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第110話:獅子の間にて

 国王の居殿は王宮の東の塔の3階、南向きに位置する。

 プライベートな客をもてなす広いリビング、執務室、プレイルームに衣裳部屋、バスルーム付の寝室など大小7部屋が連なっている。

 先回りして居殿に異常がないことを確認したレオンは、入り口の扉を開けて、リディを抱いたアンドリューと、ハロルド伯爵を出迎えた。

 アンドリューはレオンを見ることなく「リビングで待て。」とだけ言い残し、執務室を抜けて寝室に入った。中央に備え付けられた天蓋付の大きなベッドは、マリティムの死後手をつけていなかったが、国王即位の儀式をすべて終えた今日から使おうと決め、すべての寝具を新しく取り換えたところだった。その皺ひとつない真っ白なシーツの上に、リディを横たえた。

「ハロルド伯爵。」

「はい。」

「風呂の準備は整っているか。」

「はい、いつでも御使用いただけます。」

「では、シンシアが来るのを待とう。」

 昨日まで寝床がわりにしていた長椅子に座り込み、アンドリューは深く、苦い息を吐いて、額を手で覆った。

 ハロルドは傍らに立ち、「何か、御飲みになりますか。」と尋ねたが、アンドリューは首を振った。

 アンドリューは今、生涯感じたことのない感情のやり場の無さに、どうしてよいかわからなくなっていた。

 マリティムの亡骸を前にした時、自分にできたことがもっとあったはずだと自分を責めた。二度と同じ後悔はすまいと心に誓い、今回は細心の注意を払っていたつもりだった。用心を重ねていたつもりだった。

 だが。

 舞踏会で二人がダンスを踊るシチュエーションを許してしまった時から、綻びはあったのかもしれない。

 エストレイは狡猾な男だ。

 リディは言葉にしなかったが、2年前、エストレイがリディを襲ったのは事実だ。そして次は、森の中で拉致し、国へ連れ帰ろうとした。いつだってエストレイは本気でリディを奪おうとしていた。

 それをわかっていたから。

 嫌、わかっていたのに、たった一枚のメモであっさりと罠におちてしまった。

 アンドリューの危機を見過ごせず、言いつけを破って部屋を出てしまったリディに、自業自得だと言えるはずもない。

 部屋から出るな、ではなく、外から錠をかけて閉じ込めておくべきだったのだ。

 そこへ、シンシアが籠一杯の着替え類を抱えて現れた。

 シンシアは、国王の寝室に入ることを躊躇した。ここは完全なプライベートルームで、王妃さえ入ることを許されないと聞いている。ハロルドやレオンさえ、余程の事がなければ足を踏み入れない場所だ。

 そんな妻の戸惑いを察したハロルドは、シンシアから籠を受け取り、中へ促した。

 アンドリューは再びリディを抱きあげるとバスルームへ連れて行き、緋のマントを巻きつけたまま広い湯船に浸からせた。

 驚いたのは、ハロルドである。

「陛下!その王家のマントを風呂の湯で濡らすなど、あってはならぬことです!」

 アンドリューはそんな言葉を意に介さず肩越しに振り向いた。

「シンシア、こちらへ!」

 シンシアは、泣き腫らした赤い目をしながらも、ブラウスの袖を捲りながらバスルームへ入った。

「リディは強い薬で眠っていて、丸一日は目覚めないと思う。着替えまで済んだらハロルドを呼んで、俺のベッドまで運んでもらってくれ。」

「・・・陛下は、どちらへ?」

「俺は、やらねばならないことがある。後は頼む。」

 執務室に入ったアンドリューは、ハロルドに言った。

「リディをベッドへ運んだら、診察を。必要があれば、マチオを呼んで薬を処方してもらうといい。」

「フィゲラス殿を呼びますか?彼の方が腕は確かですが・・・。」

「いや、伯爵で事足りる。・・・湯浴みが済むまで、しばらく時間がかかるだろう。それまでに、やってほしいことがある。」

 そう言って、今度はリビングへ戻った。

 レオンは入り口付近に立ったまま、主人の戻りを待っていた。

 アンドリューは、荒い息を押し殺すようにして言った。

「1時間後に、アンテケルエラの王子と御付の侍従長を、獅子の間へ召喚する。逃げ出さない様に、今すぐ伯爵と一緒にエストレイの客室へ行って宣言してきてくれ。」

「もう、休んでいるかもしれない。」

「このような沙汰を起こしておいて眠っているわけがない。寝たふりをしているなら、扉を叩き割ってでも引きずり出せ。・・・レオンはそのままエストレイの部屋の外で待機し、伯爵だけ戻ってきてくれ。」

