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第104話:戴冠式 -その3-

 薄暗い部屋に、燭台の灯りがポツリ、ポツリと浮かび上がる。

 仄かに鼻孔をくすぐる、薔薇の花を閉じ込めたアロマキャンドル。

 部屋の中央を仕切る白いヴェールの向こうに、皇太后が鎮座している。

 レオンは、リディの両膝を床に着かせ、足首を揃えて縛り上げた。慎重に縄をくぐらせながら、レオンは小さく囁いた。

「逆らわない方が身のためだ。」

「くっ・・。」

 縛り方に容赦がない。

 レオンは、徹底してリディを敵として扱っている。

 そうだ。それぐらいでなければ、アンドリューの側近など務まらない。

 ハロルドとレオンは皇太后に丁重に挨拶をして、部屋から出て行った。

 縛られたリディは、頭を下げたまま、息を凝らして時を待つ。

 肝心の皇太后は何も言わず、ただ沈黙だけが重い空気の間を漂っている。

 リディにできることは、ただ、黙って待つのみ。

 

やがて。


おもてを上げよ。」


 低い、威厳に満ちた女性の声が静寂を破った。

 リディは頭を上げ、しかし視線は落としたまま、次の言葉を待った。

「・・・名を名乗れ。」

「ルヴィリデュリュシアン・ヴァルフィ・コン・シュゼッタデュヴィリィエと申します。」

「お前がアドルフォの娘・・・いや、アドルフォに育てられた娘か。」

「はい。」

「その証拠はあるか?」

「・・・証拠、とおっしゃいますと・・・。」

「アンドリューから聞いた話では、お前は、アドルフォが瀕死の王妃の腹を引き裂いて取り出した王女だと言う。プラテアード王家の末裔であるという、証拠はあるのか?」

 リディは、一呼吸おいて、尋ねた。

「この部屋は、私と皇太后陛下の二人だけでしょうか。誰か話を――― 」

「完璧に人払いはしている。壁の裏で聞き耳をたてている者もいない。」

「・・・それでは、申し上げます。私の額には、藍色の裏紋章が浮かびます。」

「・・・!」

 皇太后の息を呑む音が聞こえた。衣擦れの音で、立ち上がった事がわかる。

「裏紋章の話は、誰から聞いた?どこの王族が、お前に裏紋章の事を教えたのだ?」

「アンドリュー様です。」

 正直に答えたというより、他の選択肢はありえない。

「お前は、アンドリューとどこで知り合った?」

 アンドリューは、皇太后にどこまで話しているのだろう?

 リディは自分の身代りをジェードへ送り込んだ。その時点でアンドリューが「本物」の存在を知りながら偽物を受け入れたことが公になっているとは考えにくい。その可能性を信じて、辻褄を合わせねばならない。

「私は、私の偽物を人質としてジェードへ送り込みました。しかし、経緯はわかりませんが、真実がマリティム国王陛下に知られ、改めて本物を人質としてよこせとの密書がプラテアードに届きました。本来であれば、ジェードを欺いた故ただでは済まさないが、偽物がマリティム陛下の御子を身籠ったため、今度こそ本物が来れば大事おおごとにはしないと。・・・私は側近一人と共にジェードに来ました。その夜は満月でした。私を迎えに来たアンドリュー様は私の額を見て、私が本物であることを確認し、紋章の意味を教えてくださったのです。」

 ストーリー的には矛盾はないはずだ。

 リディは緊張を解くことなく、次の皇太后の出方を待つ。

「・・・それで、お前は本気で教会の儀式に立ち会うつもりなのか?」

「はい。」

「なぜだ?お前はジェードに対して何度も反逆し、戦いを挑んでいるではないか。その敵の王位継承の儀式で、なぜ証人を務める?」

 リディは逸る心臓を落ち着かせるように小さく息を吸い込み、言った。

「私は、人質の身です。今のプラテアードに、拒否という選択肢はございません。」

「アンドリューが、お前に命令したということか?」

「そうです。」

「嘘をつくな。」

 リディは思わず、視線を上げた。

 白いヴェールの奥のシルエットが大きくなる。

「この誇り高いジェード王家の儀式に、植民地の、しかも、取り潰した王家の末裔を同席させるなど、在りえない。」

「それは、私も同じ思いです。ですが、王族であれば問題は無いと」

「ありえぬ!」

 皇太后が業を煮やして、ついにヴェールを捲り上げた。

 固い床を打ちつけるヒールの音が短く響き、皇太后は持っていた笏をリディの顎の下に潜り込ませ、無理やり顔を上へ向かせた。

 のけぞった顎の向こうに、皇太后の恐ろしい形相が見える。

 初めて見た皇太后は、髪の色も瞳の色も、アンドリューと同じだった。だが、美しい唇の歪みを見れば、どれほど憎まれているのか、どれほどこの場に居る事を疎ましく思われているのか、自ずと知れる。

