ドロップス 幸せの飴 第三話02
夕闇が迫るころ、息子たちがやって来た。息子たちには、死亡した日に投かんされた手紙が届いていた。
「雅史、黙っていてごめんなさい。でも、どうしても、この土地で最後を過ごしたかったの。あなた、聞いていたら、絶対に福島へ連れて行ったでしょ。」
「和樹、香織さんを大切にね。あなた、本当の気持ちを素直に出さないから、誤解されやすいの。香織さんには、きちんと言葉にしてね。」
次の日、荼毘に付して、帰路に就いた。今日も良い天気で、離陸した飛行機の窓からは、日高山脈が良く見えた。
玲子がいたころの我が家とは違って、すべてが雑然としている居間のテーブルにお骨を置いて、3人で黙って、献杯をした。息子たちも、母、玲子の思いを、帯広の医者から聞いていた。
「母さん、ここに帰ってきたくなかったんじゃないか。」
和樹が言った。
「そんなことはないよ。きっと、母さん、喜んでくれてるよ。」
雅史が、泣くのをこらえている。自分が、もう少し、支えてやれなかったかと悔いているようだった。二人は、改めてお墓へ行くからと言って、帰っていった。
私は、小さくなった玲子のお骨を抱いて、寝室へ行った。
「玲子、ちょっと恥ずかしいけど、今の私の生活を見てくれ。」
「案外、まともだと思わないか?」
「君の残したメモを頼りに、やって来たよ。」
「クロゼットもサイドテーブルのメモも、そのまま貼ってあるよ。」
「そんな簡単に、全部は覚えられないからね。」
「この半年で気づいたことがある。クロゼットには、全部メモが貼ってあるけど、君の洋服は、どこに置いていたんだい?」
そして、洗面所へ行った。
「洗面台も浴室も、なんとか掃除をしている。石鹸もシャンプーも、君のメモに書いてあったものを購入したから、安心してくれ。」
そして、キッチンへ。
「今は、ほとんど外食で済ませているよ。君に叱られそうだね。」
「わかっているよ。瑠美子と結婚しろっていうんだろ。」
「でも、やっぱり良かったよ。こうやって君をこの家に連れてこれたんだから。」
「あのさ、」
「君の作ってくれた里芋の煮物が食べたいよ。」
「ビーフシチューも、ロールキャベツも。」
「君の糠漬けは、天下一品だったんだね。」
「料理のメモも置いて行ってくれればよかったのに。」
「えっ、私が料理をすると思っていなかった?」
「でも、本当は、なにも無くても良いよ。贅沢だ。」
「君に、会いたい。」
「君は、あの医者が言っていたように、本当に幸せだったのかい?」
しーんと静まり返ったこの部屋は、やけにうすら寒い。この半年、一人でいて慣れてきたはずなのに、寂しい。君は、息子たちが独立していった後、私のいないこの部屋で、自分の病気を一人で抱えて、どんな思いだったのだろう。心細かったはずなのに、いつもにこやかに、私を向かい入れてくれていた。
雅史が、一度見たことがあると言ってたように、口を押さえて声を殺して泣いていたのだろうか。食器棚のドロップスの缶を、振っていたのだろうか。愚かな私は、32年の長い間、君を大事にしてこれなかったことを、今更ながら悔いているよ。悔やんでも悔やんでも、もう、君はいない。
「玲子、32年間、寂しい思いをさせたね。これから、私は何をすればいいのかな。」
「池沢さん、もう一つ、玲子さんに頼まれたことがあります。東京にNPO法人がやっている池沢ガーデンと言うところがあるそうですね。住所はここに書いてありますが、その一角に自分のお墓を作ってあるそうです。そこへ埋葬していただけますか?」
そう、もう、5か月も前に一度、息子たちと行ったあの玲子の畑だったところだ。49日の後、池沢ガーデンへ行って、半年前に対応してくれた責任者の女性と話をした。
「そうですか、玲子さん、亡くなりましたか。」
「ごめんなさい。玲子さんの病気、なんとなく察していました。気丈な方だから、誰にも話してくれませんでしたが、わかりますよ。いつもお会いしていたんですから。」
「でも、まさか、ここに埋葬する話がこんなに早く実現してしまうなんて。玲子さんが第一号になるんですね。」
しみじみと言って、案内してくれた。その場所は、少し小高くなっていて、ガーデン全体を見渡すことができた。咲き誇る花々をいつも見られる場所だった。
埋葬した後、少し園内を見て帰りますと、責任者の女性と別れ、散策をした。花の名前は知らないが、みな、玲子が愛した花たちだと思うと、いとおしい。ぐるっと園内を回って、埋葬されている丘の下に置いてあるベンチに座った。そのベンチに座ると、ハーブの香りがしてきた。あたりを見渡しても、ハーブの香りがどこからしてくるのか、なかなかわからない。でも、風に乗って、すがすがしい香りが運ばれてきて、きっとこの椅子は人気の場所だろうと思った。みな、丘の下のこのベンチで楽しいおしゃべりをして帰って行くのだろう。
「玲子、君はそれをこれからずっと、ここで、聞くんだね。」
一年後のガーデンで、
玲子、瑠美子と再婚したよ。
ありがとう。
雅史と和樹との距離は、なかなか埋まらないだろう。
それも、仕方がない。
これから、何年かかるか判らないけど、いつか信頼されるように頑張ってみるよ。
玲子、もう一つ、報告がある。
来月から北海道の別海町の地域医療センターへ行くことが決定したよ。
玲子、君の願いだった地域医療の夢は、雅史が継いでいるが、遅ればせながら私も、頑張ってみるよ。
大丈夫、心配しないでくれ。瑠美子も一緒だ。
この間、挨拶に行ったけど、広いよ。別海町は。
北海道では当たり前なんだろうけど、
冬は、そうとう厳しいらしい。
オホーツクからの風が吹きつけて、立っていられないほどだってさ。
牛がいっぱいいて、ソフトクリームが美味しかった。
酪農の町だよ。
孫たちに、遅ればせながら、おじいちゃんとして、美味しい牛乳やチーズを送ることを今から楽しみにしているよ。
そうそう、和樹に娘が生まれた。
目元が君に似ていて、母さんの生まれ変わりだと和樹が喜んでいた。
玲子、ここは気持ちがいいね。
花の香りに包まれている。
最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。
最後まで、読んでいただけたこと、感謝です。
他に、言葉はありません。
最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第23回 ドロップス 幸せの飴 と検索してください。
声優 岡部涼音が朗読しています。
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