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第99話:密談 -その3-

 階段を降りる重い足音に気付いたのは、当然、マチオが先だった。

 もう、窓の外は白んでいる。

 フィゲラスはヴェルデマールを腕に抱きながら、時折微睡んでいたが、マチオに肩を叩かれ、すぐに飛び起きた。

 部屋の扉が開き、アンドリューはマチオが横たわるベッドの縁に腰を降ろした。

「ジャックは来たか?」

「はい。お言いつけどおりに、動いとります。」

 アンドリューは一度ゆっくり瞬くと、フィゲラスの方を見た。

「これからのことだが、」

 それが合図と汲み取り、フィゲラスはヴェルデマールを抱いたままアンドリューの近くに寄った。

「3日後、国王が殺害されたことを公表する。同時に殺害した王妃を中央広場に晒し者にし、48時間放置した後、処刑する。」

 マチオとフィゲラスは、たったこれだけの告白に、幾つもの理解を求められ、瞬きも呼吸も忘れ、懸命に咀嚼に努めた。

「処刑の翌日に新国王の即位を周知し、マリティムの葬儀の後に国境閉鎖を解除する。そして一週間後に戴冠式だ。」

「・・・リディ様は、どうされるので?」

「戴冠式には大陸全土の王族を招待するが、その一人として出席させる。戴冠式の前日に、アランを乗せた馬車をよこすから、リディとヴェルデマールと共にマチオも王宮へ来てくれ。二人の身に何かあれば、マチオが盾になれ。」

「私は・・・?」

 フィゲラスは、言葉が震えている事が情けないと思った。

「戴冠式の数日後、リディをプラテアードへ戻す。その時、一緒に着いて行け。」

「・・・それは・・?」

「リディは、大金を積まれてもフィゲラスを手放さないそうだ。その心に応えるといい。」

 フィゲラスは胸が一杯になり、ヴェルデマールの身体を強く抱きしめてしまった。

 ヴェルデマールの顔が歪み、泣き出しそうになった頬を、アンドリューの冷たい指が優しくなぞった。すると赤ん坊は、魔法にかかったように、すぐ穏やかに眠りにおちた。

 そのアンドリューの顔を近くで見たフィゲラスは、ハッとした。

「アンドリュー様、唇に血が・・・。」

 アンドリューは微動だにせず「ああ、」と言って無造作に手の甲で拭った。

「大丈夫ですか?」

「気にするな。それより、リディの口端の傷口が開いてしまった。後で手当てをしてやってくれ。それから――― 」

 アンドリューは、リディが過呼吸を起こしたことを伝えようとして、しかし口を噤んだ。

 リディを撃って頬に傷をつけた日から、もう3年近く経とうとしている。

 ヒースの丘でリディに再び銃を向けた時は、怖れるどころか自分の元へ走ってきた。あの時は、銃よりエストレイに襲われた方の恐怖を強く抱いていたから、平気だったのか。

 まさか3度目で、あんなに反応するとは想定外だった。

 これらの話をフィゲラスにすると、間違いなく激しく責められそうだし、精神的な傷はアンドリュー自身が優しくしてやればいいとか、二度と銃を向けなければいいとか言われるだけな気がして―――、やめた。

 アンドリューは再度、マチオの方を見た。

「例の荒くれ隊長は隊もろとも首都から最も遠い国境へ飛ばす。二度とリディを余所者の目に晒すな。」

「はっ。―――申し訳ありませんでした。」

「それから、マチオが王宮に向かった後、薬局は暫く休業の札を出せ。フィゲラスは次の迎えが来るまで待機だ。迎えにはマチオをよこすから、それ以外は決して家から出ず、扉も開けてはいけない。」

 アンドリューはフィゲラスの答えを待つのももどかしく、黒いマントを翻して去って行った。

 

  

 午前6時。

 ミルク色の霧に浮かぶデレチャ橋のシルエットは、徐々にその輪郭を鮮明にしていく。

 橋の袂には、ジャックを含め、8騎の馬が集まっていた。

 時間丁度に現れたアンドリューとの再会に、かつてのエンバハダハウスの住人は感極まったが、言わずと知れた国王の崩御を前にして、素直に喜べるものではなかった。

 アンドリューは、集まった仲間に労いの言葉をかけると、すぐに手綱を握りなおした。

「詳しい話は、王宮へ戻ってからだ。とにかく信頼できる人手が要る。ジャックは街に残って、残りの仲間がマチオの下に集まったら知らせてくれ。その他、王宮と街の伝令役になってほしい。」