「他国の王族でもいいなら、友好国の王族に頼めばよい。それよりも前に、母である私に、何度断られようと土下座して頼みこめばよい。それが何故!?よりによって、我が国に革命を挑んだ女なのだ!?」

「それは・・・アンドリュー様が、国王だからです。」

「何?」

「ジェードという強国の王が、即位の冒頭から他国へ頭を下げるなど、あってはならない事です。それは、実の母親に対しても同じです。ですが、相手が私であれば、アンドリュー様は命令という形をとることができます。ですから、私をお選びになったのかと。」

「黙れ!」

 アルティスは、リディの顎下の笏を上へ振り上げた。

 リディは後ろに仰け反り、床に倒れた。足も両腕も揃えて縛られているため、立ち上がるにも難儀だ。顔だけ上に向けると、アルティスはリディの額に笏の先を突き付けて、見下ろした。

「生意気な口を叩く。・・・お前の父親そっくりだ。プラテアード国王は、小国のくせにジェードに逆らい、遂には戦になった。大人しく従っていれば、平和に過ごせたものを・・・!」

 リディは倒れたまま、アルティスを凝視した。

「強国に従って、平和に過ごせるはずがありません。プラテアード国王はそれをわかっていたから、負けるとわかっていても抵抗せずにはいられなかったのです。今の私も同じです。私を育てたアドルフォも、同じ思いです!」

「うるさい!!」

 リディの身体に、アルティスの笏が勢いよく振り下ろされた。

「!!」

 硬い棒が、何度もリディの腕や腰や足に振り下ろされ、鈍い音をたてる。

 アルティスが何か叫んでいるが、それらはもはや、意味を成していない。

 レオンが忠告したように、逆らってはいけなかったのだ。

 だが、どうしても、プラテアードという国の信念は決して変わらないということを、伝えずにはいられなかった。

 リディは奥歯を食いしばって、呻き声さえ立てずに、ただ耐えた。

 これが、ジェードがプラテアードに抱いている真の感情そのものだからだ。

 今までキールやソフィア達が守ってくれていたから知らなかっただけで、常に自分に向けられていた憎悪、嫌悪。言葉では語りつくせぬ憎しみが、振り下ろされる笏を伝ってリディの身体に染み渡る。

(私はこれから、今までの分も、この痛みを受け止めなくてはならないのだ。)

 不思議な事に、身体の痣が増えるごとに、リディの中である感情が首をもたげ始めた。

(私は、プラテアードの首長を下りてはならない。首長の座をおりるということは、この痛みを放棄するということだ。)

 もはや、アルティスの罵声は、リディの耳には届かなくなっていた。

(私はプラテアードを離れ、国王である父の遺志も、育ての父であるアドルフォの遺志も捨て去るところだった。国に帰ってどんな形ででも革命に携わればいいと思っていたが、それは違う。そんなことをしたら、アドルフォが心血注いで私を育てた意味がなくなってしまう。私には、私の使命があるのだ。瀕死の王妃の腹から取り出され、生かされたその意味を、私は軽んじてはならない。)


 どれぐらい経っただろうか。

 

 アルティスが激しく息を切らし、手から笏を床へ落した。

「泣いて赦しを乞えば、少しは情け心も生じようというものを・・・。」

 そう言うと、ゆっくりとヴェールの奥へ戻り、呼び鈴を鳴らした。

 部屋の扉が開くと、アルティスは「連れて行け。」と一言命じた。

 レオンとハロルド伯爵は、リディを抱えるようにして、部屋の外へ連れ出した。

「意識はあるようだな。」

 レオンがそう言いながら、リディを縄から解放してくれる。

 縄が解かれたリディは、自力で歩きだした。レオンが肩を貸そうとしたが、リディは「大丈夫。」と断り、さらには「部屋までの道がわからないので、私の前を歩いてください。伯爵が後ろを歩けば、見張っている事になるでしょう?」と言った。

 リディは眉間に皺を寄せながらも、身体の痛みを隠すように胸をはり、しかし流石にその足取りはおぼつかなかった。長い時間をかけてリディが部屋に戻ると、レオンはすぐに立ち去り、ハロルド伯爵がリディの診察をして、シンシアが手当をした。

