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第103話:戴冠式 -その2-

 アンドリューの苛立ちは、早朝に手渡された戴冠式の出席者リストを見た時から始まっていた。食後の紅茶を口にしながらリストを眺めていたが、1枚目の中盤で突如、形の良い眉を吊り上げたのである。

「これは一体、どういうことだ!」

 後ろに控えていたハロルド伯爵は、慌ててアンドリューが投げ捨てたリストを拾い上げた。

 アンドリューは手を振りかざした。

「アンテケルエラは国王夫妻のみの招待で、『出席できない場合は代理不要』とわざわざ書き添えたはずだ!それがなぜ、エストレイ王子が一人で来るんだ!?」

 遠巻きに見ていたレオンも、近づいて一緒に内容を確認する。

「アンテケルエラの国王の病状は、かなり深刻だと聞いている。王子が来るのは、当然だろう?」

 アンドリューは、机を拳で叩きつけた。

「エストレイだけは、駄目だ!すぐに、断りの電報を送ってくれ!」

 ハロルド伯爵は、落ち着いた口調で言った。

「戴冠式は明後日で、各王室の方々がヴェルデに到着するのは明日の午前中です。既に出発の準備をされている頃かと。」

「構うものか。一刻も早く!」

 アンドリューが感情的になる程、周囲は冷静になっていく。

「アンドリュー様。アンテケルエラとの関係は良好に保つ必要がございます。エストレマドゥラ王子とどのような事があったかは存じませんが、ここは御辛抱ください。国家の代表としてお祝いに来られる以上、お断りすることはできません。」

「アンドリュー、伯爵の言うとおりだ。どんな事情があるにせよ、拒否するのは得策ではない。客は多いのだから、謁見の間で挨拶さえしておけば、後は関わらなくても済むだろう?」

 アンドリューは、奥歯を噛みしめた。

 今回の事で、一番あってはならないと思っていたのが、リディとエストレイの体面だ。万一を考えてリディを一足先に王宮へ入れておいたが、実際にエストレイがこの王宮に入り込む以上、常に危険と隣り合わせになる。

 戴冠式前後は、大勢の人間が耐えず動き回る。街中の警備で軍は駆り出され、王宮の中の警護も厳重にはなるが、広すぎる敷地内には確実に死角が出る。

「・・・レオン。城の中の仲間を集めてくれ。早急にだ。」



 午後。

 アンドリューは、緊張した面持ちで顎を引き、部屋の扉を叩いた。

 そこは、皇太后アルティスの部屋である。

 アルティスがどれ程自分を疎ましく思っているか、痛いほどわかっている。できれば顔を合わせずに済ませたい。だが、ジェード王家の直系がアルティスしかいないとなれば、どうしても避けて通れない場面が度々訪れる。

 アルティスは、アンドリューの顔を直接見る事はしない。

 天蓋の向こうで、ベッドに入ったままアンドリューを迎える。

 今度は、どんな罵詈雑言が飛んでくるのか?

 アンドリューは心の準備をしてから、床に跪く。


「アンドリュー・プリフィカシオンです。」


 人払いは済んでいる。

 この部屋には、二人きりだ。

 暫くの沈黙の後、

「今日は、何用だ?」

 低い声が、アンドリューの耳に届いた。

 アンドリューは跪いたまま、言った。

「戴冠式の日に、もう一つ、儀式がございます。マリティムの御子の洗礼です。」

「・・・プラテアード王女の身代わりに捕えられた女が産んだそうだな?」

「はい。」

「それで?」

「洗礼に、立ち会われますか?」

 アルティスの息遣いが、変わった。

「・・・立ち会って欲しいのか?」

「はい。」

「お前は、ハロルドから聞いていないのか?私は、二度と」

「―――署名はしない、ということは聞いています。ただ、念のため確認しておきたかったのです。」

 ジェード王家の赤ん坊は、満月の夜に、神使の洗礼を受ける事になっている。

 深夜0時。神使2名、王族数名が、教会の最奥に設けられた吹き抜けの小さな空間に入る。丸いガラス張りの天井から降り注ぐ月の光で、額の紋章の有無を確認する。紋章の有無を認めた2枚の書類に、神使2名と王族2名の計4名が証人として署名を行い、それぞれの書類は、王室と教会の金庫に保管される。

