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第107話:舞踏会にて

 馬車の中で眠りに着いたアランは、王宮に到着しても目を覚まさず、結局ジャックが「しょうがねぇな。」と笑いながら部屋まで運ぶはめになった。

 泥のように眠り続けたアランがレオンに無理やり起こされたのは、朝7時の事。

「疲れているところ悪いが、アンドリューが呼んでる。」

 アランは、アンドリューの名を聞くとすぐに飛び起きた。

「朝8時から予定が詰まっていて、今しか話ができないそうだ。悪いな。」

「・・・いえ。」

 アランが衝立の向こうで着替えをしている間に、レオンは今日の予定を矢継ぎ早に話し、最後に付け加えるように言った。

「リディの事について、色々噂を耳にするだろうが、すべて俺に報告してくれ。特にアンドリューとの関係や、ジェードとプラテアードがどういう立場にあるか・・・ということは、詳細にな。」

 白いカラーシャツの貝ボタンを留めながら、アランは衝立から顔を出した。

「既に噂が出回ってるの?」

「・・・大聖堂の戴冠式にリディが立ち会った事は、宮殿中の者が知っている。人質として捕らわれたはずの革命家が、なぜ立会人になったのかと、下世話な噂が飛び交っている。」

「アンドリューは、その事・・・。」

「わざとリディを表舞台に引っ張り出したんだ、すべて腹の内なんだろう。」

 大きなため息を吐くレオンに、アランはしがみついた。

「リディには聞かせたくないような内容だよね?」

「・・・どうだろう?だが、アランが気遣う必要はない。」

「冷たい、レオン!リディとあんなに仲良しだったくせに!」

 レオンは、眉間に深い皺を寄せて、アランの手を振り払った。

「俺は、アランとは違う。国家の敵は敵として徹底しているだけだ。個人的な感情と混同するような事は許されないと知っているからな。さあ、行くぞ。」

 長い廊下を、アランは杖をつきながら、必死にレオンの後をついていった。

 レオンも相当忙しい様子で、アンドリューへアランが来た事を告げるや否やその場を去った。

 アンドリューは、自身の式典当日だというのに、執務室で書類に目をとおしたり、サインをしたりしている。

 アランは、自分がすべきはずだった仕事もその中に入っているのではないかと、眠気も吹き飛ばして身を竦めた。だが、アンドリューはアランの方を見る事もせず、書き物をしながら言った。

「アラン。伝えたい事は二つだ。一つは何度も言っているとおり、リディから絶対に目を離すな。シンシアと一緒に、何があってもリディについていろ。」

「はい。」

「もう一つは、リディへの伝言だ。他の植民地の人間と口を利くことは許さない。挨拶だけでも駄目だ。このことは、すべての植民地共通のきまりだ。厳しく監視してくれ。」

「・・・わかりました。」

 アランは頭を下げて、部屋を去ろうとした。と、その間際。


「昨夜は無理をさせたな。・・・ご苦労だった。」

 

 ハッとして頭を上げたが、アンドリューは相変わらず書類に視線を落としたままだ。

 アランは「痛み入ります。」と再度頭を下げて、扉を閉めた。



 正午から、新国王の即位式が始まる。

 数えきれないほどのシャンデリアが煌めく長細い「薔薇の間」には、既に王族以外の招待客が勢ぞろいしていた。入り口から真っ直ぐ敷かれた緋色の絨毯の最奥は一段高くなっており、中央に王座が置かれている。背後に降ろされた緞帳は、登場する瞬間をドラマチックに演出するだろう。

 広間の片隅に管弦楽団が陣取り、高らかにファンファーレを鳴らした。

 入り口脇に待機している侍従長は、徐に巻物を取り出し、読み上げた。

「アンテケルエラ王国、エストレマドゥラ・アゴスト・ディア・アンテケルエラ第一王子様!!」

 深い緑の混ざったような黒髪、淡い小麦色の肌、グレーの黒目がちな瞳。国の宝石、オパールを表す白く輝く礼装に身を包み、颯爽と現れたエストレイを見て、若い令嬢達は黄色い歓声をあげた。