 シンシアはリディのドレスの下の無数の痣を見て、発狂しそうなほど憤慨した。

「骨に異常はありませんね。」

 リディの身体を丹念に確認して、ハロルド伯爵がそう言うと、シンシアはキッと夫を睨みつけた。

「あなたがついていながら、こんな事になるなんて!ほら、この脛の部分なんて血が滲んで膨れているではありませんか?ここも、・・・ここもです!」

「いいのですよ、伯爵夫人。私の顔は傷一つないでしょう?それに、あの笏はそこまで重いものではありませんでした。皇太后陛下も加減はされていたのでしょう。」

「加減?これで!?」

 シンシアは文句を言いながら、洗面所へ水を汲み直しに行った。その隙に、ハロルド伯爵はリディに頭を下げた。

「どうか、お許しください。アルティス様は夫を亡くして以来、心を患っておられるのです。そしてまた、マリティム様まで失われた。・・・何が起きているか理解はされております。ただ、理性を保つことが難しくなってしまわれた。」

「気になさらないでください。私は敵です。これぐらいで済んで、有難く思わなければ。それより・・・。」

 リディは、洗面所の方を一瞥し、再びハロルドの方を見た。

「どうぞ、奥様に忠告を。奥様はお優しすぎます。私のような者に本当に良くしてくださって、感謝しているのです。でもそれは、一歩間違えば反逆罪です。」

「リディ様。私の妻は、そのようなこと百も承知です。リディ様がいつ翻って武器を向けるかもしれないという覚悟ももっております。妻は妻の責任でリディ様のお世話をしているのです。むしろ、私は嬉しいのです。他人に心を許せぬ、友人もいない孤独な妻が、ここまで他人の事で一喜一憂しているのは初めてのこと。きっと、リディ様にお仕えすることにやりがいを感じているのでしょう。」

 そこへ、シンシアが戻って来た。

 シンシアは何も言わずに、冷たい水に浸した布でリディの患部を冷やした。何を言っても何ら変わらない事を悟り、自分がやるべき事に専念しているかのようだった。

 リディは、自分は幸福者だと思った。異国の地へ来て尚、自分のことを心配してくれる人がいる。

(人と人が一対一なら争いにならないものを、国家同士で友好関係を結ぶことは、こんなにも難しい。なぜ支配ではなく、協力しあって栄える道を選ばないのだろう?ましてや、そのために人間の命を犠牲にするなど、いくら国家とはいえ、そのような権利はないのに。)

 ハロルドは、二人の様子を見届け、リディの部屋を出た。

 丁度そこへ、レオンが戻って来た。

「リディの容態は、いかがです?」

「打撲のみで、特に大事には至らぬが・・・。アンドリュー様は、何と?」

「明日の儀式に障りがないなら、どうでもいいという感じでした。」

「皇太后陛下のことは?」

「やりたいようにさせておけ、と。皇太后陛下が何を言おうと、予定通り決行すると断言しました。傍で一部始終を聞いていたアランは、アンドリューに詰めよっていましたが。」

「私の妻もですよ。・・・不思議なものですな。偽物だったフィリシア様の方が、余程王女らしかった。リディ様は本物でありながら気取らない性格で、妻とも友人のように接しておられる。」

「リディは、王女として育てられていませんからね。無理に王女らしく振る舞おうとしていたフィリシアの方が王女らしかったのは、当り前かもしれません。ですが、」

 レオンは不意に立ち止まり、厳しい目付きをした。

「リディは本物のプラテアードの首長です。ジェードへ歯向かう様々な命令に、サインしてきた張本人なのです。」

 そう言うと、再び先に立って歩き出した。

 ハロルドは、手当ての時に初めて見た、リディの深い傷跡を思い出した。シンシアから聞かされていたとはいえ、衝撃を受けた。それに、あれだけの打撲を負いながら、大したことではないと笑う姿にも。

 ――― どうぞ、奥様に忠告を ―――

 その言葉を聞いた時に、ハロルドはリディの本質を垣間見た気がした。

 偽物とはいえ、フィリシアは素晴らしい女性だった。マリティムが惹かれるのも当然だと思った。偽物だろうと構わないから、陰の身としてでも、一生マリティムの心の支えになってほしいと願っていた。

 そして、思いがけず突然現れた本物の王女。伝説の革命家に育てられた、プラテアード王家の末裔。レオンに縛られた時、あれほど柔らかだった眼差しが、瞬時に鋭い刃を剥いた。

 ――― 私は、人質として捕えられた身 ―――

 シンシアはリディの事を「気の弱い街娘のようだ」と表現していたが、今はその考えを改めているだろう。

 ハロルドは深いため息をつきながら、窓越しに静かな夜の月を眺めた。

 

 まもなく、日付が変わる。


 ジェードの新たな歴史が、ついに幕を開けるのだ。

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