 レオンは、僅かにアンドリューの方へ歩み寄った。

「エストレイ王子の仕業だという確証はあるのか?」

 アンドリューは、これ以上ないというぐらい冷ややかな瞳に力を込めた。

「確証があろうとなかろうと、言われたとおりに動いてくれればいい。」

 ハロルドは、躊躇いがちに尋ねた。

「理由を問われたら、いかがしますか。」

「身に覚えがあるはずだと言ってやれ。それと、武器は持たず、丸腰で来い、ともな。」

「・・・はっ。」



 獅子の間は、異国の大使へ苦言を呈する時に用いる部屋だ。通称「説教部屋」。

 よって、「獅子の間」に呼び出された相手は、相応の覚悟を持って部屋を訪れねばならない。

 普通は呼び出された方が先に到着しておくのだが、アンドリューは何もかもが待ちきれず、男装に戻ったネイチェルを伴って、先に部屋へ入り、玉座に深く腰掛けた。

 どうするか。

 エストレイに何と言って、どう責めるか。

 嫌。

 エストレイは、この先どうしたいと考えているのか。

 何事もなかったかのように、国へ戻ればいいと考えているはずがない。

 エストレイが真に欲しているのは、紋章付の跡継ぎなのだから、必ず次の展開を考えているはずだ。

 それに対し、どう立ち向かうか。

 宙を睨みつけたままのアンドリューを、ネイチェルは少し離れた場所で黙って見守った。女装用の化粧を落としたネイチェルは、長髪を一つに束ねると、少し扱けた頬が露になる。

 10年前、ネイチェルは、変装しながら諜報活動をしていたため、エンバハダハウスには住んでいない。そのため、直接リディと関わった事はなく、レオンやアランを通した“リディ像”を膨らませていた。

 リディが王宮に来る事になった時、アンドリューは陰でリディを常に見守る役割をネイチェルに与えようとした。だが、レオンが強く反対し、その命令は流れた。そうは言っても、アンドリューが理由も無しに無駄な人員を割くはずがないため、ネイチェルは出来る限りリディを見守ってはいたつもりだった。しかし、エストレイとの一件以降、リディは部屋に閉じ込められたため、安心してしまったのは確かだ。まさか、リディが自ら表へ出て走り回るなど想像すらしなかった。だから、リディの姿が見えなくなったと聞いた時は、心臓が止まりそうだった。

 今、玉座の背もたれに隠れて、肘掛に置かれたアンドリューの手しか見えないが、その胸中は察するに余りない。

 アンドリューは、レオンに頼みたくない事を、ネイチェルに頼む傾向がある。小さい頃から世話をしてくれたレオンに対して身内の様な感情を抱いており、だからこそ見られたくなかったり、察して欲しくない感情があるのだろう。当に今は、そういう心境なのではないか。

 ネイチェルは、口数が極端に少ない。スパイとして余計な事を口走らないよう常に気を張っていたら、自分の感情を口に出すことも、表情に表すこともできなくなっていた。だが、アンドリューのためにスパイとして生きる上でなら、それは誇るべき特技になる。

