蒼い目でしっかりとキールを見つめた。

 伝える事は二つある。

 こういう場合、軽い方から済ませるのが定石だ。机の上に用意しておいた緋色の小箱の蓋を開け、白い絹の巾着袋を取り出した。

「リディの身代りとして人質に差し出された女性の、形見です。」

「!」

 キールは、思わず目を見開いた。

 アンドリューは、予め仕立てておいた理由ストーリーを述べた。

「原因不明の高熱が続き、召還したフィゲラスでも手の施しようがなく・・・。この中に、彼女の髪の毛と、先代国王マリティムから贈られたイヤリングが入っています。亡くなるその時まで、身に付けていたものです。」

 イヤリングの片方はマリティムの遺体に持たせたが、もう片方はフィリシアの遺族に渡そうと始めから決めていた。

 キールは、フィリシアが死んだ事は信じても、「病気」という下りは信じなかった。ジェードの代替わりの混乱に巻き込まれたと考えた方が自然だろう。そしてそれを、アンドリューが決して口に出せない事も理解できる。元より、人質に出した時から、いかなる結果も覚悟していたことだ。

 アンドリューは、何も言えないキール達へ、更に続けた。

「リディから、フィリシアの遺族へ十分な礼をするように、との言伝を預かっています。」

 それを聞いたソフィアは、思わず皮肉な嘲笑を浮かべた。リディは何も知らないが、フィリシアの両親は、読書に明け暮れた革命家志望の娘を厄介者扱いして差し出した輩だ。あんな親へ礼などしたら、更に喜ばせてしまう。フィリシアの死は、国を想う仲間たちだけで悼めばいい。

 キールは白い袋を受け取って慎重に懐へ仕舞うと、思い切って自ら口火を切った。

「リディ様の事を、伺えますか。」

 アンドリューが無意識に眉を顰めたのを、キールは見逃さなかった。

「ジェード王室の混乱のことも、リディ様が戴冠式の立会人になったということも存じております。リディ様は今、どちらにおいでなのでしょうか?」

 アンドリューは、覚悟を決めた様に軽く息を吸った。

「リディは、ジェードの王宮にいます。私はマリティムと違い、リディを人質にすることに意味はないと思っていますから、即位の恩赦としてリディをプラテアードへ帰すつもりでいました。」

「『つもり』・・・?」

「実は―――、リディは、アンテケルエラ王国のエストレマドゥラ王子の子を宿した可能性があります。その結果を2か月後に確認する時、ジロルド先生に立ち会っていただきたく―――」


 バンッ


 それは、ソフィアが机を叩いた音だった。

 ソフィアはキールとジロルドの間から身体を乗り出し、蒼い顔で震えていた。

「どういう・・・ことですか?」

「・・・。」

「どういうことかと、聞いているんです。」

 アンドリューは、ソフィアの美しい目を見かえすことができないまま、低い声で答えた。

「これは、アンテケルエラの宣戦布告です。2か月後、リディの妊娠が認められない場合は、再度リディを奪うための戦争が始まります。妊娠していた場合は、出産と洗礼が終わり次第、戦争になります。その際、プラテアードが戦場になることは避けられません。」

 ソフィアは、首を振った。

「そんなこと聞いていません!いえ、それは、次の話です。・・・あり得ないんですよ。リディ様がアンテケルエラの王子となんて、あり得ないんです!」

 アンドリューは、ソフィアがエストレイとリディの因縁を知っているのだと察した。

「これは、我々の落ち度です。人質を他国の王子に奪われた、ジェードの失態です。」

「冗談じゃないわ!」

 ソフィアは、蒼ざめた顔を今度は怒りで赤らめた。

「アンドリュー陛下。どうか、二人きりでお話をさせてください。」

 それを聞いたレオンが、ソフィアの前に出た。

「無礼な。分を弁えられよ!」

「無礼ですって?私達の首長の尊厳の問題ですよ?ジェードにとって、所詮植民地など踏みにじられて当然ということですか!?」

 アンドリューは静かに立ち上がった。

「声が聞こえなければ、姿の見える場所でも構わないか?」

「結構です。」

 二人は、卓から最も離れた入り口側へ移動した。

 ソフィアは遠目になったキール達を一瞥すると、アンドリューの方へ視線を戻した。

「2年前、アンテケルエラの王子がリディ様に何をしたか、御存知ですよね?」

 アンドリューの蒼い目が、さっと灰色に曇った。

「―――知っている。」

「でしたら、リディ様があの王子をどれ程忌み嫌っていたか、承知しておられたはずですよね?」

「ああ。だから、エストレイは式に招かなかった。にも拘わらず父王の代理で入国したため、リディと接触しないように部屋を離し、リディを部屋へ閉じ込めておいた。」

「それで?それで何故、リディ様があの王子と!?」

「俺もリディも、エストレイの罠におちた。誤解のないように言っておくが、今回の事は断じてリディの意志ではない。」

「それは、無理矢理・・・ということですか。」

 ソフィアのストレートな物言いが、アンドリューの心を突き刺す。

「―――そうだ。」


 パンッ


 ソフィアの右手が、アンドリューの頬を打っていた。

 離れた場所にいるレオンが二人の方へ向かって走ろうとしたが、アンドリューが腕を伸ばしてそれを制した。

 ソフィアは、アンドリューの胸倉を掴んだ。

「首長の座を捨ててでもフィゲラスの召喚に付き添うと言い張ったリディ様を送り出したのは――― あなたを信じる気持ちがあったからです。こんなことになるために、送り出したわけではありません!」