「了解した。・・・薬局に目を付けている荒くれ隊長だが、裏で操っている奴がいる。まだ正体は掴みきれないが。」

「調査は続けてくれ。あの隊長は、早急に隊もろとも国境警備へ飛ばす。」

 アンドリューは、全員の顔を見渡した。

「行くぞ。やるべきことが山積している。」



 王宮に到着すると、アンドリューは仲間を着替えさせた。

 ある者は貴族、ある者は軍人、ある者は執事、そして庭師・・・など。王宮の至る所に溶け込ませ、動き回らせるためだ。

 もちろん、アンドリューの側近も確保する。

 うち一人は、ずっと寝ずにフィリグラーナの番をしていたレオンと交替させた。

 レオンを休ませ、アランとハロルドを執務室に招く。

 アンドリューは椅子に腰かけ、ハロルドを見上げた。

「伯爵。つかぬ事を聞くが、奥方は信頼のおける女か。」

 ハロルドは、灰色の太い眉を微かに動かしたが、すぐに頭を下げた。

「はい。妻は口が堅い、実直な性格です。以前、フィリグラーナ様の首席侍女を務めておりましたが、奔放なフィリグラーナ様を厳しくたしなめたため嫌われ、クビになったくらいでございます。」

「成程。そなたの妻らしいな。・・・王家に仕える者は、それぐらいで調度いい。ここへ呼んでくれるか。頼みたい事がある。」

「では、少々お時間をくださいますか?アンドリュー様の事を妻は存じませんので、予め説明しておく必要がございます。」

「わかった。・・・奥方の名は?」

「シンシアと申します。」


 15分後にアンドリューの前に現れたシンシアは、薄い亜麻色の髪を一つに結い上げ、無地の深緑色のドレスに細い身体を包んだ高齢の貴婦人だった。

 シンシアは部屋に入るなり、スカートのドレープを広げて深々とお辞儀をした。

 アンドリューの許可がおりるまで、決してアンドリューの姿を見ようとはしない。その古めかしい習慣に未だ傅かれている様子が、律義さを物語っていた。

 アンドリューは、基本的に女を信用していない。だが、今、どうしても信頼できる女性の存在が必要だった。

「顔を見せてくれ。頼みがある。」

 シンシアは、伏せ目がちにグレーの瞳を開いた。

 突然、存在が明らかになった新国王を、とても正視できない。

 若い頃から性格が生真面目で堅過ぎると言われ、友達も少なかった。貴族の淑女が興味を持つ舞踏会やドレス、宝石、どれにも関心を示さず、簡単に心を許せない警戒心が、ますます人を寄せ付けなくなった。

 シンシアが孤独になりきらなかったのは、幼い頃に家の決めた許嫁のハロルドが、シンシアの良き理解者になってくれたからだ。シンシアはハロルドを信じ、良い妻であろうと懸命に尽くした。夫のハロルドが教育係を務めたマリティムの妻であるフィリグラーナに嫌われ、クビになった時は、初めて涙を流して「夫の顔に泥を塗った。」と言って自分を責め、離縁まで申し出たくらいだ。

 そんなシンシアが新しい国王に呼ばれたとあっては、今度こそ絶対に夫に恥をかかせられないと緊張せずにいられなかったのも、無理はない。

 シンシアは両膝を床につき、アンドリューを恐る恐る見上げた。

 初めて拝顔する新国王は、マリティムよりも更に冷たい表情に見えた。簡単に人を信用しない蒼い瞳をしている。それはシンシアも同じだから、よく、わかる。

 アンドリューは、シンシアの顔を凝視した。

「そなたには、極秘任務を命ずる。マリティムが心から信頼していたハロルドの妻だから信用するが、万一秘密が漏れた時には命は無い。それでも、よいか?」

「もちろんでございます。王家の近くに仕える者の心得は、幼い頃より厳しくしつけられております。」

「そうか。・・・では手始めに、口の堅い仕立て屋を探し、ドレスを注文してほしい。背丈は俺の肩ぐらい、細身の女が戴冠式で着るものだ。濃紺の天鵞絨ビロードで裾に銀の刺繍を施してくれ。必要以上に豪華である必要はない。肩から肘まで袖がありさえすれば、あとのデザインは任せる。もう一つ、宝石職人に銀の小さなティアラを造らせてくれ。中央にブルーアンバーを一つ、あとは小さなダイヤモンドを散らして・・・。期限は10日。どうだ、できるか?」

