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第102話:戴冠式 -その1-

 フィリグラーナが処刑された夜、マリティムの葬儀が厳かに執り行われた。

 しかし、王妃に殺されたという忌まわしい死の原因から、参列者は極限られ、護衛はヴェルデ街外れの埋葬場所まで近衛小隊が率いるのみ――― 。

 民衆が戸外でその様子を見送ることも制限され、ヴェルデ市民は各家の窓から葬儀の列に向かって祈りを捧げる事しかできない。

 マチオは、まだ癒えぬ足のまま、箪笥の奥にしまっておいた軍服を取り出し、家の中で正装して、国王を見送る準備を整えた。

 リディは、ヴェルデマールをフィゲラスに預けた。

「葬儀の列が通るのは鐘の音でわかるから、その時は窓の外を見せてあげてほしい。目の前の通りに来るかはわからないけれど、それでも・・・。」

 フィゲラスは、温かな赤ん坊の身体を抱きしめ、頷いた。

 ヴェルデマールには、まだ、父親が亡くなった事は理解できない。しかし、その最期だけは、せめて窓越しにでも見せておきたかった。

 マリティムにとって、リディは最たる敵。祈りを捧げられることなど、決して望んでいないだろう。

 (せめても)と、リディは黒いリボンを首にかけて、胸の前で指を組んだ。

 それは、マリティムだけでなく、フィリグラーナやフィリシア、そしてジェリオへの鎮魂の祈りでもあった。

 葬列の鐘の音は、冴えた音色で、ヴェルデの夜を通り抜けて行った。



 翌朝。

 郵便受けから投げ込まれた新聞の一面に、新国王の即位が告知されていた。

 フィゲラスは、新聞を朝食の席に持ち込み、マチオとリディに見せた。

 そこには、アンドリューの写真が大きく載っていた。

 モノクロームの写真であっても、その髪の輝きから、かつらを被ってはおらず、素のままのアンドリューであることがわかる。

 リディが、記事そのものより、アンドリューの写真だけを食い入るように見つめているため、フィゲラスは思わず「後で差し上げますから。」と囁いてしまった。

 これで、大陸全土にアンドリューの存在が伝わった事になる。

 同時に、大陸各国の王室へ、戴冠式の招待状が送付された。

 国境閉鎖が解かれ、いよいよ、新国王の時代が始まるのだ。


 ヴェルデの街は、一気にお祭りムードに包まれた。


 アンドリューは、リディの迎えは「戴冠式の前日」と話していたが、実際はそれよりも早かった。

 マチオの薬局を見張っていた不審な軍人達は、マリティムの葬儀の前には完全に姿を消していた。一応は安心してもよいということなのか、アランを乗せた馬車は、薬局の表玄関に堂々と止まった。

 ジャックが御者を務め、薬局の扉を叩いたのもジャックだった。

「マチオ爺さん、アンドリューからの伝言だ。予定より三日早いが、他の国の王族が到着する前にリディを王宮に入れたい。荷物は何も要らない。すぐに馬車へ乗ってくれ。」

 リディは、ヴェルデマールを絹のおくるみに包んで胸に抱き、足早に馬車に乗った。中で待機していたアランは、リディと頬を寄せ合って再会を喜んだ。続いて、まだ傷の癒えぬマチオがジャックに背負われて馬車に乗せられた。

 ジャックは、不安を拭いきれないフィゲラスに「三日に一度は様子を見に来ますから。俺は隠し通路を使うんで、誰が来ても玄関は絶対に開けてはだめですよ。」と念を押した。

「例の荒くれ隊長達はいなくなったようですが、それでも、用心が必要ですか。」

「油断は禁物です。敵の正体がわからないのですから。・・・いいですね?」

 ジャックは重い身体とは思えない程軽々と御者台に飛び乗ると、すぐに鞭を打って走り出した。


 王宮の裏口で待っていたのは、ハロルド伯爵の妻、シンシアだった。

 褪せた深緑の飾り気のないドレスを着た、亜麻色のひっつめ髪の伯爵夫人は、腰から90度に上半身を倒した状態で、リディに挨拶をした。

 「お初にお目にかかります。ハロルド伯爵が妻、シンシアと申します。アンドリュー様から、リディ様の侍女を仰せつかりました。何なりと、お申し付け下さいませ。」

 リディは、驚いて何と言っていいかわからなかった。

 侍女など、自分には縁のない存在だったからだ。

 アランは、にこにこしているばかりで、どうしたらいいか、教えてはくれない。

 リディはヴェルデマールを抱いたまま、とりあえず「頭を上げて下さい。」と言った。

 シンシアは身体を起こしたものの、視線は落としたままだ。

 リディは、言った。

「私は、侍女を持つような身分の者ではありません。アンドリューはおそらく、私が城の中で困らないように、あなたを付けてくれたのだとは思いますが、私に頭を下げるような事は、なさらないでください。」

