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第100話:皇太后アルティス

 今まで陰の身だったアンドリューが表舞台で指揮をとるという事には、いくら次期国王の椅子が約束されていても、困難が付きまとった。

 アンドリューの存在を知らなかった国家の中枢を担う役職にある者達の視線は冷たく、常に針の筵にいる気分だった。信頼を得るためには、一つの失敗も許されない。国王の執務については、ハロルド伯爵とアランの助けを得ながら嵐の様な勢いで処理し、国家を動かす一つひとつの判断に、神経が磨り減る思いを繰り返す。

 エンバハダハウス時代の側近が城の中に入ったことで、精神的に少し楽になったが、アンドリューはここで最初の山場を迎える事になった。

 それは、ジェード国王マリティムを殺害した王妃フィリグラーナの処遇についてである。

 国家の規則で、王族の処刑には、時の最高権力者の許可が必要となる。

 アンドリューはまだ国王に即位していないため、現在の最高権力者は、皇太后の身分を持つ母、アルティスということになる。夫が亡くなってマリティムの代になってからは、表舞台から完全に姿を消していたが、マリティム亡き今、真の権力は皇太后にある。

 「断る。」

 アルティスは、フィリグラーナ処刑の許可を拒否した。

 大臣や貴族、神使達要職が集まる審議の席につく事さえ、受け付けなかった。

 最も信頼の厚いハロルド伯爵が言葉を尽くして説得に努めても、その意志は固かった。

 「皇太后という身分だけ与えて、隠居生活よろしく公の会議になど絶対に出席させなかったくせに、今になって私を都合よく扱おうというのか?」

「しかし、マリティム陛下が亡くなった事実を国民に公表しないわけには参りません。その理由も然りです。陛下は、王妃様に殺されたのです。その王妃様を裁く権限はアルティス様にしかないのです!」

 アルティスは、ウェーブがかった髪を振り乱して、腕をかざした。

「アンドリューがフィリグラーナをそそのかしたのだ!私に裁く権限があるというなら、アンドリューも裁いてよいのだろうな!?」

「何をおっしゃいますか!マリティム陛下が亡くなられて、アンドリュー様は私達と同じか、それ以上に心を痛めておられます。」

「腹の中までわかるものか。アンドリューは、国王の座を虎視眈々と狙っていたに違いない。一度、死んだと聞いたのに、しぶとく生きていた。そうやって、我々の目を欺く術を着々と身に付けてきたのだ。忌々しい!」

「すべては我が国家のためです!強国の国王を殺した王妃を裁かず放置することなど許されませぬ。アルティス様も、そのようなこと百も御承知のはず!!」

「知るか!私は所詮、表舞台から姿を消して世間から忘れ去られた身。その私に死刑の署名だけさせようなどと、虫がよすぎる!」

「前国王陛下亡き後のアルティス様の扱いについては、確かに眼に余るものがございました。アンドリュー様御即位の後には、改善するよう申し伝えます。ですから、」

「アンドリューなど、当てになるか?あれは、ジェードの疫病神だ。あれさえいなければ、マリティムは殺されずに済んだのだ!」

「アルティス様、それは違います!!」

「ああ!何と言われようと、私は署名などしない!アンドリューの思い通りになど、誰が動くものか!何をしようと、どうせ大切なマリティムは生き返らない。ならば私は、これまでどおり何もせぬ!!」


 アンドリューは息を凝らしながら、隣室で、アルティスとハロルドのやり取りを全て聞いていた。 

 ハロルドがアルティスの部屋を出た扉の音を合図に、二人は国王の執務室で落ち会った。

「アルティス様を説得できず、申し訳ございません。」

 深く頭を下げるハロルドの肩を、アンドリューは優しく支えた。

「謝る必要はない。皇太后にとって、俺は赤の他人と同じなのだ。大事なマリティムを失った以上、他の誰をも受け入れられないのだろう。・・・理屈に合わない言い訳も、裏を返せば筋が通る。」

