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第109話:緋のマント、藍のドレス

 薔薇の間では、閉会宣言前のファンファーレが鳴り響いたところだった。

 小隊長は、王座の後ろの控えの間に回り込み、緞帳の後ろからレオンに小さく合図を出した。レオンはすぐに、控えの間に下がった。

「どうした?」

「実は、こんなメモが。」

 小隊長はレオンにメモを渡した。時間がないため、一切の説明は省く。

 レオンは胸元の懐中時計を手に取った。

 11時58分。

 広間では、会場一帯が静まり返り、アンドリューの言葉を待っている。

「すぐに周囲の兵士をありったけ警備に投入。それから陛下の部屋までの安全確認、緊急警備の体制を敷け!」

「はっ!」

 レオンはすぐにアンドリューの背後に戻った。

 ハロルド伯爵とアランも、レオンが控えの間に下がった時から緊急事態を察知し、アンドリューのすぐ近くで監視をしている。万一の時には、身体を張ってアンドリューを守らねばならない。

 薔薇の間に、アンドリューの閉会宣言が響き渡った。

 客の歓声と、拍手。そして見送りのメロディーが奏でられる。

 午前0時。

 両開きの扉が大きく解き放たれた。

 と、その瞬間。


 パンッ、

      パンパンッ・・・!


 東の塔へ延びる回廊の奥から、微かな破裂音が聞こえた。

 たった今まで広間にいた客には聞こえなかった様だが、外にいたリディと番兵、また、小隊長の命令で集められた兵士達には、はっきりと認識できた。

 思わず身体を乗り出したリディを、二人の番兵がしっかりと押さえつける。

 代わりに、他の兵士達が破裂音の方向へ脱兎のごとく走り出した。

 リディは、広間の中の様子を確認したいと、首をよじった。アンドリューがいるのは、この中だ。

 ところが、大勢の客がなだれ出てきて、前も後ろもわからない状態になった。

 客の行く手を、とっさに小隊長と複数の兵士が両手を広げて阻む。

「たった今、この先で破裂音が聞こえました!確認が終わるまで、薔薇の間でお待ちください!」

 客たちは、口々に兵士に詰め寄った。

「王宮に爆弾が仕掛けられたのか」

「ここにいることも危険なんじゃないか。」

「さっさと非難させろ!」

 だが、今はまだ、何もわかっていない。

 さらに、事情がわからぬ客が後ろから押し寄せ、彼らは進まぬ前列に苛立ちや怒りをぶつけだす。

 警備兵達は、客の鎮圧に人手を割かねばならなくなった。

 その混乱振りを遠目に見ていた一人の女が、国王の控えの間へと走った。

 その頃アンドリューは、王座から控えの間へ下がっていた。

 レオンからメモを見せられたが、眉一つ動かさず、アランへ暗号の解読を命じた。

 壁時計は、既に午前0時5分を指している。

 まだ、油断はできない。

 そこへ、一人の女が素早く部屋に入り、レオンに耳打ちをした。

 レオンは軽く相槌を打ち、

「・・・破裂音の正体を確認してほしい。相手の目的がわからない。」

 女は頷き、すぐに外へ出て行った。

 アンドリューは、レオンに言った。

「相変わらず、ネイチェルの女装は見事だな。」

「本人は嫌がっているが、女の輪には女でないと入れないからな。―――と、」

 レオンは、窓の外を眺めようと立ち上がったアンドリューの動きを制した。

「駄目だ。窓の外から撃たれるかもしれない。」

「慎重だな。」

「当り前だ。」

「じゃあ、さっきのメモをもう一度見る。筆跡に覚えがあるかもしれない。」

 アランは既に内容を覚えてしまったため、すぐアンドリューに紙を渡した。

「筆跡に心当たりはないが・・・この紙は、東と西の塔の客室に置かれているノートの切れ端だ。」

「そう。インクも客室に用意してあるものだ。誰でも手に入れられる。」

「このメモを見つけたのは?」

「薔薇の間の警備を仕切っている小隊長が持ってきた。警備兵の誰かが見つけたのだろう。」

「手に入れた経路を確認してくれ。犯人の特定に役立つだろう。」

「わかった。」

 レオンが回廊に出ると、右手の先に見える薔薇の間の出口は、客を必死に引き止める兵士達と、客の怒号で混乱に混乱を重ねていた。人は、群れを成すと冷静さを失くしてしまうのだろうか。