 約束の時間まで30分以上あったが、アンドリューは身じろぎもせず、玉座に腰かけたままだった。

 そして。


 獅子の間の両開きの扉には、重い鉄の枠が付いている。

 ギィ・・・、と鈍い音をたてて開いた扉の向こうに、白い正装に身を包んだエストレイが現れた。

 真っ直ぐに伸びた緋色の絨毯の上を、堂々とした足取りで進んでくる。

 エストレイの表情は自信に満ち、グレーの瞳は心なしか笑っている様だった。

 玉座のすぐ足元までやってくると、片膝をついて、恭しくお辞儀をした。

 そのわざとらしい慇懃無礼な態度に、アンドリューはすっくと立ち上がった。

「侍従長!この部屋に呼ばれた理由を王子から聞いているか?」

 白い顎鬚を長く垂らした細身の侍従長は、腰を低く屈めて顔を上げる事さえできず恐縮しきっていた。

「いいえ・・・。しかしながら、どうぞここは穏便に・・・。」

 おそらくこの老紳士は、本物の侍従長などではないだろう。エストレイが異国で勝手気ままに振る舞うために連れてきた気の弱い家臣の一人に違いない。その傲慢ぶりが腹立たしさを倍増させる。

 アンドリューは、腕を真っ直ぐに振りかざした。

「エストレマドゥラ王子と二人だけで話がしたい。他の者は、部屋の外で待て。」

 すると、さしもの侍従長も、少しだけ前へ進み出た。

「恐れながら、我が国の王子を一人置いていくことはできかねます。」

 それは、ネイチェルやレオンも同じ思いだ。

「せめて会話の聞こえない位置で、見守りを。」

 だが、アンドリューは聞く耳を持たなかった。


「聞こえなかったのか?話が終わるまで、この部屋から出て行ってもらおう!」


 アンドリューの声色に、エストレイも立ち上がり、侍従長へ外へ出る様促した。

 

 数分も待たぬうちに、獅子の間にはアンドリューとエストレイだけが残った。

 アンドリューは徐に腰から剣を引き抜くと、切っ先をエストレイの目の前に突き付けた。


「・・・ここへ来て、言い逃れなどしないだろうな。」


 エストレイは、グレーの瞳でアンドリューを睨みあげた。

「勿論だ。」

「全て、覚悟の上での沙汰だな?」

「答えるまでもない。私は、私の信念で動いている。」

「プラテアードを、ジェードから奪うか?」

 すると、エストレイは小さく笑った。

「何がおかしい!?」

 エストレイは片方の目だけ細めて言った。

「いや、満月の晩に我々からリディを奪い去るという大胆不敵さからは、想像できなかったものでね。」

「・・・?」

「あの森で見たプラチナブロンドの騎士がジェードの新国王だとわかった時、とうにリディをものにしていると思って覚悟していたのに、まさか純潔が守られていたとは―――。」

「!」

 アンドリューは思わず剣を投げ捨て、エストレイの胸ぐらを掴みあげた。

「一体、どういうつもりだ!?リディを想う心が少しでもあれば、あんな残酷な真似はできないはずだ!それが、なぜ!?」

 エストレイは、正面からアンドリューを凝視した。

「我がアンテケルエラ王国のためだ!それ以外に何がある!?」

「それで強引に純潔を奪ったか?引き千切ったドレス以上に、リディの心は千切られた。それがわからぬわけではなかろう!?」

「笑わせるな!そんなに大事なら、なぜさっさとものにしておかなかった!?いい年をして、恋愛ごっこもあるまい!」

「リディは、アドルフォに引き取られた時から革命家なのだ。国家に貞操を捧げた身だ!」

「その革命家にドレスを着せて戴冠式の立会人にまでしたのは、どこのどいつだ?私の劣情を煽りたいだけ煽ったのは、そなたであろう!」

 エストレイは、グレーの瞳に苦い思いを滲ませた。

「2年前、リディの胸元に見た薔薇翡翠のペンダントは、そなたの物だったはず。あの時私の手を止めたのは、紛れも無くアンドリュー、そなたの存在だったという訳だ!」

 エストレイは、自分の胸元を掴むアンドリューの腕を掴み返した。

「・・・途中でやめた事を、今日の今日まで後悔してきた。森の中で奪われ、もう二度と躊躇わないと心に誓った。今宵は、その積年の願いを叶えたまでだ。これでリディは私のものだ。プラテアードの首長は、アンテケルエラの前に平伏したのだ!」