 招待客の王族のみ、このような紹介を受け、人々の視線を浴びながら中央を歩き、王座の壇下に並んだ来賓席に着く。

 エストレイは、緋色の絨毯を興奮気味に踏みしめた。

 昨夜、戴冠式の立会人として馬車に乗り込む藍色のドレスを目撃した時、全身が打ち震えた。

 森の中で奪われたリディがジェードの王宮にいるとわかり、何もかもが繋がった。

 鮮やかに駿馬を操り、リディを連れ去った男の髪は、月夜に輝くプラチナブロンド。

 アンテケルエラのエシャンプラ城でリディの胸元に見たのは、ジェードの宝石、薔薇翡翠のペンダント。

 表向きは敵同士を装いながら、裏では恋仲だったというのか。

 昨夜洗礼を受けた小さな王子は、マリティムではなくアンドリューとリディの子ではないかと囁かれているが、数か月前に会ったリディに妊娠の兆候は皆無だった。プラテアードが差し出した人質を偽物とわかって捕えていたジェードの思惑は測り兼ねるが、もはや、どうであろうと構わない。

 求めていたリディが、確実に、間もなく目の前に姿を現すのだ。

 エストレイは自席に着くと、落ち着かない心を留めるように拳を握りしめた。

 次々と王族が紹介され、席に着いて行く。

 残ったのは、最後尾の末席のみとなった。これらは、ジェードが統治している国のものだ。

「アトラペンロ王国、クラーロ・ディスタンシア・ディア・アトラペンロ国王様!」

 侍従長が読み上げても、そこにファンファーレはない。まるで打ち合わせをしていたかのように、歓声も拍手も何もなく、突然水を打ったように静まり返った。

 まるで晒し者のように、冷めた視線に耐えて席まで歩かされる。

 植民地の国の中でも最後尾で待機していたリディはその有様をみて、思わず唇を噛んだ。このやり方は、酷い。植民地の王族は罪人なのか?辱めを受けなければならないような悪い事をしたのか?弱い者は、誇りを踏みにじられて当然だとでもいうのか?

 招待客の多くが国王・王妃の夫妻で現れているのに、なぜ植民地は国王一人で来ているのか、その理由がわかる。現在の植民地6か国のうち、女はリディだけ。この辱めは、愛する妻や娘には味わわせたくないということだろう。

 最後が、リディの番だった。

「プラテアード国、ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・ディア・プラテアード様!」

「王国」と呼ばれず、「王女」とも呼ばれない。

 そんなリディが薔薇の間に足を一歩踏み入れた途端。

 会場は不穏なざわめきに包まれた。

 今まで、表舞台に一切出ず、正体のわからぬままジェードに人質にとられていたというプラテアードの首長。存在が幻と噂されたこともあったが、長い時を経て、初めて公の場に姿を現したのだ。

 リディは軽く深呼吸をし、顔をやや上に向け、歩き出した。

 これで、もう逃げる事も隠れる事もできなくなる。伝説や幻ではない、現存する事がつまびらかになったのだから。

 リディが産まれた時、プラテアード王家は取り潰されたため、ヴェルデマールのような洗礼は受けていない。何の血縁を示す証書も持たないリディが本物の王女と認められる唯一の手段は、額の裏紋章。昨夜の満月の下でそれが認められたことを、招待客の王族は全員悟っていた。