「いかがなさいますか?もう、私の力では、とても・・・。」

「伯爵が駄目なら、他の誰の言う事も聞くまい。即位の前に綺麗に形を付けておきたがったが・・・仕方がない。フィリグラーナの処刑は、俺が即位してから決行する。」

「国民への発表はどうなさいますか?プリメール国への通達の事もありますし。」

「処刑の決行延期以外は、予定通り進める。先ずはマリティムの葬儀だ。これ以上世間に隠し通すことはできない。」

 アンドリューは執務机に向かうと、万年筆の先をインク壺に浸しながら、言った。

「伯爵、アランを呼んで欲しい。それから3時間後に会議を開く。メンバーの招集を頼む。」

「かしこまりました。」

 ハロルドは部屋を出ると、髭の下で小さく溜息を吐いた。

 ――― あれは、ジェードの疫病神だ! ―――

 いくら何でも、アルティスの、あのようなセリフを、アンドリューに聞かせたくはなかった。

 ハロルドは、アンドリューが産まれた後、ほどなく城から余所へ追いやられた時のアルティスを記憶している。跡目争いを避けるためとは言うが、アルティスのアンドリューに対する嫌悪感は異常な程だった。それが28年経った今でも変わらないのだ。

 ハロルドはアンドリューに同情し、出来る限り力になりたいと考えている。だが、アンドリューには秘密が多すぎて、全面的に信頼するには至らない。

 これまで見る限り、マリティムとアンドリューの共通点は少ない。

 マリティムは、表向きはあくまで物腰が柔らかく、男女問わず丁寧な対応を心掛けていた。その裏に、どんなに非情な性格を隠していたか―――、おそらく王妃でさえ気付いていなかったろう。

 それに引き換え、アンドリューは表も裏もなく、基本的に人嫌いである。育ちが育ちだし、九死に一生を得るような拷問を受けたと聞いているから、当然だとは思う。特に近くに置く人間は慎重に厳選している。そのアンドリューが、唯一気に掛ける女性がプラテアードの王女だ。ハロルドは偽の王女フィリシアは、好ましく思っていた。レオンが、「もしかしたら本物以上」と言った程の女性だった。しかし、アンドリューが後にも先にも気に掛けるのは、本物の王女の事のみ。ジェードからの独立を目論む、最たる敵のはずだ。本当は、妻のシンシアを侍女にする事にも不安を禁じ得ない。

 ハロルドは、アランを呼びに行った時、思わず尋ねていた。

「アラン殿は、プラテアードの本物の王女を御存知ですね?」

 アランは、少し間を置いてから頷いた。

「はい。10年程前に出会いました。」

「アンドリュー様が、相当、気に掛けておられる様子で。」

「・・・一言では説明できない繋がりがありますから。」

「敵国の革命家と、ですか?」

 アランは、ハロルドの顔を正面から凝視して、言った。

「伯爵がおっしゃりたい事は、わかりますが・・・これだけ、知っておいてください。リディがいなければ、僕は生きていません。アンドリュー様がいなければ、リディは死んでいましたし、リディがいなければ、アンドリュー様は死んでいました。」

 二の句が告げないハロルドに、アランは頭を下げ、その場を去った。

 

 