 何を考える間もなく、アンドリューの右手はエストレイの頬を殴りつけていた。

 その勢いによろめきながらも、体幹の鍛えられたエストレイが倒れる事はなかった。口端から滲む血を手の甲で押さえたまま、エストレイは勝者の笑みを湛えた。

 アンドリューは、ここで改めて思い知らされた。

 どんなに怒りを露にしようと、何度強く殴りつけようと、リディが凌辱された事実は変わらないのだと。

 何をもってしても、決して、取り返しはつかないのだと。

 それがわかっているから、エストレイはアンドリューの激情を余裕の態度で受け止めているのだろう。

 それに、アンドリューの怒りは所詮アンドリューのものにすぎず、リディの苦しみや痛みを癒すことにはならない。

 アンドリューは握った拳を震えながら降ろし、エストレイを睨みつけた。

「リディはジェードの人質だ。ジェードのものだ。これは、ジェードへの宣戦布告と受け取ってよいのだろうな!?」

「無論だ。私は、祖国の命運をリディに託している。」

 アンドリューは、下唇を噛みしめた。

 これで、リディが恐れていたように、プラテアードが戦場になるのか。

 飢饉から立ち直ったとはいえない今のプラテアードなど、戦火の下では一たまりもないだろう。文字通り、国は消滅するのだ。

「ただ―――、」

 エストレイは、襟元を正した。

「私が真に欲しいのはアンテケルエラの正統な跡継ぎだ。リディがアンテケルエラの紋章を額にもつ子を産めば、当然リディを正妃として迎え入れ、プラテアードの領地もいただく。しかし、」

 エストレイは、軽く顎を引いた。

「リディがプラテアードの紋章をもつ子を産んだり、いずれの紋章ももたない子を産んだ場合、あるいはリディが私の子を孕まなかった時。その時は――― 」

「・・・その時は?」

「3年・・・だな。3年の間に紋章付の子が産まれなければ、リディは必要ない。プラテアードのような痩せた土地も、ジェードと戦ってまで手に入れる価値は無い。」

 アンドリューは、熱り立った。

「そんな勝手な理屈が通るとでも思っているのか?リディが孕もうと孕むまいと、俺は決して貴様を許さない。事の成り行きを見定めるまでもなく、すぐにでもアンテケルエラへ兵を向かわせる事が可能だ。」

「結構。しかし、今兵を挙げる理由を何とする?アンテケルエラから宣戦布告があったと言うか?それもいいだろう。だが、その時我々が大陸全土へふれ回るのは、ジェードの王宮内で、アンテケルエラの王子がプラテアード王女の処女を奪ったという事実だ!ジェードは醜態をさらし、リディは好奇の目にさらされる。それを、許すか!?」

 首を絞められたように、アンドリューは次の言葉を発せなかった。

 下劣な男だ。

 あの森の中で「リディに惹かれる」などと言っていたから、それなりの愛情をもってリディを抱いたと言うならまだしも、そのことでリディを辱めようというのか。

 そんな事がアンドリューにできるわけない、とばかりに。

 アンドリューの弱味を握っているの自分だ、とばかりに。

 こうして、自分の有利な方へ交渉を運ぶのか。

 そんなアンドリューを、エストレイは面白そうに覗き込んだ。

「まあ、『ただで』とは言わない。取引だ。ジェードの物であるリディを、3年間借りたい。1年あたり、アンテケルエラの鉱脈を一つずつジェードへ差し出す。どうだ?無駄な命を犠牲にしなくて済むうえに、金まで手に入れられるのだぞ。」

 アンドリューは、再び拳を震わせた。

「リディを金で買おうと言うのか?リディを、売春女と同じ様に扱うと言うのか!?」

「ジェードの『物』だと言ったのは、そなたではないか?物が売買の対象になるのは当然の事だ。」

「そんなこと―――、できるはずないだろう!?」

「なぜだ?」

「なぜ?」

「断る理由がどこにある?人質は国家の交渉のために存在するのだろう?」

 アンドリューは、首を振った。

「断る。人の売買はしない。ましてや、女を、子を産むための道具のように扱う貴様には、いくら積まれても渡すことはできない。」

 エストレイは鼻先で笑った。

「綺麗ごとを並べ立てるのもいい加減にしてほしいね。我々王族は、王家を継承する最大の使命がある。ジェードは、先代国王の最期の子が紋章をもっていると聞いた。それで安泰だ。だが、アンテケルエラの未来は私にかかっている。私には、何が何でも紋章付の子を残さねばならない使命があるのだ。」