 緋色の絨毯の両脇から浴びせられる人々の好奇の目、蔑んだ眼、耳を塞ぎたくなるような囁きの数々。

 だが、そんなものに動じてはならない。アンドリューは「表舞台に立て」と言った。これは、その始まりなのだ。

 そんなリディの視線の片隅に、最前列に座るエストレイの姿が目に入った。

「・・・!」

 エストレイはリディを見て、こらえきれない微笑を浮かべた。

 リディにとっては、視界の隅にさえ入れたくない男の姿だ。足元から沸き上がる嫌悪を抑え込み、気にしない風を装ってひたすら前だけを見据え、用意された末席に着席した。

 一息吐く間もなく、一際華やかなファンファーレが響き渡った。

 とうとう、新国王が登場するのだ。

 会場すべての視線が、王座に注がれた。

 真紅の緞帳が開かれ、ゆっくりとアンドリューが現れる。

 黒い縁取りをされた、鮮やかな緋色の礼装。 

 プラチナブロンドに、蒼い瞳。

 容易に近づいてはならないオーラを放った威厳ある立ち姿に、感嘆の声が漏れる。

 マリティム前国王の弟でありながら、ずっと正体を隠して生きてきたため、諸外国の王族や貴族の殆どが、アンドリューの存在を知らなかった。プリフィカシオン公爵として活動していた時はかつらをかぶっていたため、同一人物だと気付かぬ者も多い。軍人として働いていたのは10年前の少年の頃で、しかも公には死んだ事になっているため、結び付けられる者も少ない。

 アンドリューは、硬く唇を結び、宙を睨むような視線で前を見据えた。

 全体が静まり返るのを待って、第一神使が横に立った。

 戴冠式そのものは昨夜終えているが、「披露」の意味で、アンドリューの頭上に王冠を授ける儀式が行われた。そして

「ここに、アンドリュー・プリフィカシオン・ディア・ジェードの第25代国王即位を宣言する!!」

 薔薇の間は、大きな歓声と拍手に包まれた。

 本来、新国王から所信表明があるところだが、今回の即位は事情が事情であるだけに、行わない事にした。何を言っても、マリティムの事に触れないわけにはいかないからだ。アンドリューとしては、3日間催される舞踏会さえ不謹慎だと思っていたが、諸外国との外交に必要とあらば仕方がない。

 薔薇の間に軽やかなワルツの調べが流れ、大勢の男女がダンスを始めた。女性の色とりどりのドレスが満開の花の様に回転する。

 外国の王族たちは、アンドリューの下を順番に訪れ、祝いの言葉を述べることになっていた。国にも序列がある。だから、真っ先に進み出たのが、アンテケルエラのエストレイだった。

 アンドリューは一段高い場所から、エストレイを見下ろした。

 エストレイは片膝をついて、決まりきった祝辞を述べた。アンドリューが苦虫を潰したような表情を隠しきれなかったため、後ろに控えていたハロルド伯爵は小さく咳払いをして諌めた。アンドリューは仕方なく「父王の病状はどうか。」というような話題を振ると、エストレイは顔を上げた。

「お気遣いいただき、ありがとうございます。父は病床から起き上がれない状態で、御招きにお応えできないことを大変残念がっておりました。・・・一度、我が国のパーティーだか舞踏会にお越しいただきましたね?プラテアード第4総督、プリフィカシオン公爵として。」

 アンドリューは一瞬、喉を締め付けられたように言葉が出なかった。

 その様子に気付いたエストレイは面白そうに続けた。

「ああ、失礼。身分を隠しておられたのですよね。ただ、父に伝えたかったのです。ジェードの新国王に、父は一度会った事があるのだと。」

 国王に即位した今となっては、もう隠しておく必要もないだろう。アンドリューは、

「心からの御見舞いをと、お伝えください。」

と答えて締めくくった。

 アンドリューは、これで義務は果たしたと自分に言い聞かせ、次の挨拶を受け入れる体制をとった。

 その頃、リディは自分の席に座って、目の前で繰り広げられるきらびやかな世界を眺めていた。美しい男女が見つめあい、軽やかに舞い踊る夢のような光景。本当はアンドリューを見つめていたいが、前の座席は人で埋め尽くされ、貴婦人の膨らんだドレスの波で、王座が全く見えないのだ。左隣の国王も、その左隣も、ぼんやりとして、ただ時間が過ぎるのを待っている様子だった。

 植民地同士話すなという、当たり前でいて理不尽な決まり。しかも、植民地の王族には、アンドリューに話しかけることはおろか、祝いの挨拶をすることさえも許されていない。そんな植民地の王族に話しかける異端者がいるはずもなく、片隅の6席だけ別世界の様に静まり返っていた。

 徹底した差別にさらされる屈辱を、アンドリューはどう思っているのだろうか?