 国王崩御の知らせを公表する前夜。

 アンドリューは、フィリグラーナが軟禁されている部屋を訪れた。

 部屋の外にはレオンが監視役で立っていた。

 アンドリューが一人で中に入ろうとすると、レオンは「危険だ。」と言って、一緒に中に入った。

 フィリグラーナは水色の部屋着を身に纏い、退屈そうに窓の外を眺めていた。

 月は雲に隠れ、雲の間から一等星の光だけが垣間見えている。

 アンドリューの姿を見ると、フィリグラーナは喜んで駆け寄ろうとした。が、アンドリューの緊張した面持ちと声で、それは制止された。

「明日、ジェード国王が王妃によって殺害されたことを公表する。」

「・・・。」

「そなたは、公表と同時に、中央広場に晒し者になる。期間は2日間。その後は投獄され、処刑される。」

 フィリグラーナは、アンドリューの言葉を理解できないというように、首を振った。手入れが成されず、艶を失った長い髪が、重たげに揺れる。

「私が、晒し者?投獄・・・?何をおっしゃっているのです?」

「理解できないなら、それで構わない。ここに黒い服を置いておく。着替えて迎えを待て。」

 アンドリューが踵を返すと、その背に向かってフィリグラーナは叫んだ。

「私は・・・!私は、あなたと、この国を繁栄させるために、マリティム陛下を亡き者にしたのです!その私を追い出して、あなたは、誰とこの国を率いて行くのですか!?」

 アンドリューは振り向く事はなく、部屋の扉を開けた。

「アンドリュー!・・・答えなさい、アンドリュー!!」

 外に出ると、アンドリューは、レオンに言った。

「すぐ着替えさせろ。そして自害しないよう、猿轡を噛ませ、手足を縛れ。」

「・・・わかった。他に、何かあるか?」

「いや。大丈夫だ。」

 颯爽と立ち去るアンドリューの背中を見て、レオンは奥歯を噛みしめた。

 マリティムが死に、即位する事が決まってから、アンドリューは思っている事を殆ど口にしなくなった。出る言葉と言えば、命令ばかり。一体何を考えているのか、想像には限界がある。

 レオンは、自分の知らないところでアンドリューとリディが何度も繋がりを持っていたことに、ショックを受けていた。レオンは、エンバハダハウスでリディと親しくなったが、本来は敵なのだということを心に刷り込み、敵としての感情を持とうと必死になった。それなのに、アンドリューもアランも、まるで敵扱いしていない。それが腹立たしく、つまらぬ嫉妬と気づきながらも、許せない。


 午前3時を回った頃だろうか。

 時折重くなる瞼を指先で押さえて堪えながら、レオンはフィリグラーナの部屋の前で警備を続けていた。

 ふと廊下の左を見ると、遠くに人影が見えた。

 こんな時間に歩き回る人間など、近衛兵の見回り以外、普通はあり得ない。

 レオンが緊張して見守っていると、間もなくその正体が明らかになった。

「・・・皇太后陛下!」

 アルティスは、アンドリューと同じ色の長い髪を揺らして、レオンの前に立った。

 レオンは素早く跪き、頭を下げた。

 アルティスは、部屋の扉に視線をやった。

「フィリグラーナと話がある。通せ。」

「それは――― 。」

「早く通せ。」

 レオンが、何か口を出せる相手ではない。言われるままに、扉を開けた。

 部屋の中は暗く、窓辺の椅子にくくりつけられたフィリグラーナの白い頬だけが、星明かりに照らされ浮かび上がっている。

 レオンは部屋の灯りを点け、アルティスと共に中に入った。

 フィリグラーナは泣き腫らした様な赤い目で、気力なく二人を見た。

 アルティスは背後に控えるレオンに、猿轡を外すよう命じた。

 レオンが命令に従うと、次は部屋から出て行くように言われた。

「いや、それは・・・。しかし、陛下に何かあったら―――、」

「王妃は縛られたままではないか?ここから私は、王家の者同士の話をするのだ。お前が耳にすることは許されぬ。」

 レオンは、渋々言われたとおりに部屋から出た。

 扉の閉じる音を聞いたアルティスは、ゆっくりとフィリグラーナに近づいた。

 フィリグラーナは、疲れ切った表情ではありながらも、頭を下げ、敬意を示した。

「久しいな、フィリグラーナ。随分と変わり果てた姿になったものよ。」

「・・・。」

「顔を上げよ。私はそなたの口から、真実を聞くためにここまで来たのだ。」

 フィリグラーナは、義母アルティスを見上げた。

 いつ以来だろう。

 最後に会ったのがいつだか思い出せないくらい、無沙汰が続いていた。公の場に現れる時以外、会う事のない存在だった。マリティムと両親との関係が良好とはいえなかったせいか、フィリグラーナが会いに行くことは皆無だった。フィリグラーナが子供を産んでも、アルティスは孫の存在に全く興味を示さなかったし、フィリグラーナも裏紋章を持たない子しか設けられない後ろめたさから、会わせに行くこともなかった。姑と嫁の関係など、煩わしいと思っていたのも事実だ。