 シンシアは、恐る恐る、視線を上げた。

 そこにいたのは、栗色の髪を藍色のハンカチで一つに結わえた、薄化粧の女性だった。抱いている赤ん坊の身に付けている物や、包んでいる布の上等さが、異様に目立つ。夫のハロルドから「子連れ」とは聞いたが、詳しい事は聞いていない。

(これが、あの伝説のアドルフォの娘・・?賞金首にまでなった、革命家?まさか・・・。)

 だが、シンシアは戸惑いを顔に出すような事はしない。

 冷静に、両腕を差し伸べた。

「まずは、御子様をお預かりします。腕がお疲れでしょう?」

「この子は、どうなるのです?」

「アンドリュー様のもとへお連れするように言われています。」

「・・・そう、ですか。」

 つまり、ヴェルデマールとはここでお別れなのだ。

 わかってはいるが、それは、やはり寂しい。

「部屋に着くまでは、私に抱かせてください。」

 その子は、あなたの御子ではないのですか?と、喉まで出かかった疑問を、シンシアは懸命に呑みこむ。

 アランは、リディの横にぴったりと寄り添い、リディは、足の悪いアランの速度に合わせて歩き出す。その様子があまりにも自然で、二人がずっと知り合いであることを示していた。そればかりか、アランは時折リディに耳打ちし、リディは頷いたり、小さく笑みを浮かべたりしている。

 シンシアは、ここでも込み上げる疑問を必死に押しつぶし、ひたすら前だけを向いて二人に付き従った。

 今回リディに用意された部屋は、客間の中でも「客の侍従や侍女」が使うカテゴリーの一角にあった。それは、一応客扱いはするが、あくまで「ジェードの植民地」である国の代表に過ぎないことを示している。

 アランは、部屋の前に辿り着くと、恭しく頭を下げた。

「僕は仕事がありますので、失礼します。」

「アランは、アンドリューの仕事をお手伝いしているのね。」

「でも、リディがいる間は、隣の部屋に寝泊まりしますよ。逆サイドには伯爵夫人が。どちらかは、必ず待機しているので、御用の際は呼び鈴を鳴らしてください。」

「アラン・・・!」

 アランはリディの戸惑いを察して、にっこりと微笑んだ。

「戴冠式まで、ゆっくりしてください。ただし、部屋からは出てはだめですよ。出る時は、必ず僕と伯爵夫人と一緒に、ね?」

 シンシアは、リディからヴェルデマールを受け取り、腕の中に納めた。と、次の瞬間には、赤ん坊は身体をのけ反らせてぐずりだした。ヴェルデマールは小さな手を精一杯リディの方にのばして、泣きわめいた。

 これには、敵わない。

 リディはもう一度ヴェルデマールを自分の腕に戻した。赤ん坊は現金なもので、ぴたりと泣き止む。

 リディは「後で眠っている間に移動させて方がいいのでは?」と提案した。

 シンシアは、言いつけどおりに出来なかった事に納得ができなかったが、従うしかなかった。

 「アンドリューの所へ報告に行く」と言ってシンシアがその場を離れ、部屋に取り残されたリディは、とりあえずヴェルデマールを寝かしつけようと、身体を軽く揺らしながら歩き回った。

 広い客間と、続き部屋になっている隣の寝室にはバスルームがついている。どこもかしこも金が用いられている事に驚いた。壁紙は淡いピンクで、金のストライプと蔦模様が画かれている。

 マホガニーの猫足のテーブルに、絹張りのチェア、ゴブラン織りのクッション。

 リディが書物の中でしか聞いた事のない、贅沢品ばかりが散りばめられている。

 身の置き場がない、とは、こういうことだ。

 どこに座っていいのか、見当もつかない。

 しばらくすると、扉をノックする音が聞こえた。リディが思わず「はい!」と返事をすると、シンシアが入ってきた。

「お待たせいたしました。御子様はどうです?眠れそうですか?」

「お腹がすいているのかもしれません。」

「調度、お茶の支度をしようと思っていました。ミルクもございますから、軽く温めましょう。」

「それぐらいは自分でやります。伯爵夫人は、どうぞお休みになってください。」

 するとシンシアはリディの正面に立ち、下腹部に両手をきっちりと重ね、背筋を伸ばした。

「リディ様。私は、プラテアード国の王女様に仕える用、アンドリュー様から仰せつかっているのです。私には、王女様に相応しいお時間をお過ごし頂くため、誠心誠意尽くす心づもりがございます。どうか、お気遣いなさいませんように。」