 と、その時。

「シャンパンをどうぞ、王女。」

 突然、右側から声をかけられ、リディはその声の主を見て思わず立ち上がった。

「見違えたよ、リディ。藍色のドレスがよく似合う。」

 その一帯の空気が、突如変わった。

 何せ、女性たちから一際注目されているアンテケルエラの王子が、こともあろうにジェードの人質で革命家の女に、親しげに声をかけたのだから!

 リディは、エストレイの視線から逃れるように身をよじった。が、エストレイはグラスを突出し、言った。

「このめでたい席で、私の杯を断る理由など無いはずだが?」

 顔を横に背けて、眉を歪めながらリディは下唇を噛みしめた。すぐにでも逃げ出したい。だが、逃げる場所など無い。しかも、これだけ周囲から注目されていて、一体どう振る舞えば角が立たないのか。

 リディは震える手をゆっくりと伸ばし、顔を背けたままグラスを受け取ろうとした。

 そこへ。

 「リディ様!」

 突然後ろから腕を引っ張られ、リディの指が掴もうとしていたグラスを弾いた。


 「あっ・・!」

 

 シャンパンは、金色の粒となってグラスの外へと舞い散った。

 リディのドレスの裾と、エストレイの上着の裾が濡れ、周囲は大きなざわめきに包まれた。

 リディの腕を掴んだのは、シンシアだった。

 少し離れた場所で控えていたシンシアは、リディの異常な怯え方を放っておけず、何らかの理由をつけてその場から連れ出そうと考えたのだ。しかし、不幸にもリディがグラスを掴もうとしたタイミングと重なってしまい、思いがけない粗相に繋がってしまったのである。

 王族の正装を汚した罪は、軽くない。

 シンシアは顔面蒼白になりながらも、リディの前に出て、深く腰をかがめた。

「お・・お許しくださいませ!」

 エストレイは、ハンカチで裾を拭いながらシンシアを睨みつけた。

「この私に恥をかかせたのだ。相応の罰を受ける覚悟はあるのだろうな?」

 シンシアは顔に血が昇るのをはっきりと感じた。

「・・・勿論でございます。どのような仕置きも覚悟しておりますゆえ、どうか―――」


 「待ってください!」


 シンシアがハッと顔をあげると、藍色のドレスに施した銀の刺繍が目に飛び込んできた。

 リディは、エストレイの前に立ちはだかった。

「彼女は私の侍女です。侍女の失態は、主人である私の責任です。この責任は、私が負います!」

 シンシアは慌てて、リディに縋った。

「なりません、リディ様!すべては私が悪いのです。」

「お下がりなさい、伯爵夫人!あなたに責任はありません。」

 リディは、エストレイのグレイの瞳を力一杯睨みつけた。

 アンドリューは、王座から見えない場所に人だかりができていることに気付き、王族の挨拶の合間にレオンへ「確認してこい。」と視線で合図をした。

 レオンが人垣の後ろから見たのは、エストレイとリディが対峙する思いがけない構図だった。

 エストレイは、リディの険しい表情を間近で眺めていたが、やがて口端に意味深な笑みを湛えた。

「植民地の王女が、この私に、どう責任をとるというのだ?」

「・・・この場で出来る事でしたら、何でも致します。」

「成程。」

 リディは、シンシアを守る事しか考えていなかった。シンシアが自分を助けようとしてくれていたのは明白だ。ジェードの伯爵夫人を、こんなところで辱めてはならない。そのためなら・・・!とは思う。だが、本当はエストレイの要求が怖い。既に全身がアレルギー症状のように拒絶反応を起こしている。

 エストレイは、思いがけないチャンスをどうしてくれようかと、ほくそ笑んだ。

 蒼くなったり赤くなったりしている伯爵夫人には悪いが、リディを言いなりにできる好機をどう生かそう?