「そなたがマリティムを殺したというのは、誠か?」

「・・・はい。」

「理由は、何だ?」

「このジェードにとって、不要だからです。」

「不要?」

 アルティスは怪訝な表情を隠さなかった。

「そうです。マリティム陛下と私の間には、一人として紋章付の子供が産まれませんでした。しかし、ジェードにはアンドリューがいます。アンドリューと私の間ならば、紋章付の子供が産まれる可能性があります!」

「・・・アンドリューは、そなたを処刑すると言っておったが?」

「それは表向きの話です。私は世間から隔離されるだけです。アンドリューが私を殺すはずなどありません!」

 アルティスは少し口を噤み、そしてまた続けた。

「そなたは、なぜアンドリューの事を知っているのだ?マリティムから聞いていたのか?」

「いいえ。私達は10年前に出会い、数奇な運命の下に再会を繰り返してきました。私達は切っても切れない縁で結ばれているのです。」

「そなたは、マリティムよりアンドリューを選んだということだな。」

「そうです。出会ったあの日から、アンドリューは私のものです。私達はこうなる宿命の下に産まれたのです!」

 アルティスはゆっくりと瞼を閉じると、踵を返した。

 薔薇色のスカートの裾が翻る様子が、フィリグラーナの視界を揺らした。

 フィリグラーナは叫んだ。

「陛下!すべては、ジェードの未来のためです。私は嫁いだその日から、祖国を捨て、ジェードにすべてを捧げました。私のすべては、ジェードのものです!」

 アルティスは、肩越しに少しだけ振り返った。

 フィリグラーナは、その瞳の色が、アンドリューと同じ蒼であることに初めて気付いた。

「フィリグラーナ。・・・紋章付の子供は一人で十分なのだ。二人目はいらぬ。」

「・・・あれは!」

 フィリグラーナは思わず身を乗り出した。縛り付けられた身体は、椅子ごと前のめりに倒れる。床と椅子の間に挟まれた身体から頭だけ持ち上げ、フィリグラーナは訴えた。

「あれは、プラテアードの平民が産んだ子です!正統なジェードの跡継ぎなどと認められない子です!」

 アルティスは、離れた場所から、フィリグラーナを見下ろした。長い睫毛は微動たりともせず、王妃の座から引きずり下ろされる女の姿を捉えていた。

「陛下!!」

 擦れる声も聴くに値しないと判断したアルティスは、部屋から出た。

 外には、レオンと共にハロルド伯爵が控えていた。

「皇太后陛下。部屋まで、お送りいたします。」

「その前に・・・レオン。フィリグラーナはアンドリューとどういう関係なのだ?」

「関係?そのようなものは、ございません。」

「アンドリューとは切っても切れない縁だとか言っていたが?」

「それは、王妃様の妄言です。アンドリュー様とは、一切、御関係はございません。」

 アルティスは、ハロルドの方を見やった。

「アンドリューは、フィリグラーナが産んだ王子たちをどうするつもりだ?」

「このまま王宮にいれば、母親が父親を殺したという事実が確実に耳に入ります。アンドリュー様はそれを避けるため、明日にはジュノーの別荘へ行かせる手筈を整えております。」

「・・・そうか。で、プラテアードの女が産んだと言うマリティムの子は?」

「アンドリュー様が、安全な場所に預けております。」

「ハロルド。その子は、誠にマリティムの子なのだろうな?間違っても、アンドリューの子だということはあるまいな?」

「はい。私の命に賭けて、正真正銘、マリティム様の御子でございます。ここにいるレオンも、生き証人でございます。」

 レオンは、何度も何度も頷いた。

「・・・そうか。」

 アルティスは、ハロルドと共に自室に戻ると、言った。

「夜が明けたらすぐにアンドリューを呼べ。フィリグラーナ処刑の書類にサインをしてやる。」

「陛下・・・!」

「誤解をするな。すべては、マリティムのためだ。フィリグラーナを生かしておいては、マリティムも安らかに眠ることができないだろう。・・・ただし、私がサインをするのはこれきりだ。この先は、アンドリューが自分で何とかしていかねばならぬからな。」

 

 ハロルドは深く頭を下げ、思った。

 

 そう。

 

 アンドリューは、母親アルティスに似ている。

 

 


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