 また、大勢の人間の前で大々的に行われる戴冠式とは別に、新国王の額に紋章があるかどうかを、やはり、神使と王族が確認し、署名する儀式がある。アンドリューも産まれてすぐ洗礼を受け、額に紋章が有る旨の書類は、勿論存在している。だが、国王に即位する時に再度確認されるというのだから、この大陸の裏紋章の存在が、どれだけ国の存亡を左右してきたか思い知らされる。

 今回は、それら二つの儀式が、同時に行われるのだ。

 アルティスは、冷たく言い放った。

「私は、お前の顔を見たくないのだ。それを我慢して一度だけ署名に応じた。マリティムのためにな。この先は、お前が一人で解決していかねばならない。私は引退した身。気にする事はない。その代り、頼ることも許さない。」

 アンドリューは頭を下げたまま、予想通りの答えに返す言葉もなく、部屋を出た。

 

 マリティムから受け継いだ金の鍵は、国王の執務室の机の鍵だ。そしてその机の中には、さらに部屋の何か所かに設けられた隠し扉の鍵が入っていた。特に書庫の奥に隠された大きな金庫の中には、国王のみが目にすることを赦される記録や書物が詰まっていた。

 アンドリューは、もう一度、儀式に関する書物を読み返した。

 そして、ある一文を何度も脳と喉の奥で反芻した後、決心した。

 アンドリューが歩けば、必ずレオンかハロルド伯爵がついてくる。今回は、レオンが城内の巡回に出ていたため、ハロルド伯爵が伴をした。

 アンドリューは、リディのいる部屋の前で立ち止まると、言った。

「俺はリディと二人で話をする。5分で済むから、シンシアと扉の外で待っていてくれ。」

「かしこまりました。」

 アンドリューはノックをすると、中の返事を待たずに扉を開けた。

 リディは窓辺で本を読んでいたが、ノックの音がするや否やすぐに立ち上がった。

 シンシアは家具を磨いていた手をとめ、ハロルド伯爵から目くばせをされ、すぐに部屋から出て行った。

 アンドリューは、客間の中央に置かれたテーブルにリディを招いて、向い合せに座った。

「何を・・・読んでいた?」

 何の話をされるのかと固唾を呑んでいたリディは、思いがけない問いに一瞬詰まりながらも、「経済論を・・・。すみません、立派な本棚があったので。」

「客用に置いてあるらしいが、装飾が立派だから飾りがわりだろう。本当に読む客は、きっと初めてだ。」

 アンドリューの目が優しく細められた様に見えて、リディは少し安堵した。何せ昨日の冷たい態度がまだ記憶に新しい。

「あの、」

 リディは気になっていた事を、思い切って口にした。

「昨日は、私の不注意で申し訳ありませんでした。身体を痛めてらっしゃいませんか?」

「・・・俺は軍人あがりだ。あの程度で、どうにかなる身体ではない。」

 そう言ったアンドリューの眼は、もう、冷たい光を帯びている。

 思わず俯いて、下唇を噛んだリディの頭上に、アンドリューの言葉が降ってきた。

「戴冠式当日、深夜から始まる教会の儀式に証人として立ち会ってもらいたい。」

「・・・え?」

「ヴェルデマールの洗礼を教会で行う。その後、新国王に即位する俺の額に紋章があるかどうか確認する儀式が行われる。その時、神使の外に、王族の証人が必要だ。」

 アンドリューは、儀式について簡単に手順を説明した。

 それを聞いたリディは、尋ねた。

「待ってください。私はジェード王家の人間ではありません。」

「儀式の記録によれば、子供の洗礼において、証人は通常、両親が務める。戴冠式では、王妃と皇太后、もしくは成人した王子や王女が務めている。だが、長い歴史の中では証人が一人だったり、異国の王族が務めていたこともあった様だ。そもそも王妃や皇太后は異国の血を継いでいることが多いのだし、ジェードの血縁である必要はない。手続きを記した書物も、何度も確認した。幸いリディの額には裏紋章があるから、王族であることは疑いがないし、神使も文句はつけられないはずだ。ヴェルデマールの証人は俺一人でも構わないが、俺の紋章の証人には流石になれないからな。」