「ですが、私は、身の回りの事は自分でやるのが当然と育てられてきたのです。それに、」

 リディは、シンシアの真摯な思いを汲み、あえていう事にした。

「私がどういう立場か、よく御存知でしょう?」

「・・・それは、」

「ジェードの敵です。きっと、御主人の伯爵も、奥様の身を案じているのではありませんか?」

「夫は、マリティム陛下の忠臣であり、現在はアンドリュー様の忠臣です。アンドリュー様の頼みとあらば、喜んで引き受けます。妻の私とて、同じ思いです。例え何があろうとも、それは受け入れなければならないことなのです。」

 リディは、下唇を噛んだ。

「アンドリューに、伝えてください。侍女は、身に余ると。」

「・・・かしこまりました。リディ様には、私を解任する自由がございます。」

「解任ではありません。そんな言い方をしては・・!」

 そんな言い方をしたら、伯爵夫人はアンドリューから「役立たず」の烙印を押されてしまう。何を言われようと耐え忍んで、傍に仕えろと言われているだろうに。

 リディは肩を落として、深く息を吐いた。

「失礼な事を申し上げました。申し訳ありません。」

「いいえ、そんな・・・。」

「でも、私は侍女に対してどう接したらよいか本当にわからないので、何か見当違いの事をするかもしれません。」

「どうぞ、お気の召すままに。それに応えるのが、侍女の役目でございますから。」

 そういうと、シンシアは黙々と銀の食器を並べ始めた。そして紅茶に合わせるために用意してあったミルクを湯煎にかけ、清潔なガーゼをミルクに浸し、リディに手渡す。

 リディは柔らかなソファに座り、腕の中のヴェルデマールの口元にガーゼをあてあがった。その間にシンシアは、リディのための紅茶をいれる。

 お腹が満たされたヴェルデマールが微睡むまでに、そう時間はかからなかった。リディはヴェルデマールを隣のベッドルームにそっと寝かせると、客間に戻った。

 ぴったりのタイミングで、リディが今まで嗅いだことのない優雅な香りの紅茶に、レモンのコンフィチュールが添えられる。

 コンフィチュールを溶かしこんだ紅茶は、爽やかな酸味と優しい甘さで、初めて体験する極上の味だった。

「おいしい・・・!」

 思わず、感嘆の声が漏れる。

 シンシアは、安堵の表情を浮かべた。「こちらも、是非お召し上がりください。」すすめられたのは、バターをたっぷりつかった焼き菓子。一口噛めば、さらりとほどけ、舌の上でとけていく。

「この甘さは蜂蜜?」

「砂糖でございますよ。よろしければ、ドライフルーツと洋酒のシロップを染み込ませたものもございます。」

 リディは、声を出さずに唸ってしまった。

 10年前にジェードに潜伏はしていたが、王族や貴族の暮らしぶりを窺う機会はなかった。街中のコンフィズリーで買い物はしたが、小さな砂糖菓子を買うだけで精一杯だった。こんな贅沢な焼菓子は、プラテアードでは、到底作れない。材料がない。バターも卵も、洋酒も、作っても全てジェードに持って行かれるからだ。白砂糖など、精製工場さえない。菓子といえるものがあるとすれば、とうもろこし粉を水で薄く溶いて焼いた生地に、楓蜜メープルシロップを塗ったものぐらい。それでも、かなり贅沢品といえる。

 リディは国を導く者として、国民の暮らしを少しでも豊かにしたいと考え、手を尽くしてきたつもりだった。しかし、これは夢の次元だ。アンドリューと見つけた洞窟の何もかもをプラテアードの財産にできたとしても、敵わないかもしれない。

