第108話:舞踏会を経て
アランは杖を使うのももどかしく、王座の脇に控えていたハロルド伯爵の下へと足を引きずった。
事情を知ったハロルドは、立ち上がれないシンシアの肩を抱いて、壁際の椅子へ座らせた。シンシアは蒼い顔をしながら、リディの身を案じて震えている。ハロルドはシンシアを落ち着かせるように、優しく肩を叩き、すぐに王座の脇へ戻った。そこにレオンが戻り、二人は情報を共有した。
ハロルドは、「引きずり回す」様に踊らされているリディを見て言った。
「アンドリュー様がエストレイ様を招待したくなかった理由が、これでわかりました。」
レオンは、言葉に詰まった。認めてしまえば、二人の仲を認めた事になるからだ。
「別に、リディのためとは限りませんよ。」
そうとだけ言い放ち、薔薇の間の中央で踊るアンドリューを凝視した。アンドリューの視線はただ宙を泳いでいるだけで、何を見ているわけでもなさそうだった。
ようやく長いメヌエットが終わり、アンドリューはイサベル王女に挨拶をして、「次はわが娘と踊って下さい。」と集まってきた王族のうち、紫のドレスを着た王女とワルツを踊り始めた。
一方、エストレイは、曲が終わって逃げ出そうとしたリディの手を掴んで離さなかった。
「誰が一曲だけと言った?私の気が済むまでつきあってもらおう。」
「私が踊れない事は、おわかりになったはずです。」
「だから何だ?これは私の正装を汚した償いなのだ。」
エストレイの大きな掌がリディの背中に回り、さらに身体を引き寄せた。
リディの頬がエストレイの首元へ接近し、前髪に吐息さえ感じる。
諸国の王女や貴族の令嬢にとっては、うらやましい限りなのかもしれないが、リディにはまさに「償い」の「罰」に相応しい仕打ちだった。
アンドリューは、紫のドレスの王女の国も名前も耳に入らず、リディの様子を盗み見て僅かに眉を顰めた。
リディが人質になった時点で、諸外国はマリティムがリディを所有したと判断し、今はアンドリューが所有したと思っている。ジェード国王の愛人に、普通であれば絶対に手など出さない。アンドリューがリディを立会人にまでさせて存在を見せつけたのは、特にエストレイに向けたものだった。
それが。
しかし、この公の場で、リディを助ける事はできない。
国王の愛人という噂はあくまで噂で留め、真実であってはならない。それを匂わすような行動もなど、とることはできない。
出すべきではなかったか。
リディを、表舞台に立たせたことは軽率だったか。
アンドリューの表情を見ていたレオンは、深いため息を吐くと、後ろへ下がった。
4曲目が終わったところで、音楽が突然途切れた。
侍従長が、余興として国立バレエ団の踊りを披露するとアナウンスした。また、その後、皇太后主催のティーパーティが開かれ、3時間の休憩の後、王族は晩餐会へ、貴族達は再び舞踏会へという知らせもあった。
エストレイは鼻先で笑い、リディの手を離した。
「予め聞いていたスケジュールと、大分違う。・・・誰かの差し金かな?」
リディは礼儀としての深いお辞儀をすると、その場を立ち去ろうとした。
「待て。」
掴まれた手首を、リディは強引に引き離した。
エストレイは自信ありげな笑みを浮かべた。
「今日のところはこれで赦してやる。明日も楽しみにな。」
「・・・償いはしました。」
「どうかな?私を楽しませるというより、踊れない恥をさらしただけの様に思えるが?」
「それで、十分のはずです。」
リディが振り切る様に背を向けた瞬間だった。
「伝説の革命家アドルフォも、流石に王女の教育はできなかったらしい。ダンスの一つも教えておかないとは、プラテアードが永遠に繁栄しないことを証明しているようなものではないか!」
エストレイの張りのある声に、周囲にいた人々は一声に笑い出した。
「違いない!」
「なるほど、そのとおりだ!」
女性達も、扇で口元を隠しながら嘲笑している。
リディは、握りしめた手を解いて、エストレイの頬を叩いてやりたい衝動にかられた。自分への侮辱なら仕方ないが、アドルフォを馬鹿にするような発言は聞き捨てならない。第一、ダンスを踊れないのはリディの怠慢が理由だ。そう反論してやりたい。
だが、それは許されない。
相手は強国の王子で、ここはアンドリューの即位を祝う場。これ以上騒ぎを起こすことはできない。
リディは荒ぐ息を肩で押さえつけながら、足早に人の波をくぐりぬけようとした。
と、不意に顔をあげたところで、先程までアンドリューと踊っていた金髪の王女と眼があった。青い瞳に真珠のような白い肌の王女は、紅色の唇でかすかな薄笑いを浮かべた。
その醜い感情を垣間見た途端、リディは冷や水を浴びた様に冷静さを取り戻した。
これ以上、エストレイの挑発に乗ってどうする?