 リディは二つ返事で承諾したかったが、自分の立場上、引き受けてもいいのか躊躇わずにはいられなかった。返事をしないリディに対し、アンドリューは言った。

「・・・まあ、今回は俺の方が分が悪い。俺は王室から離れていた分、異国に存在が知られていないばかりか、親戚の顔もわからない。唯一の肉親といえる母親は、俺の顔を見るのも拒否している。情けないが、頼めるのはリディしかいない。」

「プラテアード王家は、取り潰されているのですよ?」

「王家の血筋が確かなら、構わない。」

「・・・。」

 それでも考えあぐねているリディに、アンドリューは言った。

「金が欲しいか?」

「!どうして・・・!?」

 リディは「どうしてそういう事を言うの?」と言いそうになって、やめた。

 いい加減、アンドリューが何を考えて物を言っているのか、ちゃんと理解しなければいけない。

 そうだ、リディがアンドリューに対して何でも許して何でも言う通りにしてしまうのは、本来、あってはならない事だ。アンドリューとは、いつも、国の代表として物事を受け止めなくてはいけない。

 リディは覚悟を決めて、頷いた。

「証人になります。そのかわり、」

「そのかわり?」

「工場の権利が、欲しいです。」

「工場?」

 リディはいつも願っていて、でも叶わないだろうと諦めていた事を、思い切って口にした。

「プラテアードの3つの高山地帯に、それぞれお茶の製造工場がありますが、生産後はすべてジェードの物として売買されてしまいます。管理職は全員ジェード国民で、プラテアード国民を雀の涙ほどの給金で使い倒している。工場の権利も、生産物の権利も、何もかもが欲しいです。」

 アンドリューは、口端を引き締めた。

「すべて引き渡すのは構わないが、これまでと同等の品質を確保できると思うか?資金の管理も、製造技術の保持も、下働きしかして来なかったプラテアードの人間にできることではない。」

「では、プラテアード国民を教育してください。仕事を、きちんと教えてください。私達が自立できるように、育てて下さい。」

「教育費込みという訳か・・・。安くは無いな。」

「・・・。」

 欲張り過ぎだろうか。

 交渉は決裂だろうか。

 リディは、こういうところが自分の弱点だと思い知る。交渉慣れしていないから、加減がわからないのだ。どこまで強気に出ていいのか、どこまで譲歩していいのか、わからない。

 リディは息をするのも忘れて、アンドリューの答えを待つ。

 アンドリューは濃い睫毛を伏せがちにして暫く黙っていたが、やがて意を決したように立ち上がった。

「いいだろう。了承した。」

 リディが安堵の息を吐く。興奮しているせいか、思わず触れた頬が熱い。それに控え、アンドリューは何事もなかったように切り替えた。

「儀式は明後日の深夜0時。その2時間前に王宮を出発する。正装して、用意した馬車に乗ってくれ。細かい事はアランに伝えておく。」

 アンドリューは踵を返して出口へと歩き出した。白いシャツの陰影が、引き締まった背中を表していて、リディは思わず見とれてしまう。だが、その背に数えきれないほどの傷跡があることも、知っている。

 と、不意にその背中が動きをとめた。

 アンドリューは、肩越しに振り向く。

「リディ。」

「・・・はい。」

「エストレイが、戴冠式に出席する。」

「!!」

 全身に、緊張が走った。

 アンドリューの瞳に影が落ちる。

 だが、リディは、アンドリューが今どれだけ大変な状況にあるかわかっている。余計な気など、遣わせてはいけない。だから、俯きかけた顔をぐっと上に向けた。

「わかりました。祝いの席に水を差すような事はしません。」

「・・・戴冠式の後3日間、夜通しで舞踏会が開かれる。それが終われば客は全員帰る。それまでは、部屋から出たら、常にアランとシンシアと行動を共にすることだ。」

 アンドリューが部屋を出ると、そこにはハロルド伯爵とシンシアが待ち構えていた。夫婦の二人は雑談していた様な気配もなく、直立不動で立っている。本当に、二人には頭が下がる。