 リディは、後ろで震えるシンシアの気配を背負うことで、自分を奮い立たせていた。そうでなければ、息が詰まって倒れそうだ。

 固唾を呑んで行く末を見守っているのは、周囲のギャラリーも同じだった。

 エストレイはにやりと笑った。

「そうだな。鞭でも土下座でもいいが、ここは祝いの席だ。めでたい席に水を差すことはしたくない。だから―――」

「!!」

 エストレイは、リディの片腕を掴んだ。

「私とダンスを踊ることで許してやろう。」

 周囲を取り巻く若い令嬢や王女達が、悲鳴を上げる。彼女達は、エストレイと踊りたくて誘いをずっと待っている立場だからだ。

 だが。

「私は・・・ダンスができません。」

「構わぬ。私に身体を預けておけば、蝶の様に舞う事ができるぞ。」

「・・・足を踏んでしまうかもしれません。」

 エストレイは一旦口を噤むと、リディの腕を放し、代わりに自分の右腕をリディに差し出した。

「では、この場に跪き、私の手の甲にキスを。」

「!」

 リディは、即座に首を振った。

「それは、できません。」

「何?」

「それは・・・その行為は、忠誠の誓いを示します。」

「そのとおりだ。何でもすると言ったはずだ。できないとは言わせない。」

「私は、ジェードの植民地の首長です。アンテケルエラに忠誠を誓う事はできません。」

 エストレイは不快そうに眉を吊り上げた。

「じゃあ、どうする?プラテアードの王女は約束も守ることができないのか?革命なんて大層な事を掲げているようだが、口先だけだという事が知れるな。」

 周りは、粗相の償いをダンスで許すと言ったエストレイの寛大さに安堵したものの、それを断ったリディが信じられないと思った。しかし、忠誠を誓う行為については、流石に受け入れがたい事はわかる。事もあろうにジェードの新国王即位の席で、許される事ではない。

 リディは一度目蓋を閉じると、意を決して目を見開いた。

 恐るおそる、右腕をエストレイに向かって差し出す。

「ダンスを・・・。どうか、私のダンスのお相手を・・・。」

 声が震える。

 リディの脳裏に蘇るのは、エシャンプラ城でエストレイにシャツを破られ、無理やりキスされたこと。プラテアードの森の中で拉致されたこと。その相手と手を重ねる事さえ拷問だ。

 エストレイは勝ち誇った表情を必死に隠して、リディの手をとると、細い腰を力一杯抱き寄せた。

 鳥肌がたつ。

 アンドリューが相手なら、触れられた僅かな場所からでも甘い疼きで身体が震えるのに、そうでなければ嫌悪だけが湧き上がる。

 リディは眉を顰めて、顔を横へ反らした。

 遠い昔、父がダンスの手ほどきをしてくれた。「もしもの時のためだよ。」そう言う父に、「ダンスなんて一生するわけがないもの。こんなことより、剣の腕を磨きたい。」そう逆らって真剣に取り組まなかったことを思い出す。だから基本のステップは踏めるが、とても「踊る」というレベルには程遠い。

 エストレイに引きずられるようにして、広間の中央に立たされた。だが、足を右に出したらいいのか、左に出したらいいのかわからない。初めての実践は、小刻みで回るだけのみじめな姿だった。

 恥ずかしい。

 学べる事は、なんでも真剣に学んでおくべきだった。誰にも将来を見通す力などないのだから、「絶対使わない」とか「役にたたない」なんて決めつけて、疎かにしてはならなかったのだ。

 エストレイはリディの顎を強引に掴んで顔を近づけた。

「ダンスをする相手を見ないとは、無礼にも程がある。」

「・・・。」

「露骨に嫌な顔をするのも同じだ。」

 エストレイは、リディの耳元に口を寄せて言った。

「笑え、リディ。そうでなければ、プラテアードの首長とジェードの新国王は、国民を欺き恋仲であると、明日の新聞の一面で暴露してもいいのだぞ。」

「・・・そのような出鱈目を・・・!」

「出鱈目?宮殿の誰もが疑っている事だ。だが私には確信がある。エシャンプラ城に来た時していた薔薇翡翠のペンダント、あれはアンドリューの物だったのだろう?」

「・・・っ、」

「まあ、いい。」

 エストレイは、リディの頬を掌で覆った。

「さあ、私に向かって微笑みかけるがいい。この私に・・・!」


 同じ頃、アンドリューの下には、海沿いの国々を統治しているカタラネス王国の国王夫妻が挨拶に訪れていた。そこへ、少し遅れてアルティス皇太后が若い王女と一緒にやって来た。