 収まる気配が無い中、レオンは小隊長の姿を必死に探した。

 数が不足していると察知した兵士が仲間を呼びに行ったらしく、増々、警備兵の数は増えていく。しかし、一旦客に囲まれてしまえば、一瞬のうちに姿が無くなる有様だ。

 ここは一旦引き下がり、ネイチェルの報告を待つべきか。

 レオンは何度か足の向きを変えながら、結局、戻ろうと心を決めた。

 踵を返そうとしたレオンの視線の片隅に、人混みから押し出される女性の姿が映った。

 地味なドレスの女性は、床に膝を打ちつけるようにして倒れた。

 レオンは思わず駆け寄り、手を差し伸べて女性を立たせた。

「・・・伯爵夫人?」

 それは、いつもはきっちりとひっつめている髪を乱した、シンシアだった。

 レオンは、人気の少ない所までシンシアを連れて行き、改めて尋ねた。

「お怪我はありませんか?第一、なぜこんな所へ・・・?」

 その言葉を聞いた途端、シンシアの顔色が変わった。

「リディ様に、お会いになってらっしゃらないのですか?」

「リディに・・・?」

 レオンは、眉を顰めた。

「リディは、部屋から出てはならないはずです。」

「メモを・・・!国王陛下暗殺のメモを、ご覧になってないのですか!?」

 レオンの心臓が、よくない出来事を予兆するように、大きく波打った。

「・・・控えの間へ行きましょう。そこで事情を話してください。」

 シンシアの身体が震えている。

 レオンは、下唇を噛んだ。

 メモの出所がリディだったとすれば、それは何を意味するのか。

 二人が控えの間に入るなり、その場に居た誰もが身体を強張らせた。それ程に、シンシアは真っ青な顔で震えていたのである。

 シンシアは、アンドリューに深くお辞儀をして、震える唇を必死に耐え、言った。

「申し上げます・・・!実は、午前0時に国王を殺害するというメモが、リディ様の部屋に差し込まれました。リディ様は時間がないからと、御自分で薔薇の間へ走られました。私では足が遅くて、辿り着いた頃に午前0時になってしまうからです。私達は薔薇の間の出口で待ち合わせ、一緒に部屋へ戻ることにしました。ところが、出口は人で溢れ、どんなに探しても、リディ様の御姿が見当たらないのでございます。」

 アンドリューは、立ち上がった。そしてアランに、「暗号は解けたか?」と尋ねた。

「いいえ。・・・法則がまったく見出せません。もしかすると、でたらめに数字を並べただけかもしれません。」

 アンドリューは、拳を強く握り締めた。

 荒げる息を、懸命に抑える。

 ―――まだだ。

 まだ、確かな事は言えない。

 そこへ、ネイチェルが戻ってきた。

「先程の破裂音は、子供達が悪戯で鳴らした爆竹の音でした。」

「爆竹?なぜ、そんなものが王宮に!?」

 レオンが尋ねると、ネイチェルは息を吐きながら答えた。

「異国の貴族の子供達です。かの国では、祝い事の終わった深夜0時に爆竹を鳴らして悪避けをする風習があるそうです。王宮ではやらないようにと親達が注意していた様ですが・・・、言いつけを守らない子供はどこにでもいます。」

 レオンは軽いため息をつきながら、

「念のため、爆竹の入手ルートを確認しておいてくれ。他に、異常はないか?」

「警備兵が王宮の隅々まで捜索しましたが、爆発物の類や、不審人物は見当たりませんでした。陛下の部屋までは、我々の仲間がしっかり確認し終えています。今のところ、爆竹騒ぎ以外の異常はありません。」

「じゃあ、あのメモはデマか・・・。」

 

 バンッ


 それは、アンドリューがサイドテーブルを拳で叩きつけた音だった。

「リディを・・・、リディを探せ!すぐにだ!!」

 レオンは、思わず息を呑んだ。

 アンドリューの表情は険しく、怒りというより焦燥感の方が強い。

 レオンは、ハロルド伯爵とアランをアンドリューの下に残し、後は全員控えの間から出るよう指示した。

 アンドリューは、部屋から出ようとしたネイチェル一人を呼び止めた。

 上品な貴族夫人を装ったネイチェルは、黙ってアンドリューの傍に寄った。

「爆竹の入手ルートの詮索前に、アンテケルエラの王子の所在を確認してくれ。」

「・・・かしこまりました。」

 音をたてて椅子に座り直したアンドリューは、宙を睨みつけた。そして、握れない物を必死で掴もうとするように、肘掛の木材を掻き毟った。その微かな音が聞こえるほど、控えの間は静まり返っていた。

 