 肩を落としたリディの胸中を知ってか知らずか、シンシアは言った。

「お茶の後、ドレスの試着をしていただけますか?」

「ドレス?」

「戴冠式でお召しになるドレスです。仮縫いの状態なので、身体に合わせて調整させていただきたいのです。」

「仕立て屋さんがいらっしゃるのですか?」

「いいえ。僭越ながら私が作っております。」

 シンシアは、アンドリューから言われたとおり、口の堅い宝飾屋は見つけられたが、口の堅い仕立て屋は見つけられなかった。客と会話をしながら服を仕立てていく彼らは、根っからのお喋りが多い。幸い、シンシアのドレスはいつも手製で、腕には自信があった。

 リディは、ベッドルーム隅の衝立内に備え付けられた大きな姿見の前にとおされた。

 シンシアは、コルセットや下着を手にして、リディの着替えを手伝おうとした。

 リディは、慌てて首を振った。

「いえ、自分で着られますから、着たら呼びますから。」

 赤くなって狼狽えるリディに、シンシアは厳しい口調で言った。

「コルセットを、御自分で整えられるのですか?」

 リディにとって、コルセットは童話のお姫様の身に付ける物だった。侍女が腰を細く縛るため、紐を力いっぱい引っ張る絵を見た事はあるが・・・まさか、それが自分の身にふりかかるとは。それに、シンシアは両手一杯の白いパニエや絹の靴下を抱えている。リディには、完全に未知の世界だ。

「では・・・服を脱ぐまで、部屋から出ていてください。」

 耳まで赤くなって恥じらうリディを見て、本当に「王女」らしいところが皆無だと思った。これでは、平民の娘と変わらない。

 3分程してシンシアがベッドルームに入ると、リディは下着にショールを羽織り、両手を胸の前で交差させて、上腕を押さえていた。その不自然な恰好にシンシアが怪訝な表情を浮かべると、リディは言った。

「この先、・・・伯爵夫人に隠し通せはしないでしょうから、」

「?」

「私の片方の上腕には、深い傷があります。毒に侵された患部を焼き切ったため、窪んで皮膚が攣れていて、とても正視できる見目ではありません。これからショールを外しますが、心の準備をなさってください。包帯をいただければ、それで縛ります。」

 シンシアは、ハッとした。

 アンドリューがドレスのデザインについて、一点だけ付けた注文、「袖があること」。

 肩から背中を大胆に見せるドレスや、オーガンジーやレースの透けた袖が流行している中、パフスリーブの袖をつけるのは、かなり野暮ったかった。しかし、それはこの傷を隠すため。そしてアンドリューは、リディの傷を知っていたという事になる。

「・・お気遣いありがとうございます。ですが私は、戦争で傷を負った夫の看病をしたこともありますから、大丈夫です。」

 リディは頷き、遠慮がちにショールを床へ落した。

 白い肌に、突如現れる薄桃色と赤黒い窪んだ傷跡。縫った後も残る。

 リディとて、他人に見られたくないだろうと、シンシアはできるだけ視線を外しながら、リディの背面からコルセットを巻きつけた。

 リディの身体は細いが、首から肩にかけて鍛えられた筋肉が控えめに盛り上がっていた。普通の女性とは明らかに違い、肩幅が広い。引き締まった背中を辿ると、その腰はあまりに細くて、紐でしばりあげる余地などないことに、シンシアは思わず感嘆の声をあげた。一方、コルセットで整えた胸元にはふっくらときれいな谷間が生まれ、鎖骨から胸元まで大胆に開いた襟元が、女性らしさを醸しだした。パニエで膨らんだスカートの流れるようなラインも、溜息が出るほど美しい。

「大変、お似合いです。」

 シンシアは、お世辞が言えない。それは、心からの賛辞だった。

 リディも、こんなドレスを着た事も、褒められたこともなかったため、何と言えばいいかわからず、頬を染めてはにかんだ。

 と、そこへ。

 

 コン、コン


 客間のドアがノックされた。

「どなたでしょう?」

 シンシアはそう言って、ベッドルームから出て行く。

 客間の扉は、シンシアの返事と共に、無遠慮に開かれた。

「これは・・・!」

 現れたのは、アンドリューだった。後ろに、レオンが付き従えている。

「・・・赤ん坊は?」

「御子様は今、ベッドルームでお休みです。」

「そうか。俺が抱いて連れて行く。案内してくれ。」

 シンシアは、慌てた。

「ベッドルームには、リディ様が・・・。」

「リディは、寝ているのか?」

「いえ。今、ドレスの試着を・・・。」

「じゃあ、問題ないだろう。」

 シンシアの戸惑いなど構わず、アンドリューはどんどん客間の奥へ進んでくる。

 シンシアは走ってベッドルームの前に立ちはだかり、両腕を広げた。

「アンドリュー様!いかに国王陛下でも、未婚の女性のベッドルームに入ることは御遠慮いただきます。」

 思いがけず厳しい口調で窘められ、驚いているアンドリューを見て、レオンが喉の奥でクックッと音をたてないように笑う。


「伯爵夫人、どうしました?」

 ベッドルームのドアが開き、そこから顔をのぞかせたリディは、思いがけず―――、というより、この城で自分を訪ねて来る人間は限られているのだから、驚くほどのことではないのだが―――、アンドリューが立っていることに、眼を見開いて息を呑んだ。