 アンドリューは、母アルティスは裏で大人しくしていると聞いていたのに、こんなところへ出てきていることに驚き、同時に不快感を示した。

 アルティスは、カタラネス国王夫妻と二言、三言挨拶を交わすと、アンドリューの方を向いた。

「このイサベル王女はカタラネス王国の第二王女で、私に大変親切にしてくださった心優しい娘さんです。それにこの楚々とした美しさを御覧なさい。」

 イサベルは金髪に青い瞳の、まさに人形の様な整った容貌の持ち主だった。アルティスに褒められて、頬を紅に染めてはにかんでいる。

 アンドリューは、アルティスが何を企んでいるのかすぐに察した。それは初めての事だったが、たちまちその場から逃れたい衝動にかられた。

「アンドリュー、イサベル王女とダンスを。舞踏会の主役がいつまでも座ったままでは格好がつきませんからね。」

 何を言うのか。

 この場に及んで、突然母親面をするのか。

 カタラネス王国が最近勢力を伸ばしてきているのは知っている。海沿いの国との繋がりは、貿易拠点を手に入れる格好の手段だということもわかっている。だが、突然見知らぬ王女を目の前に差し出してきて、あからさまにこの王女との結婚を考えろと言いたげな様子に、言いようのない嫌悪感が湧き上がった。

「ダンスは・・・苦手ですので。」

「まあ!お前を育てたハンスは、とんだ役立たずだこと。まあ、妻も娶らず偏屈な男だったから無理もないかねぇ。」

 ハンスの名が出たことに、アンドリューは激しく反応した。

 ハンスを悪くいう事は許さない。ましてや、自分を捨てた母親が、自分を大切に育ててくれたハンスの悪口を言うなど、決して許すことはできない。

 アンドリューは立ちあがった。

 ダンスぐらい踊れる。ここで一曲、この王女と踊ったからといって何の意味も生まれないだろう。そもそも外交目的の式典なのだから、何人とでも踊っておけば、一人と踊るよりその価値も薄まるはずだ。

 アンドリューはイサベルの手をとり、薔薇の間の中央へ歩み出た。

 柔らかなメヌエットが流れている。

 が、そこにいた先客を見て、アンドリューは目を見張った。


 (なぜ・・・!?)


 なぜ、リディがエストレイと踊っているのか?

 リディの引きつった頬から、引けた腰から、無理やりであることはわかる。しかし。


 「アンドリュー様。」

 イサベルに促されて、アンドリューはステップを踏み出した。

 

 ジェードの新しい国王と、強国アンテケルエラの王子エストレイ。

 女性達の注目を集める二人が同時にダンスを踊る様子に、他の貴族、王族たちは全員ダンスをやめて、広間の両脇で二組の様子を鑑賞する側に回った。


 リディも、アンドリューが見知らぬ王女の手をとって踊っている様子を目にして、激しい痛みを覚えた。

 覚悟していたことだ。

 アンドリューが国王になる以上、大勢の女性に囲まれることを。

 だが、想像だけでも涙が止まらなかったものを、こうして現実に見せつけられると堪らない。

 ターンをしながら二組がすれ違う瞬間、リディとアンドリューの視線が重なった。

 リディの縋る様な目に、アンドリューは成す術もなく視線を外した。

 アンドリューは無表情のままイサベルと踊り続けた。

 だが、その心中は激しく乱れていた。

 迂闊だった。

 リディがジェードに従っている様子を見せつけておけば、誰もリディに手出しはできないと箍を括っていた。流石のエストレイも、新国王の愛人疑惑が浮上しているリディに、公衆の面前で声をかけることは無いと考えていた。

 が、それは甘い考えだったのだ。

 

 優しいメヌエットの調べは、非情にも長く、長く、二人の間を流れ続けた。



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