 薔薇の間の出口では混乱が収まりつつあり、客も東と西へ流れていた。

 しかし、リディの姿は、やはり約束の場所に無い。

 警備で集められた兵士達も、今は客の誘導に追われている。

 レオンは、シンシアと側近の一人に、リディが部屋に戻っていないか確認するように言った。他の側近一人には、控えの間付近の警備として残る様指示する。

 この広い王宮は、人ひとり探すには、とてつもなく広い。

 使用中の客室に立ち入ることはできないが、倉庫や使用人の仕事部屋の数だけでも気が遠くなる。とりあえず大雑把なエリアで分担を決めて、それぞれ奔走し出した。

 開けられる部屋はすべて開け、クローゼットから机の下、暖炉の内部、カーテンの裏、僅かな影さえ見逃さないように捜索する。

 レオンは長い階段を駆け降りながら、考えを巡らせた。

 大体、アンドリューの安全が保障されたと安堵できぬうちに、なぜリディを探すことへ労力を注がねばならないのか。

 リディの警備に、側近の一人をつけたがっていたアンドリュー。

 結局理由はわからず仕舞いだったが、その答えが、今、出ているのか。

 レオンは窓からバルコニーへ、バルコニーから中庭へ降りられる階段へ回る。

 外は月明かりと建物から零れる灯りで照らされるものの、茂みの中などは足を踏み入れなければ何も見えない。

 (再集合の時間を決めておけばよかった。)

 これでは、きりがない。誰かがリディを見つけたとしても、それを知らせるには王宮中に散らばった仲間を探さねばならない。

 自分の詰めの甘さに舌打ちをして、レオンは首元のクラバットを緩めた。

 (一度、戻るか。)

 捜索を始めて30分が経過した。

 そろそろ、次の情報が入っている頃だ。

 

 舞踏会が行われた薔薇の間を取り囲む回廊沿いには、20程の小部屋が並んでいる。それはいわゆる女性のための化粧室で、ドレッサーや足を休ませるための長椅子、テーブルの外、扉で仕切られた洗面室が完備されている。王女や貴族の令嬢は、侍女や小間使いと共に中に入り、内側から鍵をかけて使用する。だが、その小部屋は別名「密会部屋」と下卑た呼び方もされる。それは、舞踏会で意気投合した男女が会場を抜け出して二人きりになれる場所として利用されるからだ。化粧室だから、中から鍵がかかっていれば外部から立ち入ることはできない。

 シンシアは、リディが薔薇の間の出口にいなかった時、真っ先に化粧室を探した。使用中かどうか外からはわからないため、一部屋ずつノックし、返事がなければノブを回すという事を繰り返した。が、半分以上は使用中で、その度にリディの名を大声で呼んでみたが、返事はなかった。

 シンシアがリディの部屋に戻っても、リディの姿は無かった。一緒に付き添ってきたアンドリューの側近は、控えの間へ報告すると言って走り去った。

 シンシアは控えの間に戻る道すがら、開けられる部屋や探せる場所という場所すべてを覗いた。

 リディと約束した場所は、混乱を極めていたから、巻き込まれない様に別の場所で待機していたとしても、何の不思議もない。もう一度薔薇の間へ戻れば、きっと、リディは何事もなかったように立っているはずだ。そして、こんな大騒ぎになっていることに驚き、「私は大丈夫なのに。」と小さく笑ってくれるだろう――― シンシアは、そんな前向きな想像で頭を一杯にした。リディは、国に帰れば首長として横柄な態度をとったり、時に傲慢で冷酷な一面を見せるのかもしれない。だが、きっとそれは環境が作りだした性質で、今、この王宮で見せる気取らない優しい姿こそが、本来の姿なのではないだろうか。いつも他人の事ばかり気遣って、自分のことを後回しにしている不器用さ。アンテケルエラの王子に立ち向かっていったのも、強さではなく、シンシアを守ろうとした優しさの現れだったに違いない。

 シンシアの瞳から、思わず涙が零れた。

 わかっている。今は、泣いている場合ではない。リディが無事に見つかることを信じてあらゆる場所を探さねばならない。

 そして、何事も無くて良かったと、抱き合って安堵の涙を流すのだ。

 そうでなければ。

 そうでなければ・・・・!