 それは、アンドリューも同じだった。

 裾に銀糸の繊細な刺繍をあしらった濃紺のドレス。化粧っ気もなく、栗色の髪も束ねたままではあるが――― 

 アンドリューは思わず、リディから視線を外した。

 アンドリューが横を向いてしまったことに、リディの瞳は見る間に曇った。

 それを見たレオンは、笑ってなどいられなかった。リディとアンドリューが自分の知らないところでずっと繋がっていたことも許せないし、今回、リディを城へ招いた事も良くは思っていない。新聞記者としてリディをメッセンジャーボーイとして雇い、一緒に過ごした時間は本当に楽しかった。しかし、それは、互いの身分を知らなかった時の話だ。アランの様に、昔と変わらぬ懐き方はできない。そしてアンドリューは、昔よりも今の方が、ずっとリディと近しくなっている。それは、由々しき事態だ。

 レオンは咳払いをすると、「アンドリュー様は、御子様を引き取りに来たのです。」と、誰に向かって言うでもなく、口を動かした。

 リディはその時、初めてレオンと再会したことを意識した。少し緊張を緩めて声をかけたいと思ったが、レオンはリディを見もしなかった。リディが、あの「リディ」であることを、知らないはずはないのに。

 リディは浮かれた心を静めて俯いた。

「今、お連れします。」

 リディはたっぷりとしたドレープを翻すと、ベッドであどけなく眠るヴェルデマールをそっと抱き上げ、胸に抱いてアンドリューの下へ歩み寄ろうとした。

 が。


「きゃん・・っ!」


 リディが考えている以上にドレスの裾は長かった。

 両手が塞がってスカートを持ち上げる事がないまま歩けば、どうなるか容易に想像がつく。

 リディは前に倒れながらも、ヴェルデマールだけは守らねばという本能が働き、背中から床に倒れるよう、とっさに身体を捻った。


 「!!」


 目を開けた瞬間は、何が起こっているのか理解できなかった。

 が、自分の身体に覚悟していたような痛みがないことに気付く。


「・・・ヴェルデマールに何かあったら、打ち首ではすまないぞ。」


 後ろから声がして、驚いて横を向くと、リディを抱きかかえるようにアンドリューが下敷きになって床に倒れ込んでいるのがわかった。


 「アンドリュー!」

 「リディ様!」


 レオンとシンシアが、慌てて駆け寄る。

 ヴェルデマールは衝撃のおかげで、すっかり目を覚まして激しく泣いていた。

 リディはシンシアにヴェルデマールを預けると、床に手をついて立ち上がった。

 アンドリューも、レオンに手をとられて立ち上がる。

「無茶はやめてくれ。どこか、打っていないか?」

「俺は大丈夫だ。」

 アンドリューは、何事もなかったようにシンシアに近付き、ヴェルデマールを受け取った。

「ごめんなさい。」

 リディが謝罪すると、アンドリューは冷たい口調で言った。

「偶発的であっても、ヴェルデマールが死ねば都合がいいものな。」

「・・・!そんな!」

 リディが顔をあげても、アンドリューの視線は別の方向を向いている。

「ヴェルデマールはリディになついていた様だが、それも忘れさせねばならない。将来、恩を売られたりしては、厄介だ。」

 リディとしては、もちろん純粋にヴェルデマールの面倒を見ていた。他でもないアンドリューから託されたからだ。

 しかし、アンドリューにとったら、それはリディの恋心を利用していただけなのかもしれない。過呼吸の介抱をしてくれたのも、すべてはヴェルデマールの安全を保障するための演技だったのかもしれない。