「それなら、相手はリディでなくてもいいだろう?現に、マリティムの最期の子を産んだ女は王族ではない。」

「それは偶然の産物にすぎない。この大陸で、妙齢の紋章付の王女はリディだけ。それを手に入れたいと思うのは当然のことだ。呑気な顔をしているのは、そなただけだぞ、アンドリュー。リディに紋章があることは、先日の戴冠の儀に同席させたことで明らかになった。もはや狙っているのは私だけではないということを、肝に銘じておくことだな。」

 そうだ。

 そんな事、ずっと前から憂いていた。

 だからこそ亡きアドルフォも、リディが王女である事実を死に際でさえ打ち明けなかったのだから。

 アンドリューは、自らを落ち着かせるように、玉座に座った。

 戦うしかない。

 エストレイがどんな醜聞を流そうと、アンテケルエラが喧嘩を売ったのが明白になるのだから構わない。

 そんなアンドリューの決意を察したエストレイは、次の手を出した。

「あくまで武力で解決するというなら、せめてリディの懐妊の有無を確認してからにしたい。懐妊していなければ、その時点でリディを再度奪うために戦う。だが、リディが懐妊した場合は子供が生まれるまで静観してほしい。プラテアードが戦場になればリディは無理をして流産しかねない。それでは元も子もないからな。」

 アンドリューは、どこまでも身勝手なエストレイの要求に「否」と即答したかった。

 だが、実際、傷ついたリディが本当に苦しむのは、この後目覚めた時からだ。

 リディの苦しみが簡単に癒えるはずはなく、予定通り恩赦でプラテアードへ戻すこともできなくなった。

 リディが懐妊すれば、その子の紋章を確かめるまでに約1年。懐妊しなければ、その時点でアンテケルエラの攻撃が始まると考えて、約2、3か月。

 戦いの準備が磐石でないプラテアードの実情を考えれば、アンテケルエラとの国境の警備を固めたり、農民を兵士として召集するには、相応の時間が要る。エストレイの提案に乗るのは腹立たしいが、現実的に今すぐアンテケルエラに攻めいるよりも勝算は上がる。勿論、エストレイだってそんなことはわかっているはずだ。それでいて提案してきたのだから、今のアンドリューにはわからない思惑は、あるのだろう。

 だが、時間は、欲しい。


 アンドリューは、エストレイと覚書を交わすことにした。

 すぐに、ジェードとアンテケルエラの神使を獅子の間に呼び寄せる。

 アンテケルエラの神使も、戴冠式に招待されていたため、都合がよかった。これで、王家間に関わる正式な外交文書を交わすことができる。

 当事者であるリディがいないことに違和感はあるが、やむを得ない。アンドリューは決してエストレイを許さないし、エストレイがこのまま大人しく引き下がるはずもない。戦場となるプラテアードに、もはや逃げ道はないのだ。


 二人は、次の文章を書面にしたためた。

「ジェード王国、アンテケルエラ王国、プラテアード国は、2カ月後の満月の夜に、プラテアード王家の末裔であるルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・ディア・プラテアードの懐妊の有無を確認する。懐妊の有無は、各国から一人ずつ選ばれた医師が診察した結果に基づき判断する。

 懐妊が認められなかった場合は、次の新月の午後8時より、互いの領地への攻撃を解禁する。

 懐妊が認められた場合は、産まれた子の洗礼を終えた日から数えて二度目の新月の午後8時より、互いの領地への攻撃を解禁する。洗礼には、三国の王族と神使が立ち会う。

 なお、何らかの理由により、上記の事象の確認が不可能となった場合には、本覚書の一切を白紙に戻す。」


 覚書を交わした後、アンドリューは低い唸るような声で告げた。

「早々に祖国へ帰られよ、エストレマドゥラ王子。2カ月後の満月まで、せいぜい病床の父王を労わることだ。その後は一切、容赦せぬ!」

 

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