 控えの間にレオンが戻った時、既にネイチェルが戻っていてアンドリューに耳打ちをしていた。

 アンドリューは何を判断できるわけでもなく、口端を硬く結んだままだった。

 レオンはハロルド伯爵へ、午前1時に一度全員で情報共有をしたいと申し出た。

 それを聞いたネイチェルは、仲間にそのことを知らせると言い、再び控えの間から外へ出た。

 薔薇の間の出口では、ようやく客を捌き切った番兵が扉を閉めたところだった。

 ネイチェルは、柱の陰に隠れて、番兵達の様子を窺った。

「まったく、人騒がせなガキ共だぜ。」

「爆竹だって?普通、建物の中でやらないだろう。」

「世間知らずのおぼっちゃん達の行動は、理解できん。しかも、立派な恰好の紳士に貰ったとか、見え透いた嘘までつきやがる。」

「とりあえず、国王を殺すっていうメモとは無関係ということでいいんだろう?」

「ああ。さっき小隊長から解散の指示が出た。」

「やれやれ、やっと交替できるというわけか。」

 番兵達がその場を立ち去ると、辺りは、先ほどまでの喧騒が嘘の様に静まり返った。

 ネイチェルは、一人、薔薇の間の出口に立った。

 用心深く周囲を見渡す。

 薔薇の間の前の、広々としたホール。

 緩い螺旋階段の3階分の高さの吹き抜け。

 クリスタルの豪奢なシャンデリア。

 天使や神話を金彩で描いたドーム型の天井。

 主庭を見渡せるガラス張りの壁の向こうには、照明に照らされたドラゴンの噴水が暗闇に浮かぶ。

 踵を返したネイチェルの目に入ったのは、化粧室の並ぶ薄暗い回廊だった。回廊の照明が小さくなっているのは、薔薇の間の照明が落ちるのと連動しているためだ。

 女装したネイチェルも、一度は捜索した。しかし、数部屋は使用中で、場所が場所だけに執拗な声かけもできず、確認しきれてはいない。

 「・・・?」

 ネイチェルは、ふと目を留めた。

 半開きになっている扉がある。

 化粧室の扉は、押さえておかない限り勝手に閉まる様につくられている。開いたままということは―――

 ネイチェルは、相手の正体がわからないため、忍び足で徐々に近づいていく。

 やはり、扉は半分開いた状態でとまっている。


「・・・・っ・・・!」


 不意に、苦しげな女の声がした。

 ネイチェルは胸元の小銃を手に取ると、扉に隠れた人の正体を確認するよう、素早く前へ回り込んだ。


 「誰だ!?」

 

 突きつけた銃口の先にいたのは、扉に寄りかかったまま動けなくなっているシンシアだった。

 ネイチェルは驚き、銃を仕舞ってシンシアの肩をゆすった。

「どうしました、伯爵夫人!?」

「ネイチェル様・・・。」

 シンシアは、震えながら化粧室の中を指差した。

 部屋の灯りはついておらず、背の高い窓から差し込む月明かりで照らされた小部屋の隅に、塊が見えた。

「?」

 ネイチェルが塊の正体を確認しようと思って中へ入ろうとすると、シンシアがその身体を両腕で掴んだ。

「駄目です!」

「え?」

 女装したドレスのスカートの膨らみに抱きつくようにして、シンシアは叫んだ。

「中には入らないでください!どうか夫を・・・、ハロルドをここへ呼んで下さい。」

「状況を確認させてください。これでは陛下に報告ができない。」

「いいえ!今はまず、ハロルドだけを、ここへ・・!」

 シンシアは、かすれた声を絞り出すように言った。

 ネイチェルがもう一度部屋の中を目を凝らして覗くと、黒い塊には、布のような襞があることがわかった。そしてそれは、無機質な物体ではなく、人の気配を孕んでいる。

 ネイチェルは、シンシアの腕を優しく解き、屈みこんで言った。

「わかりました。すぐ、ハロルド伯爵を呼んできます。ここにいてください。」

 シンシアは、黙って何度も頷く。

 ネイチェルは、控えの間へと走った。

 シンシアが何を言う必要もない。

 あそこにリディがいるのだ。

 どういう状態かわからないが、只事ではない状態で・・・!


 息せき切って控えの間に入ると、部屋にいた全員の視線がネイチェルに向けられた。

 何と言えばいいか。

 ネイチェルは軽く息を整え、ハロルド伯爵をまっすぐ見つめた。

「ハロルド伯爵、奥方様がお呼びです。」

「シンシアが?」

 だが、息を乱して戻ってきたからには、それなりの理由がある。それは、誰もがわかることだ。

 アンドリューは、ネイチェルのところへ歩み寄った。

「何があった?」

 非常事態であろうことは、ネイチェルもわかっている。だが、今ここでアンドリューに報告できることは無い。まずはハロルド伯爵と一緒に化粧室へ行き、事態を確認しなければ。