アドルフォに非はないのだから、反論できない分、せめて堂々としているべきだ。
リディは姿勢を正すと、何事もなかったように顎を引いて歩き出した。
伸ばした背中に投げつけられる揶揄を受け止めながらようやく広間を出ると、そこに待っていたのはレオンだった。
「部屋まで送る。」と冷たく言われ、リディは少し後ろをついて行った。
レオンに避けられていた事をわかっているリディは、どう接していいかわからないが、思い切って声をかけた。
「アンドリューの方は、大丈夫なのですか?」
「ハロルド伯爵もいるし、始終大勢の者が見守っている。」
「・・・。」
会話が終わってしまった。
次の話題を見つけられないでいると、レオンの方から遠慮がちに尋ねられた。
「アンテケルエラの王子と、因縁があるのか?」
「・・・国家間の取引で決裂しました。」
「それだけで、あんなに怯えるものなのか?」
「・・・。」
「アンドリューは、事情を知っているのだろうな。」
リディは、肯定も否定もできない。しかし、無言は肯定の証だ。だから、返事の代わりに言った。
「大切なお祝いの席に水をさすようなことをして申し訳なかったと・・・、心からのお詫びをと、アンドリューに伝えてくださいませんか?」
レオンは思わず立ち止まってリディを見つめた。
「それは、自分で直接言った方がいいんじゃないか?」
「私からアンドリューに声をかける事はできませんから。」
「え?」
「植民地の王族が、ジェード国王に声をかけることは許されないと言われていますから。」
リディの紅茶色の瞳が、伏せ目がちに揺れている。
レオンは思わず視線をそらし、再び歩き始めた。
一体、アンドリューはリディをどうしようと考えているのか。皇太后のリディに対する折檻には口を出さず、エストレイの事となると弾かれたように不快感を露にする。
リディとエストレイを見た時の、アンドリューの顔。僅かに歪めただけではあるが、あんな表情は、二度と見たくないと思った。だから、皇太后を説き伏せて予定外のお茶会を設定し、バレエ団の余興を前倒しにするよう動いた。
幸い皇太后は機嫌が良く、レオンの提案を喜んで受け入れてくれたが、精神を病んでいる皇太后を長時間人混みにさらしておくことが危険なのはわかっている。これからすぐ、皇太后のフォローに回らねばならない。
部屋の前に到着すると、レオンは言った。
「いいと言うまで、決して部屋から出てはいけない。アランも伯爵夫人も既に部屋の中で待機している。」
リディがドアノブに手をかけて中に入ろうとする僅かな間に、レオンの姿は消えていた。
(御礼の一つも言えなかった。)
10年前、新聞記者だったレオンは別れ際、「またヴェルデに戻ってくることがあったら、新聞社に必ず寄ってくれ。俺は死ぬまでこの仕事を続けるつもりだから。」と言っていた。お互い身分を偽っていたとはいえ、あの頃のレオンも、アンドリューが王座に着く可能性は限りなく低いと考えていたのだろう。