 アンドリューは、シンシアに声をかけた。

「ドレスの方は、間に合いそうか?」

「はい。明日の昼には完成します。」

「明日の午後10時、正面玄関に教会行きの馬車が連なる。3台目に俺が乗る。4台目の馬車に、リディを乗せてくれ。シンシアと、アランも一緒にな。」

「・・・・かしこまりました。」

「伯爵、次の準備がある。話しながら戻ろう。」

 シンシアは、夫と新国王の後ろ姿を見送りながら、思わず両手でスカートをギュッと握っていた。

 教会へ行くのは、極限られた要人だけだ。戴冠式前の重要な儀式があると聞いている。しかしその内容は、王族と神使しか見る事しかできないため、多くの者には謎のままだ。その重要な儀式に、植民地の小国の王女が立ち会うとは。

 明日の午前中から続々と到着する多くの国の姫君達は、ジェードの新国王が独身と知って、にわかに色めき立っていると噂で聞いた。だが、彼女達が逆立ちしても敵わない絶対的な地位を、既にリディは確立しているのだ。

(でも・・・。)

 シンシアが部屋の中に戻ると、リディは読書を続けていた。

「貪るように」というのは、まさにこういう状態を言うのだろう。本に書いてあることを余さず吸収しようとしているかの様に読み進めている。

 やはり、この女性は王女ではなく、国を率いる首長になるべく教育を受けてきた人なのだ。

 シンシアは邪魔にならない様、静かに隣の部屋へ移動すると、ドレスの本縫いの続きを始めた。


 夜の帳が下りた頃。

 シンシアがリディと談笑していると、突然、ノックの音と共にハロルド伯爵とレオンが中に入ってきた。

 シンシアは、二人の固い表情に「いきなり、何事ですか?」と尋ねた。

 レオンは縄を持っていて、「悪いな。」と言うなりリディの腕を掴み、後ろ手に縛り上げた。

 何が起こっているのか全く理解できないシンシアは、思わず夫のハロルド伯爵に向かって「突然、無礼な!!」と叫んだ。

 ハロルドは、リディの前に立つと、深くお辞儀をした。

「失礼をお赦しください。実は、皇太后陛下がお呼びなのです。」

「皇太后・・・?」

「明日、リディ様が教会の儀式に立ち会われる事をご報告したところ、陛下がリディ様と二人で話がしたいと御所望されまして。」

 その続きは、リディの後ろでレオンが説明した。

「まさか、植民地の革命家をそのまま皇太后陛下に会わせることはできないからな。こうして手が出せないように縛り上げたという訳だ。陛下の部屋についたら、両膝を着いた状態で両足首も縛らせてもらう。」

 反発したのは、シンシアだった。

「これではまるで、罪人ではありませんか!?」

「そのとおりです!」

 シンシアの問いに答えたのは、リディだった。

 リディは、下唇を噛みしめた。

「そのとおり。私は、人質として捕えられた身。・・・そのことを少し、忘れていたのかもしれません。」

 アンドリューは、これを許したのだろうか?

 シンシアは、公の場であることを承知しながら、夫の腕を掴んでゆすった。

「ここまでする必要がありますか?いくら皇太后様に合わせるからと言って、」

 ハロルドは、妻の問いに応える素振りも見せずに、シンシアが侍女としてついて行く事さえ制した。

 リディは、シンシアに「大丈夫ですから。」と言い、縄の端を持ったレオンの前に立って歩き出した。

  

 リディにとって皇太后の存在は、全く現実味のない相手だった。

 皇太后の部屋までの道のりは遠く、複数の建物を繋ぐ渡り廊下を数えきれないほど通り過ぎた。

 時折すれ違う使用人、貴族、軍人などの好奇の目にさらされながら、リディは唯ひたすらに前だけを見て歩く。

 皇太后から、何を言われるのか?いや、言われるだけで済む話ではないかもしれない。色々なシミュレーションを思い描くが、すべてが徒労に終わる気がして、考えることをやめた。

 ――― 目の前に起こる事象は、必ず己にとって意味がある。その事を忘れなければ、何も恐れる必要はない ―――

 昔、父アドルフォから何度も聞いた教え。

 それを拠り所に、リディは今までも危機を乗り越えてきた。

 (大丈夫。)

 リディは父の言葉を胸に、深呼吸をして皇太后の部屋の前に立った。


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