「今は何もお答えすることができません。ハロルド伯爵と一緒に私が―――、」

 ネイチェルの答えを聞く前に、アンドリューは控えの間から出た。

 正装の緋のマントを翻し、「シンシアはどこだ?」と尋ねてくる。

 ネイチェルは、アンドリューの行く手を遮ろうとした。

「私が確認してくるまで、控えの間でお待ちください。」

「質問に答えろ、ネイチェル!」

 アンドリューの形相に、いつもは毅然としているネイチェルも、気圧された。

「・・・御案内します。」

 ネイチェルの後にアンドリュー、ハロルド伯爵、レオンが続いた。少し遅れてアランも心配でついていく。

 シンシアは、複数の人の足音を聞いて、扉から顔をのぞかせた。

 すると、ハロルドだけでなく、アンドリューやレオンまで付いて来た事に驚き、思わず扉を閉めた。

 シンシアに真っ先に近付こうとしたのは夫であるハロルドだったが、アンドリューの方が早かった。

「・・・この中に、リディがいるのか?」

 アンドリューの言葉を聞いて、シンシアは小さく頷いた。

 その答えと同時に中へ入ろうとしたアンドリューに対し、シンシアは扉の前に立ちはだかった。

「中へお入りにならないでください。」

「何?」

「後で・・、後できちんとご報告にあがりますから、どうかここは、私とハロルドにお任せください。」

「どういうことだ?一体何が起きている?」

 唇を噛みしめ、首を振るシンシアを、アンドリューは強引に扉の前から剥がそうとした。するとシンシアは、扉に全身で縋り着くようにして叫んだ。

「駄目です、どうか、お入りにならないで・・・!」

 以前、アンドリューがリディの寝室に無遠慮に入ろうとしたところを諌めたシンシア。だが、その時の毅然とした態度と今とでは、まるで違う。

「なぜだ?理由を申せ。」

 アンドリューの声が思いの外優しく聞こえて、シンシアは少し心を解いた。

「リディ様は・・・、リディ様は、このような御姿を・・・、一番、アンドリュー様に見られたくないはずだからです・・・!」

「!!」

「後生ですから、どうか・・!どうか、ここはお引き取りを・・・!」

 アンドリューは暫く黙っていた。

 周りの誰もが、動けず、何を言う事もできなかった。

 が。

「シンシア。」

 アンドリューは努めて落ち着いた声で、扉にしがみ付くシンシアの肩を叩いた。

「気遣いは、有難く思う。だが、シンシアの言う意味が俺の想像と一致するならば、逆に、部屋の中を検める事が許されるのは、俺だけだ。」

「・・アンドリュー様・・。」

 シンシアは眉根を震わせ、静かに扉から離れた。

 部屋の中は暗く、アンドリューは灯りのスイッチを入れた。

 その途端、目に飛び込んできたのは――――


 壁際の暖炉の前に崩れている、藍色の絹のドレス。

 ドレスのひだから覗く、白い素足。

 袖が破られ、剥き出しになった肩。そして上腕の深い傷跡。

 大理石の床に、千切られたドレスの切れ端が、青い花びらのように散っている。


「誰も中に入るな!」


 アンドリューは叫び、一人、リディの傍に歩み寄った。

 リディは横向きに倒れていた。

 きれいに結われていた髪が乱れ、額や頬を掠めている。

 蒼い額。目は硬く閉じられ、唇は微かに開いている。

 アンドリューが跪いて顔を近づけると、リディの呼吸の音と共に微かな甘い臭いがして、薬で眠らされていることがわかった。

 

 最も恐れていた事。

 最もあってはならないことが、起きてしまった。

 ネイチェルの先ほどの報告で、エストレイは自室に戻っていたと聞いていたが、その時には手遅れだったというわけだ。

 アンドリューは奥歯を一度だけ噛みしめると、国王の象徴である紋章入りの緋のマントを肩から外し、リディの身体を覆う様に巻きつけた。

 そして。

「レオン!聞こえるか!?」

 開いた扉の陰から中の様子を窺っていたレオンは、弾かれたように前へ出た。

「はっ!」

「ここから俺の部屋までの完全な人払いを早急にしろ!シンシアはリディの着替えを持って俺の部屋へ!ハロルドは俺の後をついてこい!後の者は控えの間で次の命令を待て!」


 アンドリューは、マントを巻きつけたリディの身体を抱き上げ、自分の部屋へ向かって歩いた。

 緋色に包まれた藍色の絹が揺れる様子を、側近達は神妙な面持ちで見守った。

 王位継承から今日に至るまで、アンドリューが発していた数々の命令に隠された意図が、このような形で露呈するとは。

 まっすぐ宙を睨みつけながら進むアンドリューの背を見つめていたハロルドは、思わず目を細めた。

 誰が何と言おうと、

 本人達が決して認めまいと、

 もう、これは隠し果せない。

 ジェード国王の、プラテアード王女に抱く思いは―――


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