シンシアから聞くに、レオンは由緒ある貴族の令息だったが、少年の頃両親を流行病で亡くし、ハンスに引き取られたという。ハンスと弟のマチオは男爵、アランは伯爵家の三男だったらしい。エンバハダハウスに住んでいた十数人の男達は、いずれも貧しい生活を送っている様に見えたが、その実正統な王位継承者の側近として、全員爵位を有していたのだろう。
(私は、やはり何も見ていなかったのだ。)
レオンもまた、薔薇の間へ足を急がせながらもリディと別れた日の事を思い出していた。
(本当に、ただの田舎から来た少年であってほしかった。無邪気な笑顔の少年のまま、再会せずにいられたら良かった。そうすれば、優しい思い出として、閉じ込めておけたのに。)
敵だったとは。
出会った時から、既に定められた運命だったとは。
レオンは、胸に渦巻く想いをかき消すように冠りを振った。
翌日の舞踏会に、リディの姿はなかった。
表向きの理由は「祝いの席で騒ぎを起こしたため、出入り禁止」。
しかし、アンドリューは常に王座から、注意深くエストレイの様子を探った。
緋色の絨毯の上で繰り広げられる、華やかな宴。
自分の意志と関係なく過ぎていく時間。
性懲りも無く、美しい王女を見定めてはアンドリューと踊らせようとする皇太后。
こんなくだらない時間は、明日までだ。
エストレイの、高慢な顔を見るのも明日までだ。
眼を細めれば、景色も刻も金色の光に滲む。
すべては、明日までの辛抱だ。
舞踏会の最終日。
夜11時59分にアンドリューが締めの挨拶をし、客は順次帰国の途に就く。
そんなスケジュールと無縁になったリディは、午後8時にシンシアと食事をした後、部屋に籠って読書をしていた。
あとどれくらいで恩赦が発表されプラテアードへ戻れるかわからないが、これだけの蔵書を読むことができる期間は限られている。本を持ち帰ることはできないため、とにかく少しでも多く頭に入れておきたい。
どれくらい時間が過ぎたか。
ふと気づくと、時計は午後11時45分を指していた。
(もう、アランやシンシアは眠っただろうか。)
水を飲もうと立ち歩き、はたと足を止めた。
廊下に繋がる扉の下から、折りたたまれた紙が差し込まれていたからだ。
リディは思わず紙を拾い上げ、開いてみた。
――― 深夜0時、新国王を殺す。SW219703・・・ ―――
全身が、電流が流れるように打ち震えた。
どういうことか?
第一、これが何故リディの部屋に届けられたのか?
蒼黒い上等なインクの香り。
だが、紙はノートの切れ端のよう。
アルファベットと数字は暗号だろうが、リディには覚えのない配列だ。
(誰か、別の人の部屋と間違って差し込まれた・・・?)