 ソフィアは悔しさを瞳に滲ませた。

「敵であるあなたを信じた私達を笑い者になさればいい。こんなことだから独立などできないのだと馬鹿にすればいい!でも!」

 アンドリューは、ソフィアの成すままに身体を任せ、揺すられていた。

「リディ様のお気持ちを知りながら、このような仕打ちはあんまりです!例え、あなたにとってはどうでもいい気持ちだったとしても、それでも!」

「ソフィア殿!」

 アンドリューは、ソフィアの手首を掴んだ。

「エストレイがどれ程リディを欲しがっていたか、嫌というほどわかっていた。だからリディを守れなかったことについては、心の底からすまなかったと思っている。」

 ソフィアは、アンドリューの手を乱暴に振り払った。

「そんな、口先だけの謝罪など要りません。」

 そう言って横を向き、少しの沈黙の後、意を決したように口を開いた。

「私は昔、複数の男に犯されました。乱暴された痛みや傷は時間と共に薄れていきますが、時間が経つごとに私を襲ったのは、あの憎い男達の子を妊娠していないかという恐怖です。一日経つごとに、私の身体の中で命が育ち始めているかもしれないと思うと、気が狂いそうでした。愛する人の子なら幸せな時間になるものを、そうでない女は、明日こそはその答えが出るかもしれないと思いながら眠りにつかねばならないのです。明日が来なければいいと何度も思いました。それは、生きる希望を失くしたも同然なのです!」

 アンドリューは、口端を固く結んでソフィアの告白を聞いていた。

「男は所詮、女の事情を察することなどできないのでしょうね。だから冷静に、妊娠しているかどうかで戦争の開始時期を決めるなんて非情なことができるんです。」


 違う、と。


 冷静に、戦争の事を話しあったつもりはない、と。


 そう訴えたかったが、どんな説明を尽くしても、それは説得力のない戯言になる。

 2年前の事は、プラテアードでもソフィアしか知らない事だったのかもしれない。その最たる秘密を共有しておきながら、このような事態に陥った事が許せないのだろう。それは、当然の事だ。

 ソフィアは、唇を噛みしめた。

「私はいつだってあなたが嫌いですし、あなたを殺したい。国を一番に思わねばならないリディ様の心を奪ったあなたは、当に国家の敵だからです。」

 アンドリューは、ソフィアの横顔を見つめた。非の打ちどころのない美しい輪郭は、どんなに歪めても美しいままなのだと、知る。

「・・・何もかもわかっていて、エストレイの罠に落ちてしまった。自分の愚かさにどれ程後悔しても、しきれない。何をどうやっても取り返せない事があると、改めて思い知らされた。」

 擦れた言葉尻が震えていることに気付き、ソフィアはアンドリューの方を見た。

 痛いぐらいに眉根を寄せ拳を握るその姿に、ソフィアは息を吐いて言葉を和らげた。

「リディ様は今、どうされているのです?」

「国王の居殿に隔離してある。信頼できる伯爵の婦人を侍女につけて世話をしてもらっている。大切に・・・しているつもりだ。」

「それは、リディ様が国の命運を左右する大事な身体だからですか?」

「・・・。」

「リディ様が私と同じような受け止め方をされていたら、さぞ傷ついていることと思いますよ。」

 ソフィアは、遠くから心配そうに様子を窺っている兄の方を見ながら、言った。

「私達の国の事は、私達が守ります。小国の宿命ですから、常に覚悟はできています。でも、リディ様を救えるのは――― 悔しい事に、あなただけなのです。2年前、生気を失くしたリディ様を救ったのは間違いなくあなたでした。今回も、リディ様の生きる希望は疑いようもなく、あなただけなのです。」

 ソフィアは、自分の放った言葉への返事はいらないのだというように踵を返し、元居た場所へ向かって歩き出した。

 

 机に戻り、アンドリューは話を続けた。

 最短2か月後の戦争に向けた人の収集、資金の調達。物資の支援。各総督府との連携。そして、

「約束の満月の3日前に、第四総督府へお越しください。馬車でジェードの王宮へ送ります。ジロルド先生と、今生存している中で最も高い位を持っていた神使、そしてソフィア殿、3人で来て下さい。」

 ソフィアは、軽く驚いて息を呑んだが、すぐに深く頷いた。

 別れ際、アンドリューはジロルドへ、肩幅よりやや小さ目の木箱を渡した。

「以前、貴重な血清を譲っていただいた御礼です。あれで、大勢のジェード国民が救われました。」

 ジロルドは、木箱を受け取り、その重さによろめいた。すぐにキールが手を伸ばして支える。

「中に、いただいた倍の血清が入っています。先生の診療所の冷暗所で確認してください。」


 アドルフォ城に戻り、木箱の中を確認したジロルドは、慌ててキールを呼びに走った。

 中には、血清の瓶の隙間にぎっしりと金貨が詰め込まれていたからだ。

「重いはずじゃよ・・。一体、どれ程の価値があるか・・。」

 すべての中身を外へ取り出し、最後に残された1枚の紙には、キールへのメッセージが綴られていた。


 ――― 今の私が自由になるお金の全てです。表立った資金融資は僅かになると思います。その穴埋めに使ってください ―――


 

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