 シンシアは、『ブルーアンバー』と聞いて、流石に動揺した。これは明らかに、プラテアード王女のためのものだ。様々な疑念が湧き上がるが、ここは頷くしかない。

「かしこまりました。必ず、期限までに整えます。」

「金はいくらかかっても構わない。口留め料も含めてな。」

「はい。」

「それから、・・・もうわかったと思うが、戴冠式の前日にプラテアード王女が王宮に来る。しかし、世話をする者がいない。王宮にいる間、王女の侍女を務めてもらいたいが・・・敵国の王女など、嫌だろうか?」

 シンシアは、決まりきった答えを口にするしかない。

「いいえ。御指名いただき、光栄でございます。心を込めて、お世話させていただきます。」

 アンドリューは頷き、シンシアの後ろに立っているアランを見やった。

「・・・という事だ。アランには、リディのエスコート役を頼む。王宮の中では、必ずリディに付き添ってやれ。」

 アランの表情は、シンシアと対照的にパアッと明るくなった。

「はい!喜んで。」

「もう、マリティムの影武者ではないのだから、髪を切って、本来のアランの姿に戻るといい。長い間、王家のために苦労をかけたな。」

 アランは長い睫毛を伏せて、「いいえ。」と何度も首を振った。

 シンシアは、マリティムに生き写しのアランにも度肝を抜かれ、何が何やら理解しきれないまま、とにかく言われたとおり動くしかないのだと無理やり脳を納得させた。そうでなければ、とても受け入れられない――― 国王が王妃に殺されたことも、あの伝説の革命家、アドルフォの娘と対峙することも。


 3人が部屋を出て行くと、アンドリューは執務室の隣の寝室に入った。

 広い部屋の中央に、天蓋付の大きなベッドが置かれている。

 何もかも、マリティムが生きていた時のまま手をつけていない。

 いや、触れられないと言うのが正しい。

 まだ、あちらこちらにマリティムの息遣いが残っているようだ。

 アンドリューは、いつもどおりマリティムのベッドを避け、部屋の隅の長椅子に身体を横たえた。

 天井に描かれた複雑なアラベスク模様が、段々見慣れた風景になっている。

 ここは、代々の国王の完璧なプライベートルーム。王妃でさえ立ち入らせない場所だという。

 国王になるアンドリューにあてがわれた部屋ではあるが、まだ『他人の部屋』であり、落ち着かない。

 それでもこの部屋に入るのは、マリティムが死に際にハロルドに託した金の鍵が、この寝室の隠し扉のものだから。

 創建当時から国王が受け継いできた鍵の事は、ハンスから聞かされて育った。扉の奥には秘密の通路の外、国王以外が目にすることは許されない日記が納められた書庫がある。ジェード王国の歴史が、そのまま残されているため、国王に即位したら、まずそのすべてに目を通せと言われている。

(あの洞窟の財宝の事も・・・記されているのだろうか。)

 まだ、建国間もない数年分にしか目をとおせていない。だが、どこかに記されているとすれば、父も、マリティムも、知っていながら放置していたということだ。

 理由は、自ずと知れる。

 あの洞窟には、額に紋章のある者しか入れない。故にジェード王家とプラテアード王家の者が、二人きりで洞窟の奥へ入らねばならないことを示している。

 あの狭さ。罠。

 相当な密着と協力体制がとれなければ、辿り着く前に命を落とすことになる。まさに、二人の信頼関係が試されるような道のりだ。

 プラテアードとジェードの因縁は何百年も前から続いていると聞いている。

 あの洞窟がいつ造られたのかわからないが、あれだけの仕掛けを造るには、相当の人手が必要だったことだろう。しかも、両国の王家が携わったことは確実だ。

 一体いつ、なぜ、何を目的にしていたのか。

 二つの国の裏紋章が揃わなければ、一生閉ざされたままになる、緋と藍の峡谷。

 ジェードの緋の紋章は継承される可能性があるが、プラテアードの藍の紋章は途切れる可能性が高い。その事を考えるたび、睫毛を涙で濡らしたリディの瞳を思い出す。

 同時に湧き上がる考えを押し留めるように、アンドリューはゆっくりと目蓋を閉じた。


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