廊下の両側にずらりと並ぶ扉は、どれも同じ大きさ、形、彫刻で遜色がない。
暗殺等を避けるため、侵入者が見ても区別がつかないようにするためだ。目印をつけることも許されず、客は各々が、角から何番目の部屋などという様に覚えて鍵を差し込み、正解を確認する。だから、間違えたとしても不思議はない。
このメモが本物かどうかわからない。
だが、存在する以上、とにかくアンドリューに知らさねば。
まずは呼び鈴を鳴らす。二人の内、どちらかは必ず部屋に滞在していると言われたからだ。
ほどなく現れたのは、シンシアだった。
リディは、シンシアにメモを見せた。
「これが本当かわかりませんが、すぐに知らせたいのです。」
「間もなく、国王陛下による閉会宣言がございます。アランさんも夫もレオン様も、陛下についておられます。午前0時というのは、まさに舞踏会が終焉を迎えたばかりです。大勢の人の前で、暗殺など可能でしょうか?」
「大衆の面前で実行された暗殺は珍しくありません。すぐに私が薔薇の間まで走ります。」
「なりません、リディ様。リディ様を決してこの部屋から出してはならないと、アンドリュー様から厳しく言い遣っております。私が、参ります。」
リディは首を振った。
「ここから速足でも10分かかります。それでは間に合わない。私は裸足で走ることができますが、伯爵夫人を走らせるわけにはいきません。」
「確かに、私はリディ様の様に走ることはできませんが、でも、」
「すべては私が独断で動くことです。」
「そんな、」
「とにかく知らせたら、薔薇の間の入り口で待っています。帰りは一緒に部屋へ戻りましょう。」
言うや否や、リディは部屋を飛び出した。
青い普段着のドレスのスカートを腕に巻きつけるように捲り上げ、久々に大股で疾走する。
何度も何度も複雑な角を曲がりながら、リディは道中にも何か仕掛けられていないか、眼を光らせた。
広間では、入場前に、王族を含め全員の所持品検査が行われている。給仕一人一人、オーケストラボックスの隅々さえ点検済みだという中、王座にいるアンドリューをどう始末できるというのか?
ならば、王座の裏の控えの間か?
側近の誰かが裏切り、背後から短剣で襲うとでもいうのか?
どんな可能性だって考えられる。
何しろアンドリューは、この強国を支配する国王になったのだから!
途中途中に立つ警備兵がリディを不審に思って声をかけてくるが、立ち止まる余裕はない。
ここで摑まるわけにもいかないし、誰が敵かわからないのだから、頼ることもできない。
ようやく薔薇の間に着くと、閉じられた扉の前に、番兵が4人も立っていた。
リディは息せき切って走って来たものの、自分が裸足であることや、普段着であることで、およそ広間に入れる格好でないことに気付いた。
番兵たちは、リディを薔薇の間に入れ無い様、指示されている。
「ディア・プラテアード様には、出入り禁止の御達しが出ております。」
「それはわかっていますが、火急の用件です。すぐに、陛下の側近のレオン・バーンハウスト侯爵に御取次ぎください。」
「なりません。お部屋にお戻りください。」
「国王陛下の命に関わる事です!」
「間もなく舞踏会が終了しますから、その後で―――」
「それでは間に合わないのです!」
「何事か!?」
騒ぎを聞きつけた、襟元に小さな勲章をつけた男が現れた。
小隊長と思われる男は、番兵から報告を受けると、リディの下へ歩み寄った。
「陛下の命に関わるとは?」
ようやく、話の通じる相手が現れたと考えていいだろうか。
リミットは刻一刻と迫っている。
背に腹は代えられない。リディは、部屋に差し込まれたメモを小隊長に見せた。
「これが、私の部屋に。暗号らしきものの意味はわかりませんが、示された午前0時まで、もう時間がありません。偽物かもしれません、罠かもしれません。ですが、用心は必要です!」
小隊長は眉を顰めた。
「なぜ、こんなものがディア・プラテアード様の部屋に?」
「わかりません。とにかく、一刻も早く警備を!」
小隊長は、番兵二人を中に入らせ、もう二人にはリディの両腕を掴ませた。
「っ!」
まるで犯人を捕らえたかのような構図に、リディは小隊長の顔を睨みあげた。
小隊長はメモを指の間に挟み、
「バーンハウスト侯爵にお伝えします。ここでお待ちください。」
リディがこのメモを餌に、悪さを働くことを警戒しているのだろう。
小隊長は回廊の奥へと姿を消した。
このメモの事が、レオン達に伝わると信じたい。
ここで動けない以上、何事も無いことを、祈るしかない。
リディは固唾を呑んで、額と頬にかかった乱れ髪の隙間から、扉の向こうを凝視した。