 ドレス姿のまま立ち尽くしたリディは、傍から見ればどれ程惨めな様子だったろう。

 アンドリューはレオンと共に、部屋から立ち去ろうとした。

 シンシアは、次期国王の見送りは必要と考え、そそくさと出口まで追う。

 アンドリューはレオンを先に部屋から出し、廊下に出る手前で立ち止まると、シンシアに言った。

「リディのドレスだが、もっと露出を少なくしてくれ。」

 まさか、ドレスの話をされるとは思っていなかったシンシアは驚いた。が、

「あれ以上肌を覆うと、私のような年配の女性のようになってしまいます。さらに流行からかけ離れて、他国の御姫様達の笑いものになりかねません。」

「そんなことは、どうでもいい。笑い者?植民地の王女には、それもいいだろう。」

 シンシアは、扉の閉まる音を聞いて、溜息を吐いた。

 ベッドルームに戻ると、リディはドレスを脱ぎ、コルセットも外そうと、懸命に後ろ手に紐をほどこうとしているところだった。

「リディ様。私がやりますから、」

 リディは大人しく、シンシアに背中を預けた。

 シンシアは、リディの右肩を見て、思わず声をあげた。

「リディ様、痣ができていますよ。先ほどの・・・。」

 アンドリューは、ヴェルデマールの頭があったリディの左側から回り込み、下敷きになった。リディの右肩は、床に直接打ち付けられていたのだ。

「・・・これぐらい、何ともありません。それに、ドレスを着ていれば見えないでしょう?」

「そうかもしれませんが、」

「痣なんて、放っておけば治ります。気にしないでください。」

 そう言って、少しだけシンシアの方を振り返ったリディの頬が濡れていた気がして、シンシアはドキリとした。

 リディは再び正面を向いてしまったため、シンシアはそれ以上確認のしようがなかった。



 その日の夜、シンシアは夫のハロルド伯爵と、情報交換をした。

 リディの状況は、シンシアからハロルド伯爵に伝わり、ハロルド伯爵からアンドリューに報告される。

 シンシアは、リディについて「王女様らしくもないし、ましてや革命家として賞金首になっていたような恐ろしさもないし、どちらかというと気の弱い街娘のようだ。」と表現した。

「ジェードにいる間は大人しく振る舞って、国に戻れば本性を現すのだろう。」

 夫の言葉に、シンシアは小さく首をかしげた。

「そうなのかしらねぇ。」

「とにかく、少しの辛抱だ。もし危険な目に遭いそうになったら、逃げて構わない。私は、いつでもシンシアの命の方が大切だと思っているからね。」

「もう、二度とあなたに恥はかかせられません。大丈夫。あの王女様なら、うまくやっていけそうな気がするの。」

「ほう。人見知りのシンシアにしては、珍しいね。」

 ハロルドは、嬉しそうに眼を細めた。

「アンドリュー様は、リディ様に対して、かなり厳しい態度で接していらしたの。敵同然の方だから、当然といえば当然なのだけれど・・・。」

 シンシアは、眼の裏に焼き付いているリディの表情を思い返した。

 アンドリューを見て驚きながらも頬を輝かせたリディ。

 しかし、その後、アンドリューの言葉によってみるみる表情を曇らせ、あまつさえ涙さえみせたリディ。

 人嫌いは、裏を返せば人の感情に敏感である証拠だ。シンシアも、ハロルド以外眼中に無い青春を送ってきたため、恋愛経験は一度きりだったが、年齢を重ねたこともあり、他人の男女の機微には決して疎くない。


(そう。リディ様は、アンドリュー様を・・・。)

 

 さらに、アンドリューの態度も、ひっかかる。

 本当に赤ん坊だけ守りたいなら、倒れかけたリディの腕から赤ん坊だけ抱き止めるとか、受け取るとか、別の方法も可能だった気がする。それが、リディの身体ごと受け止めて、床に倒れた。大きな音がした。アンドリューは平静を装ってはいたが、やはり痣の一つや二つできているはずだ。

 そして。

――― 露出を少なくしてくれ ―――

 他人からどういわれようと構わないとか言うなら、それこそ露出が多かろうと少なかろうと、どうだっていいはずだ。

 シンシアにはアンドリューのセリフが、まるで妻の身体を他の男の目にさらしたくない夫のそれに聞こえて仕方がなかった。


 リディが寝静まったのを確認してから、シンシアは、隣の部屋に運ばせた足踏みミシンでドレスの本縫いにとりかかった。

 アンドリューの注文通り「露出を少なく」するが、リディが他国の王女達から笑われるのは嫌だった。

 そんなデザインを試行錯誤する時間は、シンシアにとって、思いがけず楽